密命と初恋

 大空がすっかりと夕闇に染まり星が瞬きはじめた頃、少女騎士団は小さな村へたどり着いた。周囲にひとけはまるでなく、見ようによっては廃村のような朽ちかかった家屋の数々、そして、方々から聞こえるカラスの鳴き声に、一行は不安な気持ちをつのらせていた。


「あー……どうやら宿屋は無さそう……ですね、どこにも」


 ところどころ崩れた民家の壁の煉瓦を見つめながら、ドロシーがつぶやく。


「うむ。今夜は野営だな。とりあえず、村人にとどまる許可を得るとしよう」


 村長らしき家を探してアシュリンはあたりを見渡す。しかし、それらしき邸宅は見つからなかった。

 致し方ないので、いちばん近い民家の扉を叩いてみる。しばらくすると、怪訝な目つきの初老の女性が、扉を少しばかり開けて顔をのぞかせた。


「……なんの用だい?」

「急に押しかけてすまない。この村で一晩過ごさせて頂きたいのだが、村長の家はどちらだろうか?」


 アシュリンたちをまるで品定めするかのように見た女性は、なにも答えることもなく、扉を鼻先で閉めてしまった。


「……大歓迎だな」


 皮肉を込めてそう言うと、アシュリンは幌馬車を村はずれに停めるよう、改めて指示をだした。



     *



 焚き火を囲み暖をとる。

 手のひらから温もりが伝わって冷えきった身体を癒していく。

 まだまだ春は遠いようだ。ゆうの支度を進めるアリッサムを眺めながら、アシュリンは思った。


「姫さま……じゃなくって、団長。〈ビオス山脈〉を越えたら、死の大地まではすぐなんですか?」


 隣国出身のドロシーは、まだリディアスの地理には詳しくない。訊ねられたアシュリンに代わり、ハルが質問に答える。


「山脈の麓から荒地が広がっているはずよ。そこが死の大地と言われるマータルス。神話では、女神デア=リディアと暗黒の神バルカインが決戦を行った場所。その影響で、草木も生えないと語り継がれているわ」


 いつもの笑顔とは違うハルの真剣な表情に、ドロシーは思わずつばきを飲みこんだ。


「マータルスは、我が祖先の初代マグヌス王が偉大なる勝利をおさめた土地。縁起が良いと願いたいものだ」


 そう言ってゆっくりとまぶたを閉じたアシュリンが小さなくしゃみをすれば、傍らにすわっていたハルが毛布を取りに馬車へと戻る。

 ただひとり火のゆらめきを見つめながら、レベッカは先ほどの雑木林で感じた複数の気配について考えていた。あの少年は別として、ほかにも誰かが自分たちをつけ狙っているのは間違いない。より鋭敏になった勘が、そう教えてくれていた。


「お待たせいたしました! 今夜は〝特製鍋〟ですよぉ~!」


 にこやかに明るく頬笑ほほえみかけるアリッサムが、人数分の皿に次々と純銀製のお玉杓子で茶色に濁った汁と角切りになった具材をいでいく。


「えっ、これって……何味?」


 皿に鼻を近づけたドロシーがそう訊ねると、「異国の調味料を使ってみました!」とアリッサムが軽快に答える。

 異国ってどこやねん。そう思いながらドロシーは、銀製の匙を口へと運ぶ。


「んんん?」


 誰よりも早く、レベッカが声を上げた。

 眉間に皺を寄せて小首をかしげるも、すぐさまもう一口匙をくわえる。が、やっぱり小首をふたたびかしげた。


「あら! 懐かしいわね……これって、お味噌でしょ?」


 ハルが嬉しそうに笑顔をアリッサムに向ける。それは、ずいぶんと久しい故郷の味だった。


「えーっと、そんな名前だったような……あっ! みなさん、お口に合いましたか?」


 不安そうに訊ねてくる様子に、ハルをのぞく団員たちは返答に困っていた。慣れない味付けではあるが、決して不味まずくはない。けれども、格別に美味おいしくも感じられなかった。


