帰還/真相
『スノーレイ国立公園第一』と彫られた石碑がある。横切って中へ。
昼間なら大勢の人がレジャーシートを広げたり、直接腰を下ろしたり、寝転がったり、ペットを連れて練り歩きそうな、美しい芝生は公共のリビングのよう。それが奥に窺え、手前には噴水池と、距離を取って置かれたいくつかのベンチ、ガゼボもある。いつでも街の道路に帰れるウォーキングコースが公園を囲う。
国立で駅から遠過ぎず、警察の中枢を挟む地点にあるのであれば、やはりスノーレイで一番の公園なのかなと思える。
家路を急いでいるのか、これから本番なのか分からない老若男女が公園に入り、出ていく。空はもう黒一色となり、一定の間隔で並ぶオレンジ色の街灯に照らされたウォーキングコースを行く人は、疎らながらもしばらく絶えることがなさそう。
これが十八時半過ぎのスノーレイか。ノースランズ州限定とされる呪いが、まだ自分を取り巻くほどの問題となっていない世界の日常であり、おそらくは事件を知ってもなお左程変わることのないありふれた風景。
今回、日常を奪われたのは避難済みのアパート住民と近隣のみ。既に駅近のアパートで『何か』が起きたと察している者は大勢いるだろし、昨日まで前例がなかったとはいえ魔法死の知識を持つ者も中にはいるだろうが、それでも魔法死遺体から異形の怪物が飛び出てくるまでは無関係を主張することが許される。
別に無責任とも言えない。素人に首を突っ込まれるより遥かに私の気が平和でいられるのだし。
しばらくの間、私はこの国に腰を据える。
スノーレイの安寧を守るかどうかは別として、為しうる力を持つ私がこれからこの国に降りかかる災厄を見過ごすわけにはいかない上……。
「あはっ、やっと見つけた!」
特殊部隊の隊長が彼のように賢い若者というのは助かる。素人のくせに邪魔立てしてくるような連中ばかりだったから、これまで何度か称賛した彼のなりと、この国の政府への感心は本当にお世辞じゃないんだ。
先進国かつ治安も良いため、フリーランスであっても居心地が良いと心から思えるし、何より効率が抜群に良い。何故なら……。
「貴女でしょ?私が魔法殺した遺体を完璧に処理してみせた人って」
何故なら、魔法癌の破壊に成功しながらも、魔法を奪うことも犯人を処断することも叶わず、未だ幸福の都に紛れているはずの当事者が直々に私の前に現れてくれるなど、円滑どころの騒ぎではないからだ。
街灯が遠くても、高々と飛沫を上げる噴水は夜間でも存在感十分。私は二人掛けベンチの真ん中に座り、流水を眺めて物思いに耽っていた。
少女らしい甲高くてはっきりとした、それでいて幾多の苦難を乗り越えてきたとも取れる堂々の声音が聞こえ、それを実在する者の発声として認識すると、その正体はいつの間にか私の目の前に登場していた。
人殺しとは思えない第一印象だった。
私より年下、おそらくルナヤ君と同じくらいの年齢だろうに、人を殺した後でそれほど余裕でいられるのは変だから、「ああ、こいつが魔法殺をやった異常者か」と即座に理解した。
「こんばんは!今は一人なんだ。さっきの彼とはビジネスの関係だったの?」
腰まで伸びた黒くて艶のある髪が、狭い歩幅で寄ってくる。
殺人犯、特に今回のような特例であれば嫌でも察せられるはずの独特の雰囲気が……感じられない。それが却って彼女を『おかしい』とさせる。
何であれこいつは敵だ。事情は聞きたいが、次第によってはこれまでで最も手強い存在かもしれない。「ねー、答えてよー。ネックレスの指輪綺麗だねぇー」と頬を膨らませようとも、向こうのペースに乗るつもりはない。
少女は明らかに大きいワイシャツの第二・第三・第四ボタンのみを留め、下はワイシャツと同じく真っ白なジーパンを履いている。ここでその格好は風邪を引くだろう。華奢で、肌の色も雪のようだから見ているこっちにまで冷感を及ぼす。特に裸足というのが。
あるいは彼女も、殺したスイーツ店員やそれに連なる何者かの被害者かもしれないが、真珠のように黒い(底なしに深い)瞳は壮絶な過去を微塵も物語ってなどいなかった。
この場で疾く殺害してしまうのが却って最も穏便かもしれない。しかし、周囲の人々と、『逮捕』を選択した彼の顔がよぎるとそれも難しく、細める目線の先にある白衣の悪魔が後ろで手を組み無邪気な笑みを浮かべてこようと、今は何もできなかった。
「ね!魔法蒐集をやってきたんでしょ?私がまだ万全でいられるってことは、奪うことも殺すことも失敗したんだよね?」
