第42話 入部の話 4


「……ここは、いてっ!」

 保健室のベッドで目を覚まし、身じろぎした紅は痛みに声を上げた。


「紅!良かった……、大丈夫か?」

 付き添っていた紫苑が心配そうに声をかける。

「紫苑?……ここは……、そうか、巌流院くんと闘って……負けたのか」

 現状を理解してつぶやいた。


「紅……」

 心配そうに見つめる紫苑。その視線に気づいて、問いかける。


「どのくらい気を失ってた?」

「そんなに長い時間じゃない。10分ほどじゃないかな」

「そうか。掌底を当てたところまでは覚えてるんだけど、その先を覚えてないんだ。どうなった?」

 紅の疑問にその後の状況を説明する。


「……そうか、強いな、巌流院くん」

(まるで攻撃が通じなかった。あの筋肉は反則だな。あれだけ時間を掛けて気を練って、距離もとってスピードを乗せた全力だったのに。武器無しで倒すのは無理だな。あれで同い年とかおかしいだろ……。多分、津田くんには勝てる。先輩たちには勝てない。なんだっけ、もう一人巌流院くん並みのがいるんだったか?津田くんが5本の指に入るという事は、僕は3から5番目くらい?1年の中では上位に入るのか……。そうか、思ったより強いのか)

 

 冷静に自分の実力を分析する。今まで父親やその知り合いたちとしか闘った事のなかった紅は一番弱い存在だった。圧倒的格上ばかりで闘いとも呼べなかった。そのため世間一般での自分の強さが分からなかったのだが、今日の闘いで自分がどの程度なのかを理解する。

 子供の頃から碌に喧嘩もしてこなかったので、本当に世間一般での自分の力が分かっていなかったのだ。そういう意味では桜の言う通り子犬以下とも言えた。

 

 黙って天井を見つめながらそんな事を考えていると、紫苑が心配そうに声を掛ける。

「紅?大丈夫か?やっぱりまだ痛むか?」


 その声に現実に引き戻される。

「ああ、ごめん。うん、痛むけど起きられないほどじゃないと思う。くっ」

 そう言って起きようとするが、その動きに痛みが走る。

「無理するな!まだ寝てろ。養護の先生が手当してくださったけど全快したわけじゃないんだ」



「そ~そ~。あたしの治癒じゃ一気に完全回復は無理だから。何日かは通っておいで」

 そう言って声を掛けてきたのはこの保健室の養護教諭だった。

 すらりとした細身の非常に慎ましい美女で、こんな保健の先生がいるなら保健室に通う男子が続出するだろう。というか実際に多い。



 治癒魔法使いはかなり希少で、普通は高校の保健室にいるような存在ではない。医者は医学を学んで医者になるが、治癒魔法使いは技能として治癒が使える。治癒魔法使いはそれだけで高収入だった。治癒魔法が使える上に医学を学んで医者になれば、かなりの好待遇でどこの病院にも引っ張りだこになり、さらなる高収入が約束される。しかし彼女は医者ではないがそんな高収入よりも土日休み、夜勤も残業もなし、若い男子が溢れる職場を選んだ女性だった。

 もちろん治癒魔法にもレベルはあり、なんでも治せる訳ではない。どんな怪我も一瞬で治せるような使い手は、世界でも片手で数えるほどで、それもいくらでも使える訳ではない。どの魔法も使える回数に個人差と限度がある。いわゆるMP切れである。高位の治癒魔法使いと呼ばれるレベルでも大病院に一人いるかいないか、大けがを数日掛けて治す、という具合だ。ゲームの様に呪文を唱えればピロリ~ンと全快するわけではない。



「目が覚めたんなら、帰りなさい。私も帰りたいから。番長たちにはあたしから報告しとこう。カギは開けといていいよ。それじゃ」

 そう言って彼女は出て行った。なかなか自由な女性である。


 その自由さに二人で顔を合わせて苦笑いする。

「「あ」」

 その時になって手をつないだままだった事に気付く。どうやら気を失った紅の手をずっと紫苑が握っていたようだ。

 あわてて手を放す紫苑。


「す、すまない。そ、その、目を覚まさないから、心配で……」

「う、うん、ありがとう……」

「……」

「……」

 沈黙に耐えられなくなった紫苑が話し出す。


「えっと、私は、紅は不死身だと思ってたんだ」

「不死身?」

「うん、どんな怪我をしてもすぐ治るんだと。違うって言ってたけど本当は仙人なのかなって。だってあの蛇に腹を貫かれても、すぐにふさがってただろう?」


 それには呆れた顔で紅は答えた。

「そんな訳あるか。あんなの薬のおかげに決まってるだろ。姉さんが万が一のお守りにって持たせてくれてたんだ。あれ一個しかない貴重品だったんだぞ。まさか入学早々使うなんて思いもしなかった」

「お義姉さまが?」

 ……いささか不穏な言葉だが、発音は(おねえさま)なので紅は気にせず話を進める。


「姉さんは薬作りが趣味なんだ。色んな薬草や霊草を集めて作ってる。あ、そうだ僕の制服の胸ポケットにお守りが入ってるんだ、取ってくれないか」

「分かった。ええと、これか?」

 預かっていた制服からお守りを取り出し渡す。

 受け取ったお守りから丸薬を取り出し、そのまま飲み込む。


「それは?」

「姉さんがくれた薬。この間のほど効く訳じゃないけど、このくらいならすぐ治ると思う。できればあまり言いふらさないでくれると助かる」

「分かった。誰にも言わない。すごいんだな、お義姉さま」

「うん。ほんとにすごいよ」

 そう言った顔が、紫苑には得意そうにも、少し寂しそうにも見えた。


「さて、そろそろ帰ろうか」

「もういいのか?もう少し休んでもいいぞ。帰りはうちの車で送って行くから。車を回してもらうからもう少し休んでいてくれ」

 そう言って電話を取り出し連絡をとる。

「それは悪いよ」

「遠慮するな。私は百合たちと一緒に送迎してもらってるんだ。今日は百合たちは先に帰ってるから、私だけ後で迎えに来て貰う予定だったから問題ない。それにその体で無理するな。頼むから一緒に帰ってくれ」

