貴方への執着
@spa3
第0章
プロローグ、モノローグ。
御伽噺は囁かれる。
村の外れにある沼、その上に連なる、頭よりも大きな蓮の橋。
その水に浮かぶ緑の道の先に続く、針葉樹が空を覆う森の一本道。
木々が幾重にも重なって、射す光さえ通さない。薄暗い、ぐねぐねと弧を描き、向かう方角を惑わすその道の先には。
深い、深い。底の見えない暗く大きな穴があるのさ。
その穴をどうにか下った先、色とりどりの鍾乳洞の洞窟をも超えて、歩き続けた森の奥の奥。
そびえ立つ、青々とした
底まで透き通った青い湖の中心に、魔女が住んでいたその城は、そこにあるんだ。
誰も住んでいないはずの城は、今でも綺麗で。
苔一つ無いままに光を帯びて、どんな王都の城と比べたとしても、それでもなおに美しい。
……ならば何故、誰もが羨む古城を使う人間がいないのか?
実は一度だけ。
身ばかり綺麗に装飾したいけ好かない貴族様が、
我が物にせんと後ろにぞろぞろ家来を引き連れ、魔女の話を語る村長の話も聞かずに、意気揚々とその道を辿っていった。
一日経ち、二日経ち。
人が歩けば半日とかかる事のない、その程度の距離のはずなのに。
城へと行くことを止めた村長の元に、一本道の先から貴族は姿を表さない。
気になった村長が幾人と共に見に行った城は。記憶に変わらずに綺麗なまま、静かな湖畔の上に
……城は入ることは出来るのかもしれない。
けれど、入ったら二度と出ることは出来ないのさ。
ずっと、永遠にお城の中で。
――――どうなるのかは、お楽しみ。
§
村長のその祖父の代では、この道に続く先の城に、魔女はまだ住んでいたらしい。
らしい、と言うのは。当時を知る人間がもういないから、ということではなくて。
そもそも森の奥へと続くこの道は。
村長のニ代前、前村長が祖父や、
前村長が就任して数年目。ぽつりと魔女は、姿をこの村に現さなくなった。
待てど暮らせど、気まぐれな周期で村に来ていた魔女は影も見せず、音沙汰もない。
疑問に思った前村長は村人数人を引き連れて、いつも魔女が現れる方角に目安を付けて森へと潜った。
結果として。その時に初めて、前村長は
歩く度にまばらな小石を割って進むこの土の道は。
国が作ったものに比べれば粗野で。けれど、理由もなく作られたものにしては綺麗に均されていて、手がかけられている。
数十年前のことを僕には知れないけれど。魔女は前村長だけでなく、村の全員にそれなり以上に好かれていたんだろう。
魔女、
魔の
かの人の逸話を幾らかは知っている。
森の中に住んでいて、人前には……村人の前には、ほとんど姿を現さないけれど。村人にとっての恩人。
村に獣避けの魔法、陣を囲うようにかけてくれた。森に迷う子供を村へと
けれど同時に、魔女と言われるように得体の知れない噂話も語られる。
郊外の小さな村にしても数の多い失踪者。その要因は、彼女なんじゃないのかって。
そんな類の根拠の薄い、彼女を訝しみ、囁かられているものも幾らかは知っている。
尾ひれがつきすぎて、又聞きの自分にはどれが本物で、どれが事実なのかは分からないけれど。その行き着く先が、あの御伽噺の様な不確かな噂話、なのだろう。
……ただ。又聞きの噂話も、今のところは事実のようだった。
道の続く先には確かに。木々が途切れ明るい付近と対比するように暗い。自分の背丈の二倍程の所に天井のある噂と同じ、地下へと下っていく。深く暗い洞窟の入り口が、そこにはあった。
ざらついた岩の壁に手をつきながら、少しだけ止まっていた
下り始めてすぐに、落ちるように急だった斜面は緩やかに、そして道幅は広く、道はなだらかになり、天井は高く。けれどその鋭利な先端は、軽く見上げた瞳に刺さりそうな程に近づいた。
鍾乳洞だ。
つまり、あと少しで、目的の場所に行き着く。
薄暗い、けれど。どこからか光が漏れているのか、不確かな足元を踏みしめながら進む。
