ゴブリンと鬼
迷宮とは、迷宮人と呼ばれるニンゲンが内部に持つ異常空間のことを指す。
そこには世界が広がり、木々が生い茂り、そしてモンスターが現れる。
このモンスターの発生は迷宮人の意図したものではなく、自然なものだった。
池があれば鳥が水を飲みに訪れ、植物が繁茂し、あるいはボウフラが湧くように、迷宮に適したモンスターが生じる。
迷宮内部にいるモンスターは、迷宮人にとっても敵でしかない。
散らばった宝箱を取り返せないのも、これが理由だ。
それらは「ロスダンのもの」ではなかった。
内部に巣食うモンスターを倒す必要があった。
「これか……」
そして、意識すれば確認できる、迷宮ポイントと呼ばれる数値も討伐周回の理由のひとつだ。
現在、32/700とある。
「ほとんど枯渇してんじゃねえか……」
『大量に物資を取り込んで、鬼妖精も配下にしたし?』
「それだけでこんなに使うのかよ」
『がんばえー』
「だから、微妙に他人事なのは何なんだ」
だが、本当に妙なことになったと彼は思う。
現在、饕餮ダンジョンを攻略中だ。
なのに、彼はその「ダンジョンアタックをしている迷宮人」を攻略している。
それによって迷宮ポイントが増え、武器防具が手に入り、彼自身も強化される。
迷宮攻略が、ダンジョン攻略を有利にするのだ。
迷宮アタックがダンジョンアタックにつながる。
意味不明だった。
「そもそも、この迷宮ポイントって、使ったら何ができるんだ?」
『え、いろいろ?』
「いや、だからたとえば何だよ」
『迷宮内部の様子とか、写真映像だとほとんど無料で見えるけど、動画だと30秒で1ポイントくらいかかる?』
「このバカ馬! なに動画とか見てたんだよ!」
愚者火と戦った際、たしかにそんな話をしていたはずだ。
『はあ!? 普通に気になるでしょうが! なんですか、ケイユが見たら駄目って言うんですか!』
「ポイントを無駄にすんな、つってんだよ!」
『はー、やだやだ、これだからケチくさい鬼は、もうちょっと心豊かに行きましょうよ』
「現実に目ぇ向けろ! ステータス確認しろや! ほとんど底が見えてるだろうが!」
『はああ? 前にケイユが頑張って迷宮で雑魚狩りずっとしていたんですよ? あれだけのデスマーチやった以上、動画のひとつやふたつくらい――めっちゃ減ってるぅ!?』
先程の冒険者襲撃を反省してか、ほとんど会話に入らず周囲を警戒していた馬は心底からの驚きを嘶いた。
『なんでですか! え、ケイユの頑張りの成果どこ消えました!? くっそ大変だったんですけど! 延々と雑魚を蹴散らす作業とか心がすり減るんですよ、え、いや、さすがに嘘? ドッキリ? これ、桁数とか間違ってますよね? 違うはず?』
「先輩、苦労してたんだな……」
『やばい、この鬼が気を使うとか……本気でリアルです、これ……』
『やっちゃったのは、うん、仕方ないよ。気にせずに次に行こう?』
「やったのロスダンだ! なんで他人事なんだよ!」
『今すぐ致死確実ロデオの許可をくれませんかねえマスター!』
『だいじょうぶ』
『何がですか!』
『これからは、この鬼妖精ががんばる、宝箱の回収だってしてくれる。ケイユはこっちでのんびり』
『ほお……なるほどなるほど?』
「おい」
『後輩、期待してますよ!』
「馬のクセに高速手のひら返ししてんじゃねえぞ」
『ふひひ、後輩が頑張る姿をケイユは高笑いで見物してやることにします!』
「馬が今いるの、世界最大のダンジョンだって自覚あるか?」
『……忘れてました!』
二人の配下が苦しむ姿など知らないかのように、ロスダンは彼に情報を寄越した。
周辺の地図だった。
何箇所かにマークがつけられている。
『鬼、強さ的に、そこまで周回できないと思うから、2って書いてるところのゴブリン集落を回って?』
