ノービスと崩壊の予兆
「思ったよりも勘がいいですね」
忌々しそうに町長は言った。
「貴方がたも口をつけてくれれば、と思いましたが、どうやら警戒されていましたかね?」
鬼の内部から生えた木の枝は、うねうねと蠢くように外へと飛び出し、陽光を求めて枝葉を伸ばす。
「しかし、ええ、幸運でした」
「どういうこと?」
ロスダンはすでに立ち上がり、距離を取っていた。
いつの間にか、その手には弓がある。
一方の町長は、まだ座ったままだ。
まだ会談が続いているかのように、穏やかに続ける。
「当然、迷宮が手に入るからです」
笑う顔ですら、先程までと変わらない。
だが、その目の奥から少しずつ伸びるものがあった。
「ここ饕餮ダンジョンは、他のダンジョンを取り込み、拡大した。ならば、その供物としてもっとも相応しいものは、やはり迷宮でしょう?」
ここのノービスは人間側ではなく、ダンジョンの側にいた。
「なるほど」
「おや、ご納得いただけるので?」
ロスダンが皮肉に笑うのも当然だった。
『同じことを、饕餮ダンジョン側も考えてたってわけか』
『だねえ』
『鬼妖精、その身体、いったん復活させる?』
『いらねえ、時間差ができる、防衛できねえ』
『わかった』
『マスター、折を見てケイユは姿を戻しますよ』
『頼んだ』
ケイユが服を脱ぎ、変身を遂げようとしていたが、まるで気にせず町長は続けた。
「子供二人に馬。迷宮人であるあなたはもちろん、馬もこのような森の中では役立たずだ、排除すべきものは一人だけ――その戦える素養を持つものはすでに排除した、もう貴方がたは土の下も同然だ!」
「うるせえ、ボケが!」
腹から突き出た枝を、鬼はつかんで引っこ抜いた。
野球ボール大の球根も気にせず抜き切り、更に盛大に血が噴出する。
胃を自ら破壊したようなものだったが、気にもとめずそのまま町長へとフルスイングした。
「ごあッ!?」
ひどく散文的な音がした。
椅子ごと横へと転倒する。
「どいつもこいつもコスいことしやがって、こんな小細工で戦士を止められると思ってんじゃねえぞ!」
「は、は……!」
「なにがおかしいんだよボケ」
町長の目の奥から、枝が伸びる。
後から後から、ずるずると引きずり出さる。
「鬼妖精でしたか? これは小細工ではありませんよ、貴方を我々の糧にしようとしただけです。貴方の食事行為となんら変わることはない」
口から、服の合間から、あるいは頭髪に紛れるように枝葉は伸びる。
その全身はもう人の姿をしていない。
一個の樹木だった。
びちゃびちゃと開かれた傷跡からこぼれる血は、床へと落ちるよりも先に繊毛のような根が吸い上げる。
鬼妖精がこぼしたものですらも吸っていた。
「……ただのノービスじゃねえ、ってわけだ」
「ええ、そのような脆弱なものと一緒にしないでいただきたい、我々は饕餮ダンジョン様と取引を行い、変貌した――飢えることなく、滅びることなく、繁茂し広がり、根を伸ばし、世界の果てまでも蹂躙し占領を行う存在となったのです!」
自慢げに枝葉を広げる。
「あなたは妖精でしたね? ならば、わかるのではないですか? 人間が怪物となり、力を手に入れた。これはそれとなんら変わらないものだ。ノービスがドリアードと融合し、力を手に入れたのです! 我々はついに変異を遂げた!」
鬼は血の混じったつばを吐き捨て、同時に虚空から回復薬を取り出し穴の空いた傷へと振りかけた。
ロスダンから渡されたアイテムだった。
「そんなのは、どうでもいい、知ったことじゃねえ、俺が興味があるのはひとつだけだ」
「ほお、なんです? どのように命乞いをするかですか?」
「配下妖精と樹精もどきの、格付けに決まってんだろうがッ!」
曲がりくねった棒に玉をつけた格好の杖を、鬼は振り下ろした。
「はは、余裕ですねえ! 貴方がたはすでに詰んでいるというのに!」
周囲は石を積んだ壁が囲っている。
それを、貫き枝が伸びた。
柱のように立ち並ぶ木々、それが伸びたものだった。
「貴方が見ているよりもずっと我々は『多い』! 迷宮内にどれほどの戦力を抱えようとも無駄だ!」
森が、うねる。
一つの街を構成していた木々の全てが本来の形を取り戻す。
それは、樹木だけではなくノービスも同様だ。
町長のような姿へと変貌し、ダンジョンへと捧げるべき生贄を得ようと迫る。
