救出完了
(まわりが騒がしいけれど、なにがどうなっているのかしら……)
磔にされているハルからは、まったくもってなにも見えない。退屈しのぎで、先ほど立ち読みしたマンガの続きを妄想していると、別の小柄な黒衣の人物が足もとに近づいてくる。
「ハル……わたくしよ。今すぐに助けるからね」
「え? その声は、姫さまですか?」
「もう! 団長って呼びなさい……あっ、いけない!」
アシュリンは、なにかを思い出した様子で咳払いをひとつしてみせると、
「団長と呼んでくれないかな」
声の調子と表情を急に凛々しいものに変えた。
うら若き騎士団長は、目深に被っていたフードを後ろへと払い、荒縄で縛られたハルの手足を改めて見上げる。普通ならよじ登らなければ届きそうにない高さだ。しかし、アシュリンは荒縄を見据えたまま、腰の鞘からレイピアを抜いて構えた。
このレイピアは、ただの武器ではない。闘いの神の加護を受けており、特殊な効果がふたつ備わっているのだ。
ひとつは、一度の攻撃でニ回分の攻撃が可能であること。
そしてもうひとつは、半径十メートル内の相手を衝撃波で斬りつけられること。
「初めて使う技だ。じっとしていろよ」
「あの」
「ハァァァァァァァッ!」
いったいなんのことなのかハルが訊ねるまえに、アシュリンは気合いのかけ声を上げて虚空を何度もすばやく突き上げる。と、
シュババババババッ!!
──すとん!
拘束されていた十字の姿勢のまま、ハルは無傷で床へと着地した。わずかな落下時間、プリーツスカートがめくれて下着が全開になってしまったことは語るまでもない。
「いったいなんのことですか……って、あら? このことだったのですね」
ハルはにっこりと笑いかけてみせるが、右眉のたんこぶと口もとの血の
「おのれ、
アシュリンの美しい相貌に復讐の炎が瞬時に宿るも、黒衣の集団は木箱の下で重なりあうように全員が倒れていた。
「まあ! 団長があの人たちも倒されたのですか?」
「いや……わたしは、なにもしていない……」
ほどなくして、丸眼鏡の少女が木箱の最上段から飛び降りてくる。落下の最中、彼女は制帽のみを片手で押さえていたが、穿いているのはショートパンツなので、下着が見えることはなかった。
「……キミはやはり、〈異形の民〉では……なかったのだな。その……様子……からして、どうやら捕らわれていた御婦人の仲間とみ……た。違う……かな……?」
丸眼鏡の少女は、涙をこらえて顔を赤く染めていた。おそらく、着地した時に足を
「なにが起きたのか、よくわからないが……一応、礼は言わせてもらおうか。どうもありがとう。わたしの名前はアシュリン、〈天使の牙〉の団長を務めている。そして、こちらの素敵な
アシュリンは、御礼の言葉と簡単な自己紹介をすませてから相手の腕章を見ていた。
秘密戦隊──この国では、聞いたことがない部隊名だった。
「ふむ。礼などいらぬが、こちらも名乗らせてもらうとしよう」
少女はにじんだ涙を
「ぼくは、ロセア・ルチッカ。秘密戦隊〈
*
空が、水が、大地が、混沌と猛毒に
はじめに顔をのぞかせる者は恐怖、痛み、続いて苦しみ。
だが、汝嘆くことなかれ。訪れるのは深淵の絶望だけではない。その扉を最後に閉じたのは、我らの希望の光りだからである。
─一部抜粋─
自らの血と涙で万物を救済した戦士を、汝は忘れてはならない。異界の門を呼び戻す隙をつくってはならない。厄災は常に、こちらの様子をうかがっているのだから……。
今より十八年前、オタの預言は的中した。
しかし、勇者が邪神を倒して魔物をもとの
それらを未然に阻止、または駆逐するため、国家と種族を越えた
「──と、言うわけだ。ちなみに、ぼくが入隊するまでの感動秘話を聞いてみたくはないか?」
「…………大丈夫だ」
アシュリンは断ったつもりだったのだが、ロセアはその言葉を肯定とみなして長話を続ける。
「あれは忘れもしない、三年前……いや、ニ年前だったか? ん? 五年前じゃないだろう」
「ハル、歩けるか? 肩をかすぞ?」
「大丈夫です、アシュリン団長。そのお気持ちだけで、傷口が癒されますわ」
ひとり勝手にあれやこれや考え事を始めたロセアを置き去りにして、ふたりはその場を立ち去ろうとするも、今度は轟音と男たちの怒声とともに、倉庫の玄関口が破壊された。
「ハルさーん! 無事ですかー!?」
白煙と粉塵の向こう側から聞こえてきたのは、ドロシーの叫び声だった。大勢の憲兵を引き連れて突入してきたのだ。
「ピーッ! 突撃ぃぃぃぃぃぃッ!」
大勢の憲兵たちは、兵長の呼子笛の合図で倉庫内へ雪崩れ込み、気を失っていた黒衣の集団を縄や手錠で次々と捕らえていった。
「……おやっ? こいつらを騎士殿がおひとりで、傷を負わせずに全員倒されたのですか? いやはや、お強い! 我々とはケタ違いの
ハルに寄り添って立ちつくすアシュリンの腰にあるレイピアを一瞥してから、兵長は豪快な笑い声を上げた。
「いや、誤解しないでくれ。これはすべて──」
アシュリンが振り返ると、ロセアの姿はもうどこにもなかった。
「ハルさん……こんなに
ドロシーは肩に下げていた布袋から大量の薬草を取り出し、急いでそれを握り潰して傷口に塗りたぐる。一瞬のうちにして、ハルの顔は深緑色の汁でビッチャビチャになってしまった。
「あらまあ……すごく……しみるわ。どうしてかしら、さっきよりもずっと痛いような……」
それでもハルは、感謝の意味をこめた笑顔をドロシーに向けて返した。
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