番仙奇譚

秋尾 萩

第1話 髪切りの話 1

1



「おとうさん!おとうさん!」

 暗い森の中で、まだ幼い少女が呼びかける。

 月は出ているが、木の生い茂る森の中はほとんど暗闇と言っても過言ではない。そんな中でまだ幼い少女が灯りも持たずに歩き回っているのは異常な事だった。

 少し離れた所から男が返事をする。

「どうした?」

男もまた夜だと云うのに灯りを持っていない。どうやらこの男も少女もこのほとんど暗闇と言ってもいい森の中でも周りが見えているらしい。

「ちっちゃいこがおちてる!」

 少女が声をあげる。

追いついた男が問いかける。

「ちっちゃい子?狐か狸かい?」

「ううん、ちがうよ。おとこのこだよ!」

「男の子!?」

 男が近づいて少女の指さす先を見る。確かに男の子だった。動物ではなく人間の。

 2歳か3歳くらいだろう。そんな幼児が暗い森の中で一人うずくまって眠っていた。

(迷子、ではないな……。捨て子か?わざわざこんな森の中に?この子に生き延びて欲しくないのか。それともあえて此処に、か。なんにしてもむごいことを……。)

 男は目を瞑り周りの気配を探る。虫、獣。男の探れる範囲で人の気配はない。

 改めて男の子を見る。泣き疲れて眠ったのだろう。その顔は涙と鼻水で汚れていた。

 (このまま放って置くわけにもいくまい。どうしたものか…。)

 とりあえず保護するしかない。町に出て警察にでも届けるしかあるまいと考えていると嬉しそうに少女が言った。

「よし!このこはわたしのおとーとにしよう!わたしおとーとがほしかったの!いいでしょ?おとうさん!」

 全く良くはない。警察に届けもせずに連れて帰っては、下手をしなくても誘拐犯である。

 しかし警察に連れて行って、無事に親が見つかったとしてもこんな森の奥に子供を捨てる親である。まともに育てるとは思えない。下手をすれば今度は捨てる、では済まないかもしれない。おそらく施設にでも入ったほうがまだましであろう。

「ねえねえ、いいでしょいいでしょ!」

 少女を見る。わずかに迷った末に男は決意する。

「そうだな。とりあえず連れて帰るか。なんにせよこのまま此処に置いて行く訳にもいくまい。」

「やったぁ!」

 少女が飛び跳ねて喜ぶ。

 すでに少女の中では弟になることが決定しているようだった。

 とりあえず連れ帰るにしてもこの子の親を探す必要はある。事情を調べなければならない。その上でこの子を返すか、警察に行くか、育てるか。また内容次第ではその親をどうするか。

 男の子を抱きかかえながら男は考える。

(やれやれ、難儀なことだ。まあこれも縁か。一人も二人も今更大して変わらんか……。それに人の法などどうせ気にすることもあるまい。しかし、どうするか…。これを機に久しぶりに町に出るか?)

 どのみち少女を学校に通わせねばならないとは考えていた。自分一人ならばともかく、いつまでもこんな山の中で子供を育てるわけにはいかない。それに男の長い人生において、この子たちが大人になるまで面倒を見るくらいは大した時間ではないのだから。









 春めいてはきたが、まだ肌寒い日もある4月。

 一人の女性が夜道を歩いていた。夜といってもまだ8時にもなっていないだろう。

大学生くらいだろうか、長い髪を揺らし家路を急ぐ。道に人気は無いが、すぐそばの民家には明かりも灯り、治安の悪い地区でもない。いつもの帰り道を特に警戒せずに歩いていた。


 ザザザ

 突然公園側の茂みから音がする。

 風もないのに突然鳴り出した音に驚く。

(猫かな?野良犬だったら怖いな)

 少し離れて立ち止まり、茂みを見る。特に変化は無い。

(私に気づいて警戒してるのかな。脅かして嚙まれたら嫌だし、早く帰ろ)

女性は冷静に判断して、その場を後にする。


 ザザザ

 再び音がして、驚いた女性が振り返った時、後ろを何かが通り過ぎた気がした。


 バサッ


 何かが女性の背後に落ちる。

「えっ?」

 振り返るが誰もいない。しかし、何か違和感がある。ふと足元を見ると長い髪が散らばっていた。

 彼女の髪だった。

 女性の悲鳴が響いた。


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