第7話

 ブルボナ伯爵の本館、執務室に久しぶりに当主が帰還した。王都で商談が続いていたので、半月ぶりになる。サブリナに茶を淹れて貰い一息ついているところにセバスチャンがやって来た。


「伯爵さま、お帰りなさいませ」


 セバスチャンもコーラル市内で所用があり戻って来ると、伯爵が帰ったと聞かされて直ぐに参じた。本来ならば夕刻になってからの戻りと予定を聞かされていたから外出していたのだ。


「ああ、変わりはないか」


 これはいつもの台詞で、常ならば「平穏で御座います」などと返されて終わってしまう。今日もそれを聞かされると思っていたが、珍しく違う言葉が発せられた。


「変わりなく。ブラウンベリー子爵令嬢で御座いますが、別邸でお過ごしいただいております」


 そういえばそうだった、と言われて思い出す。嫌になって出て行ったと聞かされたなら、そうかと思うだけだろうが。ふーむ、と暫し考える姿を見てサブリナが口を開く。


「イゼラ嬢とルチナ嬢の報告では、文句を言わずに過ごしているとか」


 婚約者に会わせろと言うのが普通の反応だろう、ブルボナ伯爵もそう言われたら渋々でも会わないわけにはいかない。ところが何も言ってこないとなると逆に気になってしまう。


「セバス、お前はどう見ている」


 主人の質問の意味を考える、今の様子からだけではこれといったヒントはない。ならば永年過ごしてきた感覚で、何を求めているかを推察した。


「思いのほか我慢強いお方のようでして。他のご令嬢方とは違うと感じました」


 ブルボナ伯爵は妙な返答だなと僅かに首を傾げた、どういう意味だろうと。聞きなおすような真似はしない、執事の言葉を咀嚼するのみ。それを見ていたサブリナが目を細めた。


「アレク様、一度お会いになられますか?」


 選択肢を提示してやることで、主人の行動の幅を広げてやる。自分で方針を変えてしまっては、しくじった時に誰の責任にも出来なくなってしまうから。


「サブリナがそう言うならば会うとしよう。セバス、晩餐に令嬢を招待するんだ……いや、私が別邸に行く」


「畏まりました、伯爵さま」


 丁寧に礼をするとセバスチャンが退出する。デスクに溜まっている書類を見て、仕事を出来るだけやってから別邸に行くことにしようと、小さくため息をついた。


 数時間の執務を終えると馬車で別邸へ向かう。同じ敷地ではあるが、それなりに距離があるので歩いていくと時間が掛かってしまうから。屋敷の前にやって来ると、使用人らが出迎えに並ぶ。それらを一瞥して、セバスチャンの先導で食堂へとやって来た。先にやってきている妙にスレたドレスをまとった女性が顔を伏せてカーテシーで迎える。


「構わないから座ってくれ」


 ブルボナ伯爵は喋り口こそ穏やかだったが、ぞんざいな扱いでそう言った。メイドが食事を運んでくる。


「初めてお目にかかります。サルディニア帝国ブラウンベリー子爵の娘で、ラファ・ブラウンベリーと申します。永らくお世話になり有り難く存じます」


 そう挨拶をして席についたのをため息交じりで眺めていた褐色肌ブルボナ伯爵の時が停まる。そこに居たのはあの夜会で派手に輝いていた令嬢ではなく、確かに闇夜の裏庭で語り合った女性だった。これにはサブリナまで目を見開いた。


「あの、伯爵さま?」


 何から喋れば良いのかと混乱しているところに、セバスチャンが給仕を行う。ラファにはイゼラが。そして伯爵は目を疑った、自身の前にアミューズやオードブルが並べられるのは良い、いつものことだ。なのに令嬢の前には変色した野菜の切れ端を炒めた、人の食事とは呼べないような皿が一つだけ出されているではないか。


「セバス、これはどういうことだ」


 主人の視線を追って何に対して言っているかを確かめる。それにしても何を動揺しているのかとも考えた。


「それなりの対応をとのお言葉でしたので」


 ブルボナ伯爵がサブリナと目を合わせてしまう。なるほどあの時の態度ではそう解釈されてもおかしくはない、そしてそのように扱われても良いと考えていたのも事実だった。


「セバス、ご令嬢の料理を間違えているぞ。直ぐに私と同じものを用意するんだ」


「失礼いたしました。速やかにお言葉通りにいたします。イゼラ、お下げしなさい」


 そう言われてはどうにも出来ず、イゼラはクズ野菜炒めを回収して食堂を出ていく。非常に切り出しづらいが、沈黙しているわけにもいかない。伯爵は心を決めて口を開いた。


「当家の不手際です、申し訳ございません。全ては私、アレクサンダー・ブルボナの責です」


「なぜ伯爵さまが謝罪なされるのですか?」


 これは社交上の牽制ではない、ラファは心の底からどうしてだと問いかけた。何一つ悪意も敵意も無いのは、その雰囲気から感じられた。だからこそブルボナ伯爵は、己の未熟さを痛感してしまう。


「このような場で不適切な料理……とも呼べないような品をテーブルに並べてしまったことを、深く謝罪致します」


「そんなことありませんわ、いつも美味しくいただいておりますので、感謝しなければなりませんもの」


 いつも。その言葉を耳にして、伯爵はサブリナを見てしまう。


「アレク様、少々席を外させて頂いても宜しいでしょうか?」


「構わん」


「ブラウンベリー子爵令嬢、失礼いたします」


 伯爵付侍女として礼を行い、彼女も食堂から退室する。そういうことかとセバスチャンが多くのことを悟った。確かめなかったのは己の失策だと、主人を補佐すべき役目を見失ってしまった責任の重大さを噛みしめた。




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