第7話「鮮血の放課後①/リコリス・アラクネス」
夕刻の校舎内を、神崎カナタは駆ける。——気配はまだある。位置としては2階の廊下。2つあった反応の内、1つは今にも消えそうだった。
——決着はついていた。
カナタはそう判断した。
それでも尚、フィールドには勝負を決めたフィニッシャー・センチネルの気配が色濃く残っている。戦いが終わり、レイヤーが戻ろうとするその一瞬でしかないにせよ、カナタは少しでも情報を集めるべく、急ぎ足で現場へ向かった。
「なんとか間に合ったか——」
カナタが該当の廊下に到着したその時、相手プレイヤー——意外にも、他校の生徒。わざわざプレイヤー探索に来たと推測。先刻のカナタが実際そうである——と、勝者が従えしフィニッシャー・センチネルが今まさに霧散する寸前であった。
「——
夕刻に溶けゆく、幽谷に棲まうが如き魔性。それがそこには在った。そして——
「——お前は」
カナタは、勝者の顔を知っていた。
あちらもまた、カナタのことを知っていた。
だが、戦いの勝利者はそのまま踵を返し、去っていく。此度は、これ以上戦うつもりもないようだ。
「待て——、ぐっ」
追おうとするカナタだったが、先刻の札伐闘技の疲労が残っており、目眩で足を止めてしまった。
己が心象風景をカードとして投影するシステムゆえに、一度の札伐闘技だけでも相当の精神力を消耗するのだ。そして、それは身体機能にも一時的にとは言え影響を及ぼす。それもあり、戦い慣れたカナタであっても連戦はできれば避けたいものではあった。
——だが、十分だ。と。カナタは独りごつ。
彼は既に相手の顔を見ていた。
「とはいえ、条件は相手も同じか。
——これは、明日にでも事態が動くな」
カナタは戦う覚悟を決めていた。そして——
「月峰は、これをどう見る——いや。そもそも俺は、なぜ今も月峰のことを……」
カナタは未だにわからなかった。
あのローブマンとの戦い、そして、月峰カザネのEvolution発動。あの戦いを見ている内に、カナタの心で何かが胎動し始めたのだ。
カナタはそれを、その正体を知りたいと思いつつあった。ゆえに、
「月峰には、まだ死んでほしくない」
彼にしては、妙にハッキリとした気持ちの発露を口にしていた。
◇
翌日——のお昼。
私は、今日も今日とてアリカに誘われたので、屋上にやってきていた。今日は弁当持参(なんと今日も父さん作。作り置き)なので、特に気後れすることなく2人で食事をしていた。
「ところでさアリカ。先生になんて言って屋上の鍵開けたの?」
会長パワーってのがやはりどうにもしっくりこなかったので、訊ねる気になったのだ。すると、アリカはよくぞ訊いてくれましたとばかりに笑顔を見せてこう言った。
「『屋上を開放してほしい』と言うお願いが生徒会の議題に上がったので、少し私の方で写真撮影などをして開放可能か調査しても良いですか? ——そう言っただけよ? 私これでも優等生で通ってるから、先生方も『白咲なら』と快諾してくれたわ」
そして私に、いたずらな笑みを向けた。
——なるほど。よくわかった。
「つまりは職権濫用ってわけね」
「もう、ひどいこと言うわね。でも、ふふ、親友を呼んでお昼食べてるんだから、何一つ言い逃れできないわね」
などと、再びいたずらな笑みを浮かべるアリカ。
——そう。彼女はわりと悪い子なのだった。
昔からよく遊んでいるわけなんだけど、大概イタズラの提案をするのはアリカからで。私はむしろそれを止めることの方が多かった。思えば、私のツッコミ気質はここから来ているのかもしれない。
「全く。他の人が見たらびっくりされちゃうわよ」
「心配ないわ。見せないもの。だって——」
さりげなく、しかし素早く、彼女の顔が耳元に迫る。
「これを見ても良いのはカザネだけだから」
私の耳内にだけ、彼女の声が侵入してくる。
——ぞわりと。嫌な気なんてしてなくても、それでも背筋を冷たいものが走る。
もしここが人間社会じゃなくて弱肉強食の自然界だったなら。私はきっとアリカに食べられていただろう。——何とはなしに、そう思った。
「……ねぇ、カザネ。私、まだ諦めてないから」
気づくと、アリカの両腕が私の肩それぞれに体重を乗せていた。……何、どしたの……?
