第4話 刺激の強い色

「ジン」

「あ、久しぶり」

 今日は半年ぶりの親父とのご飯の日。いつもと変わらずショッピングモールでご飯屋さんを探していた。割と新しく出来たこのモールは大学から近く、今日も授業終わりに会いに来たのだ。この間は中華だったから今日は焼肉だな。

「うわうま」

「男は今が食べ盛りだな。これだけ食べても2人やしないのは羨ましい限りだな」

「なに、ダイエットでもしてんの?」

「一応気にはしてるんだよ。そういやどうなったんだ、例の気になってる女の子とは」

 この話題は聞かれるだろうなぁとは思っていたので、話す準備はしてきていた。

「進展したよ。一緒にご飯食べに行って、俺が遠慮なく口説いてたら、会うたびに告白されてる気分って言われたよ」

「ははっ、若いって良いな」

「まぁでも、振られたんだけどな?今は友達みたいな感じで仲良くしてもらってるよ」

「…お前が振られる相手か」

「だから俺をなんだと思ってるんだよ」

「写真とかないのか?」

「…あるけど、え、見るの?」

 そう。一緒にご飯を食べた帰りに、彼女は写真を撮りたいと言うお願いを聞いてくれた。携帯の待ち受けにしたいのは山々なのだが、流石に彼女でもないましてや振られた相手を待ち受けにするのはヤバいと思い、時々フォルダを遡って見ている。

「そりゃ気になるだろ」

「まぁ、いいけど…この子。かわいいでしょ」

 携帯の画面を親父の方に向けて見せる。

「確かに可愛い、な…」

「…どうかした?」

 彼女の写真を見た途端、親父の表情が強張ったように思えた。

「いやっ…なんか、見たことあるなぁと思っただけ」

「だよな?俺もどっかで会ったことある気がしてるんだよね。気のせいじゃないのか…」

「…まぁ、あれだ。これだけの美人ならどこかの芸能人と似ていると言うこともあるだろうな」

「そうかなぁ」

 そう言われると、芸能人の誰かに似ているのかもしれない。食事を終えた俺たちは、駐車場へ向かって歩いていた。

「あら、紫翠さんじゃないですか!こんなところで会うとは」

「これはこれは、今日はお休みですか?」

 親父は途中で取引先の人らしい女性に声をかけられていた。軽く挨拶をする程度で終わったみたいだが、

「“シスイ”って久しぶりに聞いたな。俺その苗字かっこよくて好きだったんだけど」

「珍しいからな。金井になってテストの名前書くの楽になったと思えば良いだろ」

「そこまで嬉しくねぇよ」





「…眠い」

 朝6時。真冬のこの時間はまだまだ外が真っ暗で、よく眠れたとしてもまだ目を開けたくはない。数分前に宇瑠間が起こしに来てくれたが、未だにベッドの上に座ったままぼーっとしている。携帯を見ると、ジン君からのメッセージが入っていた。夜のうちに来ていたみたいだけど、寝ていて気付かなかった。たわいもない話だが、こういうメッセージのやり取りも悪くない。

 少し気になる彼のオーラの色。限りなく白に近い色なのは確かなんだけど、時折見える何とも言えない色。気のせいだとは思うんだけど、どこか懐かしい昔に見たことある色をしている。他にも彼の周りには今まで見たことない色が多い。その色たちがどんな意味を持っているのかがまだ分からず、何色なのかの説明も難しい。いい人なのは確かなのに、何かつかめないものがある。一緒にご飯を食べに行った日も、チリチリと花火のような、少し刺激のあるオーラが出ていて。気を失うまでは行かずとも少し疲れてしまった。リョウ君にはいえないけど。

 撮影が始まるまでの間に、大学の課題を終わらせておきたかったので、この時間に起こしてもらったのに、なんせやる気が起きない。目薬をこれでもかという程点して、無理やり目を開かせたら、猛スピードで課題を終わらせていく。リョウ君が次にここへ来るまでに終わらせられたら勝ち。と意味の分からない勝負をかけて自分を奮い立たせる。

「よし、これでいいかな」

 30分程集中してレポートを完成させ、私が勝った。もうすぐ彼がメイクをしに来てくれるはずだから、顔を洗って歯磨きをして準備をしておく。

「失礼いたします…あれ、まだ寝てるかと思ったのに」

「もう終わったよ、私の勝ち」

「ふはっ、なんの勝ち負けだよ。着替えたらメイクするぞ~」

 化粧くらい、自分でやりなさい。って自分でも思う。ただ、顔が認識できない私は自分の顔のパーツすら良く分からない。会社を任せてもらっている身としては、みっともない姿を見せるわけにはいかないから宇瑠間に全てを任せている。

「今日も可愛くしてね」

「いつも可愛いから安心しろ。何色にする?」

「オレンジと赤と白」

「また難しいものを…はい目を閉じる」

 メイク道具は色鉛筆と同様、色んな色があるから見ていて楽しい。色鉛筆ほどではないが、アイシャドウとリップはどうしても集めてしまう…その中から毎日私が選んだ色で宇瑠間が可愛くしてくれて、ヘアアレンジまでしてくれちゃうからなんだか申し訳なくなっちゃう。

「はい、出来たよ。目の下はギリギリ誤魔化し効いたけど、目の充血は目薬頻繁に点さないと隠せなさそうだわ」

「そっかぁ…ありがとう!お腹すいたし、ご飯食べたいっ」

「んじゃ行くか」

 顔にメイクのわずかな重みが載るだけで少しテンションが上がる。今日も何とか1日乗り切れそう。




「えぇ、すげぇ…」

 新作のドレスの撮影当日、宇瑠間さんの運転する車でやって来たのは、自然豊かな場所だった。その中に立つお城のような建物の周りで撮影をするらしい。確かに今回のドレスは、この雰囲気にぴったりだ。

「う~寒いね!白井君マフラーしなくて平気なの?」

「タートルネックだからね、ある程度は耐えられるよ」

「風邪ひかないようにね?あの車の中に毛布とかカイロとか色々あるからどんどん使ってね」

 教えられた車は、一見ロケバスのような大きなバンだった。モデルさんの着替えやメイクをする用の車ともう1つは、資材や食べ物を運ぶための車らしい。

「あのストーブあるところにテーブル広げて準備してて?私挨拶してくるから」

 前の時と同様、彼女は宇瑠間さんにぴったりくっついてスタッフの人たちに挨拶して回っていた。見覚えのある人から、初めて見るモデルさんも含めて、前の撮影の時よりも人数が多いように感じた。

「おはようございます。頑張っているようね白井君」

「あ、おはようございます…」

 デジャヴ?と思う程に既視感を感じるタイミングで声を掛けてきたのは、カメラマンの胡桃沢さんだった。この前もテーブルで準備を始めたころに声を掛けられていたよな…?

