バルカイン神殿

 王国騎士団に騙された……それはつまり、王権転覆とも取れる意味でもあった。ドロシーは胃がキリキリと痛み、軽度の眩暈めまいまで感じていた。


「あの……団長、それはどういう意味でしょうか?」


 あえて訊ねる。

 なにか別の、救われそうな言葉を求めて。


「文字どおりの意味だ」


 そんな思いを打ち砕くように素っ気なく答えたアシュリンは、地平線の彼方かなたをひとり見つめる。

 どこまでも続く枯れ果てた死の大地。

 ここへ赴くように仕向けられたとするならば、それは自分たちに〝死ね〟ということなのだろうか。

 だとしても、辺境の地にたどり着いただけでは命を落とさない。アシュリンは……いや、シャーロット王女は、オルテガの真意を確かめるべく、あえてなにも無い荒野を進む決断をする。


「ここまでやって来て、手ぶらで王都に帰るのもバカらしい。とにかく、このまま行くとしよう」


 その判断に逆らう者など誰もいなかった。一行は幌馬車には乗らず、徒歩で先へと進む。

 だが、進んだところで景色はなにも変わらなかった。地平線まで見わたせる荒れ地になにを望めばよいのやら。シルバー号を引く最後尾のレベッカは、ぼんやりとただ、歩いていた。

 それはみなも同じで、とくに話すこともなく、無言のままそれぞれ一歩一歩、ただひたすら前へと進んでいく。


 そんなときである。

 またもやアリッサムが、「あれ?」と声を上げたのだ。


 いっそのこと〝妖精を見つけました〟とでも言ってくれと、レベッカは願う。あれからずっとハルに抱きついたままの専属使用人に、「どうかしたの?」と笑顔でハルが問いかけた。


「あそこ……なんにも無いですけど、なにかありますよ!」


 予想の斜め上をいく珍回答にハルの唇から血液が漏れ出るが、「あっ……本当だ!」と、ドロシーもそれに続いて賛同する。

 先頭を歩いていたアシュリンもそちらを見れば、荒野の景色に光りの屈折で透明な〝なにか〟がぼやけて見えるではないか。それは蜃気楼でも幻覚でもない。確かになにかがそこに存在していた。


「あれは…………建物?」


 アシュリンが風に逆らいながら駆け足で向かう。それに続き、少女騎士団もあとを追った。

 ほどなくして、立ち止まる騎士団長の背中に追いついたレベッカにもその理由がわかった。

 なにも無いと思えた空間に、うっすらと柱のような物がチラリと見えるのだ。

 アシュリンは息を殺しつつ、緊張した面持ちでそっとそれに触れてみる。するとその途端、目の前に朽ち果てた大きな石造の建造物が現れた!


 言葉を失う一同。


 溝のある巨大な円柱が、規則的に何本も平行に頭上高く伸びている。出入口の天井には、蟹のような不気味な生き物と小さな人々の浮き彫り細工が施されていた。

 ここはおそらく、暗黒神がまつられている神殿に間違いないだろう。そして憎きソンドレや、とらわれのマグヌス王もきっとここに──。


「みんな、装備を整えるぞ」


 騎士団長の静かな命令に、全員がうなずいて従った。

 荷台に乗り込んだ面々は、それぞれが思う武器を手にする。レベッカは変わらずブロードソードを、ハルは下水道で使わなかった怒りの鉄槌を選んだ。

 そんななかで、ドロシーが使いなれた爆裂のダガーを掴んだ直後、小型の鞘から煙が漏れ出す。


「えっ? なにこれ……めっちゃ熱くなってきたんですけど!?」

「いかん! ドロシー、そいつを早く外に投げ捨てろ!」


 鬼気迫る表情でそう叫ぶアシュリンの嫌な予感満載の命令に、ドロシーは血相を変えて馬車から飛び降りると、可能な限り遠くまでそれを投げた。



 ひゅー…………………………………………ドッカーン!



「ええっ……」

「危なかったな。爆裂のダガーはまだ試作品で、いつの日か爆発すると武器商人が言っていたんだ」


 ドン引きするドロシーに並び立つアシュリンが、腕組みをしながら遠方の黒煙を見つめる。

 そういう大切なことは最初のときに教えてくれと思いつつ、ドロシーはふたたび馬車へと乗り込む。別の武器を探してみたものの、未経験者の自分が扱えそうな物といえば、黒光りする長い一本作りの鞭だけだった。


「これって……」

「ああ、それはとても丈夫な鞭らしいぞ」


 クラウザーソードが納まる豪華な鞘を剣帯に差し終えたアシュリンが、腰ベルトの位置を確認しながらつぶやく。


「……だけ? それだけなんですか? なにか特殊効果は──」

「ない」


 支度を終えたアシュリンが、真顔で降り際にそう言い残して消えた。

 ひとりぼっちとなったドロシーは、長鞭を何重にも巻いて腰にしまうと、今度は荷物の山から防具を探しはじめる。


「せめて、盾くらいは装備したいけど……やっぱりないか」


 あきらめて立ち上がった途端、カタンと物音がした。ふと見れば、まとめられて置かれている調理道具のなかに鉄鍋があった。



     *



 鉄鍋の蓋を背負ったドロシーが降りてきたのを合図に、アシュリンは全員に話しかける。


「この先はなにが待っているかわからない。〈天使の牙〉の一員として死ぬ覚悟ができている者だけ、わたしについてこい!」


 シーン……。


 長い沈黙が続く。

 元侍女の団員たちは、視線だけでお互いの顔を見比べる。


 誰も死にたくはないし、死ぬつもりもない。

 けれども、引き返せるわけもなく、三人は返答に困っていた。アリッサムも自分はどうすればよいのかわからず、両手を前に組んだまま表情を強張らせている。

 なんの反応も示さない一同。

 アシュリンは怒りに震え、耳まであかく染め、両目には涙までにじんでいる。凛々しかった我らが騎士団長殿は、飾り気のない少女の顔に戻っていた。


「団長……あのう……死なない程度に頑張りませんか? 無事に生きて帰るまでが冒険の旅だと、わたくしは思います」


 にっこりと微笑んで意見するハルに、ほかの団員たちもつられて笑顔をつくった。


「そう……だけど……ううっ」


 不満そうな様子のアシュリンに、アリッサムはハンカチを取り出しながら駆け寄り、こぼれ落ちそうな涙を丁重に拭う。


「ぞよー!」


 すると、神殿の奥から叫び声が聞こえた。


「今の声って……」


 ドロシーが円柱に守られた闇の世界を見つめる。


「マグヌス王だ! みんな、わたしに続け!」


 クラウザーソードを抜いたアシュリンが神殿へと走りだせば、ハーフサイズのマントがなびく背中をレベッカとドロシーがすぐさま追いかける。


「ま、待って……うんしょ、うんしょ!」


 そして、巨大な金槌を引きずりながら、ハルもゆっくりとあとを追った。


「皆さま、お気をつけて~!」


 大きく手を振って少女騎士たちを送り出したアリッサムは、しんがりのハルが神殿へ入るまで見届けると、周囲を警戒してから逃げるように馬車まで走った。


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