陰鬱エッセイ
現無しくり
僕の顔はじゃがいも
はっきり言って、自分は自分自身に対して興味が薄い。それは言ってしまえば、弱い頭のせいというか、自分の目から見えないものは無いものとする利己的な無意識が、勝手にそうさせていると言える。故に僕は、自分の見た目に頓着が無く、常に薄汚い、歩くじゃがいものような見た目をしている(と思われる)。
自分が歩くじゃがいもだとしっかり分かったのは、つい先日の事である。父と妹と、桜を見に行った時のこと。僕は買ったカメラを見せびらかしつつ、時折2人に触らせては、桜の写真をバシャバシャと撮りまくっていた。その日は、桜を見たあと妹の家に父と押しかけて、飯を作って食べたりした。その時も、僕は調理の仕草を撮ったり、味噌汁の香りで昇天してる様を撮られたりした。
さて、家に帰る。一日で数百枚とった画像をパソコンに落としながら、一つ一つ選別していく。僕は1人の時、自分を含めた写真は撮らないことにしている。そもそも、風景という被写体の中に、僕がいるのは邪魔だからだ。案の定。顔の大きい、デッサンの崩れたじゃがいもが写っていて、それが笑っていたり、気色の悪い顔をしていた。
しかし、それが僕なのだという実感は、あんまりわかなかった。普段は鏡も見ない男である。死んだ目をしながら会社に行き、夜中に帰ってはバ美肉おじさんに変身してバ美肉おじさんの後頭部を啜る日々──そういう日々とは無縁そうな、妙にイキイキした男の姿がそこにあった。
なんというか、他人事である。この顔をしているのは、本当に僕なのだろうか。しかし、段々とぼやけていく記憶の中で、その時間を生きたという確かな確証だけはある。この男は、今も生きている。こうやって文章を書きながら、死んだ目で、コンビニの中をうろつきながら。
行きつけのセブンイレブンのレイアウトはいつも通りだった。コンビニの。鏡が貼ってある柱に反射する僕と見つめ合う。薄れた実感の溝は、思ったよりも深いらしい。
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