裁き

 ボーダーラインの拠点の一つ――何も知らない一般人からは街の小さなレストランとして知られているのだが――にロビンは扉を壊さんばかりの勢いで飛び込んだ。準備中の掛札を無視してきた侵入者に、組織の構成員とおぼしき屈強な男たちが瞬時に飛びかかった。


「マーシャ・マリフ! 出てこいッ!」

 そのロビンの叫びを聞いて、男たちはなぜかぱらぱらと手を離し

はじめた。

「?」


 その意外な反応にロビンが疑問の表情を浮かべると、男達は奇妙な笑いで答えた。

「あんた、マーシャに恨みでもあんのか知らねぇが、戦い挑むなんて自殺行為だぜ?」

「まァそのクソ度胸は気に入った。ただのバカかもだけど。こりゃ面白いもんが見られそうだ」

 めいめいに騒ぎ立てる男達にロビンはどう返すか逡巡していると、鈴の音のような声がフロアに響いた。


「ちょっとちょっとちょっと! 約束は明日でしょ? ……それともやっぱ条件呑めなくなった? 正義の心に負けちゃった?」

 マーシャは不穏そうに眉をしかめる。

「でもね。一旦合意したんだから、それを破るってんなら相応の痛い目を……」

 剣呑な色を帯びた声とともに、武器を仕込んだ袖を構えかけたマーシャに、ロビンは吠えた。


「あんたらの組織の力を今すぐ貸してくれッ!」

「え?」

 虚をつかれたのかマーシャがパチリと瞬きし、腕をなぜかバンザイのポーズにあげた。


「依頼は……ラルフ・ダウセットの誘拐だ!」


 ……。

レストランの空気が凍りついた。


「こ、こいつイカれてんのか?」

 ぽつりとつぶやいた組織の男に……

「そうね」

「そうだよ」

 とマーシャとロビンが同時に答えた。


「確かにこの人はイカれてるけど、比較的大丈夫なイカれ人だから、とりあえず二人にしてくれないかな?」

 マーシャが男達にそう頼むと


「前みたいに足をへし折るなよマーシャ!」

 と、彼らは笑いながら調理場へ引っ込んでいった。

「……」

 冗談か本気かわからない。


「で。そうだね。ラルフを密かに誘拐すること自体は出来る。ていうか元々、奴と奴の組織を秘密裏に『処理』する命令が上から出てるから、身柄を渡すことは吝かじゃないってとこ」

「そうだったのか……。奴が裏で何をしてたかは知らないが、余程ボーダーラインの恨みを買ったんだな」

「パルメテール産のレアメタルの横流し。でもその品が純度の低い粗悪品だと指摘したら、ラルフの組織が逆にこちらを脅してきた。社会的な地位や信用を利用して、ボーダーラインを潰してやるって」

「そちらさんとしては、ラルフの粗悪品を我慢したら今度は他の組織に弱腰だと見られるワケだ。犯罪組織は舐められれば終わり」

「次善の策として、あなた――【ストレージ】を手に入れられるならラルフ達の犯罪の証拠を流して、裁きをパルメテールに任せる。でもボスはやっぱり死の制裁を1番望んでる」


 マーシャが訝しげな視線を向けて訊ねる。

「だからいずれラルフは消える。それでも誘拐して……どうすんの?」

「それは知らなくていい。ただ……」


 ロビンは一度息を吸って続けた。

「やはりヤツは小さな女の子の未来を奪った罪で裁かれないとフェアじゃない。別件での起訴や抗争の制裁なんかじゃなくてな」


「言いたいことはなんとなくわかったよ。それで……」

 マーシャは身を乗り出してロビンに喰らいつかんばかりに顔を近づけた。緋色の瞳が昏く輝いていた。


「あなたは組織に何を差し出してくれるの?」


「……無期限でアンタ達に協力する。どんな非合法なことでも」


 相手を射抜くようなまっすぐなロビンの視線に、マーシャも彼が本気だと理解したのだろう。


「おっけー……。すぐボスにお伺い立ててみるよ。まぁ無期限に【ストレージ】が使えるなら、希望は通るとは思うけど」

 ほんの一瞬、マーシャは意味深な表情を見せた。まるで普通の女の子が、友達を心配でもするかのような切なげなものだった。


「でも、悪魔に魂売るってことはハッキリ自覚しといてね?」

「些細なことさ」

 そう返したロビンは続く言葉を心の中でつぶやいた。


――俺が悪魔になるんだからな。


「ラルフは明日の夕刻にはパルメテールに向けて出国する。タイムリミットはそれまでだ」

「今の滞在先は?」

「騎士団に届けがあったから把握している。富裕層向け宿泊所『パレス』の最上階。ちなみにヤツの個人的な護衛は3人。そのうち1人はラルフがノエミィを傷つけても褒めそやしていたから、いずれもヤツの裏稼業のメンバーだろうな」

