Episode 2. 節分事変(仮)
1月25日(木)。
放課後。僕とグレイはわぶ研の部室にいた。
ホワイトボードの右端には『節分事変(仮)』と書かれている。
「節分事変って何だよ?」
僕は書いた張本人であるグレイに問う。
「かっこいいじゃろ」
ドヤ顔で自分の付けたイベント名を誇るグレイ。確かに厨二心をくすぐるネーミングではある。
「今日は助っ人も呼んでおる」
「助っ人?」と復唱すると部室のドアが4回ほどノックされる。
グレイが「入れ」と言うとドアが開き女の子が出てきた。
「ご機嫌よう。アリー、オサムさん」
この学校でグレイが助っ人として呼べて、かつ、ご機嫌ようなんて挨拶をするやつなんて1人しかいない。
西園寺佳代。グレイのホストファミリーで僕のクラスメイトだ。
おかっぱ頭の清楚系少女。彼女を漢字一文字で表すとしたら『和』。礼儀作法・姿勢態度が不気味なくらい完璧すぎる。これぞまさしく、やまとなでしこ、という感じの女の子だ。
グレイは、「来てくれて有難う」と西園寺に感謝の意を伝えている。
「部活は平気なのか?」
確か西園寺は茶道部か華道部に入っていたっけ、という朧げな記憶から僕は問う。
「問題ありませんよ。そんなに厳しい部じゃありませんから」
「そうか」
僕は黒板に視線を戻す。そして、西園寺は僕の向かいに座った。
「さて。全員揃った所で、始めるとしよう。オサムや、案を」
トップバッターかよ。
正直、昨日の晩から今日の放課後まで何か面白そうな事はできないかとひたすら考えていたが、他人と遊んだことがあまりない僕にとってそれを思いつくことは難しく、……。つまり、何の案も出ていないということだ。
僕はそれを誤魔化すためにも、そして何かしらのアイデアを出すためにも、アリーに問い返す。
「そもそも、節分の日に何で豆撒きをするんだ?」
するとグレイは手をマイクのようにして、コホンと咳払いをした。
「そう言うと思って」
アリーはホワイトボードを縦に半回転させた。
「準備は万全じゃ」
ホワイトボードの真ん中にはデカデカと、『オサムのための節分講座』と書かれていた。
本当に予想してたのかよ。
「むかーしむかし、科学がまだ発展していなかった頃。疫病や災害を回避する方法は祈ることだけじゃった」
御伽噺のような入り方で早速講座が始まる。
「そこで、宮殿では中国から伝わった『追儺』という邪気を払う行事を毎年大晦日に行なっておった」
「大晦日にやることがどうなって節分の日にやることになったんだ?」
「最後まで聞かぬか」
アリーはジト目で僕のことを睨んでくる。すいません。
「旧暦では立春が新年初日なんじゃ」
なるほど。立春の前日である節分は旧暦では大晦日にあたるってわけだ。
「豆撒きはその追儺ってやつで行われてたのか」
「いや、追儺は厄や邪気を鬼と体現して鬼を払う行事。豆は何も関係ない」
「じゃあ、豆はどっから出てきたんだ?」
こほん、と今度は西園寺がアリーの真似をしているかのように咳払いをする。
「魔を滅する。という言葉からきています」
西園寺はふふふ、と笑っていた。最後まできちんと解説して欲しいんだが。
魔を滅する? 一体何が……。
「ダジャレかよ」
あまりにしょぼい理由で僕は呆れて溜め息をついた。
「まさか僕たちはどっかの知らないおっさんが考えたダジャレのせいで園児や小学生は、豆で鬼に対抗していると言うのか⁉︎」
「オサムさん。あまり駄洒落を馬鹿にしてはなりませんよ。『鯛でめでたい』とか『昆布巻きで喜ぶ』とか言葉を掛けて縁起物にする風習はよくあります。むしろ、日本文化とは、そのどっかの知らないおじさんたちのおかげで成り立っていると言っても過言ではありません」
その言葉を聞いて、僕は今すぐにでもこの部活を辞めたくなった。
酒に飲んだくれながら、ケツを掻いてオヤジギャグを連発している父親の姿を思い出してしまったのだ。
マジかよ。親父たちが今の日本を築いていったんだな……。
そう、僕はしみじみと思っていた。
「さて、オサムが世のおじさん共に感謝している所で、話を戻そう。おそらく、オサムは何も思いついてなさそうじゃろうし、儂から話す」
アリーはまたホワイトボードをひっくり返して、箇条書きで一つ自分の案を書いた。
「大豆サバイバル」
僕はそのまま口に出した。
はて。どういう意味だろうか。
24時間、大豆だけを食料とすることだけをルールとして、他チームへの略奪行為は禁じない。そんなサバイバルを連想した。
とういか、節分事変はどこへ行った?
