どうせ失う人生だけど、どうせ失う人生だから。

葉泪秋

第1話

 憂鬱だ。


朝起きるのも、歯を磨くのも、すべてが憂鬱だ。


私の想像していた社会人生活はこんなものじゃなかったはずなのに・・・・




でも、そんなことを言っていられるほど世間も甘くない。




「辛かったらいつでも実家に帰ってきていいからね」


そう言ってくれる母に感謝の言葉を伝えることもできず、ただ一人で心を痛めている。




 今日も普段通り出勤し、普段通り上司に怒鳴り散らされて帰ってきた。


怒鳴られるだけならいいんだけど・・私、みんなに嫌われてる気がするなぁ。


同期が挨拶をしながら出社してくると皆、にこやかに返事をしてる。




でも私が挨拶した時に返事をしてくれるのはその「同期」だけなのだ。




はぁ・・私、頑張ってるのに。


夕食をとっているといつも涙が溢れてくる。


そこそこの高校に行って、そこそこの大学を卒業して・・その結果がこれ。


自分が情けない。


弱い自分が大嫌いだ、こうやって自己嫌悪に陥る自分も気持ちが悪くて仕方ない。




 そんな事を考えながら、今日もベッドに潜り込む。


はぁ。このまま一生、目が覚めなければいいのに・・・・




「はぁ」


無慈悲にも朝は変わらずやってくる。


当たり前だ。夜が訪れたのなら、必ず朝も訪れる。


私はいつか死ぬ、それと同じくらい確かなことだ。




コーンフレークに牛乳を流し入れ、無心でかき込んだ。


社会人になって一年間ずっと朝はコーンフレークを食べているので、もはや味も感じない。




無音はなんだか寂しいのでニュースを見ようと思いテレビをつけると、自己啓発的な話をしていた。


自己啓発本を何冊か読んだことはあるが、いつも私は思う。


こんな本を読んでいるからいつまで経っても私は変わらないのだと。


元々タフな精神を持ち合わせている人は自己啓発本など買わない。理由は買う必要がないからだ。


分かっているはずなのに・・藁にも縋る思いでそういった話に耳を傾けてしまう自分がいるのも事実だ。




「精神のレベルを向上させるにはまず、周りの余計な情報をシャットアウトして・・」


分かったような顔をして語る出演者。


私にとってはあんたのその話が余計な情報だ。


黙ってくれ・・と思いテレビを消した。




シャットアウトって言うけどさぁ・・結局社会に出たら上司の言うこともしっかりと聞かないといけないでしょ?


そういう考え方が通用するのって芸術的な仕事くらいなんじゃないの?と思ってしまう。


確かに何か作品を生み出す職業ならば多少常識から逸脱しているくらいのほうがちょうどいいのかもしれない。


でも私は事務職。最も型破りな行動が許されない立ち位置とも言える。




「はーあ・・」


今日もまた朝からこんな余計なことを考えている。


私は今23歳。65歳まで働くとして・・あと42年?