「カノン様のところでの仕事にはもう慣れたかしら?」

「何とかやってます。でも凄い楽しいです、皆さん良い人ばかりですし」

「そう、それは良かったわ!学生の間にこんな仕事経験できるなんて、ラッキーだと思うわ、無理せず頑張ってね」

「ありがとうございます」

 相変わらずこの人は俺を激励してくれる。俺や藍染さんのことを娘息子のように見ているのか、遠くの方から俺たちのことを可愛がってくれているようだ。

「今日カノン様、だいぶお疲れのようだから助けてあげてね?彼女、何が何でも大丈夫で押し通そうとするから」

「分かりました、任せてください」

 朝会社で藍染さんと合流した時から目が充血していることが気にはなっていたが、やはりまだ疲れが抜けていないようだ。それでも元気にふるまい続ける彼女のプロ意識に感心するとともに、心配にもなる。俺なら迷わず疲れた休憩する、と弱音を上げているだろう。

「では本日の撮影開始します、皆さんよろしくお願いします~」

 今日は運よく快晴で、冬の澄んだ空気と空が心地いい。それでも冬は冬なもので、ドレスを着て撮影をしているモデルさんたちは見ているだけで凍えそうだ。近くにはストーブやヒーターも用意され、マネージャーと思われる人はすぐに渡せるようにとコートを握りしめていた。俺の仕事は以前と同じ作業だったので、特に困ることはなかった。藍染さんはと言うと、細々としたドレスのスカートの動きや、光の当て方にこだわっている。データを確認しながら指示を出していく姿は今回も変わらずかっこよかった。

「白井君~」

「あ、はいっ」

 珍しく撮影中に彼女に呼ばれた。持っていた資料を風に飛ばされないように仕舞って彼女の下に行く。

「どうしたの?」

「1つお願いしたいことがあってね、撮影する時に用意してたお花がちょっと足りないの。それで近くにお花屋さんがあるから買ってきて欲しいんだけど」

「了解。何の種類が必要なの?」

「任せる!」

 …できれば任せないでほしいんだけど。撮影だよ?藍染さんが作った大事なドレスのお供をするお花のチョイスを色の分からない俺に任せるのは、あまりにも心配すぎる。

「あのドレス2着を撮影する時に使いたいの。色はこの前見たよね?あとは白井君の感性に任せるよ。手に持って撮影しようか髪の毛にあしらってもらおうか悩んでるんだけど、それはお花次第で考えるから何でもいいよ!はいこれお金っ、そこの橋わたって右に曲がったら少ししてお店見えてくると思うからよろしくね」

 お金の入った袋を渡した彼女はすぐに胡桃沢さんのところへと行ってしまった。いや、よろしくねじゃなくて、俺無理だよ⁉ドレスの色を分かっていたとしても、その場で見る花の色なんてわかる訳ないじゃん…と頭の中で反撃していたが、行かないわけにもいかないので、とりあえずお花屋さんを目指して撮影場所を離れる。

「いらっしゃいませ」

 決して多くはないが、雰囲気のいい花屋さん。奥から初老の男性が出てきた。花なんか買ったことないから、まずどうしていいかもわからず、店内をキョロキョロする。藍染さんが撮影すると言っていたドレスは確か、彼女が1番のお気に入りだと言っていたかぎ編みのレースのドレスと、32度で溶かしたチョコレートの色のドレスだったはず。目の中の世界に連れて行ってもらうようになってから、現実世界でも色が分かる…訳ではないのだが、想像できるようになっていた。目に映るのは変わらず白黒の濃淡なのに、頭のどこかで色味を感じているような気がしている。まずは自分の感を頼ってみるしかない。

「すみません、白くて小さいお花ってありますか?」




 白井君にお使いを頼んでいる間に、モデルさんたちには休んでもらって、新しい撮影セットを準備する。

「…白井君、大丈夫でしょうか。私も行った方がよかったですかね」

「大丈夫ですよ。宇瑠間が思っているよりも、彼の色に対する認識は変わってきてるんですから。ダメならダメで、それをフォローすればいいだけの話です。少なくとも、私は心配してないですよ?」

「…そうですね」

 宇瑠間は心配なのか、まだ帰ってこないかと白井君が歩いて行った方を何度も振り向いていた。そんなに心配することないと思うんだけどなぁ。大学でも会社でも、確実に彼は色を感じ取れるようになっている。ほとんどの時間を一緒に過ごしている中でそう感じた私の感は、外れてないと思う。

「あ、帰ってこられましたね」

 2つの袋を持って帰って来た白井君。さぁ、どんな選択をしてきたのかな。恐る恐ると言った感じで袋を渡してくれる。

「戻りました…」

「おかえり。ありがとう!どう、自分的にはいい感じ?」

「…多分。自信はないけど。一応こっちがレースのドレスぽいかなぁって思ってる。手に持って撮影したらレース隠れちゃうかもと思って髪飾りとして小さい白い花と緑の花で苺のイメージ…で、チョコレート色の方はオレンジの色だけで小さいブーケ作って貰ったんだけど…どうかな?」

 白井君が選んだのはスズランと緑色のバラ。そして、8種類くらいのオレンジの花が敷き詰められた小さなブーケだった。

「良いね、じゃあこれヘアアレンジに入れてもらって良いですか?あ、そうですレースの方です!できれば花冠みたいな感じで」

「…えっ、良いの⁉完全に俺の勝手なイメージなんだけど、」

「すっごい考えてくれたんだね、私の思い描いていた物の90パーセント以上の物買ってきてくれたよっ、アイデアも良かったしそのまま採用させてもらうね!ありがとうっ」

 本当にお世辞抜きでいいアイデアだった。レースの見え隠れまで考えてくれるなんて思ってなかったから驚かされた。今の白井君の目に色が見えている訳ではないけれど、確実に感じ取って貰えている。そう思わされることが増えて嬉しい限り。撮影の準備を進めていると、心配なのか何度も私にあれでよかったのかと訊ねてる白井君が面白くて思わず笑ってしまった。

