三ノ四 策謀の卜部季武

 ふと気づいたらしのびひょうが、部屋の灯火もとどかぬ片隅に端座していた。

 この源頼光邸の侍廊の、卜部季武の自室まで、まったく誰にも気づかれずひっそりとあらわれる。


 不気味な男であった。


 だが、季武は別段気にもとめない。


 むしろその不気味さを、たのもしいとさえ感じるのであった。


「どうであった、飄よ」


 季武は、事務処理をしていた机の上から目をはなさずに訊いた。


「は、やはり動きはじめました」と、だみ声が返ってきた。「さかえという地下じげの娘は朱天の家に向かい仕事を依頼し、朱天はその依頼に応じ、さっそく情報収集を開始いたしました」


 三十五という実際の年齢よりも、ずっと老けて聞こえるその声を耳にしながら季武は思った。


 こんどは自分が動く番である、と。


「めんどうだな」


「は?」


「いや、こっちの話だ。報告を続けろ」


「朱天達は、消えた大蔵省の史生ししょう新庄宗親の上役である大丞たいじょう山田助広の周辺をさぐっております」


「つまり、その山田という男が、事件に関わりがあると朱天達はみているわけだな。そのほうはどう思う」


「まず、間違いないかと」


「その山田は今どこにおる?」


「転任の準備で役所につめっきりになっております」


「大蔵省か。金銭をあつかう仕事上、なにかとうまい汁を吸ってきたのであろうな」


「憶測を申し上げれば、山田はその吸った汁の痕跡を抹消するのに、現在忙殺されていると思われます」


「うむ、新庄が消えたのも、そこに動機がありそうだ。お前は引き続き、新庄の行方をさぐれ」


「すでに探しあてております」


「ふふふ、かなわんな。で、どこに」


「山田の家の離れに」


「ずいぶんと手元に隠しておるのだな。山田という男、血のめぐりが悪いのか、はたまた異常に用心深い性質なのか」


「…………」


「よし、お前は引き続き、山田を見張れ」


 季武が言い終わった時には、すでに霧が散じるように飄の気配は消えていた。


「まったく、かなわんな」




 めんどうだ、と言いながらも、季武は翌朝にはすでに動いていた。

 大内裏の北西にある大蔵省の役所に行って、山田大丞を呼び出すと、源頼光の郎党が自分に何の用かまるで合点がいかない、という顔をして、控えの間にやってきた。

 三十半ばの、これといって特徴のない、のっぺりした顔の男であった。


 怪訝な顔をしている山田に、季武は、


「あなたがお隠しになっている新庄という男についてです」


 と先制攻撃を放った。


 ここで、何のことかととぼけるほど、山田は極悪人ではなかった。


 すぐに顔に動揺が走った。


「な、な、なぜそれを?」


 この小悪党めが、と腹の中で思いつつ季武は、


「いやなに、あなたがどんな理由で新庄を隠しているのかは私にはまったくあずかり知らぬこと。あなたが手を染めている横領など、はっきりいってどうでもよろしい。ただちょっと、その新庄を利用させてもらいたいので」


「は、え、いや、なんと」


「新庄を探すために、彼の妹が動いているのをご存じですか?」


「え、いえいえ」


「ちょっとその娘を黙らせたいので、新庄に一筆書かせてもらいたい」


「と、いいますと」


「自分は役所の勤めで、急に京を離れなくてはいけなくなった、連絡が遅れたが無事でいるから安心しろ、とでも。いやなに、あなたの手間はとらせません。私が直接新庄に会って、書いてもらいますので」


「は、そう言われましても」


「あなたのお屋敷に隠しているのでしょう?ご懸念にはおよびません。書かせた手紙は一度あなたにお見せしますので。でしたらご安心でしょう」


「は、はあ」


「見張りなどは置いてありますか?そうですか。合言葉などありましたら教えてください。なるほど。では、これにて失礼」


 と完全にこちらのペースで主導権をとって話を進めてしまって、季武は役所を去って、その足で山田屋敷へと向かった。

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