EP2 廃村の儀式
[廃村の儀式]
とっくの昔に人がいなくなったはずの村で今も謎の儀式が行われていると言う事象が観測された。外から人を招き生贄とすることで何かを呼び出しているのだという。
――――――
「確かこの辺りのはずですが……」
一面田んぼしか無い田舎道を歩く一人の少女。彼女の名は小泉藍。オカルト同好会の会長であり、重度のオカルトクレイジーである。そんな彼女が何故こんな田舎道を歩いているのか。
彼女を知る者なら誰もが口を揃えてこう言うだろう。『怪異絡みに決まっているだろう』……と。
「おや、あれでしょうか。……噂通りの廃れ具合。良い感じに怪異の匂いがしてきますね」
藍の視線の先には廃村の入り口があった。そこは雑草が生い茂っており、もう何年も人の手が入っていないのは確実だろう。しかし彼女はそんな状態の入口には興味を示さず村の中へと突き進んでいく。
そしてそのまま数分程歩いたところだろうか。朽ちかけた建物が彼女の前にいくつもその姿を現したのだった。
「これは……建築技法的に大戦よりも前のものでしょうか。それほど昔ともなれば面白そうな風習などもありそうですし、これは中々期待できますね」
藍は建物を見て回りながら表情を緩ませる。古びた建物を見ながらニタニタしているその様子は、傍から見れば変人でしか無いだろう。実際変人ではあるのだが。
彼女の言う通り、この村は数百年前に廃村となったとされる場所だ。何故そのような場所が開拓されることも無くそのまま残されているのか。それはこの村に伝わる噂が関係している。
かつてこの村で行われていた生贄の儀式……その際に召喚された『何か』が今もこの村に残っていると言い伝えられているのだ。その影響によるものか、はたまた偶然か。この村を解体しようとする工事業者が軒並み事故に遭っているのだ。
それだけでは無く、その何かは今も外から生贄を呼び込みさらなる召喚を行おうとしているとの噂も出回っている。尤もその噂は誇張されたものでは無いかと言われてはいるのだが。
そんな一癖も二癖もある村であるこの場所をオカルトクレイジーである藍が見逃す道理は無かった。
「これは石碑……でしょうか」
そんな彼女は村の中で雑草だらけの風化した石碑を発見したようで、その内容を確認していた。
石碑には蛇とその周りを囲む人々が描かれており、祀られているのだと言うことは誰が見てもわかるものだった。
「蛇……それも崇拝対象でしょうね。ですが今となっては村人もおらず信仰も無いのでしょう」
藍はそう言うと手を合わせ、少しの間目を閉じるとその場を後にしたのだった。
「さて、一通り見て回った感じだとただの廃れた村と言った印象ですが……。やはり本命は真夜中……でしょうか」
村を一通り見終えた藍はそう言って、村の外れの茂みにテントを張ったのだった。
「そいやっ。おお、本当に簡単にテントが完成しましたね」
藍が投げたのは投げるだけで女性でも簡単にテントが張れるという便利グッズだ。彼女が好奇心に負けて買ったものの使うタイミングも無く押し入れの中に仕舞っていたそれは、今こうして廃村で夜を過ごすために使用されたのだった。
正直なところ便利グッズにはいささか荷が重すぎる初任務のような気もするが、そんなことを彼女が気にすることは無いだろう。
そうして日も暮れて、夜の闇と静寂が辺りに満ちて行った。それから少し経った頃、突然車の駆動音とそこから放たれるライトが村の闇と静寂を打ち払ったのだった。当然藍も気付かないはずは無く、テントから出て音の方を確認する。すると、その方向から数人の男女が歩いてきていた。
「ここだな噂の廃村ってのは。ひゅー、雰囲気たっぷりじゃねえか」
「少し……いやめちゃくちゃ怖いんだけど、本当に大丈夫なの?」
「まあまあ。噂だとか幽霊だとか、そう言うのは基本的に非化学的なモンだからな。雰囲気に飲まれなきゃあ大丈夫だって」
まず先頭に青年が一人。その後ろで震えながら歩く少女が一人。そしてその震える少女を安心させようと言葉をかける女性が一人。計三人が村の中へと入って来たのだった。きっと時期外れの肝試しにやってきたのだろう。時期外れとはいっても、別に肝試し自体はいつやったって問題は無いものだ。
……ただ、タイミングは良くなかった。何しろ今この村にはオカルトクレイジーがいるのだ。しかしそれが何故不味いのか。
それは……。
「やあやあ皆さん奇遇ですね」
「ウワーッ!? オ、オカルトクレイジーが何でここにいんだよ!?」
彼らが藍と同じ高校の生徒であり、クラスメイトだったからだ。現に、こんな状況で出会いたくない人物ランキング堂々一位に出会ってしまった彼らはひたすらに戸惑っている。だが当の本人である藍はそんな様子を気にも留めず話を続けた。
「まさかこのような場所で出会うとは。もしかして皆さんも怪異に興味がおありで?」
「そんな訳あるか。ただ単に肝試しに来ただけだ。怪異がどうとかじゃなくて、ちょっとスリリングな体験が出来ればそれで良いんだよ」
「あら残念です。オカルト同好会に勧誘しようと思ったのですが、その雰囲気だと新入部員になってはくれなさそうですね」
藍の言うように三人共露骨に嫌そうな雰囲気を出している。何があっても関わりたくは無いといった様子だった。
「……ねえ、小泉さんがいるってことはここ本当に不味い場所なんじゃ無いの?」
「い、いや……怪異なんて非科学的な物、存在するはずが」
「存在しますよ」
「ヒィッ!?」
怪異なんて存在しないという言葉を藍は食い気味で否定した。そのあまりの勢いに、ただでさえ震えていた少女はさらに恐怖心を露わにしたのだった。