「ふふっ、そんなに心配しなくていいよ!これでも私、自分の会社で作るものの色に関してはこだわりあるしうるさいんだよ?文句なしで褒めてるってことは本当に納得してる証だから、自信もって?」

 まだ自信が持てたようには見えなかったが、少し涙目になりながら頷いてくれた。あのオレンジ色のブーケ、白井君のオーラに似て温かい色をしてるなぁ、体の芯まで冷え切っちゃう寒さなのに、目から入る色彩で心が温まる気がした。



「1度休憩入りまーす!」

 太陽もしっかり真上まで登ったころ、お昼休憩となった。藍染さんと仕事を一緒にしていると、やはり時間が過ぎるのが早すぎる。ドレスや備品を1度片付けて身の回りを綺麗にしていると、宇瑠間さんに声を掛けられた。

「お疲れ様です白井君。カノン様は少しお休みになられるという事なので、こちらどうぞ」

「あ、ありがとうございます」

「向こうのテーブルのところはストーブが効いていて温かいですが、一緒に食べませんか?」

「じゃあそうしましょう。…藍染さん、大丈夫ですか?」

「えぇ、まだ疲れが抜けきっていないようなので何とも言えないですが、少し休めば今日1日は乗り切れるのではないかと。ご心配おかけして申し訳ありません。撮影が始まる10分前くらいに起こしに行ってあげてもらえませんか?私の車の中で寝ておられますので」

「分かりました」

宇瑠間さんとこうして2人きりの空間で話すのは久しぶりで、まだ緊張してしまう。宇瑠間さんに緊張しているというより、年上の男の人と2人になるという状況に慣れていないのだが…

「…宇瑠間さんっておいくつなんですか?」

「え?」

 今まで特に気にしていなかったが、この人は年齢が分からない。大学生と言われれば普通に納得できるし、この落ち着き方だけを見ればそれなりに上にも見える。イケメン過ぎると人は、どんな年齢にも化けられる。

「私は白井君と10個離れているので、今年もう三十路になります」

「30ですか⁉めっちゃ見た目若いですね…」

「そうでしょうか…?カノン様に仕える以上、だらしない恰好はできませんからね。一応は気を付けていますが」

「なるほど…。結婚とかは考えていないんですか?どこ行ってもモテモテだと思うんですけど」

「…多分、しないんじゃないでしょうか。両親には申し訳ないですが、昔から私はカノン様第1で生きてきましたので、可愛がるという事を彼女以外にしたことがないんです。失礼かもしれないですけど、カノン様以外で守りたいと思える女性にまだ出会っておりません。あ、誤解の無いように申し上げておきますが、私はカノン様のことを本当の妹のように思っておりますので、変な意味ではありませんよ」

「それはもう、2人を見ていて重々承知です」

 そんな話をしていると、2人きりという空間の緊張も解け、お互いの話を少しずつするようになった。今日1番の収穫は、宇瑠間さんの特技がギターだったという驚きの情報だった。

「そろそろ起こしに行った方が良いですかね?」

「そうですね…お願いします。私が行くとごねられて時間がかかるかもしれませんので…」

 あぁ…なるほど。でもそれは、心を完全に許している相手だからこその行動なんだとも思う。宇瑠間さんの車は中が見えないようになっていて更に奥行きがあるので、藍染さんがどこにいるのかどうかも確認できない。

「…失礼しまーす」

 声を掛けて彼女がいつも座る席へ行くと、毛布にくるまって眠っている藍染さんを見つけた。この状況をジンに見られようものなら殺されかねないな…

「藍染さん、もうそろそろ撮影始まるってさ」

「…ん、…えっと、」

 一声かけただけで体を起こしていたが、まだ頭が働いていないようで、俺の方を見ているのに誰だかピンと来ていないみたい。俺はコートの中に名札が隠れていることに気づき、慌ててストラップを引き出して彼女に見せた。

「…あ、白井君!ごめん起こしに来てくれたんだね。うん、今ので目が覚めた。ありがとうね」

「良いよ良いよ、ちょっとは休めた?」

「熟睡させてもらいました。ん~!行こっか」

 ポケットからいつもの目薬を出して目を完全に覚醒させたらしい。1時間ほど眠っていたというのに、彼女のメイクは崩れた様子がない。あれだけ毛布にくるまっていたらどこかしら滲んでいてもおかしくないはずなのに、元が良いせいか、全く分からない。

「はいこれ、さっきより一段と外寒くなってるから」

「あ、ありがとう!カイロまで持ってきてくれてるじゃんっ。いやぁ、白井君はモテるだろうねぇ」

 彼女は時たまに、おばさんやおじさんのような口調になる事があるみたいだ。外が寒すぎて、着る毛布とあっためたカイロを持ってきただけで心底嬉しそうにしてくれる。俺も少しは社長の付き人らしくなってきたかな?

「それでは撮影再開します!」

 再開された撮影では、俺が買ってきたお花たちが使われていた。まずはあのレースのドレス。モデルさんの頭には王冠のように輪になった花。俺のイメージ通りなら、イチゴの花の配色のようになっているはずなのだが…。作業を進めながら藍染さんの方をいつものようにチラ見すると、ニコニコしながらモニターを眺めていた。藍染さんに自分のアイデアを褒められたとき、無意識に感情がかき乱されて涙ぐんでしまった。この会社に来てから色んなことを彼女から吸収して、幼いころの夢であった仕事を近くで見せてもらって。初めは意味の分からなかった彼女の能力のおかげで、色の分からない俺にも色を感じ取ることが出来るようになってきた。決して俺1人の努力ではこんなに楽しい生活を送ることは出来なかった。そんなような感情が一気にこみあげてしまったみたいであんなようなことに…あの時、親父にここを紹介してもらって本当によかった。