地図の縮尺はわからない、だが、それは素直に見れば「三十個ほどの集落を一人で潰して回ってこい」と言われているように見えた。
『あー、後輩、ひとつだけ忠告しておきます』
「なんだ先輩」
『《 体力強化 》と《 疲労回復 》のスキルは、早めに取りなさい。まだマシになります。続ければどの道ぜったい取ることになるけれど、意識的に取ることを目指した方がいい』
嫌な予感とは、こうした事態を指しては使わない。
確実に地獄が待ち構えていた。
ケイユのそれは本当に心からの忠告だった。
+ + +
現在の彼は目が見えない。
耳による聞き取りを行い、それを羽の震えで補佐している。
だからこそ、周囲の気温が下がったのは――迷宮内に擬似的に再現された夜となったことは幸いだった。
ゴブリンであれば目に頼るが、彼は視覚によらず聴覚で周囲を判断する。
結果として行われたのは、完璧な形での夜襲だった。
寝込みを襲い虐殺をするのは、対モンスターでよくやる作業だったが、この小さな身体でやるのは初めてだ。
手にした武器が杖でしかないこともあり、上手くいくかは不安だったが、存外、楽に達成できた。
20匹のゴブリンを駆逐した。
『よし、次いこう』
『暗くてなんも見えません、つまんないですね』
迷宮ポイントを確かめる。
52/700とあった。
「このクソゴブリンども、一匹につき一ポイントかよ!」
『夜襲かけて無傷で全滅させといて文句を言うのはさすがにどうなんです?』
「苦労に見合わねえって言ってんだ」
『もむもむ』
『あ、マスター、それ美味そうですね、クッキー?』
『ふふん、いいでしょ?』
「なにをやってんだよ……」
言いかけながらポイントを確かめる。
51/700とあった。
「気楽に人が貯めたポイント使ってんじゃねえよ……!」
『鬼、大丈夫ですよ』
「なにがだよ、馬」
『このマスター、これからもっと盛大に無駄遣いします。そりゃもう、信じられないレベルで』
言葉には経験者の重みがあった。
この賽の河原にも似た苦行を繰り返してきたのだという歴史が込められていた。
鬼妖精はため息を吐きながら、暗がりを移動するより他になかった。
『なに? ひょっとしてケイユに同情してますか?』
「してない。状況が絶望的って理解しただけだ」
『……こんなに理解されたくない共感って、なかなか無いですね』
『うまぁ、あまぁ……!』
一人ロスダンだけが甘味を謳歌していた。
+ + +
それからも鬼妖精は手早くゴブリンを打ち倒した。
徐々にその手際は手慣れて行く。
そのうちに、夜襲スキルでも生えるのではないか。
ゴブリンの体型は今の彼と大差なく、しかし、その力も速度も知能も劣る。
ただ、集団として襲ってくる点だけが厄介だ。
その有利な点を、夜という環境が覆した。
ビル同士の隙間を簡単な柵で塞いだ集落の、一応という形で立つ歩哨を潰せば、あとは好き放題できる。
大小の区別なく、徹底的に殺し切る。
たかが一ポイント、されど一ポイントだ。
今もロスダンがおやつをぱくついていることに青筋が立つが、それでも、数値を上げることは作業に意義を与える。
じりじりとしか増えないが、それでも確実に増えるのだから。
喚こうとする口を棒で破壊し、逃げ出そうとするモンスターに追いつき背骨を砕く作業にも力が入る。
今のところ疲れもさほどではない。
妖精という弱小種族ながら、元がオーガであったためかスタミナには余裕があった。
「やべえ……」
だが、武器の方はそうもいかなかった。
『ん? ああ、まあ、持ったほうでは?』
元は樫であった棒は、今やすべて赤色に染まっている。
特に両端は赤黒く、その殺傷の回数を示した。
だが、それでも所詮は木の棒だ。
持ち手の付近に亀裂が入った。
「そもそも、なんで迷宮にこんだけのモンスターが蔓延ってんだよ」
