一ノ八 のろま熊八
その男は、ずいぶん目立った。
朱天、茨木、虎丸の三人が、琵琶を弾き、踊り、笛を吹き、見物人たちを魅了するなか、その男は、小さく手を叩き、足をかるく踏み、あまり楽しそうでもないようすで、演奏に乗っていた。
だが、丸い顔にはいっぱいの笑みを浮かべているのだ。
見ているとこちらがつられて笑ってしまうような、愛嬌のある笑みだ。
男は大きい。
一見して職人風で、背丈は平均よりちょっと大きいくらいだが、恰幅がよかった。
この時代の、栄養状態の悪い食生活しか送っていない庶民のなかでは、実に稀有な存在であろう。
やがて、その男は自分よりもずっと小さく痩せた男に小突かれて、なにか申し訳なさそうにあやまったあと、立ち去って行った。
にっこりと笑ったままで。
朱天達が、その男を見たのは、東市の一隅であった。
三人は、別段何かを目当てのものがあったわけではない。
ただの冷やかしで市を歩いていた。
と、あの大男が、跳んだり足を踏みならしたりしていた。
その脇には、例の小男がいて、大男の尻を蹴ったり頭を叩いたりして、それに合わせるように大男が動くのだった。
汗を流し、精一杯と言った様子で体を動かし、必死になって不格好な踊りを踊る。
大男が滑稽な動きで手を振り、カニのように開いた足を上下させるたびに、周りに集まっている観客たちは、けらけらと笑っている。
「は~い、みなさんごらんあれ」と小男は
その口上につられるように、客たちは下駄を買い求めて行った。
「なんじゃい、けったくそ悪い」茨木が唾を吐きそうな勢いで言った。
「ああ、弱い者をいじめて笑いをとって、物を売るなんぞ、下劣極まる所業よな」朱天が眉をしかめた。
「うむ」と虎丸がうなずいた。
「あのでかいの、たまに俺達の演奏を観にきてくれているよな。せっかくの客を、あんなふうにいじめる奴はゆるせねえ、ちょっと懲らしめてやるか」
「よせ、茨木」
「とめるなや、ダンナ」
「いや、気持ちは俺もお前と同じだ。だが、助けた所で何になる。あの大男は、ああして生きていくより他に道はないのだ」
「んなこたねえだろ。その気になれば、何したって食っていける」
「そう要領よく生きていける人間ばかりじゃあねえんだ。路頭に迷って飢え死にするよりは、ああして笑いものになって生きていく方がマシなのだろう、あの男にとっては」
「ちぇ、そんなもんかね」
ふまんたらたらの茨木をひっぱるようにして、三人はその場を立ち去った。
やがて、下駄もある程度売れ、客も来なくなり、小男と大男は筵をたたむ。
「おい、のろま。とっとと帰るぞ」
「へ、兄貴」
「何をしてる、さっさと筵を持て、反対の手で売れ残りの下駄を持て」
「へ、兄貴」
「まったく、命令されないと何もできねえのか、うすのろ」
「すまねえ」
「まったくお前は俺がいないとなにもできねえ。なのに、なんだ今日のあの踊りは。てめえが客の笑いをもっととれば、下駄だってもっと売れた。そうやって、持って帰る苦労もしなくて済んだ。ちっとは無い頭を使って考えろ、熊八」
「すまねえ」
ともう一度熊八は答えた。
しかし決して顔には落胆の様子はない。
それどころか、にんまりと笑みを浮かべて、兄貴と呼ぶ小男を見つめていた。
「その、卑屈な笑いはなんとかしろ。見てるだけで気味が悪いや」
「えへへ」
「やめろ、褒めてねえ」
小男は歩き出した。
そのあとを、筵と売れ残りの下駄を包んだ風呂敷包みを抱えて、熊八がおった。
にこにこと、うれしそうに笑って。
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