「白井君、カノン様が呼んでおられます」

「んぇ?めっちゃ片付けの途中なんですけど、」

 撮影も終盤に差し掛かって来た頃、周りの片づけをしはじめているとさっきまで藍染さんの隣にいたはずの宇瑠間さんが俺のところに来ていた。

「片付けは交代しますので、行ってきてください」

「あ、ありがとうございます…じゃあ、お願いします」

 あたりがすっかり暗くなり、色の濃淡の差が少なくなって視界が悪いはずの冬の夕方のはずだけど、照明のおかげで俺の視野は保たれていた。彼女の方を見ると笑顔でブンブンと音が鳴りそうなほどに手を振っている。

「どうしたの?」

「今から最後の撮影するんだけど、ちょっと入ってくれない?」

「…は⁉」

 こっちこっちと連れていかれ、意味も分からずジャケットを着させられたのだが…

「いやいや!えっなんで⁉」

「今日いる男性陣の中で白井君が1番手が綺麗だったからさっ。あ、写るのは手元だけだから!いい?」

「…手元だけなら、大丈夫だけど、え?どうすればいいの?」

「あのオレンジ色の花束を、モデルさんと一緒に持ってほしいんだよね。ウェブサイトとカタログの表紙にしたいの」

 そんな重大任務を手が綺麗だったからという理由だけで素人の俺に任せて大丈夫なのか?藍染さんと胡桃沢さんに色々注文をもらい何度かフラッシュを浴びた。肘から上を移さないようにする為に少々変な格好で撮影をしたのだが、データを見せてもらう限り中々素敵に撮れていた、けど…大丈夫だろうか。

「以上で本日の撮影は終了になりますお疲れ様でした!」

 日がしっかり落ち切った18時、長い撮影が終了した。宇瑠間さんに任せていた片付けはとっくに終わっていたみたいで流石すぎた。俺はというと…

「白井君、モデルとかには興味ないの?カノン様の会社で学んだあとそういう道に進む人も少なくないのよ?確かに君の手すっごい綺麗よね…顔だちもいいし、どう?」

「…被写体はちょっと。僕には今の仕事が向いているみたいですし、今のところは考えないですね」

「そっかぁ。それは残念だわぁ。白井君の写真が撮れる日が来るかもとか思ってたんだけど、一旦諦めておくわね」

 胡桃沢さんにモデルにならないかと勧誘されていたのだった。友達との写真とはわけが違うし、これは向いていないなと今日のあの数分の間で感じ取った。俺には藍染さんの下でしている今の仕事が合っているし、好きなのだ。

「宇瑠間さんありがとうございます、助かりました」

「お安い御用ですよ。写真、凄い綺麗でしたね」

「僕は手しか写ってないですよ、プロの人達ががいっぱい居たので綺麗になったんです」

「それもありますが、あのブーケがすごくいい味出してますね。大分寒くなってきましたし、そろそろ帰りましょうか」

「そうですね」

 宇瑠間さんの車に荷物を積み込み切る頃にはほかのスタッフさん達も片付けが終わった様で、すぐに解散となった。最後に貰ったアツアツのコーヒーで暖を取りながら車に乗り込んだ。




「カノンちゃんはさ、お兄さんと仲いいの?」

「え?」

「この間ご飯の後、お兄さんが迎えに来てくれたんでしょ?めっちゃ優しいじゃん」

「あぁ、うん仲良しだよ!お兄ちゃんって言っても、親戚の人だから本当のお兄ちゃんではないよ?でも家族みたいな存在で、一緒に住んでくれてるの」

 今日は1人ランチだというカノンちゃんとのお昼を獲得した俺は、また新たに彼女の情報を獲得した。ただこれは、簡単に聞いてよかったものなのか…

「そうなの⁉2人で住んでるんだ」

「私の家、4歳の時に親が2人とも事故でいなくなっちゃったから、年の離れたお兄ちゃんが私の親代わりをしてくれていたの」

「…ごめんね。嫌なこと聞いて」

「あ、ううん全然!正直小さすぎて私何も覚えてないから。今の生活は幸せだし楽しいよ?」

「そっか…。うちの家は、親父がクソが着くほどやばい奴だったみたい。あとで母親から聞いた話なんだけどね」

 彼女だけに重い話をさせるのは、天秤が釣り合わない。なんて無意味な男気を出した俺は、友達にしたこともない話題を掘り出した。

「…お父さんは?」

「母さんとは俺が小学生の頃に離婚してて、半年に1回くらい2人でどっかでご飯食べるんだ。俺といるときは普通に良い父親なんだけど、あれは気味が悪いくらいに心入れ替えたからね。って母さんが言ってた」

 俺が幼稚園に入る頃に何かがあったらしく、別人のようになったらしい。結局両親は離婚したけど、俺は親父が嫌いじゃない。

「みんな色々あるよね。あ、これ食べる?食後のデザート」

「えっありがとう!」

 鞄に潜ませていたチョコレートを取り出し、1袋を彼女に渡した。甘いものは好きだと前に聞いてはいたが、本当に美味しそうに食べる。いっぱい食べる君が好き♪ってCMがあったけど、あれは本当だね。

「今日もバイトあるの?なかったら一緒に帰ろうって誘うつもりなんだけど」

「ふふっ、誘う前に事前申告するんだね。残念ながら今日もバイトなんだよね。ごめん」

「そっか、じゃあ放課後デートはまた今度だね!」

 3限目は別々の講義だったので、食堂で彼女と別れた。こうやって、カノンちゃんが1人の時を聞き出してお昼を一緒に食べるのが俺の最近の楽しみだ。綺麗な後ろ姿を見送っていると、寂しさよりも幸福感で胸がいっぱいになっていた。




「お疲れ様ですカノン様」

「ただいまぁ」

 今日は白井君の出勤日ではないので1人で帰って来たカノン。ただ少し様子がおかしい…というか、この間の記憶が戻った辺りから何かをずっと考えているようで、返事も心ここにあらずというような感じだ。忙しくてゆっくり話をする時間が無かったので、今しかない。

「なんかあったのか?」

「え?」

「最近ずっと考え事しているみたいだけど」

「うーん…。リョウ君さ、“シスイ”って名前聞いたことない?」

「シスイ?苗字なのそれ?」

「わかんない。漢字もどう書くのかわからないし、下の名前かもしれない」

 彼女の口から、非常に珍しい名前が発せられた。

「その名前がどうしたの?」

「この間のボランティアで戻った記憶の中で、シスイさんってお母さんが言ってた事を思い出したの。聞いた事ないし、お母さんの知り合いだったんだと思うけど、私たぶんその人にあってるの。でも、それ以上は分からなかった」

