第25話 バレンタインデー

 細かく砕いたチョコレートの入ったボウルを湯煎すると、チョコの甘い香りが漂ってきた。


「湯煎で溶かすのって面倒だね」

「でも、こうやって溶かさないと分離しちゃうからね」

 

 土曜日の朝、三井から「今日、ウチに来れない?」と連絡があった。

 ちょうど三井に聞きたいことがあったので、朝の身支度を済ませるとすぐに家を出た。


 玄関のチャイムを鳴らすとエプロン姿の三井が出迎えて、リビングに入るなりピンクのギンガムチェックのエプロンを手渡しきた。

 そして、チョコレートを細かく刻んでボウルに入れて湯煎で溶かしてと言い、お菓子作りが始まった。


 三井にとっては来週水曜日から始まる期末テストよりも、月曜日のバレンタインデーの方が大事らしい。


 三井は真剣な表情で秤を睨んで、バターを切り分けている。


「はい、次はバターね」


 渡されたバターの塊をボウルに入れ、再び湯煎しながらチョコレートと混ぜ合わせる。


「バターと砂糖の量、ハンパないね」

「うん、お菓子作りは、カロリーの背徳感とつまみ食いの誘惑に打ち勝つ精神力が必要なんだ」


 三井はしたり顔で、別のボウルに入れてある卵と砂糖を混ぜ合わせている。


「あとは、これを混ぜ合わせて、粉類入れてっと」


 小麦粉とココアパウダーを振るい入れ、慣れた手つきで混ざ合わている三井に話しかけた。


「慣れてるね」

「うん、何回か作ったことあるからね」

「これって、何作ってるの?」

「フォンダンショコラ。先週試作した奴があるから、後で食べようね」


 型にタネを流しいれると、予熱してあったオーブンへと素早く入れた。


「さてと、あと15分焼いたら完成。やっぱり手伝ってもらうと楽だね。ありがとう。亜紀の分もあるから、奈菜ちゃんにあげると良いよ」

「ありがとう。ミッチーは、遥香にコクるの?」

「うん。せっかくのバレンタインデーだし。いけそうな気がするんだよね」


 なにがせっかくのバレンタインデーなのかわからないが、チョコレートの甘い香りが漂うキッチンで、三井がうっとりしながら話しているのを聞いていると、成功しそうと思ってしまう。


 出来上がったフォンダンショコラは粗熱が取れてから、ラッピングすることとして、その間に試作品のフォンダンショコラをいただくことにした。


「う~ん。美味しい。濃厚なチョコがたまらないね」

「砂糖とバターの量減らしたくなるけど、レシピ本通りの方が美味しくできるから、カロリーには目を瞑るしかないね」

「カロリーは美味しさの単位だしね。あっ、そうだ、ミッチーに聞きたいことがあったんだった」


 カバンから化学の教科書を取り出し、三井に分からないところを質問した。


「あ~、弱塩基のpH求める問題ね。それ電離定数から解離度求めて、それで水素イオン濃度を求めるんだよ」


 三井の解説をノートに書き写す。

 昨日の放課後いつもの4人で集まり勉強会していたが、数学が苦手な奈菜に教えるのに大半の時間を費やしてしまい、自分が分からないところは解決できずにいた。


「あと、こっちの問題も教えてもらっていい?」

「あっ、緩衝液ね。いいよ」


 こちらの問題もフォンダンショコラを片手に持った三井が、サラリと教えてくれる。やはり持つべきは、頭のいい友人だ。

 三井に教えたもらった解き方のポイントを、蛍光ペンで囲みながらふと気になったことを尋ねた。


「ところで、ミッチー。告白成功したとして遥香と付き合ったとしたら、毎日電話したりとか、他の男子と話さないでとか、奈菜みたいに束縛する?」

「う~ん、しないかな。だって、束縛するって相手を信頼してないことでしょ。まあ、そうやって縛ってないと、逃げちゃうかもって不安なのはわかるけど」


 奈菜に押し切られるようにして付き合い始めて、初めてできた彼女ということで最初は楽しかった。

 でも、次第に奈菜に振り回されるようになったり、奈菜の機嫌を伺うことが多くなったりしてきていた。

 こちらからの愛情表現が足りていない分、三井の言う通り奈菜も不安だったのかも知れない。


「じゃ、束縛されるのはどうなの?」

「そっちは歓迎かな」

「えっ、そうなの?」

「束縛されればされるほど、愛を感じる」


 コーヒーを飲みながら、三井はうっとりと妄想に浸り始めた。

 きっと脳内には、遥香から毎日電話されたり、他の女子と話しているところ見られて嫉妬されたりしている妄想が膨らんでいることだろう。


「付き合えたら、亜紀と奈菜ちゃんみたいにペアルックしたいな。あっ、でも、遥香スカート履かないよね。亜紀、なんでか知ってる?」


 遥香がスカートを履かない理由。知ってはいるが、教えるべきでないと判断して誤魔化すことにした。


「いや、知らない。スカート履かない女子って他にもいるから、あまり気にしてなかった」

「まあ、そうだね。付き合えたら、お願いしてみよ」


 振られることを微塵にも思っていないプラス思考が羨ましい。


 食べ終わったところで粗熱の取れたフォンダンショコラをビニールに入れ、赤いリボンで結んでハートのシールを貼った。


「これ、亜紀と奈菜ちゃんの分ね。奈菜ちゃんには亜紀から渡してね」


 渡された二つのフォンダンショコラは、まだほんのり暖かい。

 その温もりを感じながら、奈菜との関係を考えていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る