そんなこんなありながら四人が村の中を歩いていた時のことだ。
「あ……? ライトが……」
「な、何!? ライト早く付けて!!」
先頭を歩いていた青年の持っているライトが突然消えたのだ。
「いや違うんだって、スイッチを押しても点かねえんだよ。んー? 電池は交換したばかりの新品のはずなんだがな……」
青年が何度もスイッチを押す。しかしライトは一向に点灯する気配が無い。一度は電池切れを疑うものの、新品を使っているためそれも無い。となればその原因として行きつくのは怪異しか無いだろう。
「ついに来ましたね」
「な、なんでそんなにワクワクしているんですかぁ……」
恐怖に飲み込まれている少女とは対照的に、怪現象を前にした藍のテンションは目に見えて上がっていた。
「と、とりあえずスマホで照らすか」
「うーん、やめておいた方が良いと思いますよ」
「だがこのままじゃ足元も……」
「向こうにいる『何か』に気付かれても知りませんよ?」
「……は?」
藍は細く色白な指で一点を示す。そこにはモゾモゾと動く影があった。輪郭はぼやけているものの、よく見れば人型だとわかる。しかし動きが明らかに人のソレでは無い。関節と思われる部位が明らかに曲がってはいけない方向に曲がっているのだ。
「ヒィッ!?」
「お、おい声を出すなッ」
「大丈夫みたい……だな?」
どうやら少女の悲鳴は影には届かなかったようで、複数の影は変わらず不規則な動きを続けているのみである。
「にしても何なんだアレは……」
「この村の噂が事実であれば、恐らく儀式によって召喚された『何か』でしょうね」
「そ、そんな非科学的なことが……」
「でも実際に目の前で起こっている事です。現実を受け入れましょう」
「あぁ、嘘だ……そんなことが……あああぁぁあ!?」
先ほどまで怪異を否定していた女性も非現実的な光景を直接見てしまってはどうしようもないようだった。そのせいかパニックになった彼女は大声を上げながら車の方へと走っていく。
「……!」
「おい、アイツこっち見てやがるぞ!」
「これは……不味そうですね」
「不味そうですねじゃねえ! 俺たちもさっさと逃げるぞ!」
先に逃げて行った女性を追いかけるようにして三人も走り出す。影も完全に藍たちに気付いたようで彼女らに向かって来ていた。
「うあっ!」
とその時、一番後ろを走っていた少女が転んでしまう。影との距離もそう長くは無く、このままでは確実に良くないことが起こるだろう。
「あ、足が動かないっ!? ま、待って!」
「……待ってろ!」
恐怖によって動けなくなったのか少女は何度立ち上がろうとしても上手く立ち上がれない様子だ。それを見た青年が少女の元に駆け寄っていく。そして少女を背負い再び走り始めた。
「あ、ありがと……」
「感謝の言葉は無事に帰るまでとっとけ」
青年の足は決して遅くは無いが、やはり少女一人を抱えた状態では限界があるようだ。現に影との距離が少しずつ縮んで行っている。
「……はぁ、流石に見過ごすわけには行きませんね。メブキさん、少しだけ力を解放してくれませんか」
「……良いのか?」
「見られないように少しだけであればまあ問題は無いでしょう」
「心得た」
藍の影からほんの少しだけ顔を出したメブキはこれまた少しだけ出した腕から小さな雷を発生させて影へと放った。そうやって雷を受けた影はいきなりの攻撃に怯んだのかその動きを一瞬止め、その隙に藍たちは車へと逃げ切ることが出来たのだった。
「出して早く!」
「待ってくれ鍵が……!」
女性は焦りと恐怖で手が震えているようで、鍵を上手く刺せずにいた。ホラー映画定番の車を発進できない現象が起こっているのだ。しかし直接的に怪異によって起こされているものでは無いためか、藍はこれに対して特に興味を示すことは無かった。
ここからわかるように彼女は怪異に対して異常なまでの執着を持っているだけであり、単にオカルト系全般が好きという訳では無いのだ。これが単にホラー映画好きであればこのシチュエーションに興奮したりするのだろうが、生憎と彼女はホラー映画にそこまで思い入れがある訳では無い……のだが。
「何だ、エンジンがかからない!?」
「おお?」
エンジンがかからないとなると話は別だった。鍵が刺さらないのはただ単に手の震えだとかそういった人為的な要素によるものだろう。しかし鍵を刺した後にエンジンがかからないと来れば怪異の影響が考えられるのだ。
「これは紛れも無く怪異によるものではありませんか……!?」
「なにワクワクしてんだよ!?」
藍の呼吸が荒くなっていく。と言うのも影を発見した時から彼女はその興奮をかなり頑張って抑え込んでいた。それなのに今こうして更に怪現象が畳みかけて来たのだ。当然だがオカルトクレイジーである彼女が普通でいられるはずが無い。
「はぁ……はぁ……怪異……!」
「な、何!? 小泉さん、もしかしてもう憑りつかれてる!?」
「いやコイツは元からこんなんなんだよ。オカルトクレイジーの小泉藍。まさかここまでとは……ってそんなことは良い。エンジンはまだかからないのか?」
「それが何度やってもダメなんだ……」
女性は何度もエンジンをかけようと奮闘していたが、どれだけ鍵を回してもエンジンがかかる様子は無かった。
「やはり怪異の影響ですよこれ!」
「うるせえ、頼むからアンタは黙っててくれ……っておわっぁああっぁ!?」
興奮状態の藍に対してとにかく黙るように言った青年だったが、その時に窓の外にいる影を見てしまったようだ。
「ひぃっ!? やめてください! 許してください!」
