絶対音幹

もにもに

矢野しずく

「おーい!柏木!ちょっと!」

ここは都内某所にある、とある出版社の事務所。私のいるデスクから一番遠い場所に座る人物が、どデカい声で私を呼んでいる。

「とっておきの取材の話があるんだが、お前に担当してほしいんだよ。矢野しずくって言う女性ピアニスト。前からオファーを出していたんだが、ようやく取材出来る事になったんだ。その取材をお前に任せようと思ってる。なんせお前はウチの期待の星だからな、ガーッハッハッハッ!」

豪快かつ少し下品な笑い声が響き渡る。時刻は午前11時過ぎ。周りの記者仲間が「やれやれ」という薄ら笑いを浮かべながら自分の仕事をこなしている。


私の名前は柏木小音。大卒1年目の駆け出し記者…とでも言っておこう。特にやりたいことがなかった私は就活という自分探しの結果ココ、集報社に流れ着いた。


大学の仲の良い友人は商社や銀行に入り、ある意味で世間的成功へ進む「王道組」と、やりたい事に特化して就職せず、自らを磨く組とに大きく分かれていた。だが、私はそのどちらにもならなかった。どちらに進むにせよ、やる気と覚悟が足りなかったのである。先述したが、やりたい事も将来の明確なビジョンも無かったので、就活を「自分探し」という風に強引に位置付け、必死に自分の好きな事との接点がある職業を探した。その結果、出版社に就職するという答えにたどり着き現在に至る。その答えの真相も友人に「ミーハー」と言われるからゴシップ関係ならやる気が出るかもしれない、というフワフワしたものであった。


そんな私がなぜかホープ扱いされているココは集報社。美容院などに置いてある幾つかの雑誌の中に高確率で存在するファッション雑誌や、ネットの〇〇マガジンなどで目にする「特化型」の雑誌などを手掛けている出版社だ。

先輩や上司にお茶を出すタイミングが絶妙な事や、小さいゴミに気付いては拾っている、という小さな理由から「色々ソツ無くこなす、出来る女」というイメージを先行して持たれ、本来のポンコツさを隠すのに四苦八苦して2ヶ月ほど経ったある日、部長から冒頭の抜擢の報を受けた。


私は小さい頃から目立つのが好きではない性格だ。なので上司からホープ扱いされ先輩からあまり面白く思われないポジションというのは、元来好ましくはない。だがこういう経験も悪くないと思える自分が少なからず存在していて、ちょっと大人になった気がした。更に言えば、ここまでの人生で色々と「平坦」に染まっていた自分に少しコンプレックスを感じていたが故、自分自身の些細な気持ちの変化を感じれて嬉しかったし、モチベーションが上がるのを自ら感じた。


その日の帰宅後、先ず「矢野しずく」という人物について色々と調べ始めた。その後、彼女が私の人生と考え方を何もかも変える存在になるとは知らずに。



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