「何を言っているのかさっぱり。すまないが私には待ち合わせの予定があるんだ。君も早くボーイフレンドのもとへ行きなさい。あと、靴と上着を買う金くらいなら出してあげてもいい」
「とぼけなくてもいいよ。遺世界までは無理だったけど、貴女と彼が事件現場に入っていくところまでは遠くから見ていたんだから」
「事件現場?これだけ穏やかな国で事件なんて起きるのかね?」
「もう、話を進めたいのに……。私が今朝殺した男の人の家よ。名前は……あれ、忘れちゃった。頭が無くなっていたでしょう?あれは私がやったの」
「ちなみにどうやって?」
「勿論、ドラゴンの魔法でパックンと」
彼と違い成人には程遠い、まだ幼い相貌が溶けて妖艶に化けた。
思春期や、この国では少なそうな薬の影響ではないよう。
裏付けは不十分だが、こいつだ。
こいつは本当に知っている。私が何者で、どのような手段を用いて魔法死遺体を処理するのか。昨日今日ではなく、昔から私がこの世で無二の、魔法蒐集家であることを。
そして、私より先にその禁句を使ってきたということは、私より深く今回の特例を明確に理解しているということ。
それが可能な存在といえば、それはドラゴンの魔法を行使できる当事者以外の何者でもない。
「まさか自首のつもりではあるまい?何が目的で私の前に現れている?」
警戒を超え、遺法獣や魔法癌相手には温存した殺意を全開にしてモノクロの魔女を睨む。
ここからは、油断したら喰われる領域となる。
「だからぁ、話を進めに来たんだってば。チュートリアルはもう終わり。もう分かってるんでしょ?彼……ルナヤ君だけじゃなくて、貴女からしてもかつてない事態だって」
「彼の名前を知っているのは、彼が有名人だからということでいいな?」
「さあ、どうかしら。それも貴女に暴いてもらわないとね」
裸の右足を軸に、くるりと黒髪と白衣が回る。
そこには人を殺めた罪悪感など欠片もない。彼女の心は舞踏宴に在り、裸の両脚は土の上というのにちゃんと靴を履いているように全く汚れていなかった。
「チュートリアルね。確かに初心者向けのダンジョンだった。遺世界ではあり得ない、ドラゴンの姿をした遺法獣を初めて相手取る上でもね」
「あっ!ちゃんと私の狙い通り簡単な作りになっていたのね!良かった!遺世界って魔法死した人の心を象って、そこに魔法殺を為した犯人の魔法に合うエネミーが湧くんでしょ?見たことはなくてもそこまでは知っていたから、なるべく素直で裏表が激しくない人を選択してみたの。私ってば見る目あるぅ!」
パチッ!と指を鳴らし、親愛なる誰かに頭を撫でられているかのように悪魔は悦ぶ。
殺害の動機は私が追及することではない。気にはなるが、そんなことは些事なのだ。
私の推測が正解に近いのであれば、これは世界の存亡に関わる大問題に他ならないのだから。
「私に奪えるのは神の魔法のみ。いわゆる普通の魔法使いが操る類全てだ。今回のはやはりドラゴンの魔法だったか。数多の神が多勢を以てようやく終わらせることのできた、今より二つ前の時代の遺物。それを何故お前が扱える?」
私も真実が欲しい。仕方なく名知らぬ魔女の望む風呂敷を広げてやると、眩しいくらいの笑みを満面に浮かべ、心地良く感じてしまう声音を弾ませて答えた。
「それは昔の話ね。今はドラゴンと神だけでなく人も混ざっている時代だもの。新しい話をしましょう。私がこの力を得たのは最近の話なの。つまり、貴女と彼だけでなく、私にとってもチュートリアルだった。面白くなるのも、盛り上がるのもこれから。私から言わせれば今回の事件は気にしなくてもいいくらいだわ」
「それを言えるのは犯人の貴様だけだ、シリアルキラー」
乙女の雰囲気のままに狂気は語られる。とても幸福の都の真ん中に存在していいものではない。
ここで始末してしまえば、これから待ち受けるあらゆる難問を全て抑止することが可能というのに……この娘、殺気を出さずに戦えるタイプだ。
例えば別れるフリをして完璧なタイミングで必殺の不意打ちを繰り出したとしても、底知れぬドラゴンの魔法で跳ね返されてしまうのだろう。
そして、この場所でこの娘と殺し合ってしまえば、被害の数は異形の怪物誕生を上回る数値となる恐れがある。それではこれまでの苦労が水の泡だ。