車の窓を叩く音。バンバンと強く叩くその音が少女の精神を蝕んでいく。時間が経つたびにその音は数を増やしていき、今ではそこら中から叩く音が鳴っていた。そんな状態となれば車内がパニック状態になるのは想像に難くない。
ただひたすら謝り続ける少女に、影に対して罵声を浴びせ続ける青年。そして放心状態になった女性と散々だ。
では藍は平静を保っているかと言うと……そう言う訳でも無い。興奮状態となった彼女は恍惚の表情でただ笑い続けている。これではどちらが怪異かわからない。こんな存在が車内にいると言うのも、彼らを狂わせた理由の一つなのかもしれない。
「ふふっ……ははははっ……!」
車内の誰よりも大きな声で笑う藍。その声は一晩中止むことは無かった。
――――――
「んぅ……もう朝でしょうか……? っと、これは……」
目を覚ました藍の視界にまず飛び込んで来たのは、自身に抱き着いている少女の顔だった。吐息が当たる程の距離にあるそれは色白で小さく、とても整っている。まさしく美少女と言ったものだろう。
「ふむ。あまりの恐怖に無意識に私に抱き着いたのでしょうか。それはそれで興味深いですが……いえ、今はそれどころでは無さそうですね」
藍が外を確認する。彼女はそれなりの時間寝ていたはずなのだが、それにも関わらず辺りは真っ暗のままだった。まだ夜が明けていないのだ。しかし影が姿を消していたのは幸いだろう。
彼女にとって幸いかどうかはわからないが。
「さてどうしましょうか。これ、村の中で何かしないと夜が明け無さそうですね。というよりそもそも村の外に出ることも出来なさそうです」
「んにゃ……ふぁ……?」
「おや、目が覚めましたか?」
「……はっ!」
自分の置かれている状況に気付いたのか目覚めた少女は頬を赤らめながら藍から離れた。
「ご、ごめんなさい……別に変な意味とかは無くて……」
「変な意味……とは?」
「……っ!? ち、違うの! 変な意味とかそういった事じゃなくて……ええっと……!」
寝起きであることも相まってか少女は頭が上手く回っていない様だった。
「その、小泉さんが奇麗だとか可愛いだとかそういうこととかじゃ全然無いから……!!」
「全部自分で言ってしまっていますね……ですが」
藍は慌てふためく少女の耳元で囁く。
「貴方がその気なら、私は構いませんよ」
「ひゃひゃいぃぃ!?」
「ふふっ、初心な反応ですね。まあ恐らく吊り橋効果と言うものでしょう。勘違いしてしまっているだけです」
藍のささやきをゼロ距離で浴びてしまった少女は素っ頓狂な声を上げて、耳まで真っ赤にしながらバタバタと手足を暴れさせた。その振動のせいか青年と女性も目を覚ましたようだ。
「ぅあ……寝ちまってたか……?」
「……あれ、ここはどこだ?」
「村の中ですよ。それに夜も明けていません」
「マジか……って、どうしたんだそんなに真っ赤になって」
「ふぇ!?」
青年にそう言われ、少女は再び素っ頓狂な声を上げた。
「べ、別に何でも無いよ……!」
「そうか、まあそれなら良いんだが……。にしてもこの状況かなり不味くねえか?」
「私はエンジンがかからなかったところくらいまでしか覚えていないんだが、その後何があったんだ?」
「良くも悪くも特に何も起こってねえ。パニックになって気付いたら寝ちまっていたみたいだ」
「そうなのか……って、それじゃあ私は異性と一夜を明かして……!」
女性の顔が引きつっていく。
「待て待てこれ以上パニックになるな収拾がつかなくなる。それにまだ明かしちゃいない。そうだろ?」
「そうですね。どういう訳か夜は明けていないようです。それなりの時間寝ていたような気はするんですけどね」
流石にここからもう一度車内がパニック状態になるのは控えたかったのか、青年と藍の二人はアイコンタクトで互いの意図を汲み女性を抑え込むように動いた。
「ああ、そうか。まだ明かしてはいないのか。……いや一夜を共にってそういうモンなのか?」
「そういうものですよ」
「そうか。そうなのか。ああ良かった。嫁入り前の女が異性と一夜なんて洒落にならないからな」
女性は単純だった。良い感じに二人に言いくるめられたことによって車内が再びパニックの渦になることは避けられたようだ。
「さーてこれからどうすっかね。エンジンはかからないんだもんな?」
「……うん、そうだな。何度もかけようとしているけどダメみたいだ」
「そうか……。となるともう……徒歩?」
「徒歩!? い、嫌だ……こんなところを生身で歩くなんて……!」
「ですが車が動かないのですから、もうそれ以外は方法がありませんね」
「そんな……」
その後も四人は話し合ったものの、結局車から降りて徒歩で村を出るという案が通ったのだった。
「うぅ……絶対手を離さないでね……」
「そんなに心配しなくても大丈夫ですよ」
藍の手を固く握る少女は震える声でそう言う。そんな少女を藍は少し愛らしく感じていたのだが、今この状況でそれを言っても仕方が無いというのはわかっていた。それにパニックを助長する可能性があることも彼女にはわかっていた。
なんだかんだでそう言ったところの分別は付いているのだ。
「あれ……俺たちタイヤの跡を伝って歩いて行ったよな?」
「確かにそのはずだが……これは一体……」
「え? 何? 何かあったの?」
「俺たち……車に戻っていやがる」
村の入り口を目指し、タイヤの跡を頼りにして歩いていた藍たち。しかし気付けば四人は車の元に戻ってきていた。
とは言え彼らは確かにタイヤの跡を伝って歩いていたのだ。村に入る時に出来た跡なのだからそのまま進めば村から出られるはずだろう。
しかし実際はそうはならなかった。何故か反対側から戻ってきていたのだ。
「ほう、これはまた結界系でしょうか。ですがこの規模……あの時よりも遥かに強力ですね」
