飢えた戦闘員

「あー、あー、こちらロセア。シルヴェラ、聞こえるか?」


 朽ちかけた納屋の中で、三角ずわりをして隠れているロセアが、胸もとから取り出したペンダント──風の精霊石コクーンに話しかける。やがて、蛍の光りのように穏やかな明滅が暗がりを青く神秘的に輝かせた。


『なーに?』


 やる気と抑揚のない、幼き少女の声。

 それでも、きょうは上機嫌なほうだった。


「〈天使の牙〉は、あすにもマータルスに到着する。この任務もすぐに終わりそうだと、マヤ隊長に伝えてくれ」

『それくらい自分で言いなさいよ』

「まだおまえたちは〈世界同盟〉のところにいるんだろ? ぼくからは無理だ」

『こっちも無理だって言えよ』


 ふたりの会話を遮るようにして、少年のヒソヒソ声が聞こえてくる。シルヴェラの双子の弟・ヴィートだ。


「あれ? こ……えが……聞こ……え、な……」


 真顔のロセアが、わざとらしく言葉を途切れさせて強引に会話を終わらせる。納屋にふたたび静けさと暗闇が戻るも、すぐに大きくお腹が鳴ってしまい、静寂はあっさりと破られた。

 非常用の携帯食料なら、とっくに食べ尽くして無くなっていた。育ち盛りのうら若き戦闘員にとって、一日の終わりの食事が干し肉の切れはしと乾燥パンひとつだけでは全然物足りない。


「うーむ」


 お腹をさすりながら立ち上がったロセアが納屋から出ると、なにか食べ物のようなにおいが鼻孔を撫でる。風上のほうをよく見れば、村の片隅に停められた幌馬車の近くで誰かが料理をしているようだ。

 つまりあそこには、食糧がある。

 表情ひとつ変えずに丸眼鏡の位置を右手中指で直したロセアは、星の明かりがレンズに反射されるのを合図に、気配を消しながら標的に近づいていった──。



 幌馬車はやはり〈天使の牙〉だった。

 少女騎士たちは談笑をしながら、にぎやかに食事をしている。

 ふと、レベッカがこちらに振り向いた。おそらくロセアが放つ熱視線に気づいたのだろう。


「どうしたんですか、レベッカさま?」

「いや……誰かが、あたしの食べ物を狙っていたような」


 気のせいかと思いつつ、レベッカは背後の暗がりを見つめながら特製鍋を咀嚼する。やがて、アリッサムにおかわりを訊かれたのを機に、もう振り返ることをやめた。


「ふっふっふっふ、甘いなオーフレイム」


 右手で拳銃ピストルの形をつくったロセアは、不適な笑みを浮かべてレベッカの背中に狙いを定める。と、


「──チョップ!」

いたっ!?」


 突然、軍帽を被っていた頭頂部が外気にさらされたかと思えば、強烈な手刀が容赦なく脳天に降ってきた。


てててて……サエッタ、なにをする!」


 真うしろに立っていた犯人は、仏頂面のダークエルフ・雷解きのサエッタだった。


「それはこっちのセリフよ。秘密戦隊って、私利私欲に走っていいわけ? しかも、夕飯の強奪だなんて……アホくさ」

「大盗賊のおまえに言われたくない! それに、これは……その、アレだ! 友達同士の、ちょっとしたイタズラなんだ!」


 サエッタの手から軍帽を奪い返すと、ロセアは手櫛で髪型を整えてから被り直した。


「ふーん。それはそうと、本当にひとりでソンドレを捕まえるつもり? 同じ電撃魔法を使うよしみで、今回も助けてあげましょうか?」


 以前、別の任務でロセアはサエッタと知り合っていた。不本意ながらも、いろいろと助けられたのだが、その任務というのが大盗賊である彼女の捕獲であった。要するに、その任務は失敗に終わってしまい、副隊長殿の唯一の汚点となってしまっていたのである。


「おまえの助けを借りるくらいなら、失敗させて全裸で土下座するほうがましだ!」

「ふ~ん……あ、そう。素直に〝助けて〟って言ってくれれば、一緒に夕飯の小豚の丸焼きを食べようって思ってたのにぃ~」

「えっ」


 ロセアの丸眼鏡がガクンとずり落ちるのと同時に、サエッタは舌を出して片手のひらを振り、闇に呑み込まれるようにして消えた。


 そして、翌朝──。


 不思議なことに、くすぶる焚き火の近くには丸焼きにされた小さな獣の骨がまるごと一頭転がっていた。

 それを最初に見つけたレベッカは、香ばしいにおいに鼻を引くつかせると、残っていた肉片をほんの少しだけちぎり取って食べてみる。


「もぐもぐ……美味ウマっ!」


 絶妙な塩加減。

 それに、この味は豚肉だ。

 無意識に次々と手を伸ばすレベッカ。気がつけば、食べれるところはもう無くなっていた。


「あーっ! オラのビビアンちゃんが!」

「やっぱり、おめえたちが犯人かっ!」

「ふぇっ? もぐもぐ……」


 突然の大声に振り向けば、農具を持った村の男たちがニ十名以上、敵意を剥き出しにして集まっていた。

 今にも襲いかかりそうな彼らの雰囲気に状況を察したレベッカは、青ざめた表情で首を激しく左右に振って否定の意思を明確に伝える。だが、それに合わせて、唇からはみ出た豚肉も陽気に揺れ踊っていた……。



     *



 その後、誤解が解けぬまま、命からがら村を逃げだした一行は、〈ビオス山脈〉をめざして森のなかを幌馬車で駆け抜けていた。


「──しっかし、ひでぇ話だよな、まったく。なんであたしたちが豚泥棒なんてするんだよ、なあ?」


 同意を求めて御者台から振り返ると、荷台にすわる全員が一斉に視線を逸らす。おかしな空気を感じたレベッカは、いちばん近くにすわっていたドロシーに話しかける。


「おい、ドロッチ……」

「そう……ですね。わたしたちは・・・・・・ったりしませんよ」


 一瞬だけ視線を合わせるも、またすぐに逸らされてしまった。


 疑われていた。


 おまえが盗んで食べたのとちゃうん?


 そうみんなが思っていた。


「クッ……!」


 尖った歯で怒りの感情を喰いしばるレベッカの瞳孔が、木漏れ日を浴びて細長く縦に伸びる。一同を威嚇するさまはまさに、猛獣そのものだった。

 やっぱり食べたんだ──アリッサムが震える指でピナフォアを掴むと、その手をとなりにすわるハルが優しく包み込む。

 彼女の瞳もまた優しく、〝大丈夫だから〟と語りかけてくれているようだった。


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