敗北貴族の黒幕無双

岸本和葉

第1話 没落と策略

「ヴェルク=シュトレーゼン……! 貴様に対する逮捕状が出ている! 神妙にお縄につけ!」


「なっ……何故私に逮捕状が……⁉」


 ヴェルクと呼ばれた小太りの男は、目の前に突きつけられた紙を見て愕然とした。

 伯爵家であるシュトレーゼン家は、その地位を守るべく、数多の悪行に手を付けてきた。収賄、人身売買――――もはや数え切れぬほどの罪を重ねた。


 しかし、そのどれもが噂止まりだった。誰もがシュトレーゼン家を悪徳貴族と認識していても、一向に証拠が見つからなかったのだ。


 自分が金に守られていることを、ヴェルクはよく理解している。

 だからこそ、この逮捕状は不可解だった。あれだけ金を積んでやった騎士団が、自分を捕らえにくるはずがない。そう、信じていたのに――――。


「これは我が父、ローディス=シュトロンに受理された、正式な逮捕状だ!」


 少女は、正義感に溢れた鋭い眼光をヴェルクへと向ける。


 彼女の名前は、イグニア=シュトロン。

 燃えるような赤い髪をひとつに結び、腰には獅子の紋章が入った剣を差している。

 整った顔立ちと佇まいからは、気高さと気品が溢れていた。


 イグニアの父は、ここグランシエル王国の騎士団長を務める、ローディス=シュトロン。騎士学園の生徒でありながら、実力と地位を兼ね備えた彼女は、こうして騎士団の権力を行使することを許されていた。