以前藍が巻き込まれた怪異である『存在しないバス停』も結界系の怪異であった。だが今回のこの怪異はそれよりも遥かに大きな規模で結界を張っていると考えられたのだ。そんなものを前にすれば彼女が興奮を抑えられるはずも無い。
「ふふっ、面白くなってきましたね」
藍の表情が再び蕩けて行く。おおよそ人に見せてはいけないような笑みを浮かべながら、彼女は一人離脱して村の奥へと歩みを進めて行くのだった。
「藍よ、彼らは放っておいて良かったのか?」
「ええ、あれだけ派手に動いて何も無いんですからきっと大丈夫でしょう」
「だが何も言わずに離れたのは不味かったのではないか?」
「それもそうですね。不本意ですが早めに終わらせるとしましょう」
藍はそう言って足早に村の奥へと向かった。
「……予想通りありましたね」
村の奥、建物も無い鬱蒼とした木々の中にそれはあった。赤い何かで描かれた魔法陣のようなもの。未知の言語で描かれたその輪の中心にはかつて人だったと思わしき物体が転がっている。
「召喚術式……それも人類の文明形態とは全く違うものですね」
「お主、わかるのか!?」
「いえ、言ってみただけです」
「……期待した我が間違いだったわ」
表情一つ変えず冗談を言う藍にメブキは落胆した。彼女は時折こうして冗談と思えない冗談を言うのだが、そもそもオカルトクレイジーである彼女の言葉をそこまで信用する者は少ないため特に目立って問題は起こっていないのだった。
「しかし厄介ですね」
「厄介とは?」
「魔法陣の中心に転がっているということは、恐らくこの亡骸が召喚を行った術者なのでしょう。であれば召喚された何かは術者を失い、今現在暴走状態になっているでしょうね」
「そうなのか……うん? 術者が魔法陣の中におるのか?」
「どうかしましたか?」
頭の上にハテナマークでもあるかのような表情と声色でメブキはそう尋ねる。
「こういうのは召喚された者が中心に現れるのでは無いのか?」
「そうですね。最近の創作作品における描写だとそういうものが多いですが、今回の場合魔法陣は術者を防護するための物の様です。それだけ危険な存在を呼び出したということでもあるのでしょう」
「なるほどのぅ。って、そんな危険な物が呼び出されたのは色々と不味いのではないのか!?」
「そうでしょうね。ただ、そうして召喚された者も無限の力を持つわけでは無かった。だから今でも何らかの力を使って生贄を呼び出しているのでしょう。そう、彼らのような……ね」
「……まるで自分は対象外だとでも言いたそうな顔じゃな」
メブキの言うように、藍は「自分は違いますけど」といった雰囲気を醸し出しながらそう言った。どれだけ取り繕ったところで彼女もこの村を訪れた以上はその呼び出された生贄であることに変わりは無いのだが。
「まあそれはそれとして、力を失っている今こそ狙い目かもしれませんね」
「おお、戦おうと言うのじゃな」
「ええ、このまま放っておいても何をしでかすかわかりませんから。被害が大きくなる前に私たちでどうにかしてしまいましょうか」
「よし、やってやろうぞ!」
メブキは腕まくりをしながら元気に飛び跳ねる。今回の怪異は力を発揮出来そうな相手ということもあり、いつも以上に活気づいているようだ。
「と言ってもその召喚されたものが見当たらないのだが?」
「そうですね。あの影も出来る限り力を使わないために作られた端末の様ですし、本体はどこかにとどまっているのかもしれませんね」
「ではまずは探すところから……む? 藍よ下がっていろ」
二人が動き出そうとした時、メブキが何かに気付いたのか藍を自身の後ろに下がらせた。
「お主、何者だ?」
誰もいない空間へ話しかけるメブキ。すると目の前の木の後ろから狐のような耳としっぽを持つ少女が姿を現したのだった。
「あらあら、気付いてしまわれましたか」
「その気配……人間では無いな」
「あの耳としっぽがあるのですから人では無いのでは?」
メブキの後ろから藍がそう言う。確かに獣耳としっぽが付いていたら人間では無いだろうが、もしかしたら深夜にコスプレをしながら噂の廃村にやってきた狂人の可能性もあるのだ。
実際藍もそう言った狂人の内の一人であるために一切の可能性が無い訳では無いだろう。
「むぅ、確かにそうだがそうでは無くてだな。あの者の纏う霊力……どちらかと言えば妖と言うより神に近いのだ」
メブキの口から出た霊力と言う言葉。文字通り霊的な力であるそれは怪異を始めとした非科学的な存在などが非現実的なことを行うために必要とするものであった。その霊力が神のソレに近いとメブキは言っているのだ。
「神……ですか」
「神だなんてそんな、わたくし程度の者にはもったいなきお言葉ですわ。まあ確かに、わたくしは付喪神ではありますが」
「ほう、それは興味深いですね」
「でしょう? さあ、もっとこちらに」
迂闊にもメブキの後ろから出て付喪神と名乗る少女に向かって行く藍。だがそれをメブキは制止した。
「待つのだ藍」
「まあ、そうなりますよね」
「くふふっ、残念です。もう少しでその濃密な霊力をわたくしの物に出来たというのに……ですが貴方がその気なら力づくと言うのも悪くはございませんね」
「っ!!」
少女は一瞬にしてその場から姿を消した。かと思えばいつの間にかメブキの真横に並んでいた。
「今のを目で追えるだなんて貴方も中々ではありませんか。ではこれはどうでしょうか」
「くっ調子に乗りおって!」
少女は再び姿を消した。今度はすぐには姿を現さず言葉だけを辺りに響かせている。
「あらあら、これは流石に無理でしたか」
「お、おのれ……」
