第1章『鮮血の放課後/コスモブレイズ・ブラックサレナ』

第5話「日常/フラグメンツ・オブ・ハピネス」

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 戦いは終わらない。

 血で血を洗う、屍山血河。

 怒りと憎しみが連鎖する、負の歴史。

 だがそれは同時に、発展をも齎した。


 ——それは違うと君は言う。

 どうあれそれは、繰り返すべきではないと。

 もう血を流す必要などないと。


 ならば。

 血を流さないことが戦いの終わりと言うのなら。

 君は改めて直面しなければならない。

 血を流すだけが闘争ではない。

 殺し合いだけが戦いではない。


 死から程遠い場所であっても、

 君が目を背けた“それ”はそこにあるのだから。




第1章

『鮮血の放課後/コスモブレイズ・ブラックサレナ』





 翌朝。自室の窓から外を見ると、気持ちの良い快晴だった。それはそれとして、窓には大量の黄砂が張り付いていたが。


 ——うーん、この喉のガサガサ感、これか。


 などと心当たりを浮かべてみるも、普通にスギかヒノキの花粉のような気もしなくはない。風邪だと嫌だな。

 そんな思いから、とりあえず花粉症向けの薬を飲むか——そう思い、私は一階のリビングへと降りた。


 まずは洗顔、と考えながら洗面所の方へ向かう最中、リビングから父さんが声をかけてきた。


「おはようカザネ。今日の弁当は俺が作ったよ」


 父さんは、顎髭をさすりながら、テレビを見ていた。


「あれ、お母さんは?」

「今日からひと月出張だぞ。大事なプレゼンとか諸々あるってな」

「……あー、言ってたな、そういや」


 芸都に拠点を置く大企業『ツルギモリ・コーポレーション』で働く母さんは、なんか詳しいことはよくわからないけど商品の開発部門の役職持ちらしい。TCツルギモリ・コーポレーション自体がなんでも手がけるド級の企業なこともあって、ぶっちゃけ母さんの仕事内容もよく知らないのが実際のところだ。そもそも守秘義務とかいうのが結構厳格とのことで、家族であろうと言えないことのオンパレードみたい。社会人って大変なんだなぁ。


 ——で、そんな母さんが何で惚れたのかはよくわからないこのオッさんが、まあどう足掻いても私の父親なわけですけど。

 月峰カイって名前はまあかっこいいと思います。寝巻きでニュース見てる姿は「はよ着替えろ」以外の感情を私に抱かせてはくれないのだけど。


「ていうか父さん。今日仕事は?」

 こんなでも地元でほどほどに人気な喫茶店のマスターをやっている父さん。なのだけれど今日はなぜかまだ家にいる。時刻は午前7時。普段なら6時過ぎには家を出ているはずなんだけど。


「ん、今日は健康診断だからもう休業にしたんだよ。

 あのバリウムとかいうやつの前に、俺はきっと今日ずっとなんとも言えない感情にさせられるからな」


 まだ子供の私にはよくわからないことを話すアラフィフ。でもそのバリウムとかいうののおかげで健康ステータスとかがなんやかんやわかるんだと思うので、文句言わずに受けておいてほしい。いや受けるから休んでるんだったわ。一安心。


「あ、っていうかじゃあ今日の弁当ってパスタ?」

「ん、正解だ。ミートソースはさっき作ったやつだぞ」

「うお、嬉しすぎ。父さんの娘で良かった〜〜」


 ものすごい手のひらドリルだと我ながら思う。けど、父さんは実際結構忙しいので、家ではあまり手料理を作ってはくれないのだ。それもあって、やっぱこういうレアイベントは私の心をウキウキさせてくれるのでした。


