晩夏のミゼラブル

桜餅

プロローグ

「やっと、ぜんぶ終わったよ」


 夏の終わり。夕陽が山と麓の町を紅く染め始めた頃。まだ真新しい墓石の前で、その人物はぼんやりと紅い空を見上げていた。墓の主との思い出に浸っているのか、それともこの瞬間この場所で「何か」を決したのか。そんな風に感じられる柔らかな哀しい微笑を浮かべていた。


「またここに来るけどさ……次はいつここに来れるかわからないなぁ」


 きっとその人物の眼にははっきりと墓の主が映っているのだろう。二人は親しい仲であったことは疑いようのなく感じる。たとえ見ることができなくとも。その墓の周りだけ春の様な暖かさに包まれているのだから。そしてその人物の声は、どこか自身の人生、もしくは自身に突きつけられた現実に対する諦めと振り切りを感じさせる、ため息交じりの、か細い声だった。


「ちゃんと自分がやったことを償ったら、またここに来るよ」


 線香に火をつけながらそう言った。しかし、風のせいか、線香にはなかなか火はつかない。風による葉の擦れる音にライターのカチッカチッという音が入り込む。やっとのことで線香に火が付くと、さっと手で火を消した。白い煙がたなびく。そして線香を優しい手つきで立てた。夏の終わりの匂いに包まれた墓地に、線香の香りがほのかに漂う。


「これ好きだったよね。たくさん持ってきたから、これ飲みながら暇をつぶしててよ」


 そういいながら、墓石の前に十数本の缶コーヒーを並べた。全て同じブランドの、ブラックコーヒー。隣の墓に置かれている一つの湯呑みが缶コーヒーの異質感を際立たせている。


「それじゃあ、またね」


 小さな笑みを浮かべながら墓を優しく温かい目で見つめる。十数秒そうしたのち、その人物はふもとの町へと続く階段をゆっくりと降りていった。風は止み、さっきまで紅かった空には、もう夜のとばりが下りようとしていた。










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