「メブキさん、右です」
「むっ!?」
藍がそう言うと同時にメブキは右に向かって防御姿勢を取った。するとそのすぐ後、少女が右側からメブキに向かって蹴り攻撃を仕掛けたのだった。
「貴方様は見えていたのですね。くふふっ、やはりわたくしの目に狂いはありませんでした。これならば今すぐにどうこう……ということは無さそうですね。それではわたくしはこれで」
「逃がすか!」
メブキは少女を追って行くがその差はどんどん離されていく。
「あ、言い忘れておりましたがこの村の怪異は既にわたくしが対処いたしました。ここで貴方様を失う訳にも行きませんからね。それでは今度こそ退散するといたしましょう」
そう言って少女は完全に気配を消した。
「……すまぬ藍よ。取り逃がしてしまった」
「気にしなくても大丈夫ですよメブキさん。あの方とはそう遠くない内にまた出会えるでしょうし」
「……あの者はお主に興味があるみたいだからな。それに濃密な霊力とも言っていた。やはりお主のその異常な霊力は……」
「さて、それでは彼らの元に戻りましょうか。あの方がこの村の怪異は対処したみたいですし」
メブキの言葉を遮るようにして藍は歩き始めた。
「それにしても少し残念です。せっかくなら召喚された物も見てみたかったんですがね」
「途中から影が現れなかったのもそのためであろうな。ただ、それだとこの村の中に閉じ込められたのが疑問だが……」
「恐らくですが、村の中に閉じ込められていたのはあの付喪神の方の力でしょうね。私に興味があったみたいですし、私を外に出さないようにして接触する機会をうかがっていたのではないでしょうか」
「なるほどな。そこであの者の思い通り我らは別行動をとってしまったと」
「そういうことでしょうね。まあどちらにせよ解決しなければ外には出られなかった訳ですし、結果オーライですよ」
藍はにっこりと笑い、サムズアップをしながらそう言う。先程まで異常な存在に狙われていたとは思えない程に楽観的である。
「本当に心配じゃ……」
それを見たメブキは心底不安そうな表情を浮かべていた。
そうして二人はしばらく隣り合って歩いていたのだが、遠くに車が見えて来たところでメブキは藍の影の中へと潜っていった。青年たちに異形であるその姿を見られると不味いからだ。
……しかし青年たちの姿は車の周囲には無かった。
「おや? 彼らはどこに……」
「……不味いぞ藍。先ほどまでとは別の怪異の気配がする」
メブキはそう言いながら藍の影から顔を出す。
「……これは少し困ったことになりましたね」
「その通りでございますね」
「うぉっ!? お主どこから現れおったのだ!」
いつの間にか先ほどの少女が藍の隣に立っており、メブキは思わず大声を上げていた。
「お、お主! 変な動きをした瞬間にどうなるかわかっておるのだろうな!?」
「ええ、わかっていますとも。ですが今はそんなことをしている場合では無くなってしまいました」
「……何だと?」
「メブキ様も気付いておられるでしょうが、新たな怪異が現れたのです。それも先程までこの村にいた物よりも遥かに強力なものが」
「やはりそうだったか。で、何故お主はここに?」
「えっと、まことに恥ずかしながらわたくし……ただいま霊力を切らしておりまして……。その、助けていただければなー……と」
先程あれだけ好き放題にしまくっていたこともあってか付喪神を名乗る少女は羞恥により頬を赤らめている。そんな情けない状態になりながらも彼女は恥を忍んで二人に助けを求めたのだった。
「うーむ、何ともまあ……まぬけな奴だのう」
「うぅ……こればかりは何も言い返せませんね。ですが今までここにいた怪異を対処したのは事実ですので、そこはお忘れなきように。まあそのせいで霊力を使い切ってしまったのですけど……」
付喪神の少女は頭部の狐耳を倒し面目無さそうにそう呟いた。耳と同じように彼女の感情が反映されているのか尻尾もだらりと垂れている。
「はぁ……それで、お主は何者なのだ? 付喪神にしてはかなり強い力を持っているようだが」
「くふふっ、そうですね。いつかは藍様をいただくものとして自己紹介をしませんと」
「待て、今何と?」
「藍様をいただく者……と言いましたが何か?」
途端に辺りの空気が重くなった。
「大きく出たな。我を前にしてその発言をするとは……覚悟は出来ておるのか? やはり助ける必要などないようだ」
「あらあら、血気盛んですこと」
メブキと少女は互いに睨み合いながら殺気を放っている。そんな二人に割り込むように藍が口を開く。
「二人共そこまでです。ひとまず今は強力関係を築きましょう。この村に何が起こっているのかわからない以上は動ける者が多いに越したことはありませんから」
「貴方様がそう言うのならば、わたくしは従うまでですとも」
「むぅ……わかった。決着はまたの機会としよう」
二人は共に殺気を消し、一触即発の空気感も無くなった。
「では改めて。わたくしはツクモと申します。元々はとある神社の狐の像だったのですが……藍様がわたくしにお手を触れた瞬間、その濃密な霊力がわたくしを付喪神にまで押し上げたのです」
「そう言えば幼い頃、神社に行った時に狐の像を触りましたね。何かが『いる』とは思いましたが、あれは付喪神だったのですね」
「な!? 我知らないぞそれ!」
藍の口から語られる自分の知らない出来事にメブキは動揺していた。
「あの頃はまだメブキさんと出会う前でしたからね」
「ではわたくしの方が藍様との関係が長いという事ですね? やはりメブキ様よりもわたくしの方が……」
「その先を言ったらどうなるかわかるな?」
「……じょ、冗談ではございませんか」