「大豆サバイバルとは、その名の通り、大豆を弾丸の代わりとし、鬼チームと人間チームに分かれて戦うサバゲーじゃ!」
アリーはスカートのポケットからモデルガンを取り出して、決めポーズをとった。
西園寺は『わー』と歓声を上品に上げながら拍手をしている。
僕はというと、ノーリアクションだ。
「相変わらず、吾らは平和ボケしておる」
刹那、僕は彼女の言った言葉に引っ掛かりを覚えた。
平和ボケ。言われてみればその通りなのは確かだ。僕たちは当たり前のように学校に通えて、朝昼晩3食を両親に食べさせてもらって、漫画やアニメなんて娯楽まで揃ってる。
だが、しかし、そう言われると少々カチンとくるのは、自然のことだと思う。
だって、僕たちはここで生まれてここで育ったんだから。わざわざ、危険なところに自ら飛び込む必要がない。そして、平和ボケという言葉は、まるで僕たちが今こうして過ごしていることが悪いと責めているような感覚に襲われる。
まあそんなことはともかく、みんなが平和ボケしている世界が一番いいに決まってる。そして、アリーが僕を責めているなんていうのはただの被害妄想である。
だから、僕はくだらない邪念を払い除け会話を続けた。
「何かおかしな点でもあったか?」
「儂からすれば違和感しかない」
アリーは銃口を窓へと向ける。
「いつからこの銃が本物ではないと錯覚しておるのじゃ」
「いや、本物だったら普通に銃刀法違反じゃないか」
「……。それもそうじゃったな」
グレイはモデルガンを机に置いて、窓の外を眺めている。
「アリーは本物の銃を持ったことはあるんですか?」
西園寺は問いた。
「……、ないのう」
「へー。てっきり一家に一挺あるもんだと思ってたよ」
「んな訳なかろう」
グレイがツッコんだその声は、何故かは分からなかったが緊張感を孕んでいるような気がした。
「話を戻すぞ。で、どうじゃ。儂の案は?」
僕が手を挙げると「許可しよう」とグレイは言う。完全に気分は軍隊って感じだ。
どこの教官じゃ、おどれは。
「鬼チームが勝った場合、どうやって締めるつもりだ?」
「もし鬼チームが勝とうものなら、今年は参加者全員が厄年ということになる。そうすれば、鬼チームはわざと手を抜き、人間チームは否が応でも勝ちに行くはずじゃ」
八百長じゃねーか。
「それだと、参加者が楽しんでくれませんよ」
「それもそうじゃな。じゃあ儂の案は不採用ということで話を続けよう」
「自分の案なんだからもうちょい粘れよ」
「何を言うておる。儂は別に自分の案を何が何でも通そうとするほど傲慢でも、自分が絶対に誰よりもいい案を出せると確信するほど自信過剰でもないわ。こういう場ではとにかく案を出すことが大事なんじゃ。ひょっとすれば、たくさんの案から色んな要素を抜き取って集めた素晴らしい案が思いつくかもしれないじゃろ」
質より数ということか。
そう言われると、昨日、みんなが楽しめるイベントでないと意味がない、完璧な案を出さなければ恥をかくと、プライドばかりを優先させて、くだらないことでも考えすらしなかった自分を情けなう思った。
おそらく、グレイは自分から発言した時点で僕が案を持ってきていないことを確信していたんじゃないか……と思う。
「次は佳代の番じゃが、その前に喉が渇いたから休憩じゃ」
そう言って、グレイは一人で廊下へ出た。
僕も今日、何も考えてこなかったお詫びとしてお菓子をご馳走するため、購買に向かう。
まあ、購買を往復している時にでも、くだらない案でも考えておくとしよう。
* * *
購買で大量のポテトチップス(と言っても、ファミリーサイズサイズ1袋)と1本のオレンジジュースを両手に、昇降口近くの自販機を通り過ぎると、ミネラルウォーターを片手にベンチに座っているグレイの後ろ姿を見かけた。当然のように声をかける。
「よっ」
「ああぁーーー!」
グレイは体をビクッと跳ねたせ、その勢いで立ち上がる。
「……I cannot believe it. Why did you do so terrible !?」
「落ち着けっ。母国語が出てる」
ちなみに僕の英語の成績は中の下とあまり良くないので、グレイが何を言ったのかさっぱり聞き取れない。
グレイは深呼吸して、落としたみかんジュースを拾ってベンチに座り直した。
「声をかける前に事前に声をかけぬか」
「無茶言うな」
「む? そのぽてちはどうしたんじゃ?」
「あー、食べたかったんだけど、この大きいやつしかなくてな。よかったら、食べるの手伝ってくれよ」
「うむ。ぽてちは大好きじゃ」
グレイは僕の目ではなくまだ口をつけていないミネラルウォーターを眺めていた。
「で。大豆サバイバルって何だったんだ? 節分事変じゃなかったのか?」
「……あーあ。何の話かと思いきや。節分事変はイベントの名前で大豆サバイバルは種目の名じゃ」
……ん?