無理無理。


でも私みたいな何の魅力もない女が結婚できるわけないし、ずっとこんな人生を歩み続けるしかないのかな・・・・




「やり直したいなぁ、人生・・・・」




家のチャイムが鳴らされた。




「はーい」


こんな朝早くから誰だ?と画面を確認したが、何も映っていない。




「あのー・・」


もう一度チャイムが鳴った。




「はぁ?なにこれ」


一応フライパンを備えて玄関のドアを開けた。


すると、なんだかものすごく上品な着物を身に纏った少年が立っていた。




「何の御用で・・?」


「まぁ細かい説明はよい。とりあえず、上がらせてもらうぞ」


「待ってなんでなんで・・」


「説明は後じゃ」


やけに図々しいな、このガキ。


でも確かに位が高そうではある。身なりも整っているし・・何より凛とした顔立ちで美少年という言葉がよく似合う。


まぁ、いざとなれば私のほうが強いだろうし大丈夫かと思い、リビングへ案内した。




「それで、結局何の御用で・・?」


「お主、先程『人生をやり直したい』と申しておったな?」


「何で知ってるの・・?」


「その説明もまた今度じゃ。とりあえず、今のところの人生に満足はしておらんのか?」


「全く。学生時代はまぁ楽しかったけど・・社会人になってから一つとて良いことがなくて・・」


少年は深く頷きながら私の話を聞いていた。




「ふん、なるほど・・」


少し考えてから少年が口を開く。




「我の力があれば、もう一度人生をやり直すことが出来るぞ」


「はぁ、何、神様ごっこ?馬鹿馬鹿しい・・」


「神様ごっこだとしたら、我がお主の名前・発言・勤務先を知っていることの説明がつかないであろう?」


不敵な笑みを浮かべて少年が言った。




「は?名前!?勤務先!?」


「◯◯◯株式会社に勤務している沢田舞。間違っているか?」


「えぇ、キモ・・・・」


本当に知ってるのか。




「言葉遣いに気をつけろ、今お主には大チャンスが訪れているのじゃからな」


偉そうなガキ・・




「そろそろ信じてくれていいと思うんじゃが・・」


少年は頬を指先で搔きながら言った。




「まぁ、一旦話だけは聞かせてよ」


「お主は沢田舞ではない別の人間としての人生をもう一度やり直すことが出来る」


私じゃない、人生・・




「そしたら、今生きてる私はどうなるの?」


「大した問題ではない。全員の記憶から君の存在は消え、誰も君が消えたことには気づかない」


存在自体が抹消されるってことかぁ・・・・


寂しいと思ったけど、別に私が消えたところで母親以外悲しまないか。


しかも、母でさえ私が消えたことには気づかない。




「前世・・っていうか今世の記憶は残る?」


「残らん。覚えているのは『今、自分は人生をやり直している』という事実だけじゃ。それだけは深く心に植え付けられている」


「ふーん・・・・」


「さぁ、どうする?人生をやり直したいと思わないか?」




ずっと思っていた。


人生をやり直したいと。


でも、何故だろう。いざ実際にチャンスがやってくると躊躇ってしまう。


今生きている人生が嫌いだ。もちろん嫌いだよ。憎たらしいよ・・


なのに、少し愛着が湧いちゃってるんだ。自分に。自分の人生に。


どれだけクソな人生でもやっぱり家族や友人はかけがえのないものだし、失いたくないと思う。


同期もすごくいい人で、たまにご飯を食べに行くだけで幸せだった。




だけど・・やり直したいと思ってるのも自分だ。




「私どうすればいいの・・」


「ちなみに、もし生まれ変わったとしてもお主は我と出会う。切っても切れない縁だと思っておくといい」


「え、それは嫌・・」


「失礼な」


「どうして出会うの?」


「お主の人生がどうなっているか、我も興味があるからな」


「そう・・」




まだやり直すと決まったわけじゃない。




「ていうか、こんなに話してたら遅刻しちゃう・・」


「待て、最後に大事な話じゃ」


「なに」


「お主に、一ヶ月の猶予をやる」


「一ヶ月・・?」




「我は一ヶ月後、改めてお主に問う。『人生をやり直したいか?』と。それに対する回答に我が何か言うことはないと誓おう」


「シンキングタイム一ヶ月ってこと?」


「ずいぶん現代風な言い方だが・・そうじゃ」


となると少し話は変わってくる。




「あーなんか吹っ切れた気がする。もうどうなってもいいや」


「何をする気じゃ?」


「仕事辞める」


「決断が早いな・・?」


そりゃあそうでしょ。私が私として生きられるのは後30日だけ。


きっと私は人生をやり直す。




だったら、もう思う存分やりたいことをやろう。


どうせ失う人生なのだから。




「今日会社辞めて、今まで貯めてきた貯金で一ヶ月生きる。なんなら借金もしてやりたいことをする」


「ちなみに借金をした状態で人生をやり直すと、借金自体も消滅するぞ」


「マジで!?!?借金するほどお得!?!?」


「一気に元気になったな・・」


「当たり前でしょ!!!!!」


「お主が帰るまで、我はその辺をふらついておく」




 どう考えてもこの少年は怪しい。


でも、『藁にも縋る思い』ってこういうことなんだなと思った。


実際、彼と出会ってからの十数分で私の気持ちはとても晴れやかになっている。


騙されてたとしても、私はいい。


これは私の決断だ。


そして、私の直感が言っているのだ。彼は信用できると。




「それで、君なんでインターホンのカメラに映らなかったの?」


「なんでって・・我は妖じゃぞ」


「妖??」


「というか、見て分からぬか?」


「わかんない」


「我の姿は今、お主にしか見えておらんよ」


「そうなんだ・・」


そうなんだ、とは言ったが全く理解はできていない。


一体何が起こっているのやら。




「そうだ!最後に君の名前教えてくれない?」


「禅汰だ」


「ぜんた ね。覚えた!じゃ行ってくる!!」




 玄関を開けると、今まで見たことのない世界が広がっていた。


おいしい空気に青く広い空、元気に飛び回るカラス!!!


こんなに世界って彩り豊かで美しかったんだ・・




とりあえず、退職届だそう。

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