ー Episode 7 ー 護るということ

「よしっ、こんなもんだな」


「うん」


「大丈夫か?ビゼライ」


「平気」


 ある日、侵食発生の知らせを聞いたビゼライ、セランフォード、シェロの三人は、発生現場にて浄化を行なっていた。いつもならば雄神の面々もいるところなのだが、今回は二か所で同時に発生したとの知らせを受けて、二手に分かれたのである。

二人は複数か所での同時発生は珍しいものではないと言うが、ビゼライは先日突如現れた知能を持つ疑いのある侵食を思い出し、やはり威力が強まってきているのではないか、侵食が進んできているのではないか、と考えずにはいられなかった。


「雄神様がいらっしゃらなくても倒せる程度の奴らでよかったな」


「うん。でもこれからはそうは行かなくなってくるかもしれないよね」


「だな。…物騒な世の中だ」


「帰って殿下たちに報告しよう」


「おう。行こう、ビゼライ」


「あぁ。…あんたは平気なのかよ。怪我とか」


 今回、ギベルクのいない戦場で、セランフォードはビゼライを守りながら戦った。

その姿はやはり護衛という言葉そのもので、常にビゼライを背中で守りながら稲妻を操っていた。おかげでビゼライにはかすり傷一つもない。


「何とも?あんた一人守る程度で自分が傷つくようじゃ、官神ではいられないさ」


「そうか」


「心配してくれてありがとな」


「別にそういうのじゃないから」


 二人のやりとりを横で聞くシェロは微笑を湛え、嬉しそうに笑うセランフォードと、何を笑っているんだ、と疑問符を浮かべるビゼライの声が響く。


 知らせを受けて城を出たのは朝のことで、戦いを終えて街にたどり着いた頃にはもう昼に差し掛かっていた。今日も街の神々は賑やかで陽気な祭り騒ぎである。


「セランフォード様ぁぁ〜!!今日もかっこいい〜!!」


「シェロ様…!!今日もお美しい…輝いてらっしゃる…!」


「官神様、今日も守ってくれてありがとう!!」


 街を歩けばいつも通り、彼らを称え、愛する言葉が降りかかる。

いつ見てもかっこいい、あんなに細いお体で強いなんて憧れる、どうしたらあんなに美しい髪になるのか、神々はそんなことを口にし、うっとりとした目で二人を見る。

愛されてるんだな、と他人事な感想を抱くと同時に、自分の場違い感にビゼライはなんだか恥ずかしくなった。


「お、やっと見つけた!セランの旦那!会いたかったぜ!」


「あんたは…!久しぶりだな!最近見かけないからどうしてるのかと思ったよ!」


 こちらをチラチラと見たり、手を振ってくるだけの神々の中で一人、セランフォードに駆け寄って来た中年の男がいた。

セランフォードの対応を見るに、二人は親しい間柄のようである。


「俺、ついに自分の店を持ったんだ!」


「本当か!?すごいじゃないか!あんたの夢だったもんな!」


「よかったら遊びに来てくれよ!旦那には安くするぜ!」


「それはぜひ行きたいな!でも…今日は悪い。先に城に侵食の報告を済ませないとでな。すまないが…」


「報告なら自分がしておく。行って来ていいよ」


「え、でも…。本当に良いのか?」


「うん」


「そうか、ありがとうシェロ。恩に着るよ!ビゼライも一緒に行こう。きっと楽しめる」


「オ、オレも良いのかよ」


 中年の男はビゼライを見ると、不思議そうな顔をした。ビゼライが人間だと気づいたのだろう。しかし、官神の面々と共に歩いていることや、セランフォードの好意的な態度から察して「もちろんだ。坊っちゃんも来てくれよ」と笑って、ビゼライを受け入れた。


