夜の街

 アパートに戻ると、部屋の中は静かで薄暗かった。

沙夜はコンビニの袋をテーブルに置き、適当にパンの袋を破く。


「……何か、甘いの食べたい気分」


「買えばよかったのに」


「なんかさ、店で見ると別にいらないかなって思うんだよね」

そう言いながら、ちぎったパンを口に入れる。


 紗妃はコンビニの袋を漁って、自分用に買った小さいチョコを取り出した。


「……いる?」


「んー、じゃあひとつ」

沙夜はチョコをつまみ、口の中で転がすようにゆっくりと噛んだ。


「……おいしいね」


「うん」


2人はそれ以上何も言わず、しばらく静かに食べた。




 ……何もやることがない。

でも、何かしないと、ただ時間が過ぎるだけ。


それは、沙夜にとっては耐え難い苦痛だった。

もとより多動性のある彼女にとって、「何もせずじっとしている」というのは、どんなに頑張ってもできないことだ。


 沙夜はスマホをいじるが、特に興味のあるものもなく、適当にSNSをスクロールするだけだった。


「……ねえ」


「何?」


「今日、動く?」

紗妃は、沙夜の言う「動く」の意味を理解していた。

——スるか、昏睡か。


「……どうするの?」


「うーん……正直、あんまり乗り気じゃないんだけど」

沙夜はスマホを投げ出し、ベッドに寝転がる。


「でも、そろそろ金がやばいし」


「……昨日のぶん、まだあるでしょ?」


「あるけど、使うとすぐなくなるじゃん」


 沙夜は天井を見つめたまま、小さくため息をつく。


そのうち、明日食べるものもなくなるのだろうか。でも、そんな現実があったとしても、誰も助けてはくれない。


まあ、当然だろう。

社会は、私たちを“見捨ててもいい存在”に分類してるんだから。


「……いい獲物がいればなあ」


「選べるの?」


「まあね。適当な相手より、楽に落ちそうなやつのほうがいいし」

沙夜は腕を伸ばし、軽く背伸びをする。


「クラブ行こうかな……」


「また?」


「うん。でも、あそこ最近顔バレしそうだから、別のとこ探したほうがいいかも」


「……危なくない?」


「何を今さら」

沙夜は笑いながら、ベッドから起き上がった。


「ま、今日は様子見ってことで。ダメそうなら、スるだけにしとく」


「……うん」

紗妃は小さく頷いた。


 結局、彼女たちは今日も夜の街に出る。

それしか、生きる手段がないからだ。


姉さんが止まると壊れてしまう気がする。

だから私は、ただそばにいるだけ。

紗妃は、そう思った。




 部屋を出て、2人は駅へ向かった。

夜の空気はひんやりとしていて、湿った風がビルの隙間を抜けていく。


「どこ行くの?」


「適当に、新しいとこ探そ」

沙夜はスマホを開き、地図アプリを適当にスクロールした。


「新宿……はちょっと最近顔出しすぎたし、渋谷かな。でも、渋谷は人多すぎてやりづらいんだよね……」


「じゃあ、どこ行くの?」


「うーん……池袋あたり?」


「あんまり行ったことないね」


「まあね。でも、たまには違うとこで試すのもありでしょ」


 沙夜は駅の改札を抜けながら、イヤホンを片耳につけた。

流れてくるのは適当なビート。無意識に足でリズムを刻む。


もっとも、彼女はこんなことをしなくとも、日常的に頭の中で何かしらの音楽が流れているのだが。


「姉さん、楽しそう」


「ん? まあね」


——どうせやるなら、つまらないより楽しいほうがいい。

生きるための手段なんて選べない。だったら、少しでも楽しめるほうを選ぶしかない。


 電車に揺られながら、沙夜はぼんやりと車窓を眺めた。

池袋に着くと、繁華街のネオンが目に飛び込んできた。


「……さて、どこ行こっか」


「どこでもいいよ」


「適当に歩こっか」


2人は雑踏の中に紛れ込んだ。




 夜の池袋は、新宿や渋谷ほど猥雑ではないが、それでも酔っ払いがそこら中にいる。

沙夜は歩きながら、周囲を観察した。


——派手なスーツの男、地味なサラリーマン、大学生風のグループ、ホスト、外国人観光客。


そんな人々の中から、良さげな獲物を探す。

会話しやすそうか、酒に弱そうか、金を持っていそうか・・・様々なことを、瞬時に考える。


「……あー、でもさ」


「なに?」


「池袋、思ったよりいいカモいないかも」


 沙夜は腕を組みながら、少し考え込んだ。

新宿なら観光客や金持ちのオッサンが多い。渋谷ならチャラついた大学生や社会人がいる。でも、池袋は……微妙に狙いにくい。


「まあ、もうちょい歩いてみよっか」


すると、少し先の横断歩道の向こうに、1人の男が立っていた。


スーツ姿、ネクタイは少し緩んでいる。手にはスマホ、もう片方の手にはタバコ。顔は疲れていて、どこか無防備な雰囲気をまとっていた。


——これは、いけるかも。


「姉さん、あの人?」


「かもね」


 沙夜は軽く髪を整え、スマホを鏡代わりにしてリップを塗る。

「じゃ、行ってくる」


紗妃は少し離れた位置で待機する。

沙夜はターゲットに向かって歩き出した。


その瞬間、彼女の足取りは変わる。

まるで、狩りの前の獣のように。


「ねえ、お兄さん」

声をかけると、男は驚いたように顔を上げた。


「え?」


「こんな時間に1人? ちょっと飲まない?」


 沙夜は笑顔を作る。

男の表情が一瞬緩むのを見て、沙夜は確信した。


——今日も、なんとかなる。


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