《第一話》(2)

   *


ぬれの聖女》とは、一体何なのか。俺も、全てを知っているわけではない。

 いわく、人ならざる存在。いにしえよりこの地球に存在しており、あらゆる『奇跡』を内包した、じんを超えた何か。その力は動植物の生命はおろか、この星に流れる時すら操る。

 彼女の力を用いれば、それこそ神のごとく振る舞うことも可能。

 しかしながら、聖女は誰のものにもならない。『ある条件』を満たさねば。

 その条件とは、聖女の力のざん──《落とし羽》をより多く保有する、というものだ。

 そうすれば、己のそれを取りに戻った聖女が、やがていつか顕現する。

機関》は、聖女に対しおのおのが『願い』を抱えた者で構成された機関だった。

 無論、所属していた俺も、聖女へ『願い』を持っていた。

 全部過去形なのは、もうとっくに《機関》は解体されてしまっているからだ。

 理由は単純。《ぬれの聖女》の完全消滅による、存在意義の消失。個々人の『願い』という我欲でつながった集団が、その大本を絶たれたとなれば、継続する必要などどこにもない。

 俺の戦う理由も。願う理由も。生きる理由も。全部──

さいがわ。以前提出した企画書だが、全面的にボツだ。練り直せ」

「え」

「顧客のニーズに合っていない。市場調査データをよく見ろ。新卒かお前は」

「マジですか……すみません」

 ──とはいえ俺の人生はまだまだ続く。闘争とはまた別種の戦いが、今の俺にはある。

 その最たる例として、俺は朝礼後早々に、部長から呼び出されお𠮟りを受けていた。

「つくづくお前には足りんな。子供心というものが」

「もう26なんで……」

「言い訳をするな。ここがどういう会社か知らんわけでもあるまい」

「承知してます……」

 俺の勤め先は《ぱん製造株式会社》──聞く分にはわいらしい社名にちなんだのか、玩具製造企業である。いわゆる『おもちゃ』を作って売る会社だ。社員数は約150名。

 そして、俺を軽く𠮟っている中年男性……つまり部長なのだが。

「それとも──《》は雑用係をお望みか?」

「ちょッ……やめてくださいよそれで呼ぶの! 誰かに聞かれたらどうするんですか!?」

 この人は《機関》時代に俺の直属の上官で、オペレーターも兼任していた。

 つまり俺の過去を知る数少ない人であり、そして様々な面での恩人でもある。

 もっとも当時の俺はなんというかクソ生意気で、立場に上も下もないみたいなトンガリバカキッズだったので、この人に敬語一つ使っていなかったが……。

「心配するな。誰も聞いていない。まあ──しっかりやることだ。

「うっす。ガンバリマス……」

 俺は力なくそう返して一礼し、自席へと戻った。

 上官と部下が、上司と部下という関係に若干変化したものの、部長のような《機関》の一部の面々とは今も交流がある。考えてみれば当たり前で、そこに所属する全ての人にはおのおのの人生があるのだ。《機関》がくなったからといって、全部リセットされるわけではない。

(まあ……あの人とこういう関係になるとは思ってなかったけど)

 俺がぱん製造に就職したのは、あくまで大学時に──割と適当に──行った就職活動の結果で、ここに部長が居るとは露とも知らなかった。だから再会した時は驚いたものだ。

(って、物思いにふけってる場合じゃないな。企画書を見直さないと──)

