第2部 第80話 ジュリアンの苦悩




「女は道具だ。そして美しくなければならない」


 そう言うのは、言ってはならない国の第一王子、ヘンリー・ローゼンだった。

 彼は残虐で恐ろしい男だ。


 ジュリアン・リンジーは、彼の背後に立ったまま呼吸を浅くして、静かにじっと見ていた。

 青ざめて四つ這いで転がるように部屋を飛び出していく女性は、貴族の娘だと思われる。


 かわいそうに。

 挨拶するなり、ヘンリーから、お前は今まで見てきた女の中で最も不細工だな、と顔をけなされた上に赤いワインをかけられた。

 ジュリアンの目にはとても美しい人に見えたが、ヘンリーはそうではないらしい。 


 貴族のお嬢様は卒倒しそうな顔つきをしていたのに、這うようにして部屋を飛び出すだけの力はあったらしい。

 その後を従者が後を追いかけたから、大丈夫だろう。


 ジュリアンはこっそりため息をついた。


「何だ? 文句があるのか?」


 後ろに目でもついているのか? ドキリとすると、ヘンリーが顔をこちらへ向けていた。

 怒っているわけでもなく楽しそうな顔でもない。無表情で何を考えているのか分からなかった。


「……いえ。何もありません」

「それにしてもつまらないな。この国には美しい女性は一人もいないのか」


 この男は何を望んでいるのだろう。

 動くとジュリアンの足枷がジャラジャラ鳴った。ヘンリーが気づいて苦笑する。


「お前の足にはまだ大きすぎるようだな」

「いえ……。慣れましたから」

「ふん」


 ヘンリーは面白くなさそうだった。ふいっと手を振ると、どこからかジャラジャラと音がして、別の足枷が浮かんで現れるとジュリアンの目の前で止まった。今嵌めている足枷よりもずっと小さい。


「お前を開放する。爵位を授けるから、カッサス領へ戻れ。公爵領だ。そして、ケイン国の愚かな第3王女アナスタシアと婚約をしろ。そして、子供を作れ、お前とアナスタシアの子どもなら、少しはましな子が生まれるだろう。ああ、子もまた道具だな。男でも女でもどちらでもいいぞ」


 ジュリアンはぐっと奥歯を噛みしめた。

 この男の言葉に翻弄されてはならない。

 そうだ。自分はいくつになっただろう。

 ああ、今年で18歳か。

 ここへ連れてこられたのは9歳だ。

 キャクタス国に囚われて9年も過ぎたのか。で、こいつはいくつだ? そう、こいつもまた俺と同じ年だ。男に命令され続けた9年間。


 足枷はジュリアンの魔力と気力すべてを奪ってきた。目の前で父を殺され母は行方不明、妹はどこかへ転移されて自分だけが捕虜となった。

 男の言葉に怒りを感じる。そうだ。それでいい。感情はまだ生きている。


 ジュリアンは、目を伏せた。


「ヘンリー殿下の仰せのままに……」

「足枷を軽くしてやる。しかし、忠誠は誓えよ。お前の土地では魔法を禁ずる。もちろん足枷をしている限り、すべて筒抜けだ。隠し事は許さない。月に一度は必ず俺に挨拶に来い。こちらからの命令にはすべて従うように」


 ジュリアンはおかしすぎて思わず笑いそうになった。

 しかし、それをぐっとこらえる。この9年間で学んだことだ。

 ヘンリーがぴくりと眉をひそめて、こちらを見た。


「何だ? 何か文句が?」

「……いいえ?」


 ジュリアンはいつものように顔を上げた。素敵な笑みを浮かべ、首を振った。


「何もありませんよ、殿下」


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