第55話 勇躍
ゴールデンウィークも終わり、
初夏の日差しは日に日に強くなってきた。
それでも、俺の身体は変わらない。
リハビリは続けているが、
ダンベルはミリグラム増えただけで上がらなくなる。
走っても、一定距離で突然倒れてしまい、
全く動けず一ミリも進めなくなる。
何をするにせよ百か零かしかない。
余白がないので、
安全マージンを取ると以前より連続稼働できない。
休憩しても、ろくに回復しない。
回復魔法なら回復できたが、効率が悪すぎる。
何より身体から感じる違和感が、
日に日に強まっていく。
自分の身体ではない感じ。
着ぐるみを着て動く感じより、
FPS 系アクションゲームの感じに近い。
そのせいか、どんどん危機感が薄れていく。
自分の身体がうまく動かないより、
こちらの方が問題に感じている。
心身に、突き詰めれば命に関わることだ。
俺自身、自覚がある無謀な人間だが、
これではもっと危険だ。
「どうしたものか。
べらぼうに悩ましい。」
俺は偶然手に入った美味しい食パンを手にごちる。
「柔らかい品種だから、
網で直火焼きするのがいいか。
ホットサンドも捨てがたい。
サンドにするなら、
具材はしょっぱい方がいいか。」
たかがトースト、と侮るなかれ。
パンによっても、焼き方によっても味が変わる。
トースター、網焼き、炭火、フライパン。
器具でも味が変わる。
パンを焼いただけ、というやつは多いが、
ステーキも肉焼いただけだと俺は思う。
手間暇ひまについては、
一回食パンに加工してる時点でステーキに負けてない。
「バターはあるが、他に甘いのもあればいいか?」
「アルジ君、
私も私たちもトーストにそこまで情熱的になれる人、
初めて見た。」
「ミタニ様、
せっかくの焼きたて食パンなら、
美味しくいただきたいのが普通だと思いますよ。
ネルも甘いパン好きですし。
私はしょっぱいピーナッツバターが好きです。
甘々のピーナッツクリームも良いですよ。」
「そうですよ、ミタニさん。
網焼きのトーストはザクザクで美味しいんですよ。
トーストに小倉バターは至高です。」
「……死んでからの方が食生活が豊かって、
なんなんだろうね。」
ミタニは呆れて笑っている。
魔王に乗っ取られた財前に、
俺はこっぴどく両腕をやられた。
だが、運がいいのか、
リハビリをして料理はできるようになった。
生卵を片手で割るまでに一週間程度かかったが、
今では普通にキッチンに立って料理ができている。
「ハニートーストとか、どうでしょうか?
ソフトクリームは用意できませんが、
バニラアイスを乗せましょう!」
「カリカリのベーコンにしょっぱいピーナッツバターとピクルス、目玉焼きもいいですよ?」
「私はトースト、あんまり食べたことないかも。
私たちに聞いても意見別れるしね。
ジャリパンだっけ?
それは食べたことあるよ。
グラニュー糖のやつ。」
「ミタニさん、それはコッペパンだと思いますよ。」
スーパーへ行くことは決定だな。
買うのはアンコとバニラアイス。
はちみつはあるが、
メープルシロップもあるといいか。
個人的には、
わさびマヨネーズと正方形に焼いただし巻きが好きなトーストのトッピングだ。
「ボックスへ食パンをしまいましょう。
風味が逃げないよう、しっかり保存です。」
「ガーネット様、
アンチョビとオリーブオイルのトッピングって、
食パンよりバケットですかね?」
「ネルちゃん、
そこまで行くとピザのトッピングじゃない?」
「そうですか?
私は食パンでも行けそうに思えますよ?
ネル、アンチョビは戸棚にあるので、
後で試しましょう。」
携帯が鳴る。
通話着信の音楽だ。
俺は携帯の画面を見て、思わずため息がでた。
「財前か。」
財前からの電話より、せっかくの食パンだ。
ガーネットの言う通り、
ボックスの魔法で収納してもらう。
俺はため息をつきながら、電話にでた。
「お断りします。」
「第一声がそれはひどくない?
