トウモロコシ畑でつかまえて(仮題)

香沢 久郎

序章 空港にて

 二十一世紀の今、搭乗客として航空機に乗ろうとしたら、本人は金属探知機をくぐり、手荷物もX線検査を受けることになるだろう。以前はそんなこともなかったのだが、その「以前」とはいったい、いつのことだろうか? それは今から五十年前、つまり半世紀くらい前の一九八〇年頃までのことである。それまでは乗客たちも見送りや出迎えをする人たちも、身体検査などまったくなしで、まっすぐ搭乗口まで入れた。

 その後、ハイジャックや航空機の爆破事件などのせいで、搭乗客の見送りといえば検査場の手前までだし、出迎えは航空機の降り口からとてつもなく離れた空港の出口である。そして到着便の乗客が出てくるのは、日本の場合、ヨーロッパ便もアメリカ便もアジア便も中東便も、どこもかしこも、みんな一緒である。

 空港に金属探知機による検査がなかった、つまり搭乗口のすぐそばまで航空機を利用しない人たちも見送りや出迎えに入れたころ、アメリカ合衆国ではちょっと興味深いことがあった。搭乗客が腰かけて自分の便に乗るのを待っていると、見知らぬ人が前に立つ。それはHという新興宗教の信者である。頭は一部を残して剃ってあり、残った髪を長くのばして編んでいる。着ているものはオレンジ色の衣(ころも)であるから、合衆国でも異様である。新興宗教といってもアメリカに上陸して間もないころで、当時はまだあまり知られていなかったようである。

 その人はにっこり微笑んで、「どうぞ」と一輪の花を差し出す。アメリカ人は一般に友好的で、こういう状況では「ありがとう」と言って受け取るのが普通である。とにかく、次の出発便を待っているのでヒマであるし、受け取ってまずいとは思わない。しかし相手はお礼を言われると、おもむろに書籍をとり出し、これを買ってくれと言うのである。

 この方法は人々が持つ「返報性」を利用した「応諾テクニック」のひとつである。はじめに花が出ないと、買ってほしいと言われて本を購入する人は一割にも充たないが、最初に花をもらうと三〜四割もが言われたとおりに買うという。

 なにもHという集団だけが独占的にこの方法を使うというわけではない。返報性のテクニックは普通の人によっても、いろいろな形で日常的な状況でも使われていることが、社会心理学で知られている。簡単に言えば、何かしてもらいたいとき、頼む前に相手に少し親切にするのである。

 もっとも、空港ではこういう「商売」はもうできなくなった。乗客以外は搭乗口近くに入れなくなったからである。

 これはそんな新興宗教の信者たちがアメリカの空港内をウロチョロしていた、一九七九年夏の出来事である。


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