「いまいち分からん」
「だから。運動会でいう、『運動会』が『節分事変』にあたり、『お手玉合戦』が『大豆サバイバル』にあたるってわけじゃ」
「ちょっと待て。お手玉合戦って何だ?」
「雪合戦の球を玉入れの玉にしたやつじゃ」
「そんな競技はないよ」
「儂が今、大豆サバイバルに似た運動会にありそうでないだろう競技を言ったからのう」
全く、話をややこしくしないで欲しいものだ。
会話が途切れ、僕は先にふと思ったことを問う。
「……銃が怖いのか?」
グレイの表情が一気に暗くなる。
「……何故、そう思った?」
「いや、モデルガン出した時から明らかにいつもと様子が違うから」
グレイは深くため息をつきながら、項垂れた。
「そうじゃな。儂が小学4年生の時、近くのスーパーで乱射事件があってのう。儂の身近な人の中に犠牲者は出なかったのじゃが、ニュースで流れる映像があまりにも痛々しかった。……割とトラウマじゃ」
ミネラルウォーターを握りしめる力が強くなる。
ここまで弱っている姿を見るのは初めてだった。
そしてどうやら、僕はグレイのことを勘違いしていたようだ。
移民の数が人口のたった2パーセントしかない、ほぼ大和民族が占めているこの国で、人種も宗教も違う彼女は間違いなくマイノリティだ。その上、標準語を使うここ横浜で、どこの方言かも分からない訛り口調を変えようともしない。
それでもなお、ここにありのままの自分でいる彼女を僕は『強い』のだと勘違いしていた。
しかし、それは物理的な強さじゃないことを僕も分かっていたはずなのに、彼女としばらく一緒にいることで彼女の強さは僕の中で膨れ上がっていた。
アリー・グレイの強さとは、自身と他人のアイデンティティを受容、尊重しているところにある。だから彼女は決して自分を卑下なんてしないし、謙虚な相手を好まない。
だから、僕は、彼女の弱さを知ったところで失望なんて絶対にしない。むしろ勝手に勘違いしていた分、謝罪でもするのが筋だろうが、話がややこしくなるので別で誠意を見せることにしよう。
というか、平和ボケの僕たちが銃の怖さを知らな過ぎるだけで、銃が怖いのは自然なことである。
「自分から訊ねといて、だんまりとはいいご身分じゃな」
自分の世界に入りすぎて返事をするのを忘れていた。
「ああ、ごめん。……そんな事情があるのに何であんな案を出したんだ?」
「日本ではサバゲーが流行っていると最近知ってのう。……新しい友達がサバゲー好きなら、モデルガンが怖いなど言っておけぬ。好きなことを友達と共有できるというのは、幸せのことだからのう」
僕らはいつも一緒にいるから忘れがちだけど、そういえば、グレイには僕と西園寺以外に友達がいないんだった。
「言っておくが、サバゲーは結構、いや、かなりマイナーなスポーツだから、サバゲー好きの友達ができる確率は高くない。それに、人っていうのは大抵好きなことを複数持っているものだから安心しろ」
今言ったことに根拠なんてない。サバゲーマーの人口が今どのくらいかなんて知らないし、僕自身好きなことは、アニメ・漫画の1つだけだ。口から出任せである。
「嘘つき」
「嘘じゃねーよ」
嘘である。
「では、吾の好きなことを2つ以上言うてみ」
こいつ、エスパーか。
「漫画とアニメ」
「それは同じじゃ」
「全然違うけど、漫画好きなやつはアニメも好きだから否定できない。……けどな、だったら、グレイが好きなものを友達と共有すればいいんじゃないか⁉︎」
「……自分の好きを他人に押し付けるのは好かぬ」
そうじゃない。僕は生憎、伝えたい表現を伝えられるほどの語彙力を持ち合わせていなかった。それでも、彼女に言うべき言葉をお粗末な頭から選んでいく。
「押し付けるんじゃなくて、……何と言ったらいいのか分からないけど、……『勧誘』が近いかな。友達が自発的にやりたがるように勧めればいい」
あの頃、ただ部室で漫画ばかり読んでいた僕に、日本文化の魅力を告げたように。
