夜の仕事

「で、結局今度の稼ぎはいくらになりそう?」


「んーっと、ちょっと待ってね……」


 沙夜はポケットからスマホを取り出し、電卓アプリを開く。

彼女は文字を読むのが苦手だが、数字の計算はできる。むしろ、妙に得意だった。


「えっと、あたしの収穫が4万、稼ぎが5万で……紗妃のが6万5787円。合計で……」


彼女は指で慎重に数字を打ち込み、計算結果を確認する。

「15万5787円、ね」


「結構いいね。前の残りと合わせたら?」


「残りって、いくらあったっけ?」


「えっとね……」


 紗妃は、小さなノートを取り出してページをめくる。姉と違い文字は読めるが、計算は得意ではない。


彼女は指で数字をなぞりながら、ゆっくりと読み上げた。


「21万……4080円」


「21万……4080……っと。えっと……」

沙夜はまたスマホを操作し、慎重に足し算をする。


「36万9867円。まあ、これくらいあれば今月は大丈夫かな」


「ってことは……浮きは11万くらい?」


「そうね。で、あんたの取り分が5万、あたしも5万で……残りは生活費に回そっか」


「そうしよっか」


 紗妃は小さく頷いた。

彼女らは、貯金をほとんどしない。金を持っていても、管理が苦手な2人にはあまり意味がないからだ。


必要最低限だけ手元に残し、あとは使う。

それが彼女たちのやり方だった。


「これで、とりあえず今月は安心ね」

沙夜はそう言いながら財布に紙幣を詰め、残りの小銭を紗妃に渡した。





 その夜、紗妃は姉に尋ねた。

「今日も仕事なの?」


「それがね……まあ……」

沙夜の様子から、紗妃は察した。


「ああ、そういうこと」


「うん。……ごめんね」


「いいよ。しょうがない。そもそもまともに働けるだけ、私よりましだよ」


「そう?……ありがとね」

2人は静かに頷き合った。


「まあ、そういうわけだから、しばらく夜も動けるわ。また、2人でやりましょ」


「そうだね。それじゃ、そろそろ行こっか。今日も稼いできましょう」


 沙夜が立ち上がり、財布をポケットに押し込む。

紗妃も、小さな肩掛けバッグを持って立ち上がった。


「今日はどこ行く?」


「んー……駅前かな」


「オッケー」

2人はアパートのドアを開け、街へ出た。





 駅前は人で賑わっている。

仕事帰りのサラリーマン、スマホをいじりながら歩く大学生、買い物帰りの主婦──人の流れが絶えない。


「今日は……どの辺狙う?」


沙夜がちらりと妹を見ると、紗妃はぼんやりと人混みを見つめていた。


「……うーん、あの辺?」


 彼女の指差す先には、居酒屋の前でスマホをいじるサラリーマンがいた。

スーツのポケットが少し膨らんでいる。多分、財布かスマホが入っているのだろう。


「いいね。飲んで気が緩んでるだろうし」


沙夜は軽く頷いた。

酔っぱらいは警戒心が低い。金を持っていそうなやつを選べば、それなりに稼げる。


「じゃあ、行ってみる?」


「うん」





 紗妃がゆっくりとサラリーマンに近づき、ふらふらとした足取りでわざとぶつかる。


「あ、ごめんなさい…!」


「あぁ? あ、大丈夫、大丈夫」


男は酔っていた。フラつく紗妃を見て、軽く笑う。


 その瞬間、紗妃の手は男のポケットにするりと入り、財布を抜き取った。


「すみません…気をつけます…」


 そう言って紗妃は男から離れる。

男は何も気づかず、またスマホに視線を戻した。


紗妃は財布を袖口に隠しながら、沙夜のそばに戻る。


沙夜は、小声で妹に尋ねる。

「盗れた?」


「うん」


 2人はさりげなく人気の少ない路地に入り、財布の中身を確認した。


「えっと…現金3万くらい、カードが4枚…免許証も入ってるね」


「現金はもらっとこ。カードは捨てる?」


「ええ、いつも通りにね」


沙夜がカード類を財布から抜き、ポケットに突っ込む。後で適当に処分すればいい。


「よし、次行こっか」


 2人は再び人混みへと紛れ込んだ。





その夜、2人は駅前でいくつかの仕事をこなした。

ターゲットは酔ったサラリーマンや気の緩んだ大学生、スマホに夢中な若者。


 紗妃がぶつかるふりをして財布を抜き、沙夜がそれ。素早く受け取って隠す。

手際の良さに迷いはない。何度も繰り返してきた、慣れた手順だった。




「今日の収穫は?」


 アパートに戻り、沙夜がテーブルに財布を並べる。紗妃は一つずつ中身を確認し、現金だけを取り出す。


「えっと、全部で…9万2000円」


「まあまあね」


沙夜は軽く頷き、財布からカードや身分証を抜き取る。


「これ、どうする?」


「うーん…コンビニのゴミ箱かな」


「オッケー」


 紗妃はカード類をビニール袋に入れ、後で処分するつもりでバッグに押し込んだ。


「さて…もう遅いし、そろそろ寝よっか」


「そうね」


 沙夜は大きく伸びをして、ベッドに腰を下ろす。


紗妃は、テーブルの上の現金を見つめていた。


「ねえ、姉さん」


「ん?」


「私たち、このままずっとこうして生きていくのかな」


沙夜は少し考えてから、ぼんやりと笑った。


「どうだかね。でも、今はこうする他にないでしょ?」


「……うん」


 紗妃は小さく頷き、毛布にくるまる。


部屋の電気が消える。


夜の静けさの中で、2人はそれぞれの眠りに落ちていった。



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