「な、何事ですか⁉ 父上!」


 騒ぎを聞きつけたヴェルクの息子、アッシュ=シュトレーゼンが書斎に現れる。

 彼は父に提示された逮捕状を見て、愕然とする。


「父上に逮捕状……⁉ そんな、まさか……」


「こ、これは何かの間違いだ! 私が逮捕されるわけが――――」


 イグニアが思い切り床を踏みつける。

 屋敷全体が揺れるような衝撃が走り、ヴェルクは思わず口を閉じた。


「この書類は間違いなく騎士団より発行されたものだ。現に騎士団の紋章が描かれているだろう」


「ぐっ……」


 書類には、確かに騎士団の紋章があった。間違いなく、これは公的な文書である。


「さあ、私と一緒に来てもらうぞ!」


「ふざけるな……! 私は……! 私はぁぁあああ!」


 やけになったヴェルクが、イグニアに向かって飛びかかる。


「往生際の悪い……!」


 眉間にしわを寄せたイグニアが、ヴェルクを素早く取り押さえる。

 そして手際よく手錠をかけ、首根っこを掴んだ。


「違法な手段で得た富は、すべて押収する。二度とこの屋敷には戻れないと思え」


「ひ、ひっ……」


 顔を引きつらせたヴェルクは、イグニアに引きずられるようにして屋敷を出ていった。


「父上……! 父上ぇぇぇえええ!」


 去り行く父に手を伸ばし、アッシュは叫ぶことしかできなかった。


◇◆◇


「――――いつまでそうされているのですか?」


 親父を連れていかれ、書斎に崩れ落ちた俺にそう問いかけたのは、ひとりのメイドだった。


 手入れの行き届いた美しい銀髪に、主張の激しい胸。手足はすらりと長く、そして細い。その美しさは、まるで出来のいい球体関節人形のようだった。


 彼女の名前は、フラン。

 シュトレーゼン家のメイド――――いや、正確には、俺専属のメイドだ。


「……もう少し浸らせてくれよ」


 そう言いながら、俺は顔を上げる。

 計画が上手くいったことを喜んでいたのに、これでは台無しだ。


「だいぶ遅かったな、イグニアのやつ。もう少し早く来てくれてもよかったんだが」


「シュトレーゼン家は騎士団にも多額の賄賂を渡していましたから、上層部が逮捕をためらっていたのかもしれません」


「相変わらず腐ってるな、この国は」


 言葉とは裏腹に、俺はニヤリと笑った。

 俺にとっては、腐っているくらいがちょうどいい・・・・・・


「それにしても、実の父を売るとは……親不孝者とはまさにこのことですね」


「失礼なことを言うな。父上が捕まったのは自業自得だろ?」


 何を隠そう、父親の悪事をイグニアに伝えたのは、実の息子であるこの俺だ。

 すべては、このシュトレーゼン家を没落させ、自由の身になるための計画だった。


 俺が何故、こんなことをしたのか――――。

 それを知ってもらうには、かれこれ十年ほど時を遡らなければならない。


 この俺、アッシュ=シュトレーゼンは、もともと日本のしがない銀行員だった。

 毎日毎日、死んだ魚のような目で他人の金を数える。

 俺はとにかく真面目に働いた。

 特に大きな趣味もなく、彼女も作らず――――まあ、それはモテなかっただけだ。

 同じことを繰り返す日々は決して幸せとは言えなかったが、恵まれた人生ではあったと思う。


 だから、銀行強盗に胸を撃ち抜かれたときは、さすがにこの世を呪った。文句も言わずに真面目に働き続けた末路がこれかと、悔しくて涙を流した。

 しまいには、俺がせっせと数えた金を、あの強盗共は我が物顔で奪っていきやがった。もともと俺の金ってわけじゃないが、金を数えることが俺の唯一の生き甲斐だったのだ。


 失意を抱えたまま、俺は命を落とした。

 そう、間違いなく死んだはずだった。

 しかし、俺は再び目を覚まし、こうして生きている。

 いわゆる、転生というやつらしい。


 地球とは明らかに違う世界で目を覚ました俺は、気づけば伯爵家であるシュトレーゼン家の嫡男として過ごしていた。

 伯爵家とあって、シュトレーゼン家は大層裕福だった。これが前世を真面目に生きた者へのご褒美だと言われたら、納得してしまうくらいには快適な日々だった。


 そんなシュトレーゼン家の闇を知ったのは、七歳のとき。


 俺はたまたま、親父が騎士団に金を渡しているところを目撃してしまった。

 それが賄賂であることを悟った俺は、親父が家を留守にしている間に書斎を調べ、あらゆる悪事の証拠を見つけ出した。


 新しい人生を楽しもうと思っていた矢先にこれかと、神を呪いそうになった。

 悪事というのは、いつかバレるものだ。

 今は上手くいっていても、シュトレーゼン家にいる限り、俺は〝爆弾〟を抱えたまま生きていくことになる。爆弾が爆発すれば、待っているのは転落人生。

 これ以上、他人の悪意で人生を壊されるのはごめんだった。


 だから俺は、自分で人生を壊すことにした。もちろん、壊れてもいいように、入念な準備を重ねた上で――――。


「十年は長かったな……だが、これで準備は整った」


 権力は失ったが、必要なものはすべて揃った。

 優秀で忠実なメイドに、武器、そして知識。

 闇の世界・・・・から成り上がるための準備は、すでに整っている。


「フラン」


「はい、アッシュ様」


「約束通り、見せてやるよ。闇の世界から成り上がる、主人の姿を」


 前世は真面目に生きて、バカを見た。

 結局どう生きたって、死ぬときは呆気なく死ぬのだ。だったら、真面目な生き方なんてクソ食らえ。第二の人生は好き勝手生きてやる。

 どうせボーナスステージなのだ。

 偶然拾った人生、思う存分謳歌してやろうじゃないか。


「俺は闇の帝王になる……モテるために」


「……相変わらず、情けない目標でございますね」


「うるさいやい」


 前世を真面目に生きた俺は、とにかくモテなかった。本当にモテなかった。

 童貞のまま死んだことは、俺の大きな後悔だった。


――――まずは、この後悔を払拭する……!


 この世界では、絶対に女性に囲まれる人生を送ってやる。


「……意気込むのはいいのですが、アッシュ様」


「ん?」


「近日中にこの屋敷も追い出されることになりますが、寝床はどうなさいますか?」


「ああ、それならどこか宿を取って――――」


「そんなお金はどこにもございません」


「……」


――――どうしよう。


 こうして闇の帝王を目指す俺の人生は、家を失ったところから始まった。


―――――――――――――――――――――――――――――――――

『あとがき』

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