「店の場所はここに書いてある。俺はまだここで客を集めなきゃだからよ」


 男はセランフォードに地図の載った広告を渡した。セランフォードは頷いて、礼を一つ言ってから男に背を向け、さっそく店の方へ歩き出した。

ビゼライは地図を見ても場所は分からないが、ここから距離がありそうなことは分かった。


「あんた、すごいな。城の神以外とも仲良くて」


「ん?んー…仲が良いというか…よく話したりはするな。街も歩くし、いろんな店に行くし、そこでだんだん知り合いが増えてくんだよ」


「へぇ…。なんか、やっぱり、人を引き付ける何かがあるんだろうな。あんたには」


「え?」


「才能なんじゃないの。そういうの」


「才、能…」


 一瞬、かすかに、セランフォードの瞳の桃色が揺れ動く。


「あ、えっと、一応、褒め、言葉…?」


「あ…あぁ…はは、そうか。ありがとな。…ビゼライとこうして話せるようになれたのも、才能かな」


「…それは、知らない」


 会話はそこで途切れた。

歩く二人の間を、街の雰囲気とは似つかない沈黙が通り過ぎていく。

何か話せることはないか。そう思って、ビゼライは思考を巡らせる。セランフォードと歩く時、一体なんの話をしていたか。いつもセランフォードから話を振られて、それに対してビゼライが問いを投げかけているだけだったように思う。

 ビゼライは教会にいるときから、自分から何かを話すことはほとんどなかった。民の話を聞いたり、聞かれたことに答えるだけだったのである。

 ビゼライは、いささか会話の能力が欠けていた。


「……な、なぁ」


「なんだ?」


「……この前は、何してたんだよ。一日見かけなかったけど」


 そこでビゼライは、雄神たちと茶会をしたあの日に、セランフォードの姿を一度も見なかったことを思い出した。神殿にいると思われていたセランフォードだが、結局ビゼライが城から帰った時にはもういなかったのである。


「あぁ、あの日は悪かったな。いろいろ用事があってさ」


「ふん。侵食が起きたときも来なかったよな。護衛のくせに」


「…本当に、すまない」


「…別にいいけど」


「でも、あの後ギベルク様から聞いたぞ。俺のこと、気にしてくれてたって」


「は?気になんてしてない。……ただ、なんか、やばい侵食が出てきたから…それで」


「心配してくれたのか?」


「違う!神の心配なんてしない」


 ビゼライはセランフォードから顔を背けた。

まったく、ギベルクも喋らなくていいことを喋ってくれるものである。


「…にしても、知能を持つかもしれない侵食…か」


「ああ」


「本当、物騒になったもんだよな。今日の同時発生も、関係しているのかもしれないし」


「…そうだな」


「俺たちの方は森だったが、雄神様たちが向かわれた侵食は街だ。…侵食による一般神への被害はまだないが、今後は注意しないと…」


 今日の侵食は、森と街の同時発生であった。

街は小さくはあるが、一般神が住んでいる。

これもまた、知能を持つ侵食の影響なのだろうか。


「…オレが早く覚醒とかいうやつして、セレタニアの戦を止めないと…侵食は終わらないんだよな」


「ビゼライ…」


「ったく…覚醒って、いつできるんだか…」


 ビゼライは己の拳を握る。

覚醒なんて、今のビゼライからしてみれば遠いお伽噺のようで、なんの実感もわかなかった。


 そこで、前を歩くセランフォードの足が止まった。どうやら店に着いたようである。


「うわ…」


 新装開店、の文字と共に花で飾られた外観は華々しいが、建物の雰囲気とは似つかない。

力強く直筆で書かれた看板には『笑い喝采運試し』との文字が並んでおり、少し斜めって取り付いている。一体なんの店なのか。


「本当に作ったのか…すごいな…!」


「これ、なんの店だ…?」


「そりゃああんた、運試しの店だ!入ろうぜ」


「はぁ…!?」


 セランフォードに手を引かれて店に入ると、若い男が一人、店を営んでいた。


「らっしゃい!…って…貴方は…旦那ぁ!!!」


「おぉ!久しぶりだな!」


「まさか旦那に来ていただけるとは!叔父には会いましたか?」


「あぁ、さっき会ってこれをもらってさ。それで来たんだよ」


 セランフォードは男に広告を見せた。するとたちまち、男は目を輝かせ、声を大きくする。


「ありがとうございます!叔父は自分の店を持つことが夢だったんですよ。…旦那には叔父の夢話をたくさん聞いてもらいましたよね。ありがとうございました!」


「いやいや。俺は話を聞いただけさ。こうして店を持てたのは、あんたらの努力じゃないか」


 二人が話をしている間、ビゼライは店の中を見渡してみた。射的、的当て、ダーツ、そして景品であろうものが並んだ棚。どうやらここは小さな遊び場的な店のようである。運試し、なんて文句に怪しい気配を感じていたが、賭場のようなものではないらしい。


