4話  お父様とお兄様はわたくしがお嫌いだから。

 お医者様は『気休めだけど』と言いながら、体の怠さが楽になるようにと薬草を煎じた薬を置いていってくれた。


 瓶に入ったその液体は、ドロドロとした濃い緑色の誰が見ても葉っぱを煎じたものだとわかる。

 そして誰もが飲みたいと思わないだろう薬。


 ベッドに横になりながら横目でその薬を見て溜息が出た。飲めば確かに少しは楽になる。だけど飲むこと自体が辛い。あんな不味い薬、誰が作ったのだろう。

 もう少し味だけでも良くしようとは思わないのかしら?飲みやすくして欲しいわ。


 ぶつぶつ文句を言いながらも仕方なくコップに少しだけ注ぎ、目をギュッと閉じて一気に胃に流し込んだ。


「まっずっ」令嬢としては、はしたない言葉。


 だけどやっぱり不味いものは不味い。


 急いで水を大量に飲み、なんとか不味さを誤魔化した。


「ふー、こんな風に誤魔化しながらあとどれくらい頑張れるのかしら?」


 一息ついて、だるい体を動かす。


 クローゼットの天板を一枚外し、そこから一冊の古い日記を取り出した。


 お母様がわたくしのために残してくれた日記。


 この日記は、先ほどのお医者様がわたくしに手渡してくれたもの。


 ほんの半年前に受け取った。わたくしの病気がわかった時に……先生は言った。


「これはお嬢様のお母様から頼まれてお預かりしていた日記と手紙です。もしも……同じ病に罹ってしまったら、その時は渡して欲しいと頼まれました。出来れば渡さずに終わることを祈っているのだけど……と公爵夫人は悲しそうにされておりました」


「お母様はわたくしも同じ病に罹るかもしれないと心配されていたのね」


「………遺伝により女性が罹りやすい病なのです。と言っても珍しい病気で……近年では症例もあまり聞いたことがないのです。わたしもお母様自身に聞いてからその病気のことや症状を調べて知ったくらいです」


「わたくしがしでかした事への罰かしら?でもそれならお母様が罰を受けるなんておかしいわよね?」


 先生は首を横に振った。


「お嬢様……ご自分を責めないでください。あれはお嬢様がしでかしたことではありません。全ては殿下が……いえ、もう終わったことですよね」


「そうよ、もし誰かが聞いていたら……先生が大変なことになるわ。もう全て終わったことなの」


 わたくしと殿下の婚約はわたくしの過失で婚約破棄になったの。そう決着はついているんだもの。


 日記を触りながら先生からこの日記をもらった日のことを思い出していた。


 お母様からの手紙は………



 《 ーー愛するブロアーー

 あなたがこの病に罹ってしまった事、そして今のわたくしでは助けてあげられない事、許してください。残りの人生を少しでもあなたらしく生きていけるようにわたくしはこの日記を託します。

 そして、あなたがこの病に罹った頃には、特効薬が見つかることを祈っております 》


 わたくしが幼い頃に亡くなったお母様。その頃はお父様もお兄様もわたくしに優しかった。


 みんなでよく笑い合うどこにでもいる家族だった……はず。


 お母様の突然の死は、家族の在り方を変えてしまった。


 お父様は公爵家当主として領地を守り宰相として国を守るのが忙しくわたくしを避けるようになった。


 お兄様はわたくしより6歳年上で、お母様が亡くなった時にはもう屋敷を出て寮で暮らしていた。


 初めはお二人ともただ忙しいのだと思っていた。だけど……お母様にそっくりなわたくしに会うことをお二人とも嫌がって避けられるようになったのだと後で知ることになる。


 そう、わたくしがまだ6歳の時……お母様が亡くなって屋敷で一人取り残されて使用人達との生活が始まってから半年も経たない頃だった。


 お母様の専属の侍女だったサマンサがわたくしの世話をすることになった。



 その侍女はお母様を敬愛していたのだろう。お母様にそっくりなわたくしが、お母様のように優秀ではないことに呆れて、世話と言う名の折檻を受けるようになった。


『奥様は幼い頃からお勉強がとてもお出来になりました』

『ダンスもピアノもすぐに上達される優秀な方でした』

『刺繍はとても繊細であのお年で素晴らしい刺繍を刺されると評判でした』


 そう言いながらわたくしの出来の悪さに、罰として鞭で太ももを打つのがサマンサの楽しみだった。


『お嬢様、スカートを上げてお立ちください』


 ビシッ!


 痛くて『い、痛い』『やめて』と言えば、さらに叩かれた。


 涙を流すと『みっともない。令嬢はそんな簡単に涙を流さないものです。奥様はどんな時でも笑っておられました』と言って、さらに叩かれた。


 泣いても声を出しても鞭で叩かれた。


 太ももは真っ赤に腫れた。


 だけど、サマンサはうちの屋敷で一番古い使用人なので誰も逆らえなかった。


 だからわたくしの足がどんなに傷だらけでも誰も助けてくれなかった。


 それを助けてくれたのが、サイロだった。

 まだ新人の騎士として入ったばかりのサイロは、みんなが暗黙の了解でわたくしがサマンサに虐待されていても知らんふりしていることを知り、お父様がいる王城へ行って報告してくれた。


『俺入ったばかりで怖いもの知らずだったから突撃して旦那様にお嬢様のこと伝えたんだ』


 ヘラっと笑ってわたくしを助けてくれた。


 お父様に助けてもらうなんて考えてもいなかった。だってあの侍女はわたくしにずっと言ってたから。


『あなたは旦那様からも坊っちゃまからも嫌われているんです。だからお二人ともこの屋敷には帰ってこないでしょう?捨てられたのですよ』


 呪いの言葉はあの侍女が居なくなってもまだわたくしの心を支配している。


 だって、お父様はサマンサを首にはしたけど、「大丈夫か?」とか「辛かっただろう?」なんて言ってはくれなかった。


『公爵令嬢たる者が、これくらいのことも自分で解決できないのか?』


 冷たい声だけがわたくしの頭の中に今も残っている。


 わたくしには頼れる人はいないのだと思うことにした。心を許せるのは唯一わたくしのために動いてくれたサイロだけだった。

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