それを聞いたグレイは何やら考え込んでいるようだった。
「儂の嫌いなものが好きな友達ができたら、儂の好きを勧めればよい、か……」
何か呟いているようだが、僕には聞こえない。そして、グレイはいきなり僕の脇腹に肘を入れ込んできた。
「うぉ。何すんだよ⁉」
「別に……」
グレイはしばらくそっぽを向いたあとにまたこっちを見る。
「うむ。吾の言う通りじゃな。有難う」
グレイの表情を見て、僕はホッとする。
「どういたしまして」
やはり彼女に暗い顔は似合わない。
* * *
モデルガンは西園寺からの借り物だったそうだ。
西園寺には余計な心配をかけたくないとの事で、このことは2人の秘密としモデルガンは西園寺に速やかに返却することを約束した。
僕とグレイが部室に戻ると、教室の中には西園寺の他にもう1人、女子がいた。
「おいーっす。峰くんにアリーちゃん!」
「やあ。……星ちゃん?」
グレイがすぐに挨拶をする。
「なになに。同級生なんだから、薫子でいいよ。薫子で」
「……うむ。やあ、か、薫子」
星から目線を逸らし顔を赤くするグレイ。
「……っ。可愛いー!」
「う、うっさい!」
星とグレイのやりとりを見ているとドキドキする自分がいた。
……駄目だ! 僕の中でイケナイ扉が開いてしまう!
「部活はもういいのか?」
「うん。まあ部員はあたしと友達の2人だけだから、事情言ったら早く終わったんだー」
「薫子さんは何の部活に入られているのですか?」
西園寺が問う。
西園寺が星を名前呼びしているのは、星が今知り合って下の名前で呼ばせているのか、それとも元から2人が知り合いだったのかは知らないが、どちらにせよ、星がコミュ力が高いのは間違いはないだろう。
「フェンシング部だよ。佳代ちゃんもどお? フェンシング! 楽しいよ〜」
「いえ、私はもう既に華道部と茶道部を掛け持ちしているので」
どっちかだと思っていたら、両方入ってたとは……。
「あちゃー。流石に3つ掛け持ちは無理だよねー。アリーちゃんは?」
「儂はこの部の部長で忙しい」
グレイは星にイジられたことを拗ねているのか。頬を膨らませている。
「じゃあ、峰くんは?」
「じゃあって何だよ⁉︎ そんなついでにみたいな誘われ方で入ろうなんて思うやつ1人もいねーよ」
「ご、ごめん。そんなつもりじゃ」
さっきまでキラキラしていた星が急にしょぼんとなる。
「別に、そんな怒ってないよ」
言った瞬間、星はまた元通りになる。
「……そ、そう。良かった〜。流石峰くん。太っ腹! じゃあ、どお? フェンシング」
「やらないよ!」
また、「じゃあ」って言ってるし。あと、太っ腹の使い方が違う。
「あ。ポテトチップス」
星の興味関心が他に移ったところで自制心が働く。
「……さっさと始めようぜ」
「うむ」
「次は私の番ですね」
僕たちは席に戻り、西園寺は黒板の前へ向かった。
西園寺が『大豆サバイバル』と書かれた隣に、『鰯料理を振る舞う会』と書いた。
「なぜ鰯?」
僕は思ったことをそのまま声に出す。
「あら、オサムさんはご存知なくて?」
ご存知ないです。
「『柊鰯』と言って、節分には葉のついた柊の枝に焼いた鰯の頭を刺して戸口に飾る風習があるんじゃ」
「アリーちゃん、詳しいー」
「まあ、わぶ研の部長としては当然じゃ」
星からの褒め言葉をクールに受け流すグレイ。
顔には出してないが、あれは絶対に喜んでるな。
「それにはどういう意味があるんだ?」
「焼いた鰯の臭い匂いは邪気を払うのにうってつけだそうですね。それに、柊の別名は『鬼の目付き』。柊の葉の尖った部分を鬼の目に刺して攻撃するそうです」
怖っ。いや、というか、そんなんで鬼は倒せねえだろ。
「おへー。佳代ちゃん物知りー」
西園寺はありがとうございます、と丁寧に対応している。
僕は買ってきたファミリーサイズのポテトチップスをみんなが食べれるよう『パーティ開け』にした。
「峰くん。ふるーい」
「何が?」