「さっそく遊んでってくださいよ!景品もありますから」


 男が景品の棚を漁ると、金や調度品などが出てきた。景品、といえども、子供騙しではない。


「こりゃ大層な景品だな」


「ええ。ここは大人の遊び場ですから」


 男に誘われ、セランフォードとビゼライは射的をやってみることにした。銃を持つセランフォードは緊張した様子である。

狙いを定め、パン、と放たれたコルクは的を大きく外れて落ちた。


「無理かぁ〜、案外難しいな、これ」


「ここだ」


 続いて、ビゼライがコルクを放つ。

パン、と撃った瞬間、コルクは的に当たった。


「えっ…」


「わっ………す、すごいですねお兄さん!!当たり〜!!!!」


「すごいな、ビゼライ!!」


「ふ、ふん。これくらい、別に…」


「俺にも教えてくれよ!」


「…いや…教えるってほどじゃないけど…」


 ビゼライとて初めてやったことではあるが、的に当たったことが嬉しくてつい強がってしまった。

 セランフォードはビゼライに教えを乞い、ビゼライは彼に自分がした銃の構え方を教えた。

 パン、とセランフォードが放ったコルクは、また的から外れる。


「下手くそ」


「なっ…!くっそぉ!」


「ははは、あんたにもできないことってあんだな。なんか安心した」


「ん…え?」


「はは、にしても、外しすぎ、はは!」


 ビゼライは楽しそうに笑った。その顔を、セランフォードはじっと見つめ、やがてビゼライよりも楽しそうに、嬉しそうに笑う。


「じゃあ、これからもあんたに教わらなきゃだな!」


 この瞬間は、まさに、ビゼライがこの国に来て初めて見せた笑顔の瞬間であった。

 それに気づいたセランフォードは、誰よりも近くで見ることができた事実を、密かに喜んだ。


 それからも、二人はたくさんの遊びを楽しんだ。

玉を的に投げる的当て、宝の入った箱を当てる宝探し、中心を狙うダーツなんかは二人で勝負をしたが、どれもビゼライの勝利に終わった。


 どの瞬間もビゼライは笑みをこぼし、楽しい、と笑った。




「また来てくださーい!旦那!お兄さん!」


 存分に楽しんだ二人は、景品を抱えて店を出た。

金貨、銀貨、そして高価そうなアクセサリーをもらったビゼライは、そのほとんどをセランフォードに渡した。アクセサリーは、質素な格好のビゼライには似合わないのである。


「久々にあんなに遊んだな…。でも、あんたが招待されたのに、オレが楽しんでよかったのかって話だけど」


「気にすることないさ!俺もすごく楽しかったしな!…ビゼライと一緒に行けてよかったよ」


「そうか?」


「あぁ。なぁ、次もまた一緒に行かないか?今度も教えてくれよ」


「はいはい、しょうがないからな」


「ははは、頼むよ」


 そうやって笑い合いながら城までの道を歩いていると、またもや神々の黄色い歓声が聞こえた。

セランフォード様、セランフォード様。皆がセランフォードを好き、愛している。

愛される天才、好かれる秀才、性格、人当たり。

 ここまでの愛を向けられるのはどんな気分だろう、とビゼライは思った。


「助けて!!!!!」


 そのとき、歓声に亀裂を入れるように一筋の悲鳴が耳を劈く。

セランフォードもビゼライも、神々も、一様にそちらを見る。


「し、侵食だ!!!!!!」


 そこには、今この瞬間に発生したであろう黒い液体が這っていた。


「また侵食が…!?」


「まずいな。ビゼライ、下がっててくれ!」


 セランフォードはすぐさま駆け出し、街の神々に避難を促した。刻一刻と街を飲み込んでいく侵食の広がる速度は、ビゼライが初めて見た侵食よりも早くなっている。家や花壇が飲み込まれ、崩れていく様はセランフォードただ一人ではとても止めきれない。


「くっそ…っ!」


 セランフォードはすぐに稲妻を走らせ、侵食を淘汰していく。以前、雄神やシェロたちと共に戦っていた時とは比べ物にならない威力と速さである。これが官神の本気なのであろうかとビゼライは息を飲んだ。