僕、まだ何も言ってないよ?」
「どうせ、
義足を作ってくれと小田さんに頼んでほしいって、
話でしょ?」
「それもあるけど、違う話だよ。」
財前はこれは噂だ、と前置きして話し出した。
「“吸血鬼”がでたって、
話がハンターの中で広まってる。」
「これはまた、面妖な。」
都市伝説の本人が言うのもなんだが。
でも、スライム頭よりさもありなん、と
いう感じがした。
「ダンジョン内で、
吸血痕のある死体が見つかったって。
でも、どの死体もダンジョンに食われて回収されていない。
発見者は皆、同じことを言ってて。」
安らかな顔で、
両目から血を流した死体が丁寧に弔われてた。
「両手を胸の前で組んで、
目蓋は下ろされてたらしい。
吸血痕はうなじ、首元、
腕にあるケースもあったって。
どれも、牙による四つの痕があって。
その真ん中に大きな穴が開いてたって。」
俺は違和感に耐えきれず口を挟んだ。
「五つの穴ですか?」
「そう。五つだ。
本当にただの噂だったんだけど、
とうとう“大和桜”のメンバーに目撃者がでた。
死体は回収する前に消えた、って言ってたけど。
政府も導入したての“防人(さきもり)”でも、
情報規制してる死体の情報が他と一致してるから、
同じ犯人だとみてるらしい。」
“防人”は、
以前俺と財前が講師に呼ばれたダンジョン警備隊のことだ。
正式に稼働し始めたのはゴールデンウィークの前だから、
結成されて一月も経ってない。
財前いわく、
かなり急ピッチで導入したため、
“大和桜”がフォローしているとのこと。
「関西圏のダンジョンが噂の中心だけど、
うちのメンバーは櫻葉さんのいるG県のダンジョンで見たらしい。
後でその死体があったダンジョンの情報を送るから、
注意してほしい。」
俺は大きなため息をついた。
「結局、厄介事じゃないですか。」
「いや、注意喚起と情報共有。
この前みたいになったら、もう申し訳ないからね。
次があったら、僕は絶対にボコボコに殴られるよ。」
「私は殴りませんけど。」
「ガーネット女史と、ネル女史。
もしかすると、ミタニ女史にも殴られるかも。」
「それは、大いにあり得ますね。」
俺が横目で見ると、件の三人は大きく頷いている。
この三人に殴られたら、
半分人間じゃなくなった財前でも、たぶん死ぬ。
「調査もかねて、
大阪に主力メンバーを向かわせるんだ。
黒川さんが現場指揮をとる。」
「……あの人、今は大丈夫じゃないでしょ?」
「僕も彼女の事を聞いたよ。
でも、こればっかりは時間が解決するのを待つしかない。
忙殺して、
仕事で気を紛らわしてもらうのも手だと思ってるよ。」
時間が癒す、と言うのは俺も賛成だが、
忙殺は逆効果な気がした。
「むしろ、あの人はダンジョンから離した方がいいのでは?」
「離した方が不味い。
なんか、最近輪をかけておかしいんだよ。
急に料理しだしたり、身体を鍛えだしたり。
まぁ、彼女も“ステータス”が優位だから、
そんなに効果はないみたいだけど。
挙げ句には、
ダンジョンでスライムばっかり狩るんだよ。
もう何がしたいのか、分からないんだ。」
なんだか、心当たりがある。
これは、あれだ。
俺の行動を真似てるんだ。
このままなら、
彼女一人で一万匹のゴブリンに喧嘩を売りに行く未来が見える。
「悪化してます。
何とかしないと、あの人死にますよ?」
「うわぁ、櫻葉さんが“死ぬ”って言った。
ほんとに不味いやつだよー。」
天を仰いで唸る財前の姿が見えるようだ。
「どしよう。
彼女だけ、先に大阪に行っちゃった。
僕、早まった?
ヤバいなぁ。」
「私に害がなければ、別に良いんですけど。
最近の世間の流れ的に黒川さんがどうにかなったら、
私に類が及ぶでしょうしね。」
電話越しでも財前があわてふためく様が見える。
「なんか、結局僕が殴られる案件になっちゃった……。
ごめんね。
殴り終わったら、
回復魔法の施しをお願いします。」
「一人一発ずつにしてもらうよう、相談してみます。」
「助かります……。」
「期待はしないでくださいね。」
俺の横目には、
両手でばつマークを作る三人がいた。
財前がボコボコにされることが確定した。
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