「そっか…」

「昨日お父さんの部屋でちょっと探してみたんだけど、特にそう言った人の名前はなかったから、昔働いてた人でもないと思う」

「親父なら何か知ってるかもな。あの頃の事なら俺よりも詳しいし。来週あたり仕事落ち着くと思うし、会社に来るように言っておこうか?」

「いい?おじさん忙しくない?…あ、いや。大丈夫」

「えっなんで?」

 カノンの事だから拒否をする理由があるのだろう。昔のことを知るには、俺の親父が適任だと思うのだが。

「…これは、おじさんに聞いちゃいけないような気がするの。多分、彼の性格上自分を責めちゃうような気がする…わかんないけど」

「そうか…まぁ無理に聞けとは言わないわ。でも、たまには親父にも会ってあげて?この前実家帰った時もカノンの話ばっかり聞きたがるんだよ。自分の孫みたいなもんだからな。別に無理して昔のこと聞かなくてもいいんだし」

「そうだね、しばらく会ってないし仕事落ち着いたら会いたいなぁ。喫茶店大変なんじゃない?」

「今は夫婦で好きなことしてるだけだから大丈夫だよ。それに、カノンが会いたがってるなんて言ったら店閉めて飛んでくると思うよ」

「ふふっ、そっか。じゃあお願いします」

 俺の親父は、俺が高校を卒業するまで1人で藍染家の執事をしていた。俺が高校を卒業すると、1人前になるまで執事としての知恵をひたすらたたきこんでくれた。20歳になる頃には俺に全てを任せ、夫婦で喫茶店を出したのだ。結婚する前もした後も、仕事ばかりで夫婦の時間なんてものほとんどなかったのだろう。今は2人で仲良くのんびり過ごしている。




 カタログの撮影も終わり、ようやく落ち着いた仕事環境になった今日の仕事内容は、藍染さんと俺が楽しみにしていた日だった。

「おはようございます」

「おはよう白井君!」

「…すっごい元気だね、」

 今まで見たことないくらいの勢いと笑顔で挨拶をされた。まぁ、元気になる理由もわかる。だって今日は…

「だって今日は待ちに待った文房具屋さん巡りだよ?新しい色鉛筆に出会える日なんだよ?ここ最近はこの瞬間を楽しみに頑張って来たようなものだもん。早く行こう!って言いたいところなんだけど、1個だけ書類整理してもらってもいい…?昨日終わると思ってたんだけど、無理だった。終わったらゆっくりしてて?ちょっとだけ会議室行ってくるから」

「了解」

 渡された書類たちは特に難しいことはなく、15分もあれば終わってしまった。藍染さんはまだ帰ってこなかったが、その代わりに部屋には宇瑠間さんが入って来た。

「おはようございます」

「おはようございます。カノン様はまだ戻ってきてないですか?」

「20分位出たままですね。作業終わっちゃったんですけど、なんかやることあります?ゆっくりしてて~とは言われたんですけど手持無沙汰で」

「そうですね…あ、カノン様のコレクション見てみますか?色鉛筆の」

 色鉛筆のコレクション!?前に言ってた、引かれるかもしれないという大量のコレクション。

「それはめっちゃ気になっていたんでみたいんですけど、良いんですか?本人の居ないときに見ちゃって」

「前にカノン様から許可は貰っております。今日は時間がありますので、お連れしますね」

 てっきり彼女の部屋の中にあるのかと思っていたのだが…連れてこられたのは、倉庫だと思っていた部屋だった。小さな扉には特に何も書かれていないが、ここに色鉛筆のコレクションが…

「どうぞ」

「…す、げぇ…え、やばい」

 扉の大きさに比例してか、部屋はこじんまりとしていた。小窓が1つだけあり、その周りの壁を覆いつくすかのように整然と並べられた色鉛筆たち。びっくりするほど綺麗な白黒のグラデーションになっていることから、この色鉛筆たちが正しい色相環できっちり並べられていることが分かる。いったい何本あるんだ。

「これ、触って大丈夫なものですか?」

「全然大丈夫ですよ。ただしカノン様、色鉛筆の配置が変わると怒りますので、そこだけお気を付けください」

「これだけ大量にあるのに配置覚えてるんですか⁉頭の中1回のぞいてみたいですね…」

 一番近くにあった色鉛筆を手に取る。取った所の棚には丁寧に色の名前が仕込まれていて、彼女のこだわりを感じる。

『練りたてのわらび餅の色』

『ワックスがけをした教室の床の色』

『くしゃくしゃにしたアルミホイルの色』

『粉が沈殿したミルクココアの色』

『日焼けしたコピー用紙の色』

 どれもこれも彼女の好みそうなマニアックな名前ばかりだ。この色はどんな色をしているのか、勝手に想像が膨らむようになっている自分に驚いた。何度もここに入ったことのあるであろう宇瑠間さんも、綺麗に並べられた色鉛筆に見入っていた。

「…あ、もしもし藍染さん?」

 パンツのポケットに入れていた携帯が振動した。部屋に戻った藍染さんが、俺がいないのを見て電話を掛けてきたのだ。

「白井君今どこにいる?宇瑠間もいないんだけど…」

「今一緒にいるよ。色鉛筆のコレクション見せていただいてます」

「え⁉そこにいるの⁉今行くね」

 電話の後すぐに現れた彼女は出かける準備を終えて、手には鞄を持っていた。

「お待たせ…どう?初めて見た感想は」

「現実世界じゃないみたい。目の中の世界と同じくらい不思議な空間過ぎて、映画でも見てるんじゃないかなって…こんなに綺麗に整頓された状態を保てるものなんだね、まずそこに驚いてるよ」

 色鉛筆の中には削られて短くなったものもあり、単なるコレクションだけでなく実用されていることが分かる。使っているにもかかわらずこれだけの量を管理するのはかなり大変だ。

「私の好きなも物の帰る場所だからね、綺麗にしててあげたいじゃん?それに、こうしておけば、使いたいときにすぐ住所がわかるから、便利なの。実はこの棚、宇瑠間のお父さんが作ってくれたんだよね」