「可愛くないよ。ポテトチップスの開け方」
ポテトチップスの袋の開け方に可愛さは求めてないのだが。
「可愛いぽてちの開け方というものがあるのか?」
一方、少し興味を示すグレイ。
「うん。次回はあたしがやってあげましょう」
グレイはポテトチップスを手で摘んで、口に運ぶ。
そこで僕は気がついた。購買で貰った割り箸を配り忘れたことに。
「悪い、グレイ。ほれ」
僕はグレイと星、そして今は空席の西園寺の席に割り箸を配る。
「あたしも貰っていいの⁉︎」
星は驚きながら箸を受け取る。
「お前だけ食うな、なんてそんな酷いことはしねーよ」
「ありがとー!」
星は割り箸を割った。
「ちょっと待て。儂はこの状況を飲み込めていないのじゃが。何故今、割り箸が渡されたんじゃ?」
「いや、ポテトチップス食うためだけど」
「手で食べればよかろう?」
「手、汚れるじゃん」
グレイは驚愕な表情を浮かべてショートする。
「そろそろ、私の話を聞いて貰っても?」
「ああ、悪い。西園寺も食べていいからな」
僕と星は割り箸でポテトチップスを掴み、口へ運んでいく。
「ありがとうございます。後で頂きますね」
西園寺は発表に戻る。
「これは、その名の通り、柊鰯に使わなかった頭以外の鰯の部分を料理して、生徒や職員の方々に振る舞おう、という案になります。作る料理はまだ未定ですが、鰯にはDHA、EPA、カルシウム、ビタミンDが含まれていて、DHAとカルシウムには、言わずとも知れず、学生の私たちにとって重要な栄養素ですし、血液や中性脂肪にいいEPAと骨粗そう症対策になるビタミンDは、中年の職員の皆様に不可欠な栄養素となるので、鰯を食べてもらうメリットは大きいのです」
鰯すげー。
「鰯すごいっ」
僕と星は西園寺の演説と鰯の凄さに感激し拍手を贈る。
「ついでに言いますと、カップルで料理をすることでお互いの新たな一面にドキドキとか、運動部で頑張っている彼に手作り料理を学校行事という大義名分の上で振る舞えるなんていう、学生の恋の応援もできます!」
んーすごいっけど、それは嫌だ。やりたくない。
何で、どこぞの知らんやつの色恋のために僕が働かなきゃならんのだ。
おそらく、僕は自分が幸せにならない限り、一生、カップルを妬み続けるだろう。
……なんて惨めなんだ。
「いいじゃん! それ!」
予想を裏切らず、星は西園寺の意見に賛同する。
一方、グレイはというと、
「いいと思うぞ」
自分の案より明らかに良くて、拗ねていた。
「じゃが、盛り上がりには少し欠けるのう」
そうだな。僕の個人的な感情を抜けば完璧な提案かと思ったが、インパクトは薄い。
「グレイに賛成」
賛成一票。改善要求二票。
「とりあえず、保留じゃな。オサムと薫子の案も聞かなねばならぬし」
下校時刻を知らせるチャイムが鳴る。
「とりあえず、今日はここまでじゃな」
皆で残ったポテトチップスを急いで食べる。
結局、適当な案は浮かばなかったから明日までに何か考えなければないけない。
ちなみにポテトチップスは、僕、グレイ、西園寺の3人が途中でギブアップしたので、残りは星が全部食べてくれた。
* * *
放課後。コンビニに寄るからと、僕はグレイ、西園寺、星と分かれてコンビニに入り、毎週買っている漫画雑誌をレジに持っていく。
今日は金曜日。頑張った平日5日間を漫画が癒してくれる。
「いらっしゃいませー」
店員の義務的な掛け声をスルーして雑誌コーナーに向かう。
お目当てのものはすぐに見つかり、それを片手にすぐさまレジへ。
レジにいた店員は歳が2、3個上かと思える男だった。同じ高校の先輩だろうか。
学校の最寄駅前のこのコンビニは、うちの高校の生徒のバイトが多いらしい。
というのも、クリスマスの日に改札前でコンビニのクリスマスケーキを売っているクラスメイトと会ったとき、そいつがそのようなことを口にしていたのだ。
ああいうのを出張販売というのだろうか。正式な名前はわからない。