メブキに三本の腕を向けられた少女は咄嗟にそう取り繕った。
「それにわたくし、今は霊力を切らしておりまして。貴方様の考えるような変なことも一切出来そうに無いのですよ」
「それはそうだが……」
「心配しなくとも、私はメブキさんの事が一番大事ですよ」
藍はそう言ってメブキの頭を撫でる。すぐそばにツクモがいるのにも関わらずだ。
「んぅっ……撫でるのは良いが、この場には今このツクモとやらが……」
「……勝てそうにありませんねこれは」
二人には聞こえない程の小声でツクモはそう呟く。嫌味でもなんでもなく、心の底からそう思っているようだった。
「さて、貴方があの時の付喪神なのはわかりました。ですがあの神社はここからかなり遠いはずです。なのに貴方は何故ここにいるのです?」
「それはもう貴方様を追いかけて、はるばるここまでやって来たのですよ。あの時は突然力を得たことに驚き貴方様を見失ってしまいましたが、先ほどやっと見つけ出したのです。このような廃村で対面することになってしまったのもきっと何かの運命でしょう」
ツクモは耳としっぽをピョコピョコと動かしながらそう言う。彼女にとって藍との再会はそれだけ嬉しいことなのだろう。
「ふむ。ただの偶然と切り捨てるのは簡単ですが、オカルト同好会の会長としてそれは出来ません。何かしらの縁のようなものなのでしょうか」
「藍よ。いまさら言うのもどうかと思うが、この者はお主の霊力を我が物にしようとか言っていたのだぞ。あまり親しくするのは危ないのでは無いか?」
「それはその、言葉の綾でございますわ。確かに藍様の霊力を我がものにしたいというのは事実ですが……それだけでは無いのです」
ツクモは急に藍に近づいた。そしてそのまま藍の顔を両手で優しく掴み、自身へと近づけて行く。何故か藍も抵抗する素振りは見せなかった。
「わたくしは一目見た時から貴方様の事が好きだったのです……」
「おい、そこまでにしておくのだな」
あと少しで二人の唇が触れるという所でメブキが止めたのだった。
「あらメブキさん焼きもちですか?」
「ち、違う! いや違くは無いが……ってそうじゃない。怪異と思われる気配が強くなっているのだ。恐らく近くにいるぞ」
「……残念ですがここまでといたしましょうか。くふふっ続きはまた今度じっくりとさせていただきましょう」
「ではお待ちしておりますね」
「お主、我を裏切る気か!?」
メブキの心配などよそに、藍自身はウェルカムなようだ。
「怪異とそう言う関係になるのも面白そうじゃありませんか」
「ぐっ……そうだったな。藍はそう言う奴だったわ」
「おや? あそこにおられるのは藍様のご学友の方だと思うのですが……」
ツクモはそう言って森の奥を指示す。確かにそこには先ほどまで藍と行動を共にしていた青年たちがいた。しかし何か様子がおかしかった。生気の無いような、どこか人では無いような動きをしていたのだ。
「むっ、確かにそうだが……何故あのような場所に」
「それに何か歩き方がおかしいですね。こんな場所でわざわざゾンビのような動き方をするのはいかがなものかと」
「お主に言われると何かこう……いや良い」
『どの口が?』とでも言いたそうな顔でメブキはそう返した。
「失礼ですね。いくらオカルトクレイジーな私でも時と場所はわきまえますよ。それに足場の悪い森の中であのような歩き方をしたらまず間違いなく怪我をします」
えらく現実的な理由を絡めて否定する藍。実際問題として森や山の中で変な歩き方をするのは危険であるために、彼女は決して間違ったことは言っていないのだ。普段の奇天烈な行動と思考が無ければメブキもそれで納得していただろう。
「ふむ、何かしらの洗脳だとすると彼らの向かっている先に何かがいるということでしょうが……」
「我らの手に負える存在なのかどうかが心配……であろう? 心配はいらぬ。我がいるのだ。何も問題は無かろう?」
「それもそうですね。では行きましょうか」
「えっ? もうちょっと躊躇いとかはなさらないのです?」
二人の判断があまりにも即決過ぎたため、ツクモは思わずそう叫んでいた。
「どこに躊躇う必要があるのだ?」
「その、とても強い怪異だったら……とか、もしもの時はどうする……とか色々考えることもあるのでは……」
「それは……まあその時考えれば良いだろう」
「ですね」
「えぇ……。わたくし、ひょっとして助けを求める相手を間違えてしまったのでしょうか」
ツクモは不安そうな顔をしながらも楽観的で脳筋過ぎる二人に付いて行くのだった。というより霊力を切らしている彼女は付いて行くことしか出来なかった。
そうして青年たちを追って森の奥へと進んでいく三人。その途中でメブキは何か違和感を覚えたようだった。
「……なあ藍よ。この村、昼間見て回った時からこんなに広かったか?」
「そうですね。私も不思議に思ってました」
藍も同じように疑問に思っていたようだ。とは言え彼女がそう思うのも無理は無いだろう。何しろ昼間彼女がこの村を回った時は一周するのに二十分もかからなかったのだ。それに対して今こうして三人が歩いている道のりは明らかにそれを超えていた。
一周回る時間よりも直線的に進む時間の方が長いなど普通はあり得ない。だが、そういったありえないことを可能にするのが怪異だった。
「同じところを何度も繰り返し通っている訳では無いようですね」
「うむ。どちらかと言えば、空間そのものが広がっているような感覚があるな」
「あ、その件で一つ。貴方様を閉じ込めるために先程までこの村に結界を張っていたのはわたくしですので。この現象とは切り離して頂ければ幸いです」
