ピンク色の珍獣
頭上高くで広がる
こうして見るたび、うしろを歩くリオンとの距離が遠くなっていた。もはやその差は十五メートル以上はあるだろう。
サエッタが身につけている白装束の生地はとても高価な物で、遥か東方の地に住む魔女が数々の秘術を駆使して紡いだ逸品だった。肌ざわりがひんやりと心地よいだけでなく、エキゾチックなデザインも彼女は大変気に入っていた。下半身の前垂れは、うしろ姿がTバックなのだが、リオンはそのことにすら気づかないほど落ち込んでいる様子だった。
年上のお姉様としては、目のやり場に困って赤面する少年の姿を期待していただけに、残念でならない。お尻の形に自信があるサエッタの自尊心は、結構それなりに傷ついていた。
「ねー! リオン、早くしなさいよ! 山の天気は変わりやすいのよー!」
だが、返事はない。
単純に聞こえていないだけかも知れないので、致し方なくサエッタは待つことにする。深いため息をついて長い睫毛を閉じると、魅惑的な腰の括れに片手をあてた。
背中を覆う黒髪が冷たい風に泳ぎ、尖った耳も包み隠す。雨のにおいがしたので、降られるのは時間の問題だろう。目的地までのルートを再構築する必要があった。
妖艶な双眸をふたたび開けても、リオンは表情すら確認できない距離をトボトボと歩いていた。
(こんなに時間がかかるんじゃ、〝
すると、眼下の遠い岩陰から、リオンよりも何十倍もの速いスピードで縫うように駆け登ってくるピンク色の生き物の姿が見えた。
(えっ……なによアレ? 珍種のモンスター?)
長い両耳を頭から伸ばしたソイツは、背中の大きな
しばらく感心してそんな様子を見据えていたが、落胆している少年剣士殿はいまだ珍獣の存在に気づいていなかった。サエッタは舌打ちをすると眉根を寄せ、前のめりの姿勢で斜面を駆け降りる。
『
呪文の詠唱が進むにつれ、握られた左右の手からパチパチ弾ける音と毛細血管に似た小さな光が生み出されていく。
『
雷鳴が二度
──ブォン、ブォン、ブォン、ブォン!
電撃魔法が物凄い速度で脇を通り過ぎたところで、リオンはようやく反応をみせて呆けた顔を真うしろに向ける。
『アイヤー!? 何事か!?』
突然の魔法攻撃に驚いて立ち止まった巨大ウサギは、四肢をくねらせた奇妙な独特な体術の構えで臨戦態勢に入った。
『アチョー!』
──ブォン、ブォン、ブォン、ブォン!
巨大ウサギが奇声を発しながら鳥のように天高く舞い上がれば、光の球体も軌道をそちらへと変えて襲いかかる。が、
『あたぁ! ほぉわちゃー‼』
強烈な踵落としで球体のひとつが地面に撃ち落とされ、爆音とともに木っ端微塵となって消えた。
そして、続けざまに横一閃の裏拳を放ち、残りも上空の
「ええっ!? ちょ……
未知の相手に強力な魔法を迎撃されて一瞬怯むも、サエッタはすぐにリオンの身を案じて彼のもとへと走りだす。
「あれは……ピンクのウサ──うわっ!」
後頭部に柔らかくて大きな温かい感触がふたつほど押し当てられたリオンは、自分の身体にまわされた琥珀色の腕を見て、それがサエッタの胸であることに気づけた。
「あのキモい笑顔の巨大ウサギ、かなりヤバいかもね」
「えっ? ヤバいって、どういう……」
「さっきの見てなかったの? あたしの電撃魔法を簡単に弾き返すなんて──」
ささやくサエッタが言葉を終えるまえに、巨大ウサギは自らの頭を両手で抱え込む。
『んんん……』シュポン!
そして、一気にそれを引っこ抜いた。
*
ピンク色の巨大ウサギは着ぐるみで、中の人は行商人の少女だった。魔物と誤解して攻撃を仕掛けたことを詫びるサエッタに、その少女──パオは、「これを買えばチャラにするアル」と、背負子を比較的安定する斜面に置いてから、ひとつの商品を取り出した。
サエッタが手渡されたのは、親指ほどのガラス瓶に入った謎の液体。ドス黒い色をしていて、なんだかとても怪しいうえに異臭がする。
「これって……なに?」
「世界樹の樹液アル。この量の十倍から十五倍希釈して飲めば、病気知らずで超長生きなるヨ」
「えっ、あの世界樹!? すごいじゃないの!」
「でも賞味期限が百年くらい過ぎてるから、きっとお腹壊してトイレの住人ネ」
「そんな物を売りつける気なの!? さっさと廃棄処分にしなさいよ!」
先を急ぎたいサエッタは、薬草か聖水でも購入して一刻も早くこの場から去りたかった。
けれども、行商人の少女が差し出す商品はどれもジャンク品ばかりで話にならない。苛立つ彼女とは対照的に、リオンは無気力に麓の景色を眺めていた。
「……ねえ、武器はないのかしら? できれば、長剣がいいんだけど」
脱け殻状態の少年剣士を立ち直らせるには、やはり剣がいちばんだろう。面倒見のよい自分の性格に、サエッタはため息をつく。
「耳長のエロいお姉さん、剣欲しいか? はじめから言えば、すぐ商談終わったヨ。このバカタレ」
「なっ!?」
さりげない暴言の数々にサエッタがキレるよりも早く、パオがリオンに手渡したのは、薄汚れた布にくるまれた一振りの長剣だった。その柄はとても美しく、武器というよりも芸術品の趣きが多いに感じられる。
(あれ? なんか……見覚えがあるような……)
サエッタが記憶を手繰り寄せるそのあいだ、虚ろな目をしたリオンがぐるぐる巻きにされた紐を
「うわぁ……!」
その刀身は鏡のように綺麗で、感激したリオンの表情が笑顔に変わる様子も鮮明に映し出された。それと、サエッタの驚く顔も。
「ちょ、ちょっと! それってもしかして──」
その
聖剣クラウザーソード。
リディアスの王家に伝わる聖剣である。
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