「え⁉すげぇ…」

「でしょ?で、ここの引き出しの中が私が特にお気に入りの物が入ってるの」

 一際丁寧に手入れされた引き出しの中には、知っている色鉛筆たちが何本か入っていた。『天気のいい日に干したぬいぐるみのにおいの色』も、ちゃんと含められていて嬉しかった。

「この場所も目の中の世界で見せてあげたいんだけどね、質量が重すぎるせいか持っていけなかったの。今日は文房具屋さんで良いものがあったら目の中の世界に行こうと思ってるんだけど、一緒に行く?」

「ぜひとも」

「カノン様、あまりテンションを上げすぎないようにし注意してくださいね。多忙期が終わったばかりなんですから…そろそろ向かいましょうか?」

「そうですね」

 今日向かう文房具屋さんは、そこまで遠くはない…とはいっても車で1時間ほどのところにある。ここ最近は、たわいもない話の中に宇瑠間も参加してくれるようになった。この間の撮影の時あたりから勝手に仲良くなれた気がして、勝手に喜んでいるのだ。

「このあたりですね、終わりましたらまた連絡してください」

「分かりました。白井君行くよ!」

「…テンション上がりすぎないようにね」

 早く色鉛筆と触れ合いたい藍染さんは自然と早足になっている。彼女についていった先にあったのは、何と楽器屋さんだった。

「とても文房具屋さんには見えないけど…?」

「見えないね。でも文房具特有の色が地下の方から漂ってきているから、間違いないよ。すみません~」

 相変わらず彼女は何の躊躇もなしに入っていく。文房具特有の色というのは、いったいどんな色なんだろうか。

「いらっしゃいませ。何かお探しでしょうか?」

「こちらに綺麗な色の物がたくさんあるとお聞きしまして…」

「あぁ…珍しいお客様ですね。こちらにどうぞっ、まぁこちらをメインに来てくださるお客様なんて久しぶりですわ」

 俺たちを楽器屋さんから地下へと案内してくれているのは50代くらいのいかにも職人です。と言った風貌の女性だった。どうやら文房具があるのは確からしく、色部と名乗った店員の女性は久しぶりのお客さんに嬉しそうにしていた。

「毎日換気はしているのですが、少し埃っぽいかもしれませんので先に謝っておきますね?ここが私の文具店です。半年ぶりのお客様だわぁ」

 楽器屋とさほど変わらないくらいに広々とした空間だった。壁一面には陳列棚が設置されていて、部屋の真ん中に引き出し付きのテーブルが設置されている。

「お邪魔します、」

「失礼します…わぁ、良い渋みを感じますね。私たち、色鉛筆を求めて来たんですけれど、どこから見ればいいですかね?」

「…1つお聞きしてもよろしいですか?」

 色部さんは少し申し訳なさそうに尋ねて来た。

「なんでしょうか?」

「長い事この2つのお店をやってきましたが、こんなにお若いお客様が文房具目当てで来られたことは今までありませんでした。どういった経緯で私のお店をお知りになったのでしょう?」

 俺もこの文房具屋さん巡りに関して少し聞きたいことはあった。ネットでどう調べても見つけられない穴場のお店の情報をどうやって入手しているのか。

「…実は私、こういうものでして。私の亡くなった父の部屋から出てきた手帳の中に、こういった文房具屋さんのリストが沢山あったんです。私は色鉛筆が好きなので、そのリストの中から少しずつ訪問させてもらっているんです」

「MUGEN⁉もしかして、藍染ショウゴさんの娘さんですか…?」

「父をご存じで?」

「えぇ!何度も足を運んでいただいていて、彼はうちの鉛筆をいつも好んで買っていってくださっていました。1度上の楽器店の方でも、使用人の息子の誕生日プレゼントだと言ってギターを買ってくださって。しばらくお目にかからないと思っていたのですが…そうですか、お亡くなりになっていたんですね…。でも、こうやって娘さんとお会いできるなんて、嬉しい限りですっ。凄いご立派になられたようで…ショウゴさんも喜んでるでしょうね。隣の彼は、カノンさんの執事さんでしょうか?」

 娘の元気な姿を見られた母親のような眼差しで藍染さんを見つめる彼女は、本当に嬉しそうだった。手帳に書かれていたという事は、ほかのお店でもお父さんが常連客として通っていた可能性もあるのだろう。

「彼は一緒に働いてくれているスタッフです!」」

「白井と申します、」

「仕事以外で父のこと知っている方にお会いしたことがなかったので、なんだか新鮮ですね…そのギターをもらった使用人の息子さんは、今私の執事をしてくれています。今は居ないんですけど」

「まぁ!今日はたくさん良いこと聞けて幸せだわぁ…あ、ごめんなさい長話しちゃってっ。色鉛筆でしたね、この壁一面鉛筆と色鉛筆だけですので、ゆっくり見て行ってください。私は上にいますので、何かありましたらそちらにある呼び鈴でお知らせください」

「ありがとうございます」

 色部さんが出て行った地下の部屋で、彼女は俺に笑いかけた。

「思いがけないご縁が出来たね?」

「本当だね。その縁つながりで、藍染さんが探してる色鉛筆見つかるかもしれないよ」

「そんなにうまく事が進んだら逆に心配になっちゃうよ」

 優しい目をしていた彼女の瞳が色鉛筆たちを見た瞬間、いつものあの好奇心旺盛なキラキラと輝いた目に変わっていた。もし彼女がびっくりするほど激怒していても、珍しい色鉛筆を見せてしまえば丸く収まる気がする。

「見て、ここは今までと系統が違うよ!楽器屋さんだけあって、音楽にちなんだものを集められているようだね」

「本当だ…『バスオルガン』『アダージョ』『エネルジコ』…だめだ、さっぱり想像つかない。藍染さん意味わかる?俺音楽系皆無だから全く分かんないんだけど」

「私もある程度しか分かんないからなぁ…宇瑠間に後で聞いてみようよ、ああ見えてかなりギターだけじゃなくて、ピアノもある程度できるから」

「そうなの⁉…宇瑠間さん何者、」

「昔、練習しているところを私が見て、凄い感動してたんだって。それで、私のその顔が見たくてもっと練習しようって気になったらしいよ」

 …藍染さんの執事さんは、俺が思っていた以上に彼女を溺愛していたんだな。普通それだけで楽器を2つも習得できない。

「音楽用語はちょっとずつ黒が混ぜられてて重めの印象なの。楽器の名前がついている奴は現職に近いものが多いかな。でもわずかにマーブル掛かっていて、調律のズレみたいのが表現されてる…ん~深いね」