岩道にしてはありえないほどに平坦で。まるで、この道の全てを岩から切り出して造った様に平らな道。
巨大な鍾乳洞を横目に、水滴の垂れる音だけが響く、仄かに水の匂いが香るその洞窟を歩き。
道の終わりに現れた、人工的な。背丈より高いぐらいの小さな階段を下った先、突然明るくなったその出口まで歩けば。
そこには。
辿り着いた道の終わりには目的の城があった。
辺境外れの洞窟に在るには、決して似つかわしくない。
根本は下方にある筈なのに見上げる程に高い。天井に穴を
件の噂。
大体と合っているそれに、ただひとつ大きな間違いを挙げられるとすれば。
それは城ではなく、そこにあったのは。
―――――人の声の消えた、一つの街だった。
§
街の全容が見える下から見れば小高い、洞窟につながる道の終わりから。
なだらかに下る、手すりのついた
僕は、それなりに幅のある通りに沿うように建てられたその間を。徐々に視界を占めていく静謐な城を僅かに見上げながら歩いていた。
傍目に見るその家々は。汚れてこそいなくはあっても、庭の枯れた花壇や、逆に無造作に道にはみ出して育つ木々などが。そこに存在する空白の時間を。何処か、推測させる。
遠くの方に鳥の声が聞こえる位で、鍾乳洞には僅かにあった、生きて動く微かな物音すらも聞こえずに見えず、自分の僅かな足音が耳に響く。
……見えずとも。いや、見えなからこそにおかしい。大樹の葉枝の隙間から覗かせる外側とは、凹凸のある窓ガラスを通した先に在るようにずれた空間。
もし他人事にそれを、話半分に聞いたとすれば。それはまるで、大げさに言ってしまえば、奇跡のようで。
それは確かに。誰かがかけた、魔法のようで。
ここにはいない筈のかの人の影が、確かにそこにはあった。
歩き、小規模では在るが存在している、病院、酪農舎、遊具の置かれた広場、果ては商店の傍らを通り過ぎ。
僕はとうとう、その城の元へと辿り着いた。
魔女の城。僕はその中身を知らない。
村長も、前村長も。この城へは恐れ多いと、入ることをしなかった為に誰一人知らなかったその先。
中にあるのは、見た目通りの古城を思わせる
……一面に広がる。鎧と装飾に
一息置いて、金属質な扉に触れ、押してみた。
けれど。
扉はがんとして動かず、開かない。
…まぁ、そうだろうと思ってはいた。
鍵なんて、村ですら内側からかける
静かに息を
数歩下がって、背丈の数倍はあるだろう両開きのその扉の全容を見つめる。
金属質な薄黒い何かに、湖の水と同じように仄かに光る青い、幾何学模様で
扉の前で立ちすくんで、耳を澄ましてみても。相も変わらず何も聞こえないまま、扉が開く様子も、中でこちらを伺う様子もない。
静かなままだ。
ぼんやりと全体を見ていると、僅かな違和感に気付く。
扉の表面を青白く光る、模様の一部分だけが不自然に途切れて、光っていなかった。
気になるままに近づいて、視線の高さより少し低いその場所を屈んで見ると。
そこには扉とは材質とは違う、何かが埋め込まれているようだった。
扉の材質とはまた違う、同じ黒でもさらに黒い。光を吸収する鏡面のように滑らかで、石材質なその中心には。大柄な男程の大きさだろうか、その位の手形がついていた。
手形。
個人としての少ない経験の中で、思い返して可能性があるとすれば。施工のお祝いのそれ、だろうか。
確か一度だけ。村に大きなレンガ造りの建物が出来た時、村の中で上の立場の人達の何人かが手形をつけた粘土を焼いて、壁の隅に使っていたことに覚えがある。
そっと、考えなしに。
手形のとおりに左手をぺたりとつける。
ひんやりと、冷たい。
そして、触れたわかったことは。多分これは、人の本物の手形じゃない。
もしこれが人間の掌だとすれば大きすぎる。そして何より、型に取ったとしたら在るはずの、人の手の凹凸がなかった。
なら、これは。
もっとじっくりと全体を見つめるために、手を離そうとした、が。
動かない、離れない。