会計が終わると店員があるチラシを渡してきた。
「お前、うちの高校の生徒だろ。予約どう?」
チラシには恵方巻という言葉がでかでかと書かれていた。
僕は学校帰りでもちろん制服を着ているということもあり、向こうがそう言ってきたということは僕と彼は同じ高校なのだ。しかし、同じ高校だからと言って恵方巻を予約する義理はない。
「間に合ってます」
僕はそう言ってレジを去る。
すると、「おい」と言いながら店員は後を追ってきた。
嘘だろっ。そこまでするのかよ。
僕はコンビニを出て、駅に向かって走って逃げる。後ろを見なくても自動ドアの開いた音から店員が追ってきてるのが分かった。
僕が最後に真剣に走ったのはいつだっただろうか? こういう回想をしている時点で最近じゃないことは確かだ。つまり、僕は運動不足だった。
よって、僕はコンビニ店員にあっけなく捕まり、振り返った。
「忘れ物だ」
そう言って、コンビニ店員は僕が買った漫画雑誌を差し出してきた。
……うわっ。恥っずっ。
僕はコンビニ店員に謝罪する。
「いいってことよ。まあ、悪いと思うなら恵方巻を予約してくれ」
「そうしたいのは山々なんですか、生憎持ち合わせがなくて」
「お支払いは当日でいいぜ」
と言っても3本入りで税抜き1500円はちょっと高すぎる。海鮮恵方巻は美味そうだけれど、普通のものよりもっと高い。
「すみません!」
僕は一礼する。
「まっ、強制はできねーよな。今度からは買ったものを取ってから立ち去れよ」
コンビニ店員の口調に嫌味はなく、彼は笑顔で戻っていった。
彼のネームプレートには渡邉と書かれていたことを思い出す。
渡邉さん、ありがとう!
僕は頭の中で優しいコンビニ店員の名と感謝の言葉を言った。
* * *
1月26日(金)。放課後。
今日は最初から節分事変製作委員会の全員がわぶ研の部室に集結していた。星はファミリーサイズのポテトチップスを持って来ており、可愛い開け方とやらを披露してくれるらしい。
「まず袋を逆さにして、両端を押し込みます。そして元に戻して袋を開ければ……」
星はポテトチップスの袋をタワー状に真っ直ぐと立たせる。
「『スナックボウル開け』の出来上がり」
「「おおー」」
僕とグレイは感心のあまり声を漏らす。
可愛くないけど、すごいな。場所を取らないし、超便利だ。
「いや、アリーちゃんはともかく峰くんは何で知らないの? 数年前バズってたじゃん」
有名なSNSのアカウント自体はそれぞれ持っているのだが、自分から発信することはなく、僕にとってSNSは、完全にアニメ情報を得るためのツールとなっている。
「へー。僕、そういうのよくわからないから」
「遅れてるぅ」
「そこらへんのミーハー共と一緒にしないでくれ」
一方、グレイはというと、
「割り箸にスナックボウル開け、……じゃと⁉︎ 一体どうしてこうもぽてちの食べ方すら違うのか」
軽くカルチャーショックを受けていた。
「安心しろ。それが日本人の常識ってわけじゃねーから。ポテトチップスくらい好きに食べればいいんだよ」
「そうだよ。食べ方なんて二の次で美味しく食べるのが一番だよ」
「いや、儂はこれが気に入った。写メ取っとこ」
どうやら余計な心配だったらしい。
まずは僕の発表だ。金曜日から消されていないホワイトボードに、『鰯料理を振る舞う会』の隣に、僕は『恵方巻の調理』と書いた。
そう。金曜日の下校中に気づいたのだ。節分といえば、恵方巻だと。西園寺の鰯料理案と組み合わせれば、意外と良い案なのではないか。
ネックになるのは、やはり、ネーミングセンスの無さだろう。何も閃かなかった。いや、正確には、中々食べ終われないという意味を込めて『スシロール 〜フォーエバー〜』というのが候補にあったが、ダサ過ぎてやめた。
「それじゃあ、僕の案を説明しよう」
「却下じゃ」
「却下ですね」
「却下だね」
「何でだよ⁉︎」
3人が一斉に僕の案を否定してきた。どんだけみんな恵方巻嫌いなの?