 いつもよりも慎重に色を見ているらしく、彼女の瞬きの回数が減っていることに気が付いた。

「藍染さんちゃんと瞬きしないとだめだよ。集中しすぎたら体調崩すよ」

「え?あっ、ありがとう無意識だった…なんか、どんどん白井君が宇瑠間に似て来てるんだけど」

「藍染さん見てると母性本能くすぶられるからね、心配性になる宇瑠間さんの気持ちが良くわかるんだよ」

「何それ⁉」

 なにか気になる事でもあるのかのように、いつもより時間をかけて、ゆっくりと1本1本吟味している。普段のハイテンションは見られず、俺もいつの間にかほかの文房具に没頭していたら、突然息をのむような音が聞こえた。

「どうかした?」

「……」

 振り返った彼女の目はいつの間にか充血していた。ふらついたのが見えて慌てて駆け寄ると、1本の色鉛筆を持った左手が震えていた。

「大丈夫っ?ちょっと1回座ろう」

「いや…大丈夫、ありがとう…」

「体調悪くなった?」

「…この色鉛筆を持ったら、勝手に目の中の世界に入っちゃって、多分…これがお父さんの色だったの。それで、また記憶が…」

 今にも座り込みそうな彼女を近くの椅子に座らせ、宇瑠間さんに事情を伝えた。

「宇瑠間さん5分位で着くって。歩けそう?」

 目の充血は半分ほど引いたようだ。彼女は無理に笑いながら頷いて、ゆっくり立ち上がった。

「大丈夫だよ、ごめんね」

「それ、買うの?」

彼女の手の中には例の色鉛筆の他にも数本が握られいる。ここは早く帰ることを進めたいが、藍染さんはその色鉛筆を買って帰るという事だった。

「もっと忘れていることがあるかもしれないから」

 そう言って上の階にいる色部さんのところに向かった。彼女も藍染さんの目が充血していることに気づいたようだが、父親の思い出に触れ感傷的になった、などと解釈されたのだろう。特に詮索することなく色鉛筆を袋に詰めた。

「はい、こちらどうぞ。またいらしてくださいね」

「えっ、まだお金…」

「私の気持ちですので、お代はいただけません。白井君と、例の執事さんと、また来ていただけると嬉しいです」

「…ありがとうございます。また必ず来ますっ」

 綺麗に包まれた色鉛筆を手に、宇瑠間さんの車へと向かった。電話で様子を伝えていたため、血相を変えて飛び出してきた。すぐさま車のシートに寝かせられた藍染さんの顔色はまだ戻っていなくて、冷や汗をかいている。

「白井君荷物ありがとうございます。カノン様、どうされたんですか…?」

「お父さんの色と同じ色の色鉛筆を見つけたみたいで、勝手に目の中の世界に連れていかれたとか…そこでまた、昔の記憶が戻ったらしいです」

「記憶が戻った…⁉…ありがとうございます、とりあえずすぐに帰りましょうか」

「その方が良いかと」

「多分、カノン様は途中で気を失われるかと思いますので、シートから落ちないように見ていていただけますか、?」

「分かりました」

 俺たちが車に戻った時点で、藍染さんはすでに目を瞑っていた。眠っていたのかもしれないが、こちらの声に反応はなかった。

「白井君、カノン様はどんな記憶が戻ったか話しておられましたか?」

「いえ、そこまで聞ける感じではなくて…。今日のお店の店主さんが藍染さんのお父さんの事を覚えていたみたいで、少し昔話をしていました。それもあってかいつもより真剣に色鉛筆を見てたんです。そしたら突然こんなことに…」

「そうでしたか…すみません、最近白井君に色々ご負担をかけているようで申し訳ないです」

「そんなことないですよ?俺よりも大変なのは藍染さんなんですから。気にしないでください」




「…んむっ」

 お屋敷に着きいて藍染さんを部屋まで運んでいる途中、彼女の目が覚めた。ソファに座った藍染さんは目薬を何度か点していたが、まだ目の充血は収まっていなさそう。

「カノン様、もう少しお休みになったらどうでしょう。今日は特にやらなければいけない事もありませんし」

「ん…そうですね」

 そこまで言うと、彼女は俺と宇瑠間さんを見た。

「…なんかね、私、お父さんの子供じゃなかったみたい」

「…は?」

「え…?」

 突然のこと過ぎて2人同時に疑問の声を上げた。いったい何のことを言っているのだろうか…

「カノン様、それはどういった、」

「事故の日の帰り道で、そう言われたの。お父さんとお母さんに。それ以外のことは思い出せなかったけど、これは間違いないと思うなぁ…」

「本当に、間違いないの?その言葉に、」

「うん、突然でびっくりしたしショックだったんだけど…なんか、妙に納得行っちゃって。今は何か落ち着いてるの。宇瑠間もそんな顔しないでよ?」

 宇瑠間さんは、藍染さんの話を聞きながら絶句していた。きっと彼も知らなかったんだろう。

「…カノン様が言うのであれば本当の事なのでしょう。ですか、そうなるとお母様と誰かの間に生まれたという事になりますが…」

「そこでなんだけど。そのシスイって人が出てくるんじゃないかなって思ってるの」

「…シスイ?」

「あ、白井君には言ってなかったね。この前の記憶が戻った時に、お母さんが”シスイ”って人の話をしていたことを思い出したの。誰だか分からないし苗字か名前なのかも分からないけど、お母さんとそのシスイって人の間に生まれたのが私なんじゃないかなって思ってる」

 一息で話し切った彼女は少しうめき声をあげて横になった。宇瑠間さんがすぐにベッドまで運んで介抱していた。この10何年の間で1度しか思い出すことのできなかった失われた記憶をこの半年ほどの間に何度も呼び起こしたせいか、彼女の身体への負担はかなりの物となっているのであろう。宇瑠間さんの表情は険しいというよりも悲痛だった。

「…カノン様の記憶は断片的にしか思い出せていないので、思い出した物は正確でも、繋がりが正確とは限りません。その事を彼女もよくわかっていらっしゃるのであそこまであっけらかんとしているのだと思います」