左手がまるで金属の一部にでもなったみたいに、指一つ動かせない。
力を入れて、少し無理矢理手を剥がそうと、左手を掴んだその時。
「っ…。」
血が止まった時の手の痺れに似た、どうしようもならない内側の痛みが指先を伝い、痺れは幾重もの線が這うように腕を、そして肩を通り過ぎ、そのまま、全身に根を張り巡らせる様に、心臓に痺れが伝、う。
そう思った、瞬間。
左手の掌の付け根から、扉の物と同じ青白い光が漏れ出し、途切れていた模様はひと繋ぎに線を結び、引っ張っていた腕は跳ぶ様に離れ、そのままよろける様に後ろに下がる。
そして視界の先、光の模様が全てつながった扉は、模様がずれるように、鈍い音をたてて開いた。
身体の感覚は戻ったはずなのに、耳元に聞こえる血の
眼に入る限り、薄暗いその先に動くものはない。
そこで初めて壁に寄りかかって休み、息が多少落ち着くのを区切りに、もう一度開いた扉に手を掛けて、中を盗み見る。
扉の陰から覗いた、シンプルだが意匠に凝らされた城に似合った、静かに美しい玄関口ホールは。外から差す光によって見えなくはないが、仄かに薄暗い。
深く一呼吸、ニ呼吸。
開いた扉の音が誰かを呼ぶかもしれないと黙して待つが、足音は聞こえない。
勢いのままそっと踏みいれた皮の靴底には、柔らかな新品みたいな絨毯の感触がするだけで、埃の一つも立たず。それ以外の埋もれた他のものの感触もどうやら、無い様だった。
大きい。森こそ近くにあるが、基本的には土地の余っている辺境の田舎である村の、その広場と同じぐらいに思える程の広さを持つその場所には。まるで風景をそのまま切り取ってきたかと思うばかりの精密な絵が数多く飾られている。
掛けられた絵を流し見ながら、左手沿いに壁の脇を通り。一番近場にあった廊下に首を出して奥を見る。
そこには、入り口の物と比べればもう少し小さい、常識的な大きさの扉が点々と続き。また、他の廊下へと繋がっている様だった。
自分の足音に気を配りながら、どこか隠れる様に扉の前に立ち、耳をつける。
少しの間、ゆっくりと目を瞑って耳を澄ませてはみたが、何も聞こえる音はない。
そっと、ドアノブに手をかけ。耳をそばだてて木目を触れるように扉を押す。
部屋は書類の置かれた倉庫のようで、窓はあれど生地の厚いカーテンに遮られ廊下と変わらず暗い。
薄くではあるが、暗さに順応した目には、壁際に並んだ棚が何重に置かれ、綺麗に揃えられた白い紙が、幾つかの棚にぱらぱらと入っているのが見える。
そろりと足を踏み入れ、部屋を横断し。入ってきた扉以外の扉がないことだけ確認すると、中を探りたい気もそぞろに入り口に戻り、後ろ手に、扉を閉める。
そのまま次の扉に耳をおいては、扉を開けて行く。
そこには、城の規模にしては小さな食堂や、多くの木箱が詰められた倉庫。
自分の部屋にも似た、質素な薄いベッドだけが置かれた様な小さな部屋があると思えば。
凡夫にすぎない村人には、価値がおおよそも見当のつかない。絵画や陶器が幾つも飾られた、枕が五つも置かれているにも関わらずに、まだ幅に余白を見せる柔らかな羽毛のベッドが中央に置かれた。窓から湖を一望するベッドルーム。
何階か
円形に何個もの椅子が置かれた会議室に、義録のまとめられた資料室、遊技場、大きなバスルーム、トイレット。
いくつかの扉を開いては、閉めることを繰り返し。
一つの端の方まで来ただろうかと思い始めたあたりで角から奥を覗くと。これまでの扉とは違う、入り口の扉に似た、けれど、無駄な装飾の取られた、青白い模様が淡く光る両開きの扉だけがそこにあった。
入り口のことを思い出しそっと扉に触れる。だが予想とは裏腹に、触れた小さな力によって扉は開いた。
中は、他の部屋と比べれば多少こじんまりとしていて。何に使うのかも分からない、鈍色の工具や、不可思議な道具が整頓されて、壁際にまとまって置かれていた。
工房、なのだろうか?