 支給されているノートパソコンを開きつつ、俺は頭の中を仕事の煙で満たした。そいつが充満している限りは、とりあえずサラリーマンとして最低限は働ける。

「せ~んぱ「何か用? こまさん」うひゃあ!」

 背後から声がしたので、俺はすぐに振り返った。

 声の主は、同じ部署で俺の後輩にあたる《こま》さんだ。まだうら若い小柄な二年目の女性だが、よく気が付くし機転や発想力や度胸もあるし、期待の新人と言えるだろう。

「び、びっくりさせようと静かに近付いたのに……。せんぱい、相変わらず気配に敏感っていうか、動物みたいですね」

「人間も動物じゃないか。それで、用件は? 何か質問かい?」

「いえ、コーヒーれたのでどーぞ!」

 こまさんは両手に持っている紙コップホルダーの一つを俺の席に置いてくれた。

「おっ、気がくなぁ、ありがとう。ま……俺の嫁ほどじゃないけど!」

「嫁ハラですか?」

「何その造語は……」

「言葉の通り、お嫁さんを使った部下へのハラスメントです。せんぱいが幸せ新婚生活真っ最中なのは分かってますから。でもそういう幸せのおすそ分けは独身への猛毒です!」

 口をとがらせてこまさんは抗議している。俺は頂いたコーヒーをすすった。彼女は誰とでも仲良くなれるようで、俺ともこうして軽口をたたき合ってくれる。

「幸せなのは否定しないけど、もう来月で結婚一周年だから。それに、こまさんはまだ21歳じゃないか。そのとしなら未婚者の方が多いって」

 こまさんは短大卒で、俺が彼女の年齢の時は既婚未婚以前にまだ大学生だった。なので働いているだけ今の彼女の方が何倍も立派である。

「ですねー。そのうちあたしも先輩並みに幸せになってみせますよ! というわけで、ちょっと企画書で分からないところがあるのですが……」

「いいよ。印刷して見せてくれる?」

「分かりました!」

 ぱたぱたとこまさんが自席に戻って、パソコンを操作するのを眺める。

 自分の仕事もあるが、しかし後輩の面倒を見るのも仕事のはんちゆうである──と、過去に部長から教わったので、俺はそれを忠実に守ることにした。

 俺とこまさんは企画開発部に所属している。要は『ウチでこんなおもちゃを作ろう』とあれこれアイデアを出し、その上でそれを実際に製造する仕事だ。とはいえ製造開発の方は他に担当が居るので、俺達は企画がメインとなる。

 もっと言うと、弊社は弱小企業なので、いわゆる大手メーカーみたいに自社製品をバンバン作っては市場でさばくような力はない。あくまで自社製品は脇役、もっぱらそういう大手メーカーからの依頼を受けて、仕様書通りの玩具を製造開発するのが主力だ。

 そういう意味では俺の居る部署は花形とは言いがたいだろう。

「さて……今日も頑張るか」

 コーヒーをもう一口すすって、俺は一度伸びをする。

 頑張って成果を出す……というよりかは、早く帰りたいから今日一日を頑張るのだ。


   *


「二年目の子の方が俺より明らかに才能があったら俺はどうすればいい?????」

「とりあえず……嫉妬しよ!」

「小物にも程がある……」

 多少の残業の後、俺は帰宅してりつと夕食を食べていた。

 食事の支度というのも、なるべく俺は夫婦で分担してやりたいのだが、どうしても家に居る時間に差がある以上、りつに任せてしまう。なので俺は彼女の手料理をめるように味わいつつ、しかし愚痴だけはしっかりと垂れ流していた。

「そんなに優秀な後輩なんだ~」

「まあ……うん。色々しっかりしてる。最近の若い子はみんなそうなのかもな……」

「あはは。ろうくん、おじさんだ」

「もう『みたい』すら付けてくれないのか……」

 朝よりも俺は確実にけ込んだということだろうか。りつは自作の漬物をぽりぽりとかじりながら、ほほんで俺を眺めていた。

 二年目の子、要はこまさんだが──見せてもらった企画書は、特に文句の付けようがないものだった。少なくとも俺目線ではそうで、しかしこまさん目線ではそうでもなかったようなので、つまるところ俺の能力不足が露呈したというわけである。最後は部長に直接見てもらったので、俺が貢献した部分といえば部長に声を掛けたことぐらいだ。

