第15話 魔力がなくなってしまいました

 アカデミーに着くと、やはり、あちこちから二人の噂話をする声が聞こえてきた。

 もちろん婚約についてである。


 魔法アカデミーは卒業するのに最低三年必要という縛りはあるが、入試は十五歳以上なら誰でも受けられる。なので中には年配になってから入学して魔法を学ぶ人もいるし、何度も浪人してすっかり大人になってしまった人もいる。

 しかし大半は十五歳か十六歳くらいで入学し、三年後に卒業する。

 セレストもフェリックスも現在十八歳だ。

 アカデミーは、そういう思春期真っ盛りの少年少女で構成されている。


 身分の高い生徒が多いゆえ、婚約話はそう珍しくないが、それでも生徒同士が婚約したとなれば噂をしたくなるのも当然だ。まして漆黒令嬢と冷徹王子となれば、ほかのどんなものより話題性があるだろう。


「い、一緒に登校してきた……やっぱりあの記事は本当なのか……」

「フェリックス様が漆黒令嬢のものに……いえ、まだ婚約しただけで結婚はしてないわ。まだフェリックス様はみんなのものよ!」

「それにしても漆黒令嬢はどうして眼帯をしてるんだ?」

「フェリックス様の機嫌を損ねて、殴られたんじゃないの? 根暗女だもの。一緒にいるだけで気が滅入りそう」


 それらの噂話を聞いて、セレストは少し面白くなってきた。


「フェリックスくんは、機嫌を損ねたら簡単に相手を殴る人だと思われているみたいですね」


「ふん。奴らは俺たちを遠巻きに眺めて、勝手にレッテルを貼っているだけだ。セレストをただの根暗だと思っている。なにも分かっていない」


「……私が根暗なのは確かなのでは?」


「知らないと思うが……お前の笑顔はなかなかのものだぞ」


「はて。笑顔を浮かべた覚えなどないのですが……」


 フェリックスは妙な夢でも見たのだろう。

 夢の中でなら、いくらでも理想の婚約者を作り出せる。

 現実のセレストがあまりにも笑わないものだから、耐えかねて夢に理想を反映させてしまったのかもしれない。

 彼の理想の女性になるのは無理だが、家を暗い雰囲気にしないため、鏡の前で笑顔の練習をしておこう。


 セレストは試しに、窓ガラスに写った自分を見ながら、二本の指で口の端を『にっ』と釣り上げてみた。

 口だけ笑っていて、目が死んでいる。我ながら怖い。こんな顔で歩き回ったら、暗黒微笑令嬢と呼ばれてしまうかもしれない。漆黒令嬢のほうが幾分かマシだ。


 噂の集中砲火を浴びながら、セレストとフェリックスは教室に入る。

 自由席なので、二人で並んで座った。

 程なくして教師のアスカムがやって来た。五十手前の中肉中背の男だ。あまり迫力のある教師ではないが、それでも生徒たちは噂話をやめ、教壇に向き直る。


「さて。今日の授業は『魔石の扱い方』です。もうすぐ卒業というときに、なにを今更……と思うかもしれません。確かに魔石は身近です。数多くの魔法道具に組み込まれていて、一般人の生活にも深く関わっています。だからこそ、魔石について深く考える機会が少ないのでは? 例えば、魔石を組み込んだ剣や盾を使うのは簡単でしょう。しかし、その魔石の魔力が枯渇したときに自分で充填するのは、なかなか難しいものです。だからこそ、それができるようになれば、魔法師としての幅が広がります。そこで今日は諸君たちに、実際に空の魔石に魔力を注いでもらおうと思います」


 そう言ってアスカムは、教壇の上に箱を置いた。

 中身は無色透明の、無数の石ころだった。


「諸君らが普段、目にする魔石は色がついていますね? 完全に空になった魔石は、このように透明なのです。そして魔石に込められた魔力属性によって色が変わります。無属性なら灰色。水属性なら水色、風属性なら緑色という具合です。ただ水属性と氷属性、風属性と植物属性のように似た色になる場合も多いので、色だけで判別するのは危険です。水色だから水属性だろうと思い込んで、辺り一面を氷漬けにする事故が毎年のように起きています。必ず属性を探知してから使うように」


 すると生徒たちから笑い声が上がった。

 昨年、その事故をアカデミーの教師が起こして、全身氷漬けになったのだ。すぐに発見されたから風邪で済んだが、一歩間違えたら死んでいた。


「それでは、空の魔石に充填してみましょう。まずは……ああ、そうだ。セレストくん。魔法道具作成の授業を選択しているので、魔石の扱いには慣れていますね? 前に出て、実演してください」


「分かりました。無属性魔力でよければ」


「それで結構です。ところで、なぜ眼帯を?」


「昨日、新しい魔法道具を作るのに失敗しまして。右目に魔力が妙な具合に残留して、模様が浮かび上がったんです。それで授業が終わったあと、アスカム先生に見てもらいたいのですが……」


 セレストは騒ぎを避けるため魔眼について言及するのを避けつつ、授業後の約束を取り付けようとした。


「なるほど。それは大変ですね。私でよければ相談に乗りましょう。ですが、まだ授業は始まったばかりです」


 無事に約束を得たセレストは、ほっとしながら教壇まで歩く。

 そして魔石の一つをつまみ上げた。ビー玉ほどの大きさ。このサイズなら、一瞬で灰色に染められる。


「……あれ?」


 魔力を流そうとした。だが、なにも起きない。魔石は透明のまま。


「どうしたのですか、セレストくん」


「それが……上手く魔力を出せなくて……体調が悪いのかもしれません」


 自然と声が震えてしまった。

 こんなのは初めてだ。昨夜、右目が痛んだときよりも遙かに恐ろしかった。


「魔力を出せない? 少しも? 全く?」


「はい」


 そのときの調子によって魔力は増減する。それは普通のことだ。しかし今は完全にゼロだった。どれだけ振り絞ろうとしても、セレストの中に魔力の気配はなかった。自分が自分でなくなってしまったような、言いようのない恐怖が襲い掛かってくる。


「その右目に模様が浮かんだとき、激しい痛みがありましたか?」


「はい……」


「……授業を中断します。各自、自習をするように。セレストくんは一緒に廊下に来てください」


 セレストはアスカムに連れられて教室を出る。

 生徒たちがザワついた。

 フェリックスが立ち上がって追いかけてくるのが見えた。それでセレストは、少しだけ心が軽くなった。

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