「ん、俺の分もしっかり味わってくれ。俺は健康診断終わるまでメシ抜きだからな」

 これが診断人間の悲哀——とかよくわからないことも言っていたがそこは無視した。父さんのことは別に嫌いとかじゃないけど、発言全てに反応していたらキリがないからだ。


「ちなみに朝メシも俺作トースト&スープだぞ。美味すぎて月まで吹っ飛ぶゴービヨンドかもだ」


 父さんは親指を立ててそう言った。何か元ネタがある雰囲気だったけどよくわからなかったので「ハハ」って笑っておいた。



「ところでカザネ」

「ん? 何ー?」


 食後、登校しようと玄関まで行ったあたりで父さんから呼び止められた。


「俺が忙しくてあんま話せてなかったけどさ。お前今年受験だろ? どこの大学行きたいとかもう決まったのか?」

「あー、うん。大体は」

「そうか。……あー、まあ、なんだ。そこらへんテキトーに決めてきた俺が言うことでもないんだが、」

「わかってるわかってる。心配してくれてるのはわかってるから。ちゃんと考えてるから気にしないで!」

「あー、そうなのか? うん、母さんから言われたからさ、なんていうか心配でな」

「あーもう大丈夫だから! ちゃんと勉強とかもそれなりにしてるから! じゃ! 行ってきます!!」


 今話してもウダウダしかねない。そうとしか思えなかったので、私はそそくさと玄関を開けて学校へ向かった。



 カザネは気づいていなかったが、電柱の上で新たなローブマンが街を俯瞰していた。

 とはいえ、そう何度も札伐闘技を仕掛けるというわけではない。彼らはあくまでも運営側。基本的にこの儀式そのものとは一線を引いている。カザネに勝負を挑んだのは、戦う意思のない参加者が無駄に増えすぎないようにするための間引き行為に他ならなかった。結果としてカザネが勝利したわけだが、それならそれでローブマンからしたら僥倖であったというだけのことであった。


 ——


 それにしてもと、ローブマンは独りごつ。


「来たか、そう、ついにと。そうワタシは独りごつ。Evolutionの因子を持つ者がついに現れた。

 ——これは一つの節目だ。ヒトの精神がそこまでの域に至ったということに他ならぬ。

 ワレワレは待ち望んでいた、この時を。

 ——後は、そう、後は、この進化が月峰カザネだけではないことを願うばかりだ」


 何かを噛み締めるかのような声色で、ローブマンは口にした。



 何はともあれ、私のクラス「3-1」に到着した。昨日は色々と疲れることがドッと押し寄せてきたけど、今日は今日とて日常は始まる。札伐闘技フダディエイトも気がかりだけど、まずはしっかり日常を送らないと。

 という意気込みで教室の扉を開けて中に入る——と。


「おい神崎お前ッ……!

 昨日の放課後に月峰さんとデートしてたってホントかよ……ッ!?」


 ——神崎くんが同じクラスおなクラの男子たちから詰められていた。何……?


「……デート? 何の話だ……?」

「とぼけてんじゃねぇ……ッ!

 羨ましいって話をしてんだよ俺たちはよォ!」


 机をダンと叩いている男子どもの姿は、パッと見、可及的速やかに職員室へ伝えに行った方が良いように見えた——が。


「羨ましい……だろうが……ッ!」


 なんか彼らが涙混じりのガラガラ声で言っているので途端にアホらしくなってしまった。

 あ、ちなみに私の喉ガラガラは普通に花粉でした。


「あの、ちょっとみんな……私別にデートしてないんですけど」


 後ろからやや困り眉を作ってそう口にすると、男子どもはものの見事に綺麗なシンクロ率でビクゥッってしながら脊髄反射めいた速度で私の方を振り返り、


「月峰さん! おはよっすございまっす!!」


 などとクソテンパった挨拶を返してきた。何?


「はぁ。あのさ、テンパりすぎでしょ。私の何にそんな緊張してんのさ」


「緊張!? いやしてないっ、してない、よ?」

 してるだろ。語尾が上擦ってんのよ。永続的に。


「いや、さ? そんなこと、さ? ないんだよね、俺、は?」

 そんなことあるだろ。何なのよその定期的な疑問形は。


「すまない月峰。妙な誤解を招いてしまったようだ。たぶん帰り際を見られたんだろう」

 月峰くんがすかさず机から立ち上がって、私にそう言ってくれたのは良いんだけど、どう考えてもタイミングが悪かった。


「おい神崎……! 帰り際って何だよ……何なんだよッ……!?」

「何とは……?」

「とぼけてんじゃねェ……ッ!」


 オイどうすんのよこれ。堂々巡りのイタチごっこじゃないの。私ちょっとこれ以上はめんどくさいんだけど。1時間目の英語の小テストの対策最終フェイズに入りたいんだけど!


 今度は私が机をダンってやるしかないんか? と思っていると、銀髪ツインテ見知った髪の親友が教室に入るや否や、男子たちの前に歩み出ては、眩しい笑顔でこう言った。


「みんなおはよう。カザネちゃん、連れてって良い?」


「ウス」


 全員顔真っ赤で即答した。神崎くんは真顔で「さすが生徒会長だな」などと微妙にズレたことを言った。


 まあでも、実際本当に助かった。私は親友の白咲しろさきアリカに、そんなニュアンスの笑みを向けた。



 昼休み。アリカが会長パワーか何かで開けた屋上の扉。その流れで私は一緒に屋上で弁当を食べる約束をしていた。

 いたのだが、


「うそ、そんなこと、ある——?」


 眼前には空虚な表情を浮かべる神崎くん。

 ボタン全開の学ランから露出したTシャツには、鮮やかな赤が滲んでいる。


「いや、俺のミスだ。気にするな。月峰が責任を感じることなどない」


 そう言いながらどこかへ去ろうとする神崎くん。


 私はなんてことをしてしまったんだ。そんな後悔が先立つも、もはや取り返しはつかず、もう私のそれを差し出す他なかった。


 だから、私は——


「待って神崎くん! 私の、あげるから!」

「いやしかし」

「あげるから!!」


 とにかく私はそれを渡した。それが良いなと、思ったからだ。


 ◇


 神崎カナタが教室に戻ると、またしても男子たちが大集合していた。


「おい神崎……ッ!