「あー、裏で『さいがわパイセン仕事マジ出来ねえわw』とか陰口たたかれてたらどうしよう……」

「とりあえず……弁明しよ!」

「恥の上塗りだな……」

「大丈夫だよ。ろうくんならきっといい弁明が出来るから!」

「もう弁明すること前提なのか? 陰口たたかれているのは確定で見たのか?」

「冗談だってば。でも、心配してもしょうがない部分だもん。ろうくんはお仕事頑張ってるんだから、そんな陰口言う人なんて誰もいないよ、きっと」

「そうであることを信じるか~」

 第一、こまさんはそんなタイプには見えないしな……。

「そんな暗い顔しながらごはん食べたらおいしくなくなっちゃうよ? はい、あーん♪」

「ん」

 対面に座るりつが、サバの煮付けを小さく箸でカットして俺の口元へと寄せた。拒む理由は一切ないので、俺はぱくりと食べる。身が口の中でほろりと崩れ、甘辛いうまが広がった。

「おいしい?」

「うん。自分で食べるよりも数倍はうまい。魔法の調味料でも使ったみたいだ」

「ふっふっふ……今こっそりまぶしたからね、粉」

「褒め言葉が事実の指摘になったぞ……」

 俺の見ている前でバレずに謎の粉をまぶしたとなると、りつは時間でもめたのかもしれない。りつなら出来なくもなさそうではあるが、まあ冗談の一環だろう、流石さすがに。

「ところで、ろうくん。?」

「もちろん。りつも大丈夫だったか?」

「うん。今日はお買い物以外で外出してないよ」

 夫婦間には幾つもの決まりごとやルーティンが存在するものだ。俺達なら家を出る前のキスがそうだが、他にもう一つ、俺とりつには毎日の確認事項があった。

「今の俺達はただの一般人だ。『普通』に過ごしてるだけで平気だと思うんだけどな」

「だよねぇ。みんな心配しすぎだよ~」

 それが、このような『今日も目立たず一般人だったか?』という相互チェックである。

 恐らく、普通ではない。こんなことをする夫婦など、まず存在しないと思う。

 戦闘訓練に明け暮れ、多くの武器の使い方を学び、そして戦いを幾度も重ねた俺。

 同じく幾度もそんな手練と戦い抜き、いまだ異能力《祝福ブレス》を保有するりつ

 ──俺とりつは、ただの人間ではない。

「俺なんてもう立派な社畜だぞ。今や攻撃避ける時よりも謝罪で頭下げた回数の方が多い」

「ごめんね、もっと頭を狙っておけばよかった」

「そういう問題か……!?」

 世間に対し、《ぬれの聖女》の存在は公になっていない。どころか、《機関》も《組織ロツド》も、その存在が完全に秘匿されている。《祝福ブレス》などもってのほかで、ああいった異能力なんか漫画やアニメの中だけのものである、というのが一般人の常識だ。

 つまるところ、俺やりつの過去というものは、この現代社会の中においては全て出来の悪い空想物語でしかなく、しかし一方で俺達はそれらを経験した上で、確かに人並みから外れた力を今も持っているわけで。

「──わたし達が問題を起こすなんて、そんなことありえないのに」

「違いない。隣人がいきなり逮捕される可能性の方がまだ高いな」

「お隣さんのかめおかさんはい人だよ!」

「例え話だって」

 一人だけで生きるならまだしも、そんな強い力を持っている俺とりつ共に生きる結婚となれば、余計な心配をされるのも無理はない、らしい。

 俺なら今は部長がよく口をっぱくしてとがめて来る。「変なことするなよ」と。

 ……いやいやいや、もう26ですよ俺は。自分の力を無闇に振りかざすほど幼稚でもないし、それを使って何か大きな事を成し遂げてやろうという野心もない。

 俺はただ、りつと平穏無事に──どちらかが先に死ぬまで、一緒に生きていたいだけだ。

「──毎日幸せだよ、俺は。りつといられてさ」

「あ、じゃあ幸せついでにお掃除してくれる? ちょっとたいテレビがあるので……」

「おい」

 食器洗いは飯を作らなかった側、掃除は毎日交代制なのが俺達のルールだ。今日はりつの当番だったのだが、俺の歯の浮くようなセリフをダシにされてしまった。

「ったく……しょうがないな」

「ろうくん、優しい~。愛してるちゅっちゅ♡」

「そういう都合のいい愛はいらん」

 でも投げキッスするりつわいかったので良しとしよう。

 結局のところ、誰にどれだけ心配をされたところで、俺達は俺達でしかなく。そして俺達なりに気を付けて毎日精一杯生きている。自分達が問題を起こしているとは思わないし、実際のところ起こってもいない。俺とりつは今やどこにでも居るような、仲良し夫婦だ。