「ビゼライ!!」


 侵食とセランフォードの稲妻に釘付けになっていたビゼライは、自分の足元に蠢く黒に気づけなかった。


「えっ…」


 一塊だけ、明らかに自我を持って動いている黒い物体。地面を這い、ときには小さく飛び跳ねて、ビゼライの靴の先端まで来たところで、大きな液体にとなって広がった。


「ひっ…!」


退けっ!!!!!」


 セランフォードはビゼライを抱えて飛び退き、地に向けて稲妻を放った。しかし、液体はまた黒い塊に戻り、跳ねてセランフォードと間合いをとる。


「厄介だな…!」


 ビゼライを降ろしたセランフォードは、跳ねる黒い塊を相手しながら、次々と侵食を消していく。


「セラン、大丈夫か!皆が来るのを待ったほうが…!」


 この侵食の発生は、もう既に城の雄神たちの元へ届いているだろう。雄神たちが来ればすぐに片付くかもしれない。セランフォード一人が相手にするのには厄介すぎる。


「そんな暇はない!!大丈夫、それなりの強さは持ち合わせてるさ!……あんたは、俺が必ず護る!」


 そう言うと、一際大きな紫色の稲妻と共に雷鳴が響き、目を開けていられないほどの眩しさが辺り一帯を覆った。


「これでしまいだ!!!!」


 大きな雷鳴の轟の後にはもう侵食は消え果て、そこには元の街の姿があった。飲み込まれた花壇の花は枯れてしまっているが、それ以外は、綺麗さっぱり、セランフォード一人で片付けてしまった。