「……ごめん、じゃあ頼む」

「うん!」

 嬉しそうに笑う。

「迎えが来たら連絡が入るから、それまでは休んでくれ」

「分かった」



「ああ、僕も番長連合に入るのかぁ、嫌だなぁ」

 迎えが来るまで少しかかるとの事で何気なく話し始める。


「なぜだ?人の役に立てるじゃないか」

「何言ってるんだよ。そんな事じゃなくて、あの雰囲気だよ。津田君たちと顔合わせるんだぞ?気まずくてしょうがないよ。どう考えても歓迎されないよ」

 げんなりした顔で落ち込む。


「そ、それを言うなら私だって散々あおってしまったな……」

 そう言われて冷や汗を流す紫苑。

「あ、そうだ、お前が余計な事言うから色々ややこしくなるんだよ」

「だ、だって、本当に紅はすごいんだからしょうがないじゃないか!」

「お前なぁ……」

 お世辞ではなく本心で言っているのがわかるので、これ以上責められなくなってしまう。


「それに津田くんにあんな勝ち方した後に、巌流院くんに負けてるんだぞ?馬鹿にされるに決まってるじゃないか……。ああ行きたくないなぁ」

 詐欺まがいの勝利の後、実戦での敗北。考えればすごく恥ずかしい。

 だが観戦していた側から見れば、それは的外れな意見だった。


「何言ってるんだ、あの模擬戦を見て紅を馬鹿にする奴なんていない。もしいたらそいつの方が馬鹿にされるはずだ」

 自信満々で励ます紫苑。少なくともあの戦闘で自分なら最初の一撃でやられていただろう。運よくあれをかわせても、その後のラッシュを受けきれない。自分だって子供の頃から百合の護衛として訓練をしてきた。番長連合の1年の中では上位とはいかないが、真ん中くらいの実力はあると自負している。剛毅や長宝寺が別格なのだ。あの二人はおそらく上級生を入れても上位に入るだろう。紅もそれに匹敵する実力なのだが、紫苑から見るとどうも彼は自己評価が低いらしい。


「そうかなぁ」

 それを聞いてもまだ不安そうなままだった。



 だがやがて嫌な事から目を逸らすように話題を変える。

「それにしても巌流院くんは強いな。そういえばもう一人巌流院くん並みのがいるってほんとか?」

 剛毅と闘う前に紫苑が言っていた事を思い出す。


「ああ、長宝寺さんだな。名前で分かるだろうけど副長の妹さんだ。薙刀を使うんだ。今のところ巌流院くんと並んで負け知らずだよ」

(そういえば副長さんの名前って知らなかったな。長宝寺って言うのか)

「そうか、薙刀か……。攻撃が効かないタイプじゃないんだな」

 そう言って考え込む紅を紫苑は嬉しそうに見つめる。


「……本当に紅は強いな」

 その声に呆れたように紫苑見つめ返す。

「お前、負けてベッドに寝てる人間に言うセリフじゃないぞ?嫌味か?」

 ふてくされた様に答える。


 だがそんな紅にかまわず、ごく自然に紅の手を握りながら、

「いいや、強いよ。本当に」

 優しくささやいた。



 突然雰囲気の変わった紫苑に戸惑い、どうしたらいいか分からなくなる。彼女いない歴イコール年齢の紅では仕方のない事だった。


 紅は逃げるように無理やり話題を変える。

「ま、まあ、クラブに入るのは認めてもらったから、番長連合には呼ばれたら行くことにしよう」

 

「クラブ!そういえば女子ばかりのクラブに入るって本当か!?」

 突然の大声にビクッとしながらも、

「なんだよ突然。別に女子がいるから選んだんじゃないよ。やりたいクラブに女子しかいなかっただけだよ」

 本当にそうなのだが、なんとなく悪い事をしている気分にさせられる。


「そ、そんなに彼女が欲しいのか?」

「ねえ、話聞いてる?お前ほんとに話聞かないな?」

「どうなんだ!?」

 本当に話を聞かない紫苑。どうやら答えないと先に進めないやつらしい。


「そりゃ、まあ、欲しくないといえば嘘になるけど……」

 あまり知り合って間もない異性に答えにくい質問である。もともと人付き合いが得意ではない紅が口ごもるのも無理はなかった。


「やっぱり女子が好きなんだな」

 うんうんと嬉しそうにうなずく紫苑。

「ねえ、その言い方やめてくれる?皆してなんか恨みでもあるのか?」

 

「な、なあ、紅。お、お前が彼女が欲しいって言うなら、」

 その時突然紫苑の電話が鳴る。

「わひゃ!?」

 どうやら迎えが来たようだ。応答する紫苑。

「も、門の所まで来たらしい。そ、それじゃ帰ろうか!」

「う、うん。じゃあ悪いけど、頼む……」

「……」

「……」

 しばしの沈黙の後、二人で目を合わせて笑う。

 紫苑は桜の言葉を思い出す。

(頑張りな)


「ほら、掴まれ」

「いいよ、一人で歩けるから」

「いいから、無理するな。校門までだから」

「……じゃあ頼もうか」

 紫苑の肩を借りて校門に向かった。



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