二ノ六 釈迦如来の秘密
「この鮫九郎、ちっとは名の知れたばくち打ちだ。そこにいる上野サンのような素人とは違う。負けたからってとんずら決め込むようなことはしねえ。賭けた物は、耳をそろえて、きっちりかえすぜ」
鮫九郎、負けたくせになぜか居丈高に言うのだった。
「ふう、これで肩の荷がおりた気分だ」
孝安が大きな吐息をついた。
「おいおい、上野サン」凄味をきかせて鮫九郎、「今回の勝負で賭けたのは釈迦如来の掛け軸だけだぜ。あんたの借銭が消えたわけじゃあねえ。そこんところを、勘違いしないでもらいたいな」
「そ、そんなあ」
「まあ、それでも三分が一くらいは減らしてやるよ」
「それでも、まだけっこう……」がっくりと孝安が肩を落とす。
「ま、これ以上賭け事なんぞしないで、ぼちぼちと返していくんだな」朱天が肩をたたく。
「じゃあ、朱天のダンナがた、掛け軸を返すから、屋敷までついてきてくんねえ」鮫九郎が誘う。
というわけで、朱天達はぞろぞろと連れ立って六条西洞院にある獅子蔵親分の屋敷まで、鮫九郎とともに向かうのだった。
「はて?」
門の前に立った鮫九郎が首をひねった。
鮫九郎だけではない。
その場にいる全員が首をかしげたくなるほど、妙な雰囲気が屋敷から感じられた。
いや、何も感じられないのがおかしいのだ。
これだけ豪奢な屋敷(公家から借金のカタにぶんどったと鮫九郎が教えてくれた)だと、かならずいくばくかの人の気配がするものだ。
それがまったくない。
門をあけて、
「げえ!?」
鮫九郎が胃の中のものを吐き出すようにうなった。
つづいて門をぐぐった朱天達も目をみはった。
そこには、そこかしこに、子分たちが倒れ込んでいる。
仰向け倒れているもの、うつ伏せでうめいているもの、壁にもたれ気を失っているもの、
「どうしたおめえら!?」
鮫九郎が声をかけるが、うなっているばかりで、返事はまるでない。
「親分、親分!?」
鮫九郎が屋敷のなかへ入っていく。
朱天達も続く。
「あ、親分!?」
中庭に面した縁のところに、獅子蔵親分がぐったりと横たわっている。
「親分、だいじょうぶですか!?」
鮫九郎が助け起こすと、獅子蔵が目をさました。
「おお、鮫か、どこいってやがった」
「それより、これはどうしたことですかい」
「ひとり……、たったひとりの男にやられた」
「たった、ひとり……?」
「そいつは、釈迦如来像はどこだって……、お前が借金のカタにせしめてきたあの絵だ。すまねえな、持っていかれちまった」
そう言い終わると、獅子蔵はがくりと頭をたれた。
「おやぶーん」鮫九郎の叫声がこだました。
「大丈夫、気を失っているだけだ」息をさぐった朱天がなぐさめるように言った。
「釈迦如来の掛け軸を持っていかれた?いったい俺の人生どうなっちまうんだーっ!」孝安が頭をかかえた。
「それにしても、たったひとりで……」
と朱天が辺りを見回した。
一味のみんなも茫然として眺めている。
庭にも、数人の男が倒れており、みな、命だけは奪われてはいない様子であった。
「うふふふふ」
土蜘蛛一党の隠れ家で、女首領の
その前には、
「藤原実資家にもぐりこませていた
あやめの視線が釈迦如来の姿をなめるように這う。
「それにしても、よく釈迦如来像が外に出てくれたものじゃ。中納言の屋敷の
そうして、あやめは、その絵の表面を手のひらでなでた。
まったく、何の気なしにとった行動であった。
が、
「なんじゃこれは?」
手のひらにあたるものがあった。
それは、あるかなしかの、わずかな段差であった。
はっと思いいたり、あやめは、ふところから小刀をとりだすと、絵と表紙(絵が貼ってある
絵は、布帛全面に貼りつけられておらず、四辺だけが糊づけされていた。
つまり、この掛け軸は袋状になっているわけであった。
そのなかから、あやめは一枚の紙きれをみつけ、取り出した。
それは、開いた手が四つ分ほどの大きさで、そこにはびっしりと細かい文字がかかれていた。
「これは……」
読み進めたあやめがうなった。
「ほほほほほ。これはよい。ここに書かれてあることが真実なら、政権がひっくりかえるほどの大事だぞよ、ほほほ」
やがて笑いをおさめ、人を呼んで糊を持って来させると、紙をまた絵と布帛の間にもどし、糊で閉じた。
「書いてある文面はすべて記憶した。この書き付けは、実資中納言の手によるもので間違いはなかろう。しかし、紙きれだけでは、なんの値打ちもない。作り物だと断じられたら返す言葉がない。中納言のものであるという証拠がなくてなならぬ。この釈迦如来の絵と組み合わさってはじめて証拠としての効力を持つというもの」
あやめの目がさらに妖しさを増した。
「さて、この秘密を、どう利用してくれようか。ほほほほほ」
ふたたび発せられたあやめの哄笑は、しばらくの間、やむことがなかった。
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