音の本音

2年前のことだ。SNSでの異常な盛り上がりから一気に有名音楽家になったピアニストがいた。それが「矢野しずく」である。その存在はとにかく謎だらけで、公開されていた情報は2つ。1つは矢野しずくが女性であるということ。そしてもう一つは、彼女が声や楽器など、この世に存在するすべての音の「心の声、心の音」がわかるという事。


楽しげな音の裏に潜む負の感情など、音の奥にある真の感情を「音の心」として聴き分けられるという彼女。そのミステリアスさと、それこそ説得力のある「感情のこもったピアノ演奏」が話題になり、彼女が演奏する動画が上げられる各媒体のアカウントは、あっという間にフォロワーの数が100万人を超えた。


「#矢野しずく」「#絶対音幹」「#心音」

この様なハッシュタグがSNSを賑わせ、音楽業界で一躍時の人となった矢野しずくであったが、何の前触れもなく突然の活動休止が告げられる。それも詳しい理由は全く語られずSNSが突然閉鎖されて行方不明に…という、ある意味「劇的」なものだった。


ただそれでも某大手動画サイトにある彼女の演奏チャンネル「だけ」はそのまま残されており、鍵盤と彼女の異常なほどに上品な手元だけを写した幾つかの演奏動画の再生数は、彼女がいわば幻となった今でも伸び続けている___


私の学生時代の浅いゴシップと、改めて調べ直した彼女の情報を照らし合わせて作った文章がこんな感じだ。そして取材自体は決まったものの、その日程はまだまだあやふやな段階…なのだが、割と「マメだけ」ではある私は下準備として、ひとまずここまでをサラッと書き上げた。


「絶対音幹」は彼女ではない誰かが言い始めた例えだろうが、確かに気になるフレーズだなとは思う。そして「心音」は「こと」「こころね」など色々な読み方で、様々な媒体で取り上げられていたと記憶している。


ちなみに私の名前の読み方は小さい音と書いて「こと」である。実は私の両親の仕事は共に音楽関係の仕事だ。父は音楽プロデューサー、母は音楽関係…と言い切っていいのかは定かではないが、中学校の音楽の先生だ。そんな音楽夫婦の間に生まれた私の名前の由来は「どんな小さな音でも、1音欠けるだけで曲は完成しない。小さくても大きくても良い。関わる人との間柄において替えの利かない、無くてはならない存在。そんな大人になりますように」という願いから、だそう。私はこの由来を気に入っていて、自分の名前がとても好きだ。


翌々考えてみると、「こと」繋がりで何か縁があって矢野しずくさんの取材の仕事が舞い込んできたのかもしれない。何か良い結果にたどり着くといいな、と通勤中の満員電車に揺られながら、私はぼんやり考えていた。

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