 月峰さんのなんかここで言っちゃいけなさそうなものをいただいたってホントかよ……ッ!?」


 本当に話が伝わるのが早いな、とカナタは思った。だが微妙にニュアンスがわからないとも思った。


「何か誤解があるようだが、何の話だ?」

「とぼけてんじゃねぇよォ! ダイゴがさぁ! 確かに見たって言ってんだよ!」

「ああ。確かに僕は見たよ。神崎くん、君が月峰さんに『私のをあげる』って言われているところをね。興味深いな……何をもらったんだい?」


 クラスメイトのダイゴが、楽しそうに、本当に楽しそうに問うてくるので、カナタは「見せびらかすものでもないんだがな」と思いながらもスッとそれを取り出した。


「何って……月峰の弁当だが。

 さっき階段の踊り場でぶつかってしまってな。いや、用事があったのでつい駆け足で近寄った俺のミスだったんだが。

 とにかく、その際に俺が袋から開けて持っていたホットドッグが潰れた上に地面へ落ちてしまった流れで、良いと言ったのにもらってしまったんだ。

 そうだな。だからみんなが俺に怒りを向けるのも無理もない。悪いのは俺だ。朝は会長の介入で未然に防がれたが、今なら自由だ。俺を糾弾したければするが良い。みんなになら構わない——ん? どうした?」


 男子たちは泣いていた。カナタの重すぎる自責の念にでもなく、自分たちの何かしらの邪な感情への恥ずかしさにでもなく、ただただ——


「お前だけすっげぇラブコメしててずりぃよ……っ!」


 ただただ羨ましすぎて咽び泣いていた。



 屋上。先述のとおりアリカの会長パワーによる特例(マジで何したの?)による開錠なこともあり、他にこのことを知る人はいなかったようで、私とアリカ以外には誰もいなかった。


「え、じゃあそれでお父様作のお弁当を差し上げちゃったの?」

「ま、そうなるわね……」


 あらら、と言いながら、アリカは彼女の弁当箱のフタの上に、いくつかのおかずと少々の白米を取り分けて私に差し出した。


「ほら。これ食べて?」

「え、いや悪いって。しかも今箸もないし」

「それならスペアがあるわ。使って使って」


 結構グイグイくるアリカ。小学校に上がるより前からの幼馴染ではあるが、未だにこのグイグイには負けてしまう。


「またお言葉に甘えてしまったわ……」

「いいのよカザネ。私だけ食べるのはむしろ気が引けるもの」


 とびきりの笑顔を見せるアリカ。……うむ。これだけ優しくて、しかも成績も優秀。更には二期連続での生徒会長。うーん、私には真似できない。


「本当にすごいよねアリカは。私そんだけやろうと思ったら1日72時間は必要よ」

 私はガチのマジで言ったんだけど、アリカにはバカウケだった。


「もー! 私は真剣なのよー」

「あはは、んふふ、……はぁ、ごめんなさいカザネ。でも本当にカザネのそういう言い回しがずっと好きなの私。だから、もし大学でもこうしていられたらもっと楽しいのかなって、そう思うの」


 ふと、アリカの表情が真剣なものになる。……あぁ、か。そう察した。


「ねぇカザネ。やっぱり一緒に同じところを目指さない? あなたは本当は今以上の実力があるはずよ? 地元でこのまま就職、それも悪いとは言わないけど、でも、まだ進路を決めあぐねているのなら、再考してくれない?」


 私は、両肩を優しく掴まれながら——至近距離にあるアリカの目を離せずにいた。


 正直なところ、私は勉強というものに疲れていた。新しいことを学ぶのは好きだ。だから勉強そのものは、何気に好きだった。

 けれど、上を目指し続けることに、競争を続けることに、いつからか嫌気がさしていたのだ。

 それがなんでだったか、思い出せそうで思い出せない。なんやかんや高校受験は頑張ったのだけれど、その頃にはもう、そういう厭世観にも似た感情は、心のどこかに根付いていた。


「……その、アリカ、ごめん。本当に気持ちは嬉しい。嬉しいけど……、今はもうちょっと、先送りにさせて?」

「カザネ……」


 その時ようやく目が逸らされたことで、私も目を逸らすことができた。


 ——ああ、複雑だね。

 黄砂で少し曇った空を見ながらモノローグ。


 親友との今後、自分の進路、そして札伐闘技。

 考えることは山積みで、明確な答えも未だ出せず。モラトリアムがそこまで亀の歩みとも思えない中。

 私はまだ、木陰で休む兎のままだった。


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次回『放課後/シルエットダンス』

絶対見てくれよな!

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