「儂から言おう。オサムよ、節分は何をする行事と心得る?」
「邪気を払うんだろう」
豆撒きの起源とか、柊鰯の話を聞いたところ、それしか思えない。
「そうじゃ。そして邪気は鬼に例えられておる。時に、吾は恵方巻を食べるとどうなるか、知っておるのか」
「確か、恵方っていう方角を向いて食べれば、願い事が叶うんだろう」
「儂は詳しくは知らん」
「知らねーのかよ」
「だが、知っていることもあるぞ。恵方巻は鬼や厄祓いとは全く関係がない、とな」
……。
「節分本来の意義を忘れ、願いが叶うと聞いた有象無象どもがコンビニの戦略にまんまとハマり、関西のよくも分からない風習に倣って、皆が同じ方角を向いて、一言も話さずに長い海苔巻きを頬張るとか。吾は洗脳されておるのか」
「全くの同意見です。全国に知れ渡ったのも最近のことですし」
グレイの意見に賛同する西園寺。
「ホント、恵方巻を食べるのなんてそこらへんのミーハーだけだよ」
そして、『ビッグ』ウェーブに乗っかってくる星。
いや、お前は絶対違う理由だろ。
「星は何で却下したんだ?」
「……だって、恵方巻って、その、エッチじゃん」
ん?
「だって、『恵方巻 エロ』で検索すると、その……、えっちなイラストばっか出てくるし! どうせ男子なんてそんなことばっか考えてるんでしょ。この、変態!」
つまりだ。星は、男って恵方巻を自分の陰部に見立てて、女の子が咥えているところを想像して興奮しているんでしょ! と言いたいのだろう。
何を考えてるんだこいつは。
「恵方巻という文化を受け継いできた関西の人に謝れ! というか『恵方巻 エロ』で検索しているお前が変態だ!」
「じゃあ、峰くん考えて見てよ。縦ニットセーターを着た巨乳のお姉さんが恵方巻を食べてます。どう? エッチでしょ⁉︎」
「縦ニットセーターの巨乳のお姉さんは存在自体がエロいだろうが!」
「そこまでにしてください!」
西園寺に大きな声が部室中を響かせた。僕と星、そしてグレイが一斉に西園寺のほうを見た。
こんなに大きな声を出している彼女を見るのは初めてだったし、普段、ニコニコしている彼女がこんなにも無情な表情を浮かべているところを見るのは初めてだった。
「私は卑猥な話が嫌いなんです。次、話題に出したら、怒りますからね」
いや、もう絶対怒ってるじゃん。
西園寺が軽蔑の眼差しで僕たちを睨みつけてくる。怖っ。
「「すみません」」
僕たちは誠心誠意、西園寺に頭を下げる。
そして、恵方巻と恵方巻に関わる全ての人たちへ。本当にすみませんでした!
