第9話 ゆうりちゃんファン情報









 ピッツァを予熱したオーブンに入れたあと、はる先輩はまた調理台の前に戻って、ローストビーフを切り始める。調理台の隣に準備したものをみると、今日もう一品は焼きカボチャとレンコンのサラダなんだ。私の好物ばっかり。




「そういえば、ゆうりちゃんプチトマト嫌いなのに、なんでマルゲリータ好きなの?トマトソースベースじゃない?」




 見事な包丁さばきで肉をスライスしながら、はる先輩は隣で彼女の作業黙って見ている私に話掛ける。

 確かに、好き嫌いがあんまりない人ならこういうことは理解できないかも。でも、自分もうまく説明できない。なんでプチトマト嫌いなのに、トマトは大丈夫か。




「プチトマトはプチトマト、トマトはトマト」

「何その理論ー全部トマトじゃん?」

「ゼミ彼1号はゼミ彼1号、2号は2号と同じ」




 私が言っている意味、察して。




「…たかよし聞いたらまた泣くよ」

「佳乃先輩が嫌いを言ってるわけじゃない、ただの例え。違うものってこと」

「そういうことなのかな…」

「そういうこと」




 やっぱり気づいてくれなかった。

 首を横に振って、「わかんない」と呟きながら、はる先輩はローストビーフを花びらのように重ねて、お皿に盛りつける。カットしている時も見たが、肉の表面は香ばしく焼き色をつけて、断面は美しい薔薇色。食欲をそそぐ色だ。




「ねぇ、はる先輩」

「え、何?」

「なんで知っているの?私が好きな食べ物。はる先輩には言ったことないはず」




 チーズ、トマトソースと小麦粉が高温によって生み出す香ばしい香りはすでにキッチンで漂い始めた。盛り付けたローストビーフとサラダをダイニングテーブルに運んだら、はる先輩はオーブン中に焼いているピッツァの様子を確認する。振り向きもせず、ずっとオーブンを見る。





「ゆうりちゃんファン情報」





 何それ?私はせいぜいあっきーに好きな料理を話したことあるくらいだし、そんなファンはいない。

 もしかしたらはる先輩は私とあっきーの会話を聞いたかもしれない、それならわかる。けど、カボチャとレンコンが好きなんで誰にも言ってない。

 まぁ、いいわ。これ以上詰めたら、はる先輩はまた下がりそう。




「そう?いつかそのファンと一緒にご飯食べてみたいね」

「その人過呼吸発作になりそうだわー」





 ***





「では改めて、ゆうりちゃん、先日本当にご迷惑をお掛けして申し訳ございませんでした。そしてこの情けない先輩を家まで運んだことに、大変ありがとうございました」





 色鮮やかな料理が並んでいるダイニングテーブルを挟んで、向かい側で座ったはる先輩は、改まって頭を下げて私に謝った。

 その件は全く気にしていないけど、はる先輩と二人で過ごせる口実になれるなら、躊躇なく使う。





「はい、わかった。気にしてないから、もう謝らないで」

「神様仏様森崎様、ありがとうございます!」




 顔を上げ、はる先輩はここ数日一番の笑顔を見せてくれた。ようやくほっとしたような、晴れやかな笑顔。

 可愛い。




「ささ、熱いうちに早くピッツァ食べて」




 はる先輩の催促で、ワンスライスのピッツァを手に取って、口に入れる。薄いけどもっちりとした食感の生地がトマトとチーズの香りと一体になって、さっぱりしているのに芳醇さを感じる。店で売っている物と思ったくらい、めっちゃ美味しい。思わずもう一口を頬張った。




「美味しい…」

「ふーーよかった。ゆうりちゃんの口に合わなかったらどうしようと思った」




 ずっとテーブルに前乗り姿勢で、緊張そうに私の感想を待っているはる先輩は一安心のような表情を見せ、ピッツァを食べ始める。

 可愛い。



 私は代わりにバラ色のローストビーフに手を付ける。隣にたれも添えられているから、せっかくなのでたれあり、なしで食べてみたい。

 一枚目はたれなしで、口に入れた瞬間はその柔らかさに驚いた。お母さんがローストビーフを作ると、どうしてもどこかでパサパサになりがち。でもはる先輩が作ったものは全くなかった。どこもしっとりしていて、とてもジューシーで肉々しい。

