第9話 メイドのドロシーです

「ドロシー。私です、セレストです。ただいま戻りました」


 そう言いながら店に入ると、店番をしていたドロシーが跳ねるように駆け寄ってきた。


「セレスト様! ルパート陛下から聞きましたよ。婚約なされたんですって!? 急な話でビックリしました。お相手はどんな人なんですか? ベイレフォルトの王子だってのは聞きましたけど。昨夜、もう傷物にされちゃいましたか? 優しくしてもらいました? もし相手がとんでもなく横暴な人で我慢できなかったら言ってください。私、セレスト様を連れて、地の果てまで逃げる所存なので!」


 ドロシーはセレストの手を握り、真剣な眼差しでまくし立てた。

 ルパート陛下というのはセレストの父親のことだ。

 昨日は急な婚約と同棲が決まり、店にいるドロシーに事情を説明する暇もなくフェリックスの家に連れて行かれた。なのでセレストは父に、ドロシーへの事情説明を頼んだのだ。


「ありがとうございます。そして婚約の報告を直接言えず申し訳ありませんでした。地の果てまで一緒に行ってくれるなんて嬉しいです。けれど今のところその必要はありません。フェリックスくんは、ちゃんと私を人間扱いしてくれています。今朝だって、私の酷い寝癖をブラシで直してくれたんですよ。ご紹介します。私の婚約者のフェリックス・ベイレフォルト王子殿下です」


「フェリックス・ベイレフォルト王子殿下……フェリックスくん……ああ、前に一度、ご来店してくださった、あのイケメンさん! 確か、セレスト様と同じ魔法アカデミーの生徒なんですよね。で、なにかあるたびに『次は負けんぞ』とセレスト様に絡んでくるとか」


「詳しいな」


 グイグイ話しかけてくるドロシーに、フェリックスは凍てつく視線を向けた。が、ドロシーは気圧されずニコニコとしている。


「ええ。ちょくちょくセレスト様が『今日も冷徹王子に虐められました』と愚痴ってくるので。私のセレスト様に酷いことを言う人は、たとえ隣国の王子であっても許せません。もし次に会ったら鉄拳制裁を……と思っていましたが。なんと同棲して一晩で仲良くなったんですか。うふふ、昨夜はお楽しみしちゃったんですか?」


「お楽しみ? それはどういう意味ですか?」


 セレストは首を傾げる。が、ドロシーはニヤニヤするばかり。

 次いでフェリックスを見上げると、なにやら頬を赤らめ、ぷいと目をそらされた。

 その反応でようやくセレストも〝お楽しみ〟の意味を察した。顔が熱くなりそうだった。

 おほん、と咳払いして誤魔化す。


「あのですねドロシー。私とフェリックスくんの婚約は、政略的なものです。そこに愛はありません。よって楽しんだりはしません。第一、恋愛感情があったとしても……婚約初日でそういう行為は……早すぎると思います。やはり実際に結婚してからじゃないと。ねえ、フェリックスくん」


「あ、ああ……お前がそう望むなら、時間をかけるべきなのだろうな……」


「おやおや? セレスト様とフェリックス様の考え方には、少々違いがあるようですねぇ」


 ドロシーは楽しそうに言う。

 まったく、なにを想像しているのだろうか。

 セレストはフェリックスに恋愛感情がないし、むこうは尚更だ。

 そういう雰囲気になるわけがない。

 とはいえ政略であろうと、いずれは結婚する。ならば世継ぎを求められ、ドロシーが言う〝お楽しみ〟をする日がやってくる。

 セレストは拙い知識を総動員し、想像を巡らせた。非現実的すぎて逆に冷めてきた。将来、本当にそうなったら改めて考えよう。


「しかし、この店に来るのは二年ぶりだが、扱う品物が増えたな。前よりも高度な技巧を凝らしているように見える」


「あ、分かりますか? あれから授業でも独学でも色々学びましたから。このナイフなんか自信作です。手入れしなくても百年は錆びません。試しに『切れ味強化』も付与したんですが、まな板ごと斬ってしまったのでやめました」


 セレストは自作の商品を見てもらえるのが嬉しくて、ついフェリックスに身を寄せて解説した。


「おい、あまり体を密着させるな」


「……失礼しました……私なんかがくっついたら不快ですよね」


「そうじゃない。ナイフを持った奴に近づかれたら、誰だって嫌だろう。そういうことだ」


 嘘だな、とセレストは見抜く。

 フェリックスほどの実力者が、こんな短いナイフを怖がるわけがない。やはり黒髪で陰気な女は、生理的に受け付けないのだろう。

 なのにセレストではなくナイフのせいにしてくれるのだから優しい人だ。


「ふーん、へえ……なるほど。鈍感とツンデレ……すでに婚約済みで同棲中……これは見守るのが楽しみですねぇ」


 ドロシーは頭の中で物語を組み立て始めたらしい。たまにある悪い癖だ。

 鈍感とツンデレなんて誰の話をしているのか。

 セレストもフェリックスも、決してそういうものではない。絶対に。


「妄想するのは勝手ですけど、フェリックスくんに迷惑をかけてはいけません。さ、荷物をまとめるのを手伝ってください。フェリックスくんは、しばらくここで待っていてもらえますか。そんなに多くないので、すぐに終わります」

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