「やはりお主のせいだったのか! っと今はそれどころでは無いな」
ツクモは二人に割り込むようにして自分の張った結界について話した。それに対して強めに反応するメブキだったが、流石に状況が状況だからかすぐに冷静になったようだ。
そんな時だった。
「二人共止まってください」
前を歩いていた藍が動きを止め、同時に後ろの二人に止まるように促したのだ。
「おっと、どうかしたのか?」
「おや、あれは……」
藍とツクモの見る先には青年たちがいた。しかし、先ほどまでとは違いピクリとも動かない。まるで石にでもなっているかのように。
「おお、あいつらやっと止まったのか。では今の内に……いや、これは……」
好機とばかりに青年たちの元に向かおうとしたメブキだが、即座に何かを感じ取ったようで停止した。
「ついに姿を現しましたね。召喚された『何か』が……!」
藍は興奮を隠せずにいた。当然だ。青年たちの前に、巨大な異形の生き物が鎮座していたのだから。
その異形の生物は数十本はあろうかと言う触手をまるで手入れでもしているかのように常に忙しなく動かし続けている。また、それぞれの触手の先端には蛇のような頭が付いていた。
とは言え既存の生物らしさがあったとしても見るからに不気味であり異形であることに変わりはないのだが。
そんな異常な存在から少し離れた所に移動した三人は作戦を考えることにしたのだった。
「ううむ……あ奴、かなり強力な霊力を持っているな」
「わたくしは戦力外ですので、戦闘面には組み込まれぬようにご注意を」
「それはわかっている。くれぐれも足手纏いにはなってくれるな」
「はい、そこはもう弁えていますとも」
ツクモは自信満々に自身が戦力外であることを伝えた。そんなことに自信満々になっているのもどうかと思うだろう。しかし今この場で戦える者とそうでない者を判断しておくことは正しい判断だ。少なくとも全員が無策で突っ込んで全滅するよりも遥かに建設的であることは確実だ。
「それで、どうするのだ? 我の力で焼却してしまっても良いが……」
「それだと藍様のご学友の方々もろとも焼き尽くしてしまうのではありませんか?」
メブキは自身の持つ力で異形の生物を焼くことを思いついたようだ。以前にもその力で怪異を焼失させたことがあるため、成功率の低いものでは決して無いだろう。
だがこの方法には問題があった。ツクモの言うように周りにいる者たちまで巻き込んで焼いてしまう可能性が高いのだ。彼らを助けるために追って来たというのにその彼ら自体を焼いてしまっては本末転倒だった。
「うーん、メブキさんの雷の範囲ってどのくらいありましたっけ?」
「範囲……か? 全力だとあ奴のいる辺り一帯を包み込むくらいだな。力を抑えれば範囲を減らせるだろうが、それだけ威力も落ちてしまう。あの怪異を完全に焼失させるためには、あまり威力は落とせないのではないか?」
「確かにそうですね……それなら」
藍は何かを決心したように頷きツクモの方を見た。
「……何でしょう?」
「簡単な話でした。彼らを巻き込んでしまうのなら、巻き込まなければ良いのです」
「それは確かにそうでしょう……それで、何故貴方様はわたくしの方を?」
「これは二人で無ければ出来ない方法です。なので貴方の力を借りようと思いまして」
「ですがわたくしは霊力が……」
「大丈夫です。霊力は関係ありませんので」
「……へ?」
――――――
「……はっ!? ここはどこだ……ひぃっ!? な、なんなんだよこいつ……!」
青年は目を覚ました。今まで何をしていたのか。ここはどこなのか。確かめるべきことはたくさんあっただろう。しかし、彼はそれが出来なかった。目の前の異形の存在を目にしてしまったのだ。
大量の触手を忙しなく動かしているその怪異は複数ある瞳で青年を見つめている。まるで品定めでもしているかのように。
「た、助け……」
青年は助けを呼ぼうとするが恐怖で声が上手く出せていない。そもそもこんな森の奥ではどれだけ助けを呼ぼうが助けなど来ないだろう。それをわかってはいたがせずにはいられない。生存本能がそうさせていたのだ。
「くっ……体が……」
しかしそれだけでは駄目だと何とか立ち上がろうとする青年。しかし声と同じように、恐怖によって体を上手く動かすことが出来ずにいる。
「そ、そうだ。アイツらは……」
そんな状態だと言うのに、青年は一緒に来ていたはずの二人のことを探した。いや、こんな状態だからこそ二人を見て安心したかったのだろう。幸いと言うべきか二人は彼のすぐ近くに倒れていたため、ほんの少し安心した彼は這いながらそこに向かって行った。
「お、おい起きろ……起きてくれ!」
「……ん? ひぃ!?」
青年によって起こされた少女はそのまま異形の怪異を見てしまったようで、あまりの恐怖によって体を硬直させてしまった。悲鳴すらも出ない程の緊張と恐怖が彼女を埋め尽くしている。
同じように青年はもう一人の女性を起こしたが、そちらもだいたい同じようなことになってしまっていた。
「クソッ、なんでこんなことに……! いや今はとにかく逃げねえと!」
青年は何とか根性で立ち上がり、女性と少女を抱え上げ逃げようとした。だがその時だった。
「…………」
「うわぁっぁあぁっぁ!?」
異形の怪異が触手を伸ばして青年の足を絡め取ったのだ。
「は、放せ! 放しやがれ!!」
「…………」
怪異は呻き声のような何かをブツブツと発し続けている。そして青年の足に絡めた触手を徐々に己の方へと引き寄せ始めた。
「クソッ……!」
何とか耐えようと藻掻く青年。だが力の差は歴然であり、だんだんと怪異との距離は近づいて行く。