 藍染さんが記憶を取り戻した瞬間の涙は事実を知ったことに対する悲しみなのか、それとも他の理由があるのか…彼女が詳しく話すことは無かったので、それ以上は聞かないでおいた。ただ俺や宇瑠間さんが思っている以上に、彼女ら淡々と物事を捉えているらしい。

「今日は終わりにしましょうか。また明日もある事ですし、すみません白井君」

「全然大丈夫ですよ、体調悪かったら無理して学校来ちゃダメだと言っておいてください」

「もちろんです」




 翌日、彼女はいつも通り大学に来ていた。

「おはようっ」

「…おはよ、大丈夫なの?」

 朝からなり俺の隣に腰をかけた藍染さん。記憶の戻った彼女はいつも次の日、疲労の様子が隠せていないのに、今日はどこか爽やかであった。

「うん、なんか元気。昨日は色々ごめんね。」

「全然良いんだってば。気にしないで?」

 俺が本当になんとも思っていないのがオーラで伝わったのか、彼女の表情が和らいだ。

「あの後宇瑠間に根掘り葉掘り聞かれてさ?色鉛筆を探してる理由話すまで許してくれなかったの、私がいつもより元気だったからって酷くない?」

「…珍しいね、普段ならゆっくり休めって言ってるのに」

「でしょ…まぁ、痺れを切らしたのかもしれないけど。私が色鉛筆を探している理由も薄々気づいていたみたいだけど、見ぬふりしてくれてたんだって。そんなこと言われたらさ、不機嫌になりようもないじゃん…」

「俺今日仕事行ったら兄弟喧嘩の板挟みになんない?」

「ふふっ、大丈夫だよ?喧嘩してないからっ。宇瑠間には感謝してるから、喧嘩なんてできないよ。もちろん白井君にも感謝してるよ?」

 感謝している。それはこっちのセリフだ。俺の人生に、これほどにも色が感じられるようになったのは紛れもなく藍染さんのおかげだ。

「今日は3限までじゃん、終わったらすぐ行くよ!」

「なんか急ぎの仕事でもあるの?」

「うん、楽しみにしててね!」

 詳しいことは言わずそう言い残して彼女はいつもの席に移動した…楽しみにしててとは、どう言う事だ?目の中の世界に行く時もそうだが、この会社は俺を楽しみにさせることが得意だ。




 白井君の隣の席から離れて、いつも座ってる際は移動すると、隣に先客がいた。

「あ、戻ってきた!おはよう」

「おはようっ。ジン君、早いね来るの」

 今日もオーラを輝かせているジン君が座っていた。うん、あの色は出てない。

「来たらダイの所いたから邪魔しに行こうかと思ったけど、戻って来ること信じて待ってた。そのまま向こうで授業受けるとかなったらどうしようかと思った」

「ふふっ、相変わらずだね」

 この人の言葉は期待を裏切らない程に嘘がない。見ていてとても心地のいい色だ。私は私の色を見たくない。きっと歪な色をしてる時があるから、彼のことがとても羨ましい。

「ねぇ、もうすぐ春休みじゃん」

「そうだね、もうそんな時期なんだね…えっと、遊びに行こうって言いたい感じ?」

「さすがカノンちゃん、勘がいいね」

 ジン君が私を誘う時に出る白いオーラ。今回も揺らぐ事なくその色を放っている。

「いつ空いてる?」

「ん〜…1日空いてる日はないんだけど、夜ご飯食べに行くとかでも良いなら、いけるかも」

「本当?」

「うん、また予定確認して連絡するね」

「やったぁ…」

 刺激の強い、あの色を放つ人とご飯を食べに行くなんて言ったら、また宇瑠間を困らせるんだろうなぁ。でも、学生の間に出会った友達は大切にしないと。って宇瑠間も言ってたし。ね?

 この半年ほどでたくさんの記憶が戻った。大学に入って友達が少しずつ増えて、ある意味私の生活に刺激が増えたからなのだろうか…でも未だに思い出せない事が沢山あるし、どうして目の中の世界に行けるようになったかも分かっていない。

 まっ、私の人生はまだまだこれからだし。時間は沢山ある。ゆっくり思い出していけば良い。




「白井君行くよ!」

「わかった、わかったから…!引っ張らないで!?」

 3限目が終わりすぐさま俺の元へ駆けつけた藍染さんは、腕をグイグイ引っ張っていく。ただでさえ彼女と一緒にいると目立つと言うのに、腕を引っ張られるという大注目を集めている。後ろの方でユウカが何か叫んでいるのが聞こえたけど、今は藍染さんについていくので精いっぱいだ。

「お疲れ様ですっ。白井君早く乗ってっ」

「ちょっ…あ、宇瑠間さんお疲れ様です…」

「お疲れ様です…なんでそんなに走って来たんですか?」

「俺も教えて欲しいです…」

 いつものコンビニまで早歩き…ほぼ走ってたけど。急いで連れてこられた。彼女は何を急いでいるのだろう?

「急いでるわけじゃないんだけどね、早く見せたいものがあるの」

「俺に?」

「そう!宇瑠間にもね」

「…私にもですか?」

 まだ詳しく言う気はないようで、そこからの会話は今日の仕事内容へと切り替わった。春休みに入っても、彼女の仕事は忙しそうだ。会社に着くと、いつもは俺と藍染さんが先に仕事部屋に行っているのに今日は、

「2人で後から会議室に来て。10分はかけてこっちに来てね」

 などという謎の言葉を残して走っていった。

「…なんなんでしょうか」

「全く分かりません。今日の朝は何も言っていなかったのですが。どこか楽しそうでしたけど」

「まぁ…ゆっくり行きましょうか」

 始めて来たこの会社の駐車場。建物に比例して土地が広い。

「藍染さん、春休みって空いてる日ないんですか?」

「なくはないんですけど…何かありましたか?」

「また前のメンバーで遊びに行こうって話になってるんですよ。遊園地とか言ったことないって言ってたんで、ちょっと遠出していかないかって」

「…どこかで2連休以上させますので、ぜひ連れ出してください」

「ふはっ、分かりました」

 きっちり10分かけていつもの会議室の前まで来た。ノックをすると、入っていいとの返事があった。

「…失礼します、」

「失礼しまーす…え?」



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