「…あとは…こいつだけだな」


 セランフォードの視線の先には、まだあの黒い塊の姿があった。あれほどの威力の稲妻を受けてもまだ消えていないその塊に、ビゼライは大きな恐怖を覚える。


「まだ消えてないのかよ…!」


「避けられたな。…避けられるような攻撃をした覚えはないんだが」


 セランフォードの瞳が敵意を孕み、細められる。

塊の縦横無尽に動き回る姿は、ビゼライたちを煽っているかのように、嘲笑しているかのように見えた。


「この塊程度が知能を持ってるようには見えない。……操っているやつがいるのか」


「え…?」


 次の瞬間、塊はビゼライをめがけて飛び跳ねた。

セランフォードは咄嗟にビゼライを押しのけ、胸の前で構えた左手に傷が走る。


「セラン…!」


「………。」


セランフォードは何も言わないまま、塊に稲妻を放つ。塊はその稲妻さえ軽く避けて、そのままどこかへ消えていった。


「セ、セラン、大丈夫か、怪我を…」


「…これくらい、なんともない。あんたこそ何もないか?押し退けちまって悪かった」


「そんなこといい」


「……まずいな。あんな厄介なやつが現れるなんて…」


「あぁ…」


「…ビゼライ。これからはあんたの守りを強化しよう」


「え?」


「あいつ…。恐らく、ビゼライを狙ってる」


「え、オレを?」


「あいつのめがけてきた位置…」


 セランフォードは傷を受けた自身の手のあった位置と、ビゼライとを見比べる。

そして、彼の桃色の瞳は、ビゼライの胸の青を捉えた。


「ビゼライのそのペンダント。…狙われているのは、それかもな」


「これを?なんで…」


「………。…とにかく、早く城に戻ろう。報告しないと」


「あ、あぁ」


「悪かった。危険な目に合わせて。怖かったろ」


「いや、オレはなんともないし。…そっちこそ、怪我して……。…ごめん」


「謝らないでくれ!…護れて、よかった」


 聞こえるか聞こえないか、ほどのか細い声で謝罪をするビゼライに、セランフォードは温かく微笑んだ。





 城に帰ったセランフォードとビゼライは、事の経緯を雄神たちに報告した。

街で発生したこと、自我を持つ侵食の塊がビゼライのペンダントを狙っているかもしれないこと。

それらをセランフォードは淡々と話した。その顔は無表情で、なんとも感情の読めない顔であった。


「なるほどの。報告ご苦労じゃった。…セラン、よくぞやってくれたな。我らが駆けつける前に浄化した上、ビゼライも護り抜いたとは」


「…これでも、俺は官神であり、護衛ですから」


「頼もしいの」


「今回のその塊というのは、我々が先日見た、アノンの足元に寄ってきていたものと同じなのでしょうか」


「そこだよねー。同じものにしては、今回のは動きが早かったんでしょ?」


 シェロとリスティーの問いに、ビゼライは頷く。


「今は塊のみだが、いずれは侵食全体に及ぶ可能性もある。対策が必要になるだろう」


「対策かー…。でも侵食なんていつどこでどう発生すんのか分かんないし…また研究から始めないとなのかなー…」


「そうですね…」


 皆が口々に話をし始めると、ギベルクが席を立った。


「ギベルク殿下、どちらへ?」


「シファンの元へ行ってくる。あやつは神殿におるかえ?」


「は、はい。先生なら神殿にいるかと」


「うむ」


 ギベルクは神妙な面持ちでシファンのいる神殿へ向かって行った。

 ギベルクが去った後、セランフォードの傷に気がついたリスティーは、静かに治癒を始めた。

 セランフォードの顔は晴れず、彼にしか見えない何かを見つめているような、そんな目をしていた。

 シェロはセランフォードを見つめている。何かを、憂うような瞳で。









「シファン。おるか」


「おや、ギベルク様。どうされたのですか?お一人でいらっしゃるなんて珍しい」


 突如神殿に現れたギベルクを、シファンは笑って歓迎した。


「他に人は」


「いませんよ。私と、貴方様だけです」


 シファンは瞳を揺らし、ギベルクを見つめた。

ギベルクは安心したように頷き、シファンに近づく。


「…シファ。そなたと話がしたい」


「ふふ。嬉しいですね。なんのお話ですか?ギベルク様」


「…我をからかっておるのか。我らしかおらぬと、そなたが言ったのであろう。…今まで通りにしておくれ」


「はいはい。ごめんなさい。るっくん」


 二人を包む空気が和らぐ。夕暮れの光が差し込み、神殿を緋色に染めた。


「…聞いておるか?不可解な侵食のことは」


「ええ。もちろん」


「…影のことは」


「…それも。知っていますよ。神王様が、空を飛ぶ黒い影を見た、と」


「…そうか。……また、来るのやもしれぬな」


「そうですね。…まったく困ったものです。せっかく一度去ってくださったというのに…」


 ギベルクとシファンは柱の向こうの空を見つめる。近い未来、この国は戦場になるだろう。また、昔のように。

 幼かったギベルクやシファンの運命を決めた、あの時のように。


「…今再び我が国に現れるようならば…ビゼライ狙いじゃろうな」


「そうでしょうね。…知能を持つと危惧される侵食、今日はビゼライ様を狙われたと聞きました。…やはり、それらの侵食の裏には彼らがいると見て間違いないでしょう」


「あぁ、我らもそう見ておる。…ただでさえ、侵食が激化しておるというのに…更にあやつらの相手までもしなければならぬとなれば、相当な労力がかかるのぉ…」


「えぇ…」


「あやつらがビゼライ狙いとなれば、この神殿が嗅ぎつけられるのも時間の問題じゃ。あやつらは元々神王狙いだったというのもある。神王とビゼライが共にここにいることが気づかれでもすれば…」


「そのときは、私が守ります」


「な、何を言うておる!!絶対に駄目じゃ!!!」


 シファンが凛と言い放った言葉に、ギベルクは声を荒げる。


「絶対に、何があっても、それだけは…それだけは…駄目じゃ」


「るっくん…。…ねぇるっくん。大切なものを、自分の手で守ることができるのってかっこいいと思いませんか?」


「へ…?」


「…私も、守りたいんです。るっくんみたいに。自分の役目は、果たしたいのですよ。…私は、この神殿の護り人ですから」


「それなら、我が守る!この神殿ごと、シファのことは我が守る!」


「るっくん…」


「だから絶対に、魔法を使わないでくれ。……そなたは…戦わないでくれ」


「………。」


 ギベルクの懇願に、シファンは何も言えなくなってしまった。こうなったのも、全ては幼い日の惨劇のせいだ。


 はるか昔、この国は戦いで荒れていた。

そんな中で出会った、まだ幼いギベルクとシファンは親友になった。

 気の弱いギベルクをシファンが引っ張るような形で常に前へと進み、どんなときもシファンがギベルクを守った。


「あの日、誓ったではないか。シファのことは、今後何があろうとも、必ず我が守ると」


「…ええ」


「我のことを、そなたはいつも守ってくれた。我が苦しんだら、悪い大人を追い払ってくれて、我が泣いたら、我の代わりに怒ってくれて。魔法だって誰よりも強くて、いつも我を…」


