第7話 二年前の話 2/3

「いらっしゃいませ……あ、冷徹王子」


 セレストは同じアカデミーの生徒が来店したのに驚いたのか、わずかに目を丸くした。


「失礼な店員だな。ならば俺はお前を漆黒令嬢と呼ぶぞ」


「失礼しました。ええと、フェリックス・ベイレフォルト王子殿下でいらっしゃいますね」


「ほう。筆記では学年主席。トーナメントでも一年生としては最も優れた成績を収めたセレスト・エイマーズ王女殿下が、俺を覚えていてくれたとは……光栄だな」


 そのときのフェリックスは、かなり卑屈な気分だった。

 ところがセレストには伝わらなかったらしく、平然と受け答えしてきた。


「覚えていますよ。トーナメントでの王子殿下は強かったので。正直、あの次に当たった二年生よりもずっと。王子殿下と戦った疲れがなければ、私はもう少し勝ち進めていたと思います」


 漆黒の髪に、陰気な無表情。そこに変化はない。なのにセレストの言葉は、家にこもりきりだったフェリックスの心を、爽やかな風となって駆け抜けた。

 魔法剣と身体強化魔法を駆使して戦うセレストは、物語の騎士のようだった。こちらが放つ氷魔法を次々と打ち砕いて迫る姿に、圧倒的な力量の差を感じていた。

 が、どうやら卑屈になりすぎていたようだ。セレストから見ても、フェリックスは強かったらしい。少なくとも、次の試合のために力を温存する余裕がなくなる程度には。


「そう言ってもらえると、なかなか嬉しいものだな。だが次は俺が勝つぞ」


「私だって負けませんよ。それにしても失礼ながら、王子殿下はもっと冷たい人だと勝手に思っていました。それが私のような漆黒令嬢にも気さくに話しかけてくれるのですね。表情は少し怖いままですが」


「この顔は生まれつきだ。お前こそ、なかなか饒舌に話すのだな。もっと無口な奴かと思っていた」


「……なにか変だったでしょうか? 私、同年代の人と話す機会があまりないので……つい嬉しくなって」


「いや。特に変ではない。その眠たげな無表情を除けばな」


「……この顔は生まれつきです」


 セレストは目を細めた。機嫌が悪くなったらしい。

 こうしてじっくり見ると、表情に微妙な変化がある。そして初めて分かったのだが、セレストの顔立ちは驚くほど整っていた。もちろん遠目でも美人なのは認識できたが、まさかこれほどとは。


「それで王子殿下――」


「その王子殿下というのはやめないか? あまりにも他人行儀だ。王子はこの世界に幾人もいる。俺個人を指す呼び方ではない。俺もお前をセレストと呼ぶ」


 それはフェリックスなりの敬意と友好の表現だった。

 隣国の王族ではなく、対等な学友として語り合おうという意思表明である。


「では……フェリックス王子かフェリックス様……?」


「まだまだ他人行儀ではないか?」


「なら……フェリックスくんでどうでしょう」


「まあ、そんなところだろう」


「ではフェリックスくん。なにかお探しでしょうか?」


「ふむ。実のところ、散歩していたら魔法道具屋を見つけたので冷やかし半分で入ったというだけ。だが、話し相手になってくれた礼に、なにか買っていこう。集中力を持続させる道具があれば欲しい。次のテストでセレストに勝ちたいからな」


「では、これなどいかがでしょう? 『精神安定』の効果を付与したオルゴールです。音を鳴らせばリラックスできるので、肩こりせずに作業や勉強を続けられます」


 セレストが小箱のフタを空けると、静かなメロディが流れた。

 耳心地がいい。心が落ち着いていくのがハッキリ分かる。そして優しい魔力の波動が広がっているのも感じ取れた。


「なるほど。それがお前がテストで一位になった秘訣か。ではそれを買おう。徹夜の心強い味方だ。ほかの物も気になる。少し店を見ていてもいいか?」


「ありがとうございます。ほかに気になるものがあれば、なんなりとお申し付けください」


 フェリックスは店内を見回した。

 様々なポーションが入ったガラス瓶。宝石に魔法効果を付与したペンダントや指輪やイヤリング。油ではなく魔力で光るランタン。香りが消えない造花。同じ本を間違って二冊買わないおまじないがついた栞――。