「なんだか斬新で、その…………とってもあったまるね!」


 はつらつな笑顔と抽象的な感想で誤魔化してみたドロシーは、中途半端にふやけた豚の干し肉の塊を噛み砕く努力に励んだ。



     *



 ひづめの駆ける音が野山に響く。

 小高い丘から姿を現したのは、真新しいマントに身を包み、フードで頭をすっぽりと覆ったひとりの若い旅人。

 眼下のさびれた村を確認すると、その旅人は手綱をさばくのをやめる。


 ここに少女騎士団が──アリッサムがいるはずだった。



 きょうの夜明け前。騎士団宿舎のそばにある馬小屋で眠りについていたリオンを、オルテガがたったひとりで訪ねてきた。まさかの出来事に、てっきりなにかとがめられるに違いないと覚悟を決めたリオンではあったが、実際はそうではなかった。


「熟睡中にすまない。リオン、おまえは今年でいくつになる?」

「は……はい。十四歳になります」

「フッ、月日は早いものだな」


 わらに埋もれてかしこまる少年従者に、昔の面影を重ねる。王国騎士団に連れられてきた時、リオンはまだ五歳だった。

 魔物討伐に赴いた際、襲われた村の片隅に返り血を浴びて真っ赤に染まった男の子が隠れていた。訊けば、同じように血まみれの母親に〝かくれんぼ〟をしようと言われて、ずっと樽のなかに身を潜めていたというのだ。幼い我が子を守るため、とっさにそう仕向けたのであろう。

 全滅となった村は焼き払われ、今は林道の一部となっている。もしも村が平穏であったのなら、今頃リオンは木こりとして暮らしていたかもしれない。


昨日さくじつの活躍は耳にしている。おまえは小姓のなかでも格別の……王国騎士団おれたちの息子でもある。とても誇りに思うぞ」

「そ、そ、そんな! あ、ありがとうございます!」


 これは夢であろうか。

 いや、そうだ。でなければ、このような場所に騎士団長殿がやって来てまで自分を称賛してくださるはずがない。


「──そこで、だ。これをおまえにくれてやる」


 オルテガは不器用に笑いかけると、腰にぶら下げていた剣を鞘ごとリオンに手渡した。


「えっ?」

「おれには子供がいない。先祖代々伝わるこのつるぎも、いつか遠縁の誰かがびつかせて骨董品アンティークにしてしまうだろう。だからリオン、どうかもらってやってくれ」

「は……はい!」


 感激のあまり、リオンは涙を浮かべて声まで震わせる。抱きしめたつるぎから歴戦の重みを感じられたのは、決して錯覚ではなかっただろう。


「ハハハハッ! 泣くやつがあるか。女々しい男は騎士団にはいらないな。どれ、そいつを返してもらおうか」

「だ、だめですよ! これはもう、おれのです!」


 頬を赤くしてつるぎを隠す仕草が元々の幼い顔立ちも相まって、本当に少女のように見えてきた。オルテガは妙な胸騒ぎを覚えたが、気にせずに話を続ける。


「リオン、おまえに特別な任務をまかせたい。単独行動になるが……できるか?」

「はい! もちろんですとも!」


 騎士団長から直々の指令。小姓の身分である自分が断る理由はなにもないし、むしろ光栄の極みだ。



 こうして名剣と密命を授かったリオンは、〈天使の牙〉をひとりで尾行していた。なにか行き過ぎた動きがあれば、オルテガに代わってそれを阻止するために──。


『どうもありがとう、わたしだけの騎士さま』


 そして、少女騎士団にはアリッサムがいた。

 月夜の下の愛の告白。あの笑顔と美しい瞳、頭を撫でられた手のひらの感触が忘れられない。リオンはもうすっかりと、年上の専属使用人に恋をしていたのだ。


(ああ……アリッサム……)


 リオンは手綱を強く握り直し、勇ましいかけ声を上げながら、小さな村をめざして駆け下りて行く。

 やがて被っていたフードが向かい風でうしろへめくれ、熱いまなざしにいくつもの星のきらめきが映しだされた。


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