「色々勘繰っているようね。けど、今回は挨拶に来ただけ。何なら今後も私が直接貴女と戦うことはないかもしれない。私たちが本気で殺し合ったら周りがどうなるかなんてとっくに想定済みでしょ?だから、そんな物騒な気配で私の心臓を躍らせないでほしいな。昂ぶっちゃう」
「貴様の目的は何だ?」
「目的?そんなの決まってるじゃない。ドラゴンの時代を復活させるのが私の役割よ。それが可能な力を得たのだから、いずれはそうなることを願って努力する。ただし、ノースランズ州の人間を惨殺して貴女が捌き切れないほどの魔法死遺体を量産するなんて強引なやり方は選ばない。それは愛がないものね。世界を滅ぼすのはワイバーンの進化系がやればいい。私はそれまでの間、ゆっくりマイペースで世界にヒビを入れていくだけ」
「願いに愛にマイペースか。サイコパスらしい驕りだな」
「私も自分の力が本物だと確信が持てた。白紙の頁はこれから印字されていくの。今後はもっと複雑な事件を起こすわ。それと、ドラゴンの時代復権を望む人を募集して教団を作る予定なの。これからいっぱい人の愛憎と狂乱を楽しみましょうね」
「迷惑だからやめろ」
「それってどこまで本気なの?平坦より凸凹の方が楽しいはずでしょ?貴女は冒険家なんだから」
「世界の崩壊はやり過ぎだ。特に人様の迷惑を考えていないのが醜悪だ」
「貴女だって彼の人生に変化をもたらしてるくせに。広い視野で見てよ。歴史は繰り返すのが普通でしょ?」
普通のことをやるのだ、と。
少女は言いたいことを言い終えると、満足したように自然の空気を肺に取り込んでから黒髪を揺らして背を向けた。
どう見ても隙だらけ。細い首を刎ねることも容易に思えるが……それを果たすまでにどれだけの犠牲が生じるのか。
それなら、この人殺しが世紀の大悪党になる前に身柄を捉える。効くかは不明だが、試すべき拘束手段もあるわけだし。
「さっきからお前は、なぜ次があると思っている?」
呟くも、私がそうすると予知していたかのように、登場時と同じく忽然と姿を消失させた。
飛沫の音。柔らかい風。私の周囲には誰もいなくなっていた。
<そう慌てないで。これからよ、私たち>
さっきまでそこにいた愉快な声がする。空、地面、噴水、ベンチ……全てがスピーカーのように私の耳限定でうるさく響く。
<私たちはこれからスノーレイを中心に色んな騒ぎを起こしていくから、嫌なら私の抹殺を目指してね。捕まえる、なんて覚悟では足りないわ。この公園で、別の公園で、街中で、電波塔で、地下で、大聖堂で、火山で、列車で、国境で……遺世界で。沢山の時間と場所を使って真っ黒な歪みを共に育んでいきましょう>
「待て!貴様は何だ!」
こっちの声がまだ届くと信じて問うと、少し間を置いてから返答がきた。
その間、少女は間違いなく笑いを堪えていたはずだ。
<私の名前はリーズマイネ。貴女が突然奇跡の書を貰ったように、突然ドラゴンの魔法を貰った女。ブラックドラゴンの復活を夢見る巫女……いや、魔女かな?聖女かも?とにかく、世界が壊れない程度で人の時代を掻き回すのがこの私。貴女との対極に位置する悪の役。
かつて、ブラックドラゴンが神々たちとの死闘の最中に零した流血の範囲は、後にノースランズ州と呼ばれる一世界となり、魔法殺の呪いをこの時代にまで残してしまっている。……何てうってつけの舞台。私たちが同じ時代を生きているのは運命に違いないわ。だから――>
――またどこかで必ず再会しましょう、カナージェお姉様。
その言葉を最後に声は去り、鼓膜に感じた痺れも解消された。
今回の魔法殺事件の犯人、これから巻き起こる新事件たちの原因となる無垢の少女。
捕らえられなかったのは大きな失態だが、そんな次元の話でもなく、何よりああいうこだわりの強い犯罪者は嘘を吐かないため、彼女がまだ準備段階だと言うのなら私にできることは何もない。これから再会する彼に今の邂逅を伝え、武装を強化しておくように伝えるのみ。
犯罪は、犯罪者が動き出さなければ起こり得ないのだから。
「リーズマイネ。そうか……」
空気を読むように戻ってきた民衆に被害が及ばない程度の戦闘を考えていた。トースト君を召喚する一歩手前だった。
そうすぐには緊張から解放されない。白いジャケットのポケットに手を突っ込み、早足で人を探している青年が見えて、彼が私を見つけてこっちへ駆けてきてくれてもなお息苦しさは続いた。
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