第29話 幕間 1 紫苑
「おはよう、紅。できたぞ」
朝一番で紫苑が教室にやって来た。
「……おはよう、紫苑さん。できたって?」
連日の紫苑の猛攻にちょっとげんなりしてきた紅。紫苑が来ると有海の機嫌がなんとなく悪くなるのだ。
「新しい制服だ。ほら」
そう言って持っていた紙袋から制服を取り出す。
「さ、それ脱いでこれを着てみてくれ」
いそいそと制服をひろげ、袖を通すように促す。
「いや、自分で着れるから」
とりあえず来ている制服を脱いで、新しい制服を渡すように手を差し出すが紫苑は微動だにしない。
「……」
「……」
仕方なく諦めて腕を通そうとした紅が動きを止める。
「何それ?」
紫苑の持つ制服を見た紅が思わず問いかける。
「何って?」
不思議そうに首を傾げる紫苑。
「いや、何ってじゃなくて。何その制服。元のと全然違うんだけど……」
そう、元々紅の制服はごくごく普通の制服。無改造の標準服だった。だが紫苑がひろげて持っている制服は明らかに普通ではなかった。
元の制服よりも長い、いわゆる中ラン。裾が股下辺りまである。だが、長さはそれほど問題ではなかった。問題は裏地だった。
赤地にムカデの刺繍。プリントではなくかなり豪華な刺繡が施されていた。こんなゴージャスな刺繡が1日で?
「えっと、……その刺繍は?」
紅のその質問をどう解釈したのか、紫苑がニコニコ顔で答える。
「すごいだろう!紅の制服を用意するために話をしていたら、それを当主様が聞きつけてな。すぐさまご自身で月夜野家に出入りしている業者に電話して、制服の手配を手伝ってくださったんだ。本当なら1日でできるような物じゃないが、事情を聞いた当主様が業者に無理を言って頑張ってもらった」
「あ、いやその刺繍は?なんでムカデ?」
紅の意図を全く理解してくれない紫苑に再度問いかける。
「カッコいいだろう!三すくみってあるだろう?ナメクジは蛙に弱く、蛙は蛇に弱く、蛇はナメクジに弱いってやつ。なんで蛇はナメクジに弱いんだろうって調べてみたら、どうも元々はあのナメクジってムカデのことらしいんだ。なんだか難しい漢字だったのが、いつしかナメクジに変換されたらしい。まあ、とにかくムカデは蛇に強いんだ。昔話でも蛇とムカデが争ったりしてるだろう?兜や旗にムカデを用いた武将もいたくらいだし。私のカバンにもムカデのキーホルダーを付けてるんだ」
にこにこ笑顔でその由来を説明し、デフォルメされたムカデのキーホルダーを見せてくれる紫苑。ムカデ好きの女子高生……。ちょっと、いや、かなりレアだろう。
蛇に苦しめられた彼女たちの今までの事を考えると、その気持ちは分からなくはない。
しかし、しかしだ。だからといって自分の制服にその刺繡は入れて欲しくはなかったなあ、というのが紅の本心だった。できれば時間かかってもいいから普通の制服にしてくれないかなあ、という言葉を紅はなんとか飲み込んだ。どうも本心から喜んでもらえると思っているらしい紫苑の笑顔。おそらくかなりの無理を言われて徹夜でこれを仕上げた職人さんたち。それを考えるとこう言うしかなかった。
「あ、ありがとう……」と。
嫌々ながら袖を通す。なぜかサイズはぴったりだった。採寸された覚えはないのだが……。
そんな紅に向かって紫苑が手を伸ばす。
「?」
「それじゃあ私の制服は持って帰るな」
いそいそと自分の制服を畳んで袋に入れようとする紫苑。
「……ねえ、やっぱりそれクリーニングに出してから返すよ」
やはりほんの1日とはいえ、自分の着た服を女子にそのまま返すのは抵抗があった。相手からの提案とは言え、礼儀的にも問題があるだろう。だが、そんな紅の心情を無視して紫苑は強引に制服を奪い去る。
「いや、本当にいいんだ。どうもセーラー服は落ち着かなくて。それに私は今後は番長連合で動き回るから、やはりスカートよりもズボンのほうがいいと思うんだ。うん。」
やたらと早口でまくし立てる紫苑。
だが、その言葉に紅は驚いた。
「え?もしかしてそれ今日着るの?洗わないの?」
その紅の言葉に一瞬ビクっとしたような紫苑。
「おっと、もうこんな時間か。私もう行かなくちゃ。それじゃまた」
そして挨拶もそこそこに、逃げるように走り去った。
「あ……」
手を伸ばし引き留めようとしたが、すでに姿はなかった。
「「「……」」」
周りからの視線がやけに冷たい1年2組だった。
別館、百合組専用の更衣室の前できょろきょろと周りを確認する不審者がいた。紫苑だった。
普段自分のクラスが使っている更衣室なのだからそのまま使えばいいのだが、心にやましい物があるせいか怪しい事この上ない。そして周りに誰もいない事を確認すると、急いで更衣室に入る。
「ふう。よし!」
ピシャリと自分の頬を軽く叩き気合を入れる。
「あ~、やはりスカートは落ち着かないな。うん。私はもう番長連合の一人。これから色々走り回って多くの生徒を助けないといけない。それだとスカートは動きにくいな。うん。やっぱりズボンを履く必要があるな。スカートだと色々まずい事もあるだろう。だからセーラー服はちょっと都合が悪いな。あっ。そういえば偶然紅から返してもらった学ランを持っていたな。そう、偶然、たまたまだ」
自分一人しかいないというのに突然茶番を始める紫苑。まるで自分に言い聞かせるかのように。
ガサゴソと袋から学生服を取り出し、広げて目の前に掲げてみる。
ゴクリ。
唾を飲み込む。
「あいつ、私の制服だからって変な事してないだろうな。へ、変なにおいとか付いてたら困るからな。そう、確認。確認だ。変なにおいとかしてたらクラスのみんなに迷惑だからな。そう、人に迷惑をかけるのはダメだ。うん」
あくまで仕方なく行うのであると言い張る紫苑。誰も聞いていないが。
そっと服に顔を近づける。別に変なにおいはしない。
さらに鼻にくっつくほどに近づける。
(あ、私のじゃない匂い……。なんだろう、少し甘い?部屋でお香でも焚いてるのかな?)
いつの間にかぺたりと床に座り込んでいた。顔を学生服にうずめたままで。
キーンコーンカーンコーン
どこか遠くでチャイムが鳴っているような気がするが、そのままにおいを嗅ぎ続ける。
(月夜野家で焚いているお香とは違うな。桔梗もアロマキャンドルとかやってたけど、すぐ飽きちゃったんだよな。男子高校生も部屋でお香って焚くのが普通なのかな?男子ってもっと汗臭いものだと思ってた……。
どこのお香だろう?いい匂いだな……。そう、いい匂い。いい匂いだから気になるんだ。それだけだ。純粋にこの匂いが気に入っただけだから。うん。どこで売ってるんだろ)
そのままひたすら学生服のいろいろな部分のにおいを嗅ぎ続ける紫苑。
紫苑は生まれて初めて授業をサボった。
1時間目の後、朝一緒に家を出たはずの紫苑が授業に出てこなかった事を不審に思った桔梗が探し回り、更衣室の扉を開ける。
そこで桔梗が見たのは、床に座り込み、荒い息で自分の学生服を頭からかぶった妹の姿だった。
「キモっ」
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