* * *
「んじゃ。あたしの番」
星は黒板の前に行き、代わりに僕は自分の定位置へ戻る。
恵方巻の件は、コンビニの客を奪ってしまっては申し訳ない、という言い訳を自分に言い聞かせて納得することにした。
星は書く。ただシンプルに2文字だけ、
『祭り』
と。
「ではでは。説明しよう! やっぱり、イベントといったらお祭り! たこ焼きとかクレープとか、有志の生徒を集めて露店出したり、芸やってもらったり。後は、最後に花火なんて打ち上げたら、最高じゃない⁉︎」
……。
星は、僕の案が却下された理由を聞いていたのだろうか。
節分と全然関係ないことにあの2人が同意するわけが––––。
「ええのう」
「いいと思います」
「何で⁉︎」
するとグレイは言う。
「佳代の案と組み合わせたら最高ではないか。それに祀りとは、儀式を経て神や先祖を崇める行事じゃ。追儺がまさにそれじゃろう」
「あら、やっぱりアリーとは気が合うわね」
一方、星はというと、
「そんな神とか先祖とか重たくなくていいんだけどね」
グレイと西園寺の意見にちょっとばかし引いていた。
そんな呟きを聞こえなかったかのようにグレイは立ち上がる。
「それじゃあ、節分事変の内容は『鰯祭り』ということ結論づけたいのじゃが、異論はあるか?」
全員、何も言わない。
「では。節分事変『鰯祭り』の準備を始めよう!」
「「おー」」
この時、僕は改めて思った。
絶対、節分事変っていらないだろ。
* * *
「こりゃー、厳しいな」
職員室にて、僕とグレイが今年の節分事変が鰯祭りに決まったと名取に報告すると、即答で却下された。
「何故じゃ?」
「いやだって、鰯って魚じゃん」
ん?
何を当然なことを言ってるんだ、こいつは? 本当に教師か?
「お前ら、その顔やめろ。だから、保存とか調理とか管理するものが山ほどあるって言いてーんだよ。それに最近、青魚に寄生しているアニサキスの数が増えてきたってニュースでも流れてるしな。P T Aからクレームなんて入れられたら、たまったもんじゃない」
名取の言うことは一理ある。確かにそこは盲点だったかもしれない。
「知ったことか。節分に鰯は欠かせんぞ。ここを譲歩するつもりはない」
「フツーに豆撒くだけじゃ駄目?」
「僕たちは小学生かっ⁉︎」
その言葉を聞いて、名取は何か閃いたのか僕たちに問う。
「なあ。いっそ小学生との合同イベントってーのはどうだ?」
「適当なことを申すでない」
「いや、何も適当に言ってるわけじゃねえよ」
決して名取にふざけた様子はなかった。
「……聞くだけ聞こう」
「お前らの目的は節分文化の復興と普及だ。なら、後世に、お前らの次の世代の奴らに節分の魅力とやらを伝えるのがお前らのやるべきことなんじゃないか」
一理、いや理には適っている。しかし、今回はわぶ研のためのイベントじゃない。星が彼氏といちゃつくためのものだ。しかし、そこは私情とプライバシーの問題ということで、名取に言うわけにもいかない。
さあ。どうする、部長?
「ひとまず、持ち帰らせてもらおうか」
そう言って、グレイは踵を返して職員室を後にした。
* * *
「いいんじゃない?」
昇降口で待たせていた星に先ほどの出来事を伝えると、意外にもあっさりとした返事が返ってきた。
「本当に良いのか? だって薫子は––––」
そう言いかけて、グレイはここに西園寺もいることに気が付き、口をつぐむ。
西園寺自身、グレイの視線で自分が邪魔なことには気づいているだろうが、あえてこの場から外そうとしない。今、自分が外せば、星が西園寺だけ除け者にしているという事実が星を困らせるのだと分かっているのだ。
人間誰しも、自分のことを吹聴して回る趣味はないものだ。
「良いんだよ。確かに、節分の日はあたしと彼氏にとって特別な日にしたかったけど、年にいくつもあるイベントの1つに過ぎないしさ。ごめんね、佳代ちゃん。黙ってて」
「構いませんよ。元々、ワタクシは部外者ですから」
星は「優しいね」と呟いた後、僕とグレイに向かって言う。
「それに、節分事変はお互いに利害が一致して始めたわけだからさ。わぶ研の2人の目的により合ってるんだから、それがいいよ」
グレイは少考し、了承の旨を伝える。
「勿論、言い出しっぺだし最後まで手伝うよ! あっ、でも終わったらジュースでも奢ってね」
結局、僕たちは渋々星の提案を受け入れることにする。
僕たちは、星の願いをこんなにもあっさりと裏切ることになった。
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