「うっわ、ひど」
「もうケイユ、金輪際ぜったいに森とか行きません!」
「ゴットスピードはどうした馬!」
「街そのものが敵とかゴッドの手にも余りますよ!」
「役に立たねえ神だなあ!」
「あ゛あ!? 血ぃ吐きながらなに行ってやがるんですかこの鬼、毒とか罠にひっかかりすぎなんですよバーカバーカ!」
「ロスダン代わりに俺が罠も毒も食らうのは当然だろうが、そういう役割だろうが、その程度のこともわかってねえのか馬! ああ、やっぱり馬だからか!」
「なにぉおお!?」
「ンだコラ!」
「集中してー」
叫び合っての喧嘩をする最中にも、周囲は異常へと変容した。
柱のようにそこかしこに伸びていた木々は顔を出現させた。
樹皮にうずもれるような顔をギョロリと巡らせ、手足の代わりに枝や根を動かし、彼らにとっての贄を確保しようとする。
街中を行き来していた人々も、樹人として迫り来る。
「なるほど――」
「なに納得してんだロスダン!」
「人の姿をしているのって、むしろ成熟してない樹人なんだ」
「なんですそれ?」
「あ、あー、たしかにノービス姿だったやつより樹の方が強そうだな、こっちが大人ってことか?」
「だと思う、ノービス街、って名前そのものが罠だった」
「ケイユたちの話、どこから聞かれているのかと思っていましたが、普通にそこら中から立ち聞きしてたってことですか!?」
一際大きい樹木が吠えた。
動き回る樹人ではなく、立ちそびえる自分たちこそがこの街の主人だと言うように。
「このっ!」
その攻撃の精度自体は、さほどではない。
妖精の姿をした鬼であってもたやすく弾き返すことができる。
実質、片手しか使えない鬼にも対処可能なほど遅い。
ゾンビのほうがまだ機敏だ。
だが、数が多かった。
しかも全方向から繰り出される。
それでも――
それらは届くことはない。
鬼は全力で羽を震わせながら、地面に這いつくばるように避け、すぐさま跳ねて蠢き迫る根から離れ、手近な幹を蹴りつけながら棒状の樹を叩きつける。
彼を食い破り生じたもののためか、球根をつけた棒は反抗することもなく周囲の樹人の破壊を手伝う。
義手つきの手は攻撃の邪魔なので胸元へと抱えるように固定する。
「やっかいー」
わめきながらも走り続けるケイユに乗ったまま、ロスダンもまた攻撃をした。
こちらは、アイテムと弓による遠隔攻撃だった。
迷宮内部の破壊アイテムを気軽に放り投げ、ときには弓も使って安全な場所へと投擲する。
盛大な爆発音が絶え間なく響いた。
その様子を見て町長は戦慄いた。
「この、なんてことを! この街で火を使うとは!」
「よし、弱点らしいぞ、ロスダン、この街をキャンプファイヤーにしようぜ」
「それ、ケイユたちも逃げられなくないです?!」
「いざとなったらボクへと避難すればいいよ」
「油撒きましょう油!」
小刻みかつ的確に動く鬼妖精は捕まえられない。
水妖馬の特性を活かして骨など無いような動作で駆けるケイユにもまた、攻撃は当たらなかった。
「クハハ――」
樹人の姿で狼狽える町長の様子を見て鬼は笑った。
「罠は弱い奴が使うもんだ、その罠が破られた時点で、雑魚がバレたって自覚しとけよ」
「罠? 罠ですと? 違いますとも! 貴方がたは今も変わらず死地にいる、これだけの数を突破できるつもりですか? また、外側だけではない、内側にもノービスはいる! 迷宮人の核、本体となるものを滅ぼすために送り込んだ者たちのことをお忘れてですか? 内外からの攻撃をどう対処すると!」
なるほど、と鬼は思う。
この自信は両面作戦を決行しているからこそだった。
物量で攻めつつ、迷宮内部へも撹乱要因を送り込んだ。
「まあ、その、なんだ?」
鬼は言葉を迷うが、馬は高笑いしながら断じた。
「無駄な努力ご苦労さまです! ケイユたちがその程度のことに気づかなかったとでも? ふふふ、甘々の甘ですねえ!」
もちろんそんなことはないが、わざわざ教えてやる親切はどこにもない。
「……まあ、そういうこった」
「むふぅ」
余裕そのものの様子に町長は戸惑う。
また、実際に「合図」を送ったというのに返答がなかった。
「え?」
計画の瓦解する音を聞いた。
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