『それこそファンタジーだからでしょうね』
「クソ、宝箱もまったく出ねえし……」
迷宮、あるいはダンジョンで発生する宝箱は、設置されていることもあるがモンスターを倒すことでも出現する。
その配置、あるいは配分は、ある程度の規則性はあるものの、根本的にはランダムだ。
『ゴブリン倒して宝箱とか出るわけないでしょう、愚かですねえ、馬鹿ですねえ、少しは考えたらどうです?』
「うるせえなあ、夢くらい見たっていいだろうが、俺の手持ちの武器、今にも壊れそうなんだよ」
『予備武器はないよ?』
「ロスダンのせいでな!」
『少しは悪びれるとかしましょうよ、このマスターは!』
『なんか……』
「なんだよ」
『最近、ボクへの扱い、ちょっとだけ悪くない?』
「悪くなるようなことしかしてないからだろうが!」
『心外?』
「馬、どうにかして今すぐお前の背中からロスダン振り落とせねえか?」
『やれたらとっくにやってますよ、命令による縛りがきつすぎて、不可能です……』
「クソ……!」
『ふふん、ケイユには何度もやられたからね、それはもう念入りに命じたんだよ?』
『どう考えても暴君だろコレ』
「革命したいです……」
『ふっはっは、無駄無駄ぁ、配下(サバディネイト)諸君、がんばりたまえ?』
本気ではないことは口調でわかるが、それでも鬼と馬の顔は赤くなった、激怒で。
その中で平然とクッキーをパクついているロスダンは、ある意味では大物だった。
「てーか、この周回、どれくらい続ければいいんだ?」
『え、死ぬまで?』
「鬼すら越えて悪魔じゃねえか」
『大丈夫、ボクの配下だから、復活できる』
「……それ、噂だけかと思ったら、本当だったのかよ」
『当然』
ダンジョンボスを倒されない限り、中ボスは討伐されても復活する。
同様に、迷宮の配下(サバディネイト)は、迷宮人が倒されない限り復活を果たした。
『けど、割と迷宮ポイント消費するから、あんまり死なないでね?』
「俺、人権とか労働基準法とかってものの大切さ、今すげえ味わってるわ」
『鬼、ファンタジーに駆逐されたものを今更懐かしんでも意味がありません』
『今はボクが法律』
「ちょっと欠陥法すぎないか?」
+ + +
彼はゴブリンの集落を潰しながら巡っていた。
それは背中の羽で周辺を把握しながらだ。
視覚による認識がそうであるように、聴覚による認識にも穴はある。
音を発さないものは、聞くことができない。
羽音を利用して補完はしていたが――近くに流れる小川の中へと隠れていたゴブリンの把握などは難しかった。
川音に呼吸音が紛れる。
羽音も、水の内部までは聞き通せない。
鬼妖精の《 聴覚 》や《 識別 》のスキルレベルが高ければ話は違っただろうが、未だにそれほど頼れるものではなかった。
結果として鬼は一匹を取り逃がし、そして、十分遠ざかった後でそのゴブリンは身を起こした。
流水から周囲を見渡せば、集落の壊滅が理解できた。
モンスターが、その光景をどう受け取ったのかはわからない。
ただ、ゴブリンは種族として鼻が良かった。
自身に流れるのと似た臭いのものが、盛大に撒き散らされているとは把握した。
失禁し、糞便を垂れ流す様子すらあった。
恐怖の臭いだった。
それらをひときわ濃く纏うものが、別の集落へと向かって行くのも嗅ぎ取った。
だからこそゴブリンは慎重に、かつ叶う限り早く走り出した。
向かうべき先は、襲撃者の後ではない。
この周辺でもっとも大きい集落であり、もっとも強いゴブリンのいる場所だ。
平和に暮らしていた自分たちを虐殺したあの怪物を打ち倒せるとしたら、自分たちの長しかいない――
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