「この店の品物は、どれも丁寧な仕上がりだな。その割に、作るのに高度な技術を必要としないアイテムばかりに見える。これらを作った職人は駆け出しか?」


「ええと……はい。駆け出しというか、まだ学生というか……アカデミーの授業で習った物が中心なので」


「なに? セレストが作っているのか?」


 帝都の魔法アカデミーの生徒は全員『基本魔法技術』の授業を三年かけて受ける。

 この世界は、王族や貴族といった身分の高い者ほどこそ、魔法を学ぶのが当然とされている。だからアカデミーの生徒で王侯貴族は珍しくない。当然、彼らは金持ちだ。しかし、どんなに金を積んでも、アカデミーを運営する魔法師ギルドには通じない。卒業するには必ず最低三年を必要とする。

 そしてその三年の間に大半の生徒は、基本魔法技術とは別の授業を選択して受ける。

 例えばフェリックスは『魔法戦闘』の授業を選択している。

 どうやらセレストは『魔法道具作成』を選択したようだ。


「はい。この青空邸は私の店です。営業許可証を取るといった事務作業はほかの者がやってくれましたが、扱っているアイテムは全て私が作っています」


 そう語るセレストは、どこか誇らしげだった。

 同年代の者が、小さいながら自分の店を開いている。それは尊敬に値することに思えた。


「大したものだな、お前は」


「いえ。フェリックスくんが言ったように、まだ簡単なものしか作れませんし。それに生活のためです。お恥ずかしながら、私の祖国は財政難なので。自分の生活費は自分で稼ぎたいと思っています。ゆくゆくは店を繁盛させ、送金しようなんて企んでいます。まあ、私がなにかしても雀の涙ですけど」


「セレストが財政難にしたのではない。なら恥じ入る必要もない。それにしても……新たな疑問が生じた」


「はて。なんでしょうか?」


「その服だ。てっきり店主の趣味で、雇われの身だから仕方なく着ているのだと思ったが……お前の趣味なのか?」


「ああ、これはですね」


 指摘されたセレストは、エプロンをつまんでヒラヒラさせた。

 彼女が着ている服は、黒いロングワンピースに白いエプロン。そしてフリルのついたカチューシャ。まるでメイドのような姿だ。

 近頃、帝都に限らず、メイド風の制服を売りにした店が増えているらしい。

 制服が可愛らしい店は、男女問わずに人気があると、妹から聞いた覚えがある。ここもそういう営業戦略かもしれない。実際、メイド服のセレストは客観的に見て愛らしかった。


「さっき言った、事務作業をしてくれた人……もう一人の店員なのですが。その人にどういう恰好で接客すべきか相談したんです。お城で着ていたドレスだとお客さんは入りにくいでしょうし。ジャージはあんまりですし」


「当然だ。と言うか、お前、ジャージなんか持っているのか」


 ジャージはここ何十年かの間に普及した運動着だ。軽くて丈夫なので、作業着に使っている者も見かける。だが、王族や貴族が着用しているというのは聞いたことがない。


「ええ。部屋着にしています。楽でいいですよ」


「……まあ、隣国とはいえ、文化は違うしな」


「ちなみに実家でジャージ姿でウロウロしていると、教育係に叱られます」


 文化が違うのではなく、セレストの精神構造が違うだけのようだ。


「そんなわけで間を取ってこの服にしようという話になりました。この手の制服を採用する店は珍しくないので奇異な目で見られませんし。可愛いですし。頑丈だし、エプロンにポケットがあって実用的ですし。可愛いですし」


 可愛い、と二回言った。

 要約すると、セレストとその店員の趣味である。


「女性は色々な服を着るのを好むのだろう? 城にいるとそういう恰好はできまい。着られるうちに存分に着たらいい。可愛いというのも確かだしな。似合っているぞ」


「そ……それはどうも。褒められると、お世辞と分かっていても照れくさいものですね」


 セレストはほんのりと頬を赤くした。

 別にお世辞ではないのだが、強調すると今度はフェリックスが照れくさくなりそうなので言わないことにする。

 思ったよりも長居をしてしまった。フェリックスはオルゴールの値段を聞く。想像より安かった。


「では、フェリックスくん。このオルゴールでリラックスして勉強してください。けれど徹夜は感心しません。まあ、私も人のことは言えませんが」


「そうだな。ほどほどに徹夜しよう。そして次のテストの結果が出たとき、お前はこのオルゴールを俺に売ったのを後悔するのだ」


「はい、後悔させてください。なにせ私は、自分が作ったアイテムで誰かが笑顔になるのが嬉しくて魔法道具屋を開いたんですから。ほら、私って陰気でしょう? だから私の代わりに誰かが笑ってくれたらと思うんです」


 そう言ってセレストはオルゴールを入れた紙袋を手渡してきた。

 彼女は気づいているのだろうか。

 陰気とはほど遠い、青空のような笑顔を浮かべていると。


 その笑顔を向けられたフェリックスは、自分が恋に落ちたと自覚した。初恋だった。

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