「ちょっ、アリカ……っ。なんか変だって今日——」
思わず振り解こうとするも、すでに体勢がまずかった。変に動いたばっかりに、私はバランスを崩して、結果的に押し倒される形となった。
馬乗りになるアリカの顔を直視する。
彼女は、上気していた。
「アリカ——?」
「私。きっとこれからも上を目指すわ。どこまでもどこまでも、安心できるところまでずっと。そのためならどれだけでも頑張るわ。
でも、でもやっぱりそこには、並走してくれるあなたがいてほしいの。
——ね、カザネ? これからも、ずっと一緒にいてくれない?」
荒い息遣いで顔を近づけてくるアリカ。
状況を正しく判断できていない私は、彼女の視線から逃れることもできず、ただ呆然と事の成り行きに流されて——
「——ここにいたか。失礼する」
屋上の扉が開くとともに、神崎くんの声が入ってきた。私もアリカも、反射的に視線が移動した。
即座にアリカが口を開く。
「あら、神崎くん。どうしてここに? 自力で発見を?」
「目的は会長じゃない。月峰に用事があってな」
無言のアリカ。神崎くんを突き刺すかのような視線が、異様に怖い。明確に、非難の眼差しだった。
「月峰。状況はよくわからんが、要件だけ伝えておく。
——今日は、いや、今日も手早く帰れ。俺も後で弁当箱を返しに行く。だから早めに帰っておくと良い。今は危ないからな」
ざっくり整理すると「最近物騒なので放課後は早く帰りましょう」ということだった。
いやその、私それの当事者っちゃ当事者なんだけど……。
「あら奇遇ね神崎くん。私もカザネは安全圏にいるべきだと思うわ。——たぶん、一致してるでしょ? 私たちの考え」
「ああ、そうだな。その通りだ。俺もお前も、考えは同じだ」
——異様に剣呑な空気にサンドされる私。なんなのこの状況。私もしかしてハンバーガーのパティ?
などと考えていると予鈴が鳴った。昨日の焦燥感と比べると、むしろ救いの手に思えて仕方がなかった。
「時間ね。——カザネ。物騒だから早めに帰りなさいな」
「ああ、時間だ。——月峰。俺から改めて言うことは特にない。だが、それでもあえて言おう。くれぐれも、早く帰宅することだ」
異様なまでに念を押して、2人は先に階下へ降りて行った。私だけが、その場で嫌な思考を巡らせたままだった。
「……何よそれ。別に連んでもなかったくせに、2人してハッキリ言わないでさ」
——あの2人の関係を察し、私は少し、悪い思考に埋没した。
◇
——放課後。
私は2階廊下を歩いていた。
夕陽が溶け込む渡り廊下は、棟と棟とを結んでいるその橋のようなそれは——これより先、決戦場となる。
——
——名を『儀礼結界』。
戦う者たちの妨げとなるものが弾かれる、静寂なる決闘場である。
私は、覚悟を持ってこの場に来た。
気づいてしまったからだ。幼馴染が、親友が札闘士であることに。
どうしようもなかった。最早どうにもならなかった。流入知識で嫌でも理解させられた。
札闘士は最終的に最後の1人になるまで戦わなければならないことを。
無視すれば、星の触覚が街を覆うことを。
そして。
——例えどんな願いが叶うとしても。
例外的に。
札闘士の命だけは戻せないことを。
耐え切れる自信がなかった。
親友が巻き込まれていることを知った瞬間、吐きそうにすらなった。
助ける方法を模索することすらできなかった。
そんな暇などない。
下手すればもう今日でさえも、彼女は殺されるかもしれない。
怖かった。泣きたかった。でもまだ、まだ私は、彼女との日常を廻していたかった。
いずれ終わる日常だとしても、そのモラトリアムを、できる限り続けたかった。
だから——だから私の姿を見た彼を——
彼、を——
「——え、え?」
——絶句した。なぜならば、眼前に現れたのが、本来ここに来るはずの彼ではなく、そう、その光景が——
◇
——放課後の2階渡り廊下。
西陽が差し込む中でも、アリカの表情はよく見えた。
——どうして? そう言いたげな、今にも泣き出しそうな目だった。
「……来ちゃった、私来ちゃったよ、アリカ」
「どうして……? ねぇどうしてここにカザネがいるの!? ここに来るのはあなたじゃなくて神崎——」
私が見せたスマートフォンの画面を見て、彼女は固まった。
それはLINEのチャット画面。そこには、私が神崎くんへ向けて送ったメッセージが表示されている。
【助けて!
