第23話 へそ調査(研究開発型ベンチャー企業)
愛と宏生は捕獲ムチの柄を折って床に落とした。捕獲ムチは速やかに枯れていく。
僕は、左目で宏生と対峙する4体の影を捉え、右目で愛と対峙する3体の影を捉えている。
4体の影も3体の影も、生やしたツノを回しているだけで、動きはないように思えた。
だが、僕は感知した。
後ろ足で床を蹴って警戒音を鳴らし、前足でさした。
「消えた」
愛と対峙していた3体の影は、全て消え去った。
愛は目を皿にして3体の影があった付近を見回している。今までの影の動きから、近くの影に移動する可能性が高いと推測しているからだ。
感知した僕は、床を後ろ足で蹴って警戒音を鳴らし、前足でさした。
思い当たった宏生が、素早く視線を戻した。
宏生が対峙していた4体の影も、全て消えた。
「こっちも、消えやがった」
苦々しく言った宏生だが、愉快そうに興奮している。宏生の心にゆとりが出てきている。
僕は感知した。
後ろ足で床を蹴って警戒音を鳴らし、前足でさした。
「3体の影が現れた。黒いペットボトルなどの3体の影があったテーブルの下だから、これらの影は、3体の影から3体の影へと移動したってことね?」
確認するように僕を見遣った愛に向かって、僕は顎が床にくっつくほど深く頷いて返した。愛はずっと冷静だ。
宏生は興味津々の目でテーブルの下を見遣った。
「黒いポーチ、黒い水筒。慌てて脱げたんじゃろうな、と思われる片方の黒いパンプスが、影じゃ」
面白そうに見つめる目には、テーブルの下に転がって並ぶ、猫柄のポーチと黒色のポーチ、黄色の水筒と黒色の水筒、白色のパンプスと黒色のパンプスが映っている。
感知した。
僕は後ろ足で床を蹴って警戒音を鳴らし、前足でさした。
「何処をさしとんじゃ?」
僕が前足でさす辺りを見回す宏生は怪訝顔だ。移動したと思われる4体の影は、一向に現れないからだ。
愛も無表情で首を傾げて僕を見詰めてきた。
「視覚では捉えられない」
一斉送信した僕の通信を、宏生が読み上げる。
「僕の髭スキャンでもぎりぎりといったところだ。4体の影は、テーブル近くの床に落ちている青色のクッションの影に、次から次へと移動している。たぶん、融合する」
「影は分裂だけでなく、融合もするんか?」
驚いた宏生だが、興味深いと口角を上げた。
「兎兎。影の状態を報告して」
沈着な愛が指示を出した。
頷いた僕は、すぐに一斉送信していく。
クッションの影はまだ、ただのクッションの影だ。
だが、ミクロで見れば、移動してきた4体の影が、次から次へと、まるで塗り絵をするかのように、クッションの影を埋めている。融合するというのは、4色の絵の具が混ざる状態に似ていると思う。影は1色だがな。
クッションの影は、融合した4体の影で埋め尽くされた。
徐々に盛り上がっている。立体化している状態だ。
これから、視覚で捉えられる。
「黒いクッションが現れた」
「影じゃ」
愛と宏生がそれぞれ呟いた。見詰める先には、立体化した黒色のクッションが、青色のクッションと並んでいる。
感知した。
僕は後ろ足で床を蹴って警戒音を鳴らし、前足でさした。
ツノが生えた3体の影が、愛と宏生が見遣った先で、全て消え去った。
すぐに愛は、何処かの影に移動しているはずだと、辺りを見回していて気付いた。
近くには、青色のクッションと黒色のクッションが並んでいる。
「もしかして、黒いクッションに融合する?」
愛が僕を見詰めてきた。
僕は顎を床に押し付けるようにして深く頷いた。
これを見た宏生が目を見張って、黒いクッション(影)に視線を向けた。
黒いクッション(影)は見た目では何の変化もない。ツノもまだ生えてきていない。
「3体の影は、次から次へと黒いクッションに移動した。今、融合している」
一斉送信した僕の通信を、愛が読み上げた。
「どうなるんじゃろ?」
宏生が今か今かと胸を弾ませている。
無表情の愛は身動きもせず、黒いクッション(影)を凝視している。
僕は後ろ足で床を蹴って警戒音を鳴らした。
「なんじゃ?」
宏生が嘆息を漏らした。期待外れだったのだ。
3体の影と融合した黒いクッション(影)は、一回り大きくなっただけだった。
「これで、影は1体となった。分裂している影はない」
一斉送信した僕の通信を読み上げた愛は、問い掛けた。
「連。アルゴリズムの書き換えは終了した?」
「影が1体になったこの時が、絶好のチャンスってことじゃな」
宏生は戦闘準備でもするかのように、ストレッチを始めた。
「もう少し時間を下さい」
連の声が聞こえてきた。
「このまま1体で捕獲したい」
愛が小声で言ったのを聞き漏らさず、連が言い切った。
「間に合います」
ずっと無表情だった愛が、微笑みの演技をした。
「確実に1体の影を捕獲するための案を考えた。捕獲の案を送る。それを読むのは後でいい。まずは、黒いクッション近くにあるモノを遠くに移動させてくれ。ツノが生える前に多くのモノを遠くに移動させるんだ」
一斉送信した僕の通信を読み上げた宏生が、僕に向かって手を振った。
「了解」
「了解」
僕を見遣った愛が、すぐに動き出した。
少しの時間で、黒いクッション(影)周りのモノは、壁際へと投げられ、黒いクッション(影)から遠退けられた。
愛と宏生は、黒いクッション(影)を気にしながら、捕獲の案を読んでいる。そんな状態だから、感知した僕だが、警戒音は鳴らさなかった。
黒いクッション(影)にツノが生えてきた。
ツノに気付いた宏生が、楽しそうに口角を上げた。黒いクッション(影)の捕獲を想像しているのだ。
愛もツノに気付いたが、無表情のままで演技を一切しない。辺りを見回すと、2つのバランスボールを見つけ、そこに駆け寄っていく。
さすが愛は機転が利く。
僕はその行動に満足した。
それを見ていた宏生は気が付いたと、愛のもとへ駆け寄った。
宏生は愛から1つのバランスボールを受け取ると、バランスボールを転がして戻る愛の後を追った。
愛はツノが生えた黒いクッション(影)から一定の距離を取って立ち止まった。僕の観察からの、影が影へと移動しないぎりぎりの距離だ。それを理解する宏生も立ち止まった。
「アルゴリズムの書き換えは終了し、皆のデバイスへのアップデートも終了しました」
連の声が聞こえてきた。
「了解」「了解」
返事をした愛と宏生は、捕獲投網がいつでもすぐに使えるよう、バングル状デバイスに捕獲投網の準備の指示を出した。
バングル状デバイスに芽がついた。その芽は、好機到来で指示を出せば、速やかに捕獲投網に分化する。
時間は貴重だ。用意できることはしておいたほうが良い。
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