「…そうですね」


当時のシファンの魔法は、今であれば雄神と大差ないほど強い、氷の魔法であった。

そんなシファンは、ギベルクの瞳には頼もしく、かっこいい、憧れに映った。

 しかしあるとき、シファンはギベルクを庇い、傷を負ってしまったのである。

 今もまだ残る、死ぬまで消えない傷を。


「我があんなに弱かったせいで、そなたの身体、そなたの命に、傷をつけてしまった。だから、今度は我が守る番じゃと、あの日言ったであろう!」


「……。」


「そのために…そなたを守るためだけに、我は魔法を必死に学んだんじゃ…!」


 ギベルクは、シファンを守ると誓った。

シファンが傷を負って以来、ギベルクは必死に守護魔法を学んだ。攻撃も、癒やしも、何にも目をくれず、ただひたすらに守護の魔法だけを学んだのである。


「…嬉しいですよ。るっくん。それは、すごく。貴方が私のためにと学んだ魔法で、雄神なんて位にまで選ばれたのです。…幼馴染として…親友として。こんなに嬉しいことがあるでしょうか」


 シファンは今でも、ギベルクが雄神に抜擢された日のことを鮮明に覚えていた。シファンにとって、ギベルクは誇りであった。親友が国に選ばれた。それが、心から嬉しかったことを覚えている。


「だったらなおのこと、そなたを守らせてくれ。まだ守れぬというのなら、もっと鍛錬を積む!だから…だから……。……そなたを、失いたくないんじゃ」


「……いざというときの保証はできませんね。私だって、魔法の使える官神ですから。守られているだけの荷物にはなりたくないのです。しかし『シファンは魔法が弱いから滅多に使わない』。これが、皆様が知る私です。…今はこれだけで十分だと、許してください」


「シファ……」


「幼いときからずっと、何千年も貴方の隣にいたのです。貴方の嫌と言うことは分かっています。今は常にそばにいることはできませんが…貴方のいないところでも、なるべく貴方の嫌がることはしたくありません」


「…頼むぞ」


「ええ。私とて、早死はしたくありませんからね」


「……うむ」


 ギベルクは喉から溢れそうになる不満を飲み込んで、ただ一言返事をした。

 今はただ、親友の言葉を信じて飲み干そうとしたのである。


「ふふ。……話が逸れてしまいました。それで?ビゼライ様にはあの方々のこと、お話するのですか?」


「うむ。しかし、この先式典が控えておる。その場では華々しい気持ちでいてほしいからの。ビゼライに告げるのは、その後じゃ」


「そうですか。…何事もないと良いのですけれどね」


「それを願うばかりじゃな」


 そうこう話をしている内に、いつの間にか空は藍色を湛え、星を光らせていた。城はもうすぐ夕餉の時間である。


「…なんだか、久しぶりにこんなにたくさんお話をしましたね」


「あぁ、そうじゃの」


「…たまにはこうして昔話もしてみるものですね」


「我らの昔話にはちと明かりがほしいがの」


「ふふ。私は、るっくんが思うほど暗いお話ではないと思っていますけれど」


「そうかのぉ…」


 シファンは己の左目を隠す仮面を撫でた。

シファンにとっては、実はこの仮面は少し気に入りの物なのである。


「さて…そろそろ戻るとしよう。夕餉を逃すとバルが鬼になるからのぉ…」


「ふふ。夕餉を逃して、バルザ様が夜食をくれないと駆け込んで来たのは何年ほど前の話でしたっけ」


「そ、それは言わぬ約束じゃぞ…!」


「ここには少量のパンしかありませんからね。城に戻って、バルザ様のきちんとした夕餉を食べてくださいよ」


「分かっておる!」


「お酒も、少しは控えてくださいね。貴方の酒好きは知っていますが、ビゼライ様にもうご迷惑をかけないように」


「それは酒屋に言ってほしいんじゃが…」


 そんなことを言いながら、ギベルクは城へ戻る道を歩いた。神殿の外、浮遊階段の下から見送ったシファンは、小さくなるギベルクの背中を見つめていた。

 そっと、己の掌へ視線を移す。冷え切った氷は、今でも簡単に繰り出せるだろう。

 それを止める、枷さえなければ。


「…ままならないものですね」


 シファンはこれから帰って来るであろうビゼライを待ちながら、一人夜空の星を眺めていた。


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