それはまるで蟻と熊が力比べをするようなものだった。
「頼む、誰か助けてくれ!!」
「はい、助けましょう」
もう駄目かと青年が闇雲に叫んだその瞬間、眩い閃光が辺りに走り青年の足に絡まっていた触手はその中心から奇麗に焼き斬られていた。
「さあ、逃げますよ」
「お、オカルトクレイジー……!?」
何が起こっているのかわからない青年はただ困惑している。それも無理は無いだろう。どこからともなく現れた人物が今まで散々厄介視していたオカルトクレイジーであり、そのオカルトクレイジーに助けられようとしているのだ。
理解出来無くても無理は無いのだ。しかしそれはそれとして彼の適応能力は高かった。
「わ、わかった! 俺はどっちを運べばいい!?」
つい先程まで恐怖に支配されていたにも関わらず、すぐに立ち上がり二人を抱えて逃げる準備を進めていたのだ。しかしそんなやる気満々な彼を何かが抱え上げた。
「いえ、貴方は運ばれる側ですよ」
「は!? な、何だこれどうなってんだ!?」
「口を閉じていてくださいまし。舌を噛んではいけませんので」
「では行きましょうか」
いつの間にか女性を背負い少女をお姫様抱っこで抱え上げていた藍はツクモにそう言って走り始めた。
「…………!!」
だがそれを見逃す程、異形の怪異は間抜けでは無かったようだ。無数の触手を藍達に向けて伸ばし、先程青年に行った時と同じように自らに引き寄せようとしていた。しかしその触手はどれも途中で焼き斬られてしまうのだった。
「藍、ツクモ! 今の内に!」
「ありがとうございますメブキさん」
触手を焼き払ったメブキは藍たちに今の内に逃げるように促す。そして彼女たちが逃げ切ったのを確認すると、異形の怪異の前にその姿を現した。
「残念だが貴様はここで終わりだ」
異形の怪異を仁王立ちで威圧するメブキ。以前と同じように三本目の腕が天へと向かって掲げられている。
「…………ッッ!!」
「貴様からは我と同じようなものを感じるが……道を違えたな。天をも貫く雷よ、我の名のもとにその権威を示せ!」
詠唱が終了すると共に轟音と閃光が辺りを満たす。そしてそれらが去った時にはもう異形の怪異の姿は影も形も無かった。
――――――
村での一件から早数日。三人は結局あの日の事は集団幻覚だったと言うことで無理やり納得したようだ。あまりにも非現実的なことが起こりすぎていたためそう考えるのも無理は無い。
実際、あの日の事は最初から最後まで全て幻覚だったとした方が遥かに現実的だ。そういうこともあって三人は変に藍たちを追求することは無かった。
ただ単に関わりを持ちたくなかっただけかもしれないが。
「なあ藍よ」
「何ですかメブキさん」
昼休み、学校の屋上の物陰で藍とその影から少しだけ顔を出したメブキはあの村での事を思い返していた。
「結局あ奴は何だったのだろうか。何か我と似たような気配というか雰囲気を感じたのだが……」
「そうですね。確かにメブキさんがそう思うのも無理は無いでしょう。恐らくあの怪異、色々と混ざり合っていますからね」
「混ざり合っている……とな?」
メブキは藍の「混ざり合っている」という言葉に疑問を持ったようだ。少しでも話を聞き逃さないようにしようとしているのか、先程よりも少し多めに影から顔を出している。
「ええ。あの怪異は触手の先端に蛇の頭を持っていました。確かあの辺りには昔、蛇の神様を祀る土着信仰が存在したはずです。その神が信仰を失い力を失ったタイミングと、あの村で最初の召喚儀式が行われたタイミングが合致してしまったのでしょう。結局誰が何の目的で召喚を行ったのかはわからずじまいですけどね」
「なるほど……のぅ? そんなに簡単に混ざり合うものなのか?」
「神話や伝承も混ざり合っているものは多いですし、おかしくは無いでしょう」
「そういうものなのか……?」
いまいち腑に落ちないといった様子のメブキだったが、まだ気になることはあったようで話を続けた。
「それと藍よ。あの時お主……二人抱えておらんかったか?」
メブキの言った通り、あの時藍は女性と少女の二人を抱えて逃げていた。それを疑問に思うのは当然だろう。決して筋肉質では無い藍が二人を抱えて動き回るなど、あまりにも異質だからだ。
「ああ、あれですか。おんぶして何かしらを運ぶというのは思っているよりも負荷が少ないんですよ。ですので二人程度なら割とどうにかなります」
「なるほどのぅ」
だとしてもおかしいような気はする所だが、藍があまりにも自信満々にそう言うためメブキは信じ込んでいた。
「でも抱えるのならあのツクモという者に任せればよかったのでは無いか?」
「それがですね。彼女、私が男と触れるのは許せないと言って自ら彼を選んだんですよ」
「あー……確かにそう言いそうではあるな。あ奴は」
メブキはあの時ツクモが藍にしようとしたことを思い出しながら、遠い目をしてそう言った。
「もしかして嫉妬ですか?」
「ち、ちがっ……いや違くは……」
「ではメブキさん」
「うん? ってお主何を!?」
藍に名を呼ばれ顔を上げたメブキは目の前に藍の顔があったことに驚き叫ぶ。しかしそのすぐ後には目を閉じて来たる時の準備をしていた。
「んぅ……まだか……?」
「あ、チャイムですね」
二人の唇が触れあいそうになった時、昼休みの終わりを告げるチャイムが無情にも辺りに鳴り響くのだった。
「もうそんな時間ですか。それではまたの機会に」
「そ、そんなのって無いぞぉ!?」
彼女たち以外には誰もいない屋上に、メブキの悲痛な叫びがこだまするのだった。
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