第10話

 伯爵が大きな仕事で屋敷を離れることがあり、サブリナもそれに同行することになった。イゼラとルチナにしっかりと役目を全うするように言い、彼女は出て行った。この一週間、書庫に通っては次から次へと本を別邸に持ち込んでは読みふけっていた。


「お嬢様、明日は何をご用意しておきましょう? 純文学や旅行記、植生記録も御座いますよ!」


 司書がついにそんな台詞を帰り際に言う位に。仕事だから対応していた最初とは違い、今や本が好きな者同士と仲を深めてしまう。サブリナですら、あの司書がこんなに喋る人物だったとは知らなかった。本もしまわれているよりは、読まれた方が嬉しいのかも、などとすら考えてしまう。


「あら、なんの音かしらイゼラ?」


 今日は風もなく天気も良いので、外で本を読んでいた。するとどこからか何か聞こえてくるようで、耳を澄ませてみると金属音や人の声のように思えた。


「ああ、これは騎士団の訓練でしょう」


 騎士団とは、国や貴族、或いは団体が運営をしている組織で、特に名誉を認められた人物を騎士として叙任している。騎士とは最下級の貴族であり、称号でもある。一つ一つの規模は小さく、数人から多くても百人位までの騎士団が殆どだった。それゆえに失われることも多い。


「お散歩がてら見に行ってみようかしら」


「淑女が……いえ。ご案内します」


 淑女が荒事の訓練をしている場所に踏み込むべきではない、そう言おうとしてやめた。サブリナに注意を受けたからではなく、なにか失敗をして怪我でもしたらいいとの悪意からだ。気に入らないのだ、突如現れて令嬢らしくない行動ばかりするラファが。


 別邸と本館の間あたり、連絡道路から少し離れたところに兵舎が建てられていた。警備をする者達が寝泊まりしている場所であるとともに、騎士の訓練場としても使われている。一メートルほどの高さにまで育つ植物に囲まれた場所には、十数人の若い男達が居て汗を流していた。


 木剣を手にして打ち合ったり、腕立て伏せをしたり、仲間を背負って屈伸をしていたりと様々。茂みを縫って近づいていくと訓練風景をじっと観察する。


「覗きのような行為は品がありませんよ」


「邪魔したら悪いかなと思って」


 どちらでもそうだと言えるので、それ以上はイゼラも黙る。なによりイゼラも気になってしまっていた、若く強い男達は上半身裸の者が多かったから。頬を上気させて食い入るように見てしまうのは、男でも女でも異性を相手にすると一緒だ。


「そこのお嬢様方、気になるのでしたらもっとそばでどうぞ」


「え!」


 いきなり後ろから声をかけられて心臓が飛び出そうになる。そこには茶色地に赤の上着の四十路の男性が居て微笑んでいる。逃げるわけにもいかないので、男に連れられて訓練場に姿を現した。


「こちらからご覧ください」


 騎士たちが二人をチラチラと見ている。そしてラファは長椅子に置かれている上着と外套を目にして、兵舎に刻まれている、鷹の印を目にした。


「ナール騎士団でしたか。その節はお世話になりました」


「おや、ご存知でしたか。いかにもナール騎士団、私は団長のレッチェル・バートンです。ですがお世話にとは?」


 団長から訓練場の騎士に視線を移して、件の人物を見付ける。歩み寄るとその場でカーテシーをする。


「去りし日に御恩を受けた事に、改めて謝辞を示させて頂きます」


「ええと、自分ですか? 初めてお目にかかるのですが」


 騎士が首を傾げてしまう、一体なんだろうと。勘違いならばそれはそれで良いが、身に覚えがない。


「国境の村でサーに助けられました。グランダルジャン王国の大地に広がる鉱山を表す装飾に、太陽が差し込む橙色の装い、勇気を示す鷹の徽章はナール騎士団。思い出していただけるでしょうか?」


「あるとあの時の! うん? すると!」はっとして若い騎士はその場で片膝を折って頭を垂れる「ブラウンベリー子爵令嬢、ご機嫌麗しく存じ上げます」


 その場の騎士たちが言葉を聞いてみな膝をついて胸に拳を当てる。ブラウンベリー子爵令嬢、即ちブルボナ伯爵の婚約者。いずれ主人になる相手だからだ。


「サーのお名前を聞かせて頂いても宜しいでしょうか?」


「ルーカス・バートンでございます」


 あれ? そう思い団長に顔を向けると「愚息でございます」納得の返答が得られた。爵位持ちの貴族は家名を使い呼ばれるが、騎士は名を呼ばれる。


「ルーカス卿、是非ともお礼がしたので、日を改めて時間を頂けないでしょうか?」


「ブラウンベリー子爵令嬢のお言葉有り難くお受けいたします」


「訓練のお邪魔をして申し訳ありませんでした。失礼いたします」


 ラファは思いがけない再会に心が躍ってしまった。それに古くからあるナール騎士団がこんな傍に居たと知れて。古いだけで決して有名ではない、けれども彼女にはそんなことは関係なかった。本に書かれていた身近な存在、誰にもわかってはもらえないだろう感覚だから。

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