 二枚目はたれありで、甘口のベースにほんのり酸味があるたれはまた、肉の味に変化を与え、たれなしの時と違う料理に仕上げている。

 ピッツァも美味しいけど、このローストビーフは格別、そこら辺の店より断然美味しい。





「はる先輩、このローストビーフ美味しすぎる」

「おっー最高の評価をいただきました。嬉しい、頑張った甲斐があったわ」





 目が三日月になって、体をちょっと後ろに倒しながら照れくさく笑っているはる先輩は本当に嬉しそう。

 可愛い。



 この人、爽やかでかっこいいとも思えるくらいの顔なのに、なんですべての表情と動きはこんなにも可愛いだろう。自分の胸ぐら掴みながら「可愛いーー」と叫びたいくらいだ。





「良ければレシピ貰える?」

「いいけど、どうして?」

「自分でも作ってみたいし、お母さんにも教えてあげたいくらいだから」

「了解。あと紙に書いてあげるね」

「ありがとう」





 そのあと、はる先輩と雑談ながら、この色、香りと味三拍子が揃った晩御飯を終えた。「ごちそうさま」と言おうとした時、はる先輩は待っての合図をして、席から立ち冷蔵庫へ向かう。

 戻って来た時、四角いの透明な容器とスプーンを持ち、私の前に置いた。目の前に置かれた物をみると、表面にココアパウダーが大量にふったティラミスだ。





「食後のデザート。ゆうりちゃん好きそうなので、作ってみた」

「はる先輩は食べないの?」

「甘いのはあんまり食べないからね」

「ありがとう。いただきます」





 デザートまで用意してくれて、ミニフルコースかいよ。しかも店で買ったではなく、自分で作ったのはまたポイント高い。

 一口食べてさらに分かった、これはスポンジケーキとかで誤魔化す品ではない、ちゃんとフィンガービスケットをエスプレッソに漬け込んで作った本物。微かに酒の味もしたので、多分ラムもちょっと入れたと思う。

 はる先輩じゃ絶対食べないものなのに、わざわざ調べて作ってくれると思うと、心が暖かくなる。





「何個作ったから、あとで持って帰ってね。ローストビーフも」

「え?」

「ゆうりちゃんに迷惑かけたし、一晩家に帰ってないから親もきっと心配したと思って…」





 気が利きすぎるだよ、はる先輩。

 そんなはる先輩を揶揄いたくなった。

 ティラミスを一口食べて、スプーンを机に置く。わざと真面目な顔をして、彼女に問い掛ける。





「はる先輩は、今好きな人いる?」

「いないよーなんで急に聞くの?」

「こんな料理上手で、気が利くはる先輩の好きな人は幸せだなと思って」

「ゆうりちゃん褒めすぎ」




 目を逸らしていないけど、声に明らかな緊張があった。

 嘘つき。

 私が好きのくせに。





「じゃあ、好きだった人とか付き合ってた人は?」

「昔はいた、かもしれない…」



 はる先輩は天井を見上げて、なんかすごい昔のことを思い出しるようなポカーンの顔をしていた。遠くて、私じゃ届かないどこかに帰ってしまったような感じだった。



「かもしれない?」

「振られたし、正直自分もよくわからない、本当にその人が好きかどうか」

「そう…」

「ごめん、クズのような発言をしてしまった。忘れて。ゆうりちゃんは好きな人を見つけたら、ちゃんと付き合ってね」




 またその目だ。メガネ越しでもはっきり分かる、どこか諦めきった、寂しそうな目だ。心臓が鷲掴みされ、じわじわと握りつぶしてくるような痛みは胸の中から表面まで突き刺す。

 こんなはる先輩を見たくない。揶揄うべきじゃなかった、聞くべきじゃなかった。

 何かしてあげたい。




 席から立とうとしたその時、机の端っこに置いてたはる先輩のスマホが鳴った。ちらっと表示した名前を見た。



『六花』

 また知らない女の名前。しかも苗字が登録されていない、よほど親密な人だ。微かな嫉妬はしゅわしゅわとわき上がる炭酸水の気泡みたいに、心に浮かび上がる。





「ごめん、電話出ていい?」

「あっ、どうぞ」




 私の同意を得たはる先輩は席から立ち、スマホを持ちながらリビングへ移動した。

 はる先輩自分の家なのに、私に許可を得てから電話出るなんで、律儀な人。





「もしもし、六花りっか……家だけど……えぇ?今?……無理、お客さんがいる……研究室の後輩……違う…だから違うって…」





 そう遠くない距離からはる先輩が困ったような、弁解しているような会話内容がちらほら聞こえてくる。

 何をそこまで二回も否定しないといけないのか、知りたいような、知りたくないような。





「ゆうりちゃん……」




 リビングの真ん中から戻って来たはる先輩はすごく困っている表情で、私に何かをお願いしようとしている。




「なに?」

「六花と…ビデオ通話してくれないか…?」

「はい?」

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