「つまりラルフ以外はどうしたって構わないわけね」

 マーシャはイタズラっぽい微笑みを浮かべたが、その瞳はまるで凶暴な肉食獣のような危険な色を帯びていた。

「俺はラルフを届けてくれたらそれでいいんだが。命まで取らなくても……」

「それはボスが決めること。そしてその彼の組織に、あなたは魂を売るの」


次の日、街は奇妙な静寂に包まれていた。


特に何かがあったわけでもない。いつもと変わらず、むしろ温かい陽気の昼下がり。

だがまるで何か恐ろしく大きな存在がこれから街を襲いに来るかのように、通りの人影はまばらだった。


「おい離せクソ下民共!」

 薄暗い倉庫で手足を縛られたラルフが、街の静寂をかき乱さんばかりに叫んでいた。

 だが倉庫はボーダーラインが非合法な品を保管しておく場所だ。つまりいくら叫んだところで一般人の耳に届くはずもなかった。


 それを遠目に眺めるロビンの心は、不思議とここ数日で一番凪いでいた。

やるべきことが目の前にあり、後は踏み出すのみだからだろうか。


ふと、騎士団へ正式に入団した日の事が脳裏に浮かんだ。


厳しい訓練過程を終えた候補生たちは、これから自分達が成すであろう誇り高い正義を胸に、宣誓を行う。

あの入団式の日の燃えるような希望。

そして宣誓の言葉は今でも昨日のことのように思い出すことが出来る。


「始めようか」


『我々、ヘヴンズフォート王国の騎士団員は、この国の憲法と騎士団の鉄の規定を遵守し』

 歯を食いしばり横たわるラルフの前に、ロビンは悠然と歩を進める。


『日々心身を鍛錬することを怠らず、知識を探求し、技能を研磨し』

 ロビンが右手を横に差し出すと、影からマーシャが音もなく現れ、神妙な面持ちで大型の杖を彼に手渡した。

それはラルフがノエミィを射抜いた時に使っていた杖だ。


『何者にも屈せずひるまず、弱き者の声を掬い上げいたわり』

 あの森を自由に駆け回っていたノエミィ。そして未来を奪われ診療所で痛々しく臥せるノエミィ。

ロビンは杖をラルフの足に向けて構えた。

その瞳には昏い光と同時に、責務を果たさんとする者の静かな決意が浮かんでいた。


『この世に蔓延る全ての悪を滅すると、ここに誓う』


 杖が光り、魔弾――ワイルドクローがラルフの太ももを内側からズタズタに引き裂き、吹き飛ばした。


「ぐぎゃああああああああッ!? ヒギィィィィィッ!?」

 肉が焦げる臭いと共に、ラルフが絶叫しながらのたうち回った。

「ぜはあッ! ぎいいいいい…… ぐうっ……た……たしゅけ……て……」

 涙と鼻水とよだれにまみれながら、ラルフが懇願する。


だがロビンは冷たい声でそれを撥ねつけた。

「あの子の方が我慢強かったぞ」

 その声色と怜悧な瞳に、ラルフは一切の望みが叶わないことを悟って、嗚咽を漏らし始めた。


「ううっ……えぐッ……ゆ……許されないだろこんな…… だって……お、おお、お前……騎士団だろうがッ! 」

 ラルフはロビンの中の『正義』に一縷の望みをかけて、なんとか助かる道を探っているようだ。

しかし――


「今はもう違う。アンタが俺を騎士団から追放したから今、こうすることが出来たんだ。皮肉だよな?」


 ラルフは自身の考えなしの愚行が、今の状況に自分を追い込んだことに気づき、全てのプライドや理性をかなぐり捨てて絶叫した。

「いやだァァァァァッ! もう痛いのやだァァァァァッ!! 頼むから助けてくれえええッ!! 死にたくないいいいッ」

 そんな彼と反比例するかのように、ロビンはますます心が冷えていくのを自覚した。


「もういいか……見苦しい」

 悶え苦しむ芋虫のように転げ回るラルフに、ロビンは手をかざした。


「【ストレージ】――格納」


 ラルフが瞬時に空間の裂け目にのまれた。

あとに残ったのは肉の焦げた臭いと、ラルフが全身からはなった絶望の悪臭だけだった。


「殺さなかったね。やっぱあんなヤツにも情けをかける優しさはあるんだ?」

 のんびりと問いかけるマーシャに、ロビンは振り返らず答えた。


「【ストレージ】に格納したものは変わることがない。食べ物は腐らないし、人は年をとらない」

「?」


「ヤツの傷は自然治癒することはないってことだ。精神が壊れるまで、あるいは永遠に――あの地獄の痛みにのたうち回ることになる」


 淡々とそう述べたロビンに、マーシャは僅かに声を震わせた

「……あなた、相当……」

「イカれてる? それは座右の銘か? 聞き飽きたよ」

「ふふっ。向いてるって言いたかったの。裏社会で生きていくのに。能力も、容赦の無さもね。でもその口ぶりだと……」

 マーシャは不吉な疑念に思い至ったかのように、ためらいがちに訪ねた。


「人間を【ストレージ】に入れたのは初めてじゃないよね?」


 その問いを黙殺し、ロビンは倉庫を後にした。


 今日を境に、これまで信じてきた生き方とは全く違う生き方をしなければいけないだろう。

もう公正さや正義という安心できる概念にすがりつく訳にはいかない。

自らの決断を道しるべに、先の見えない暗い道を踏破する。

だが。


やってやるさ。この力で。

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