第35話 とても愛おしいです

 セレストは家のソファーに座り、腕を組んで考え事をする。

 テーブルの上には空の魔石が転がっている。

 せっかく風の魔力を込められるようになったのだ。それを利用し、トーナメントまでに戦いに役立つアイテムを作りたい。

 しかし、これが炎や雷なら直接的な攻撃手段になりうるが、風はどう利用したものだろうか。


 日常生活なら、いくらでも思いつく。

 暑い夏には送風機のありがたみを思い知る。部屋干しした洗濯物を素早く乾かすのにも使える。なにかの熱源と組み合わせれば冬だって大活躍。


「……小型のものを作れば、髪を乾かすのに使えるのでは? 戦いとは関係ありませんが、メモしておきましょう」


 セレストはアイデア出しの作業を続ける。

 気がつくとすっかり夜だった。明かりをつけ、そしてフェリックスがまだ帰っていないと気づく。

 彼は小さな子供ではないから、そう心配する必要はない。

 だが一緒にいるのが当たり前だった人が、こう何時間も隣にいないというのは落ち着かない。


(一緒にいるのが当たり前……いつの間に私はフェリックスくんをそんな風に……)


 友達だからだろうか。

 とはいえドロシーが隣にいなくても、こんなソワソワした気持ちにはならない。

 どちらも同じくらい大切に想っているつもりだ。

 違いがあるとすれば、友達になってからの年月か。

 考えてみると、ドロシーと友達になって最初の頃は、彼女がそばにいないと落ち着かなかった。

 なので今の気分も、フェリックスとの友情の日が浅いゆえのものだろう。

 そう結論づけたセレストは、ソファーに身を沈めたまま、ソワソワと同居人の帰りを待った。

 まるで小さな子供に逆戻りしたみたい。そう思ったとき、扉を開ける音がした。


「フェリックスくん、おかえりな――」


 玄関に行くと、フェリックスが倒れていた。

 慌てて抱き上げると、顔色が真っ青だった。それに擦り傷が多い。服も傷んでいる。


「な、なにがあったんですか!? まさか誰かに」


「……案ずるな。特訓の結果だ。別に襲われたのではない」


「それは……少し安心しました。けれどフェリックスくんが倒れるほど疲弊してるのは事実です。こんなになるまで特訓するなんて。努力家なのは知っていますけど、やりすぎです」


「生半可な努力でセレストに勝てるとは思っていない……明日はもっと帰りが遅くなるかもしれん」


 セレストは怒っているのだが、それが伝わっていないらしく、フェリックスは悪びれずに言った。そして眠ってしまう。

 玄関先に放置するわけにもいかない。

 寝室まで運ぶため、両腕を使って彼を持ち上げる。横抱き、あるいはお姫様抱っこと呼ばれる姿勢。

 セレストは階段を上りながら、ふと疑問を浮かべた。これって男女が逆なのでは、と。


 そしてベッドにフェリックスを降ろす。いくらなんでもコートを着せたままはどうかと思い脱がせる。

 このまま立ち去るのは薄情な気がして、布団の上に座り、フェリックスの寝顔を見つめた。

 なんとなく寝苦しそうだ。

 いっそ寝間着に着替えさせてやろうかとシャツのボタンに手をかけた瞬間、フェリックスが目を開けた。


「なにを、している?」


「服を脱がせようとしていました……いや、この言い方は駄目ですね。私がえっちな人みたいです。寝間着に着替えさせてあげようかと思いまして」


「……どのみち、俺を裸にするのは同じではないか?」


「そうですね」


「お前、恥ずかしくないのか? 俺は結構恥ずかしいぞ」


「言われてみると……」


 以前やらかしたラッキースケベどころではない。自ら突撃している。突撃アサルトスケベだ。


「ですが……服を着たままは寝苦しいですし。変なシワがつくかもしれませんし。親切心ですよ」


「ではお互いの立場が逆だったとして。俺が親切心を発揮し、セレストを着替えさせてもいいのか?」


 想像してみた。それはセレストには刺激が強すぎる想像だった。

 だが女物の服は、男の服よりも更にデリケートだ。スカートの形が崩れたら大変である。セレストは次から次へと服を買い換えるタイプではない。

 色々と計算し、セレストは結論を出した。


「目を閉じて……いえ、目隠しして絶対に見えないようにするなら構いません……」


「すると俺は手探りでセレストの服を脱がし、そして着せるのか。大変な作業だ」


 再びセレストの想像力が刺激された。

 目隠しをしたフェリックスが、指先でセレストの肩や太ももをまさぐりながら服を脱がしていく光景――。


「漆黒令嬢と呼ばれる私でさえ赤面せざるを得ません……フェリックスくん、私に変な想像をさせないでください」


「言い出したのも、想像したのも、赤面しているのも、全てお前だ。人のせいにするな」


「ぐぬぬ」


 セレストは敗北を認め、ぽふんと布団に倒れ、サメのぬいぐるみを抱きしめた。


「今日のところはフェリックスくんの勝ちです。ですが次はこうはいきません。首を洗って待っていなさい」


「お前は子供向けの本に出てくる悪役か」


 フェリックスはため息を吐く。

 それから少し間を空けて、言葉を紡ぐ。


「セレスト。トーナメントまで、ずっとこんな日が続くと思う。だが、どんなに遅くなっても家には帰る。迷惑をかけるのは分かっているが……許してくれるか?」


「はい。私は魔眼でフェリックスくんに迷惑をかけました。これでおあいこですね」


「ありがとう……その礼と言っては妙だが、トーナメントでは絶対に俺が勝つ……」


 そう言ってフェリックスはまた眠ってしまった。

 トーナメントで勝ちを譲るというならともかく、絶対に俺が勝つなんて。本当にお礼としては妙だ。

 けれど、彼の努力の全てはセレストを倒すためだけにある――それが、とても愛おしく思えた。

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