 なので、俺とりつの間にある、目下最大の問題──をご紹介したい。

 俺にとっては世間体とかよりも、よっぽど重大なねん事項を。


「それじゃ、おやすみろうくん。また明日ね!」

 にっこりとほほみ、片手をくいと上げて、りつは自室へと消えていった。

 自室……りつの自室。ではない。

 俺には俺の部屋があり、りつにはりつの部屋がある。だがはない。

(今日もか……)

 誰にも聞こえないいきを俺はつく。酒は飲まないので、浄水器の水を飲む。

(なあ、りつ。キミの旦那様はさ……)

 軽くグラスを水洗いして、キッチンペーパーで水気を拭き取り、食器棚に戻す。


(なんとまだ童貞なんだわ……)


 そして俺はその事実に頭を抱えた。

 童貞。童貞とはなんぞや。まあヤってない男のことを指すんですけどね。

 俺は童貞だ。女を抱いたことがない。だがそこは人によって価値観が異なる部分で、様々な女を抱くこと自体に価値をいだす男もいれば、そもそもそういうことに興味があまりない男もいるだろう。何より、童貞が恥であるとは俺は全く思わない。

 もし俺が恥であると考えているのなら、今頃どうにかして童貞を捨てているはずだ。

 だが違う。俺はその辺の女を抱くくらいなら童貞でいい。そう、俺はりつ以外抱く気がない。みさおを立てる(?)相手は生涯でりつがいい。りつだけでいい。りつだけがいい。

 しかし──しかし、それでも……ッ!


『寝室は別じゃないとどうせいはやだ♡』


 ──と、過去にりつから笑顔でそう言われているのだ。

 そもそも付き合い始めた頃から、俺はりつとキスまではあってもそれ以上がない。多分、身体からだではなくりつの心の、どこか柔らかくてデリケートな部分に、俺の手は触れてしまう。

 めちゃめちゃ詩的に表現したが、要は一度流れに身を任せてりつ身体からだを全力でまさぐったら顔面グーパンされた苦い思い出があるのだ。りつちゃんはとてもお強いので、あれは常人ならけいついねじれて死んでいたと思う。俺は鍛えてるから生きてた。血は出た。

(俺の何が不満なんだ……? 顔か? スタイルか? 性格か? 収入か?)

 りつの俺への好意にうそはない。それでも一線を越えさせてくれないのには、必ず理由がある。それが何かは今もなお分からないが、俺に原因があるはず……である。

 寝室をわざわざ別で所望されている時点で、俺はりつと一緒に寝たことすらない。前に下心抜きで『添い寝しちぇ♡』と懇願したことがあるが、不意に三角コーナーから出てきたゴキブリを見るような目で蔑まれたので、もう二度と言わないと一人誓った。

 だが、俺は何も諦めてはいない。まず諦め切れるわけあるか、愛する人のことを。

(──来月、来月だ。来月に勝負を仕掛ける)

 俺は壁掛けカレンダーをめくり、翌月のある一日に目を落とす。

 11月12日。俺とりつの結婚記念日。

 一周年記念でもあるその日をに、俺は着々と『準備』を進める予定だ。

(せめて……! せめて理由だけでも……!!)

 いきなりしようだなんて思わない。少しずつ関係を進められればそれでいい。俺を拒む理由だけでも、その日に知れたらそれでいい。もし、りつが生涯誰にも身体からだを許さないと決めているのなら、それならそれで構わない。りつを傷付けるくらいなら俺は生涯童貞でいい。

 ただ──俺は知りたいだけなのだ。愛する人のこと、全てを。


 十年前に一度終わった俺の物語は、十年後の10月12日からまた、動き出す──

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