第4話:契約は慎重に

「僕と契約して、人間に協力してください」

「嫌です」

「………………何で?」

「逆に何で?」


 どうして契約してもらえると思っているんだ?

 溜息を吐き、腕組みをして「あのなあ、人間」と少年を見下ろす。


「俺とイポスさんの会話を聞いていただろう。悪魔召喚の儀式には、正しさが極めて重要で大切なんだ。それなのに、雑なやり方で強引に喚ばれた挙句、贄もなしに『契約して協力しろ』? ちょっと手前勝手が過ぎるんじゃあないですかね?」


 そ、そんなこと言われても——呟き、拳を握る少年に、俺は追い討ちをかける。


「だいたいこんな雑儀式、どうやって知った? 誰かに教わったのか? イポスさんじゃあないよな。いくら訳ありで『人間の先生』をやっているからって、同族を蔑ろにするとは思えない。大人に入れ知恵されたか、何かに書いてあったんだろう。ったく、悪魔俺たちを何だと思っているんだ。人間はこれだからいけない」

「…………」

「……黙っていないで何とか言ったらどうだ」

「……協力してくれないと、困ります」

「あ、そ。勝手に困ってろ」

「…………」


 そこそこキツめに突っ撥ねているつもりだが、意外なことに、少年は俺から全く眼を逸らさない。

 寧ろ、見え隠れしていた緊張や恐怖が溶けているようだ。反対に怒りの感情が湧き上がっている。うーん、これは負けず嫌いなタイプとみた。

 よし、やり方を変えよう。

 肩の力を抜き、柔らかい笑みと声音を意識して問い掛ける。


「……少年、齢はいくつだ?」

「……今年で十七です」

「そうか。恰好からして、学生だな。中々に整った顔立ちをしている。おまけに真面目そうだ。そんな少年が悪魔に契約を迫るなんて、よほどの事情があるのだろう。だけれど、悪いことは言わない。止したまえ。間違った方法で悪魔を召喚し、契約するなんて……この先の人生、まともでは居られないぞ」

「先のことなんて、どうでもいい」


 少年が、きっぱりと吐き捨てるように言う。

 その声には奇妙な力強さが宿っている。


「僕の人生、現時点で終わってるようなものです」

「いや。そんなことはない。まだ十七だぞ」

「うるさい! 悪魔あんたに何が判る……、マナは問題ないのに雑魚悪魔さえ召喚出来ない。やっと魔獣一匹を召喚出来たと思ったら、秒で逃げられてアストラの奴らに祓われ嗤われる僕の、何が判るって言うんだよ」

「ごめんなさい、判らないです」


 あと『アストラ』も判りません。


「苦労して入学したのに、このざま。僕は落ちこぼれの劣等生。このまま誰とも契約出来なかったら、僕は本当に終わる。……そうなるぐらいなら、まともさなんて必要ない。今ここで終止符を打ったほうがいい」

「待て。早まるな。考え直せ」

「それとも、あれですか? スペースの人達の方が良いって奴ですか? そうだよな〜。マナしか取り柄のない劣等生よりも、強くて有名な悪魔を何体も召喚出来て使役する超有能コンジュラー候補の人達の方が良いよなあ〜〜!」

「そうは言ってないだろ!」

「じゃあ僕と契約してくれるんですね!?」

「そうとも言ってない!!」

「茶番はそこまでにしてください」


 はいはい、と言うふうに手を叩いて、俺と少年のやり取りを止めるイポスさん。

 茶番だなんて心外だ。俺は真剣に「No」を突き付けると同時に、至極真面目に少年を説得しているのに。

 恐らく少年も(方向性は別として)同じことを思っているのだろう。眉間に皺を寄せてイポスさんを睨んでいる。

 出し抜けに


「きみは優しいですね、セイルくん」


 と、イポスさんが言う。


「は? 優しくないですけど?」

「いいえ。優しいですよ、本当に。悪魔らしからぬ優しさだ。『甘い』とも言えますが、ここでは『優しい』としておきましょう」

「……その言葉、連呼しないでもらえますか。嫌いなんですよ。虫唾が走る」

「失礼。率直な感想を述べたまでです。優し過ぎて反吐が出る——と」


 言いながら、イポスさんの唇の端が歪に吊り上がる。灰色の瞳に嫌悪が滲む。

 ……嫌な悪魔ひとだなあ。

 らしいと言えば、らしいけれど。


「……俺が優し過ぎる悪魔なら、喜んで少年と契約して、世界に平和を齎しますよ」

「それは頼もしい。是非ともお願いします」

「お断りします。ってことで諦めてくれるな? 少年」

「嫌だ。絶対に諦めない」


 諦めろよ。

 俺は本格的に頭を抱える。一体、どうしたら良いんだ。先程感じた奇妙な力強さの意味が判った。この少年、覚悟が。突き放すのも、諭すのも無駄だ。脅迫も無意味だろう。

 一昨日、謎穴——召喚陣に吸い込まれたけれど帰還した悪魔は、帰る前に人間を殺した。その人間は間違いなく召喚者だ。

 この話を持ち出して「今すぐ魔界に返さないと殺す」と脅しても「じゃあ殺してくれ」と言われるに決まっている。……いや、少年のことだ。「契約出来ないなら死んだ方がマシ」ぐらい言うかも。

「マシ」で済めば良い。

 下手すると「死ぬ」と言いかねない。


 ごちゃごちゃ考えないで契約してみたら如何です? と、イポスさんが言う。

 手袋に覆われた指先を弄りながら。酷く退屈そうに。


「きみが契約を拒否して魔界へ帰っても、いずれまた、ケイトくんは召喚の儀を行うでしょう。そして成功すれば、必ずや契約しようとする。その時に現れる悪魔か魔獣が、

「……だから『契約してやれ』と?」

「そう言うわけではありません。が、その方が彼にとって『情け』になるでしょうね」

「……契約は俺次第だと言った口で、今度は促すようなことを言う。ダンブルスタンダードな発言は良くないですよ」

「仕方ありません。生徒思いな先生なので」

「自分で言うなよ。うわ、鳥肌が立った」

「我々としても、セイルくんが居ると非常に助かります。タクシー代が浮きますから」

「あ、それが本音だな!?」

「さあさあ、早く契約しちゃいなさいタクシー」

「俺はタクシーじゃない!!」


 なんだこいつ。今日まで詳しい悪魔柄ひとがらを知らなかったけれど、結構失礼な奴だな!


 ほら早くと、いつの間にかイポスさんと対峙していた身体を少年の方へ向き直される。

 戻った瞬間、ばっちり目が合ってしまった。余りに強い目力に、ちょっと引いてしまう。イポスさんの発言が蘇る。


 ——きみが契約を拒否して魔界へ帰っても、いずれまた、ケイトくんは召喚の儀を行うでしょう。

 ——その時に現れる悪魔か魔獣が、


(くそ、最悪だな)

 ほぼ完全に詰んでいる。ならば仕方がない。腹を括るか——


 と、極めて不本意ながら少年に応えようとした。

 その時。



「イポス先生!!」



 ばたん!! と、もの凄く乱暴に扉を開いた音が部屋中に響いた。

 続いて、慌ただしく駆ける足音を響かせながら、新たな声がイポスさんを呼ぶ。「先生」を付けるということは少年と同じ、生徒なのだろう。足音の数は最低でも二つ。そのうちの一つは間違いなく同族のものだ。

 果たせるかな、薄闇から現れた闖入者は、少年と同じ年頃の人間と


「……フォカロル?」

「……お前、セイルか?」


 百年単位で付き合いのある、友人だった。



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