駅前になんかいる!】既読
——内容は大嘘だった。
だって私、学校にまだいるからね。
「そんな——カザネ、どうして?」
もはや泣きつきそうな表情でアリカは問いかけてくる。きっともっと私と一緒にいたかったんだろう。わかるよ。それは私も同じだから。
わかってるよ、そんなこと。私だってそうだよ。でもさ。
間に合わないかもじゃん。
「ごめんアリカ。私も結構悪い子でさ。
他の誰かに、あなたを殺されたくなかったから」
でも殺したくなんてない。けど、けれどここで帰ったら、私はどちらも看取れない。結果はどうあれ、それだけは、嫌だった。
だから私は、潤んだ瞳でデッキを構える。
ボキボキの心で、それでも私は戦いを選んだ。選ばざるを得なかった。
じゃないと、もう2度とアリカに会えないと思ったからだ。
「——嫌よ。嫌よこんな巡り合わせ。カザネと戦わないといけないなんて。
……でも。でもやっと、数年ぶりに。いいえ、下手したら10年以上ぶりに。
——私と本気で戦ってくれるのね、カザネ」
感涙に咽びながら、それでいて状況に慟哭しながら、アリカはデッキを構えた。
もう引き返せない。それでも私は、この戦いから目を逸らすわけにはいかなかった。
だから——
「私の先攻。私は『荒ぶる刃 ゲイル』を場に、そして控えに待機センチネル1体を配置。さらに戦闘不能状態で『追い風の刃 バフゥ』を配置して、ターンを終了するわ」
——本気の布陣での勝負を選んだ。
◇
プレイヤー:月峰カザネ
手札:2枚
控え:待機1体 戦闘不能1体 残り枠2
場:『荒ぶる刃 ゲイル』
AP2500
【公開済み情報】
ゲイルが戦闘する時、その力のあまり暴風が巻き起こり、使用者の手札を全てデッキに戻す。
その後、戻した枚数-1枚をデッキからドローする。
◇
ターンが移る。私はこれでもアリカの性格はよく知っている。彼女はきっとこのターン——
「私のターン、ドロー。
私は、場に『
——まだ、何もしてこない。
◇
ターンプレイヤー:白咲アリカ
手札:5枚
控え:なし。残り枠4
場:『
AP0
◇
アリカの場に召喚されたのは、上下逆さまの百合の花だった。
それは逆向きに浮遊していて、その根は、空中に食い込んでいる。
——あたかも、この儀礼結界そのものに根を張るかのように。
実際に効果を発動されるまで、何が起こるのかわからない。けど、基本的にセンチネル同士での戦闘がメインとなるこのゲームでAPが0というのは、それだけであまりにも異様であった。
何もできないはずがない。
何も起こらないはずなどない。
それは、火を見るよりも明らかだった。
——それでも、やるしかない。私は今一度、アリカと向き合う覚悟を決めたのだから!
「私のターン、ドロー! 私は、戦闘不能状態のバフゥの、永続効果を開示する!
このカードが戦闘不能状態の場合、自分のセンチネルが戦闘を行った後に、デッキからカードを1枚ドローできる!」
素のステータスでAP2500を持つゲイルのデメリット効果を軽減するこのカードこそ、私の決意の表れの1つ。どれだけの葛藤があろうとも、それでも私はアリカと向きあう。今はただ、それだけを考える——!
「バトル! 私はゲイルでラスタークに攻撃!
『アゲインスト・ウィンド』!」
私の前に暴風を引き起こしながら、ゲイルがきりもみ回転の末に空中からの回転斬りで逆さまの百合を斬り刻む。百合は儚く散り、力なく花弁が地へと落ちた。
「私はゲイルの効果を起動。手札3枚をデッキに戻し、その後2枚ドローする。
そして、バフゥの効果で追加で1枚ドロー」
追加ドローを確認し、交換した3枚の手札でこの先の動きを再度組み立てる。
——迅速に、次の一手を!
「さらに私は手札からスキルカード『ブレイドダンス-カマイタチ』を発動! これは、このターン私のセンチネルが相手センチネルを戦闘破壊していた場合、相手の手札1枚を捨て札にする効果を持つ! 捨ててアリカ。手札のカードを!」
一気に捲し立て、このまま戦いのペースを掴む。そうすれば——そうすればきっと。
——少しぐらい、話す時間、取れるよね。
「——私は手札を1枚捨てます。
……本気ねカザネ。でもそれで良い、それで良いの。だって、こんな状況だというのに私、本当に嬉しいの。久しぶりに、あなたと本気でぶつかりあえるから……!」
そんなアリカの闘志に呼応するかのように、散っていった反転百合の破片が、小さな何かを撒き散らす——
「これは——! やっぱり効果持ち!」
「当然よ。
——『
ラスタークは散り際に種子を放出し、デッキから私の控えに——2体のラスタークを召喚する!」
アリカの前に、対の百合が咲き誇る。やはり反対向きに咲いたそれらは、まるで嫌な悪夢の住人のよう。
——やな感じ。悪い夢とか。
この儀式そのものがそうじゃない。
「——私はこれでターンエンド。
あなたのターンよ、アリカ」
互いに一歩も引く気などなく、いや、この期に及んでそんな舐めたことなどできるはずもなく。
したくもない命のやり取りを、それでも他の誰かになど取られたくなどないと。
ただその思いだけに専念して、私たちはぶつかり合う。
——だから、この戦いがどんな結末を迎えようとも。
「私のターン、カードドロー。
私は、控えのラスターク2体を戦闘不能状態にして、このセンチネルを召喚します。
——現実を歪める異形の百合たち。その身を糧にし、捕食の覇者を目覚めさせよ。
——サクリファイス召喚!
彼岸より咲き誇れ!
『
——私は、決して後悔しないと決めたのだ。
そして場には、異形の彼岸花が、黄昏に赤を染みさせていた。
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次回、『鮮血の放課後②/コスモブレイズ・ブラックサレナ』
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