一つの突き当りに来たことで、つい疲労感から近くに置いてあった丸いすに腰を掛ける。
宛もなく端まで歩いて。それなりに見たつもりな気がしたが、外観を思い返すだけでまだ見ていない所は多いだろうと分かるし、そもそも、上階にはまだ上がってすらいないのだから、まだこれからだろう。
けれど。
見たその中でも、分かることはあった。
この場所は紛れもなく城だった。
伝承の魔女の居城、ではなくて。
何らかの様式を持った、この場所に動く多数の人の影が色濃く残る。
それは言葉にするならまるで、
王の城。
……ここに来たのは、ここがかの魔女が拠点にしていた。有り体に言って、住処だと思っていたからだ。
魔法とは、近現代において秘匿された技術で。知らないどこかでは研究者によって日々、進化を続けていると聞いたことがある。
だけれどそれは遠いどこかの話で、ここではない。
魔法とは何も知らない人間が突発的に行えるようにはならない。
だから、僕はここにきた。
かの魔女の、もうそれなりに長い時間が経って、そこにいる人が代を越え移り変わっていってもそれでもまだ、話の戸口に立ち続ける程に愛されていた。あの人の技術を盗み見れば、あるいは僕も。
けれど、ここにあるのは城だ。想像に難くない魔女の住処とは、ずれている。
まだ全体からみて大した量を見たわけではないのかもしれない。
けれど、どうしても。魔法の匂いが薄い部屋を見る度にあるいは、と考えてしまう。
ここには、なにもないのだろうか。
瞼が重くなって、目をとじる。
思い浮かぶのは、
重い
奥には廊下をまたいでいくつか小部屋があり、作業場には荷物が所狭しと置かれていた。
その小部屋の中の一つ。覗き込んだその部屋は、他の部屋よりも更に小さく。物置なのか、自分の背丈よりも高い棚が人が通れるぎりぎりまで並べられ、そのどれもに荷物が詰められている。そしてその奥。そこに、扉を見つけた。
気の向くままに、置いてある物に触れない様に棚の間を
扉の傍にある窓から見える風景から推測をするに、どうやら端のようで、裏口だろうか。
ドアノブに触れ、押して開く。
その先には小さな、また一つの別の部屋があった。
長方形の部屋の端にはベッドや、テーブルクロスの置かれた机。調理場の脇に置かれた食器類、そして
その様な考えを持つより前に、僕の思考は一つから離れずに止まっていた。
天窓から差し込まれる光に照らされた部屋の中心、長大な白く柔らかな布の置かれたシンプルな台のその上。
そこには、一人の女性が横たわっていた。
束ねられた白金の髪、血色の感じられない白い首筋、女中服のような、どこか軍服のような。黒のスカートに白いエプロンのドレスに包まれた横たわる女性は、扉を開いて入ってきた自分に一瞥をくれることも無く、目を瞑ったまま動かない。
眠っている、のだろうか。
……ゆっくりと、彼女に近づく。
近づいていく度に違和感を覚え、そして側にまで近づいた時にはその違和感の正体に気付いた。
違和感、それは彼女が動いていないことだ。
眠っているにしてもあまりにも動作がなく、そしてそれは、胸の上下すらも同じことだった。
彼女は、息をしていなかった。
けれど、それもそのはずだ。
彼女は人形なのだから。
入ってきた自分には向かって右側。その半身しか見えていなかったから気付かなかった。
だが近づいて、その全体を見れば分かる。
彼女には、左腕がついていなかった。
ついていない。そう、外れているだけで彼女の傍らには左腕は置かれている。
それだけなら、あるいはただの死体だと思ったかもしれない。
だけれども、彼女の左腕。その断面図を見たときに僕は、彼女を人形だと認識した。
その置かれた左腕は、身体から離されているにも関わらず、腐るわけでもなく、肌は生きている人以上に白く透き通るようで。
その肌は、断面で途切れさせること無く一面を覆っていた。
そして何より断面に位置する肌に描かれた、あの扉のような仄かに青く光る、幾何学模様こそがその結論を事実だと更に裏付ける。
隣に来ても
別の人種をも思わせる整ったその容姿は、表情を変えることもなくとも、綺麗で魅力的なものだった。まるで、造り物のように美しい。
上から奥へと手を伸ばし、置いてあるその腕に触れる。
冷たくも柔らかい人の腕だ。自分のものと温度はともかく感触はさして変わらない。
持ち上げたそれを、僕は服の袖をまくり、関節部にはめるようにして、台へと下ろした。
そうすればそこにあるのはただの人のようだった。
――――――――これは本当に、人形なのだろうか。
もし人形でないのだとすれば、それは一つの答え以外を導かない。
確認をするように手を伸ばす。
彼女の左腕は人形の腕だった。なら、右腕は?
右腕も同じ様に造り物の腕ならば、
思いついた自分の考えを否定するように、思考に導かれるままに右腕の袖を捲ろうとしたその僕の右腕を、
白魚の指先がそっと、僕の手首を掴む。
「え、」
手首を掴んでいた指の続く先は他ではなく内側、捲ろうとした人形の手。
みつめた人形の身体は腕以外変わらず動いていない。
「こんにちは、ご主人様。」
彼女は表情を変えること無く、その美しくも幻想めいた青い瞳を僕に向けて、見据えていた。
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