追跡と逃走
《 聴覚1 》を獲得した。
《 識別1 》を獲得した。
そうした声が内部から発生するのを聞いた。
相変わらず1だが、これでも無いよりはマシだと、先程の戦いでわかった。
たしかに僅かなものではあるが、「身体の動きが良く」なった。
実力が伯仲していれば、この違いは決定打となる。
紙一重の差を打ち破れる、有用な武器となり得た。
とはいえ、このスキルは、どうやら意識的に使おうとしなければ発動しないもののようだ。
今回得たこれらのスキルも、意識しなければ無駄になり、伸びることもないだろう。
――別の言い方をすれば、これは、「俺がどう強くなるか」を自分で決められるってことだ。
わずかな希望が見えた。
今は妖精の身体ではあるが、望むスキルを上げ続ければ、以前のようなパワータイプの戦闘も可能だ。
完全に元通りというわけにはいかないだろうが、再びオーガとなるルートが見えた。
『マスター、マスター、あの鬼やばやばでは?』
『どこが?』
『だって、あんな弱い妖精小突いて弄んで、最後には「楽しかったぜぇ、またなぁ! グっヒヒィ!!↑」とか言ってるんですよ? やべえです、残虐スキル500くらいあります』
「そんなことまで言ってねえ」
『あー、自分じゃ気づいてないんですねえ、ナイフ舐めながらそう言ってましたよ』
「ナイフとか持ってねえだろ! なに観てたんだよ!?」
『え、雑魚狩りですよね?』
「……まあ、そうだけどよ、この身体でどう戦えるかは知らなきゃ駄目だろ」
『うっわ、雑魚狩りをしてた自覚ありですか、引くわー』
「別に下級のモンスターなんだから、どう扱おうがいいだろ、まだ優しい扱いだ」
『まじで種族主義ですね』
「たいていの怪物はそうだ」
『ケイユは違いますが?』
「そりゃ幸せもんだな」
『どういうことで?』
「下の種族に横暴を行い、その代わりに上の種族の横暴を受け入れる、それがたいていの怪物の当たり前だ」
彼は少し考え。
「下に偉そうにするが、上に媚びへつらって逃げようとするクズもたまにいる。だけどな、そういうのはたいていすぐに死ぬ、いざってときに誰も助けねえからな」
命令をボイコットする部下を、上位種族は軽視する。
同時に、下位種族からしても「確実にすぐ死亡する怪物」について行くことはない。
横暴を行い、横暴を受け入れる。
そうして迫りくるダンジョンに対処する。
いざというとき「必要な捨て駒になれる」ことを証明する。
『あなた、割とクレイジーな環境にいたんですね?』
「狂ってると言えるのは、お前が幸せもんってことだ」
『いいですよね? 羨ましいですか? ケイユのことがすげー羨ましいってことですよね?』
「普通にぶん殴りてえ……」
『ん……?』
『まあ、このケイユ様のことに憧れちゃうのはわかりますが、いやあ、まいりましたねえ、そんなにケイユ様すごい、えらい、かっこいいとか言われてしまうとさすがに照れますよ』
「一言も言ってねえよ!?」
『ケイユ!』
『え? あ!?』
鬼妖精は再び別の箇所へと移動をはじめていた。
当然、外のロスダンとケイユも移動を続けている。
彼が襲撃を受けたように、当然のことながら饕餮ダンジョンでもそれは起こる。
問題は――
『しまった! 別に油断とかしてなかったのに!』
「お、おい!?」
音によって伝わってくる外の様子は、どう考えても尋常ではなかった。
『全力で逃げます、ケイユに捕まってマスター!』
『了!』
『なんですアレは、なんですあの変態は!? クソ気持ち悪いんですが!』
伝わってくるのは音だけだ。
景気よく駆ける地響き、限界ギリギリを狙っているのか岩壁にこするような音までしている。
ケイユの呼吸音もその合間に聞こえる。
そうして、その隙間を縫うように――
『返せ――』
声がした。
それは、可能ならば、もう聞きたくない声だった。
叶うならば断末魔だけしか耳にしたくない相手だった。
『それは私のだ、私の初めての相手だ。お前らのような脆弱な卑怯者が手にしていい人ではない!! 私の運命に傷をつけたなクズ共がァ!』
あの冒険者だった。
+ + +
なぜ、どうして、どうやってその追跡を行えたのかはわからない。
迷宮内部にいる鬼は現在、外界と完全に遮断されている。
その痕跡すらつかむことはできないはずだ。
しかし、どうやらこの冒険者は確信しているようだ。
ロスダンの内部に、オーガはいると。
『鬼、79負け! なんかアレ、お前のことを言ってますよね?!』
「知らねえよ、けど、なんか俺に執着してる!」
『よし、マスター、この鬼妖精、外にほっぽり出しましょう! その隙に逃げれます!』
『あー、あり……?』
「待て、待て!?」
それをしたら、間違いなく止まるだろう。だが――
「あの変態の考えはよくわからんが、下手すると怒り狂うぞ!」
『はあ? なぜ?!』
「あの冒険者は、オーガとしての俺に執着してた、今の俺はどう考えても解釈違いだ。怒りの矛先が俺にだけ向けば良いが、ロスダンにも向きかねないんだよ!」
彼にも何人かの友にしてライバルがいる。
それら友人たちが、ガリガリの痩せ細った姿になったのを見れば、彼は間違いなく「そうさせた相手」に怒る。
互角の戦いが、切磋琢磨すべき対象が、無為に損なわれた事実に憤慨する。
『ならどうするんですか! 半裸ムキムキマッチョメンが、すごい勢いで接近してるんですが!』
「うわ、なにそれ怖」
『マスター、このバカ鬼に映像を見せてください!』
映像が送られた。
現在、彼らがいる地点は一般的な洞窟だった。
軍勢ですら楽に侵攻できるほどの広大な洞窟は、室内競技場を思わせる。
空気の動きが制限され、音は静かに環境内をこだまする。
もっとも、下は整備された床ではなく、自然そのままの岩石だ。
いかなる競技も行えない。
その岩を蹴り砕くように接近している冒険者の姿があった。
以前のオーガを思わせる筋骨隆々の上には、血涙を流さんばかりの恨み辛みを貼り付けた顔がある。
三日三晩の断食の末に、ようやく手に入れた大好物、それが横から掻っ攫われたならこのような顔になる。
「あ、駄目だな、俺が普通に出たら確実にマジギレする」
『役に立ちません、この新入り!』
「うるせえ! ちょっと見えたがケイユ、お前って馬だよな! 馬がなに喋ってやがる!」
『ああ!? なんですかあ!? だったら今すぐあなたがマスターを乗せて走ってみせなさい! ケイユが効果音も担当してやりますよ、ひひーん! ほら、鬼妖精も吠えなさい!』
「うっるせえ、というか、ロスダン」
『なに? あんま、喋れない……』
音からして、どうやら馬の上におぶさるようにして乗っているようだった。
「ここは妖精ダンジョンだよな?」
『そういう説もある?』
「いや、そこを誤魔化すな、そして、その内部のモンスターのスキルをある程度はお前も使える、そういう認識でいいか?」
『ん、だいたい、そんな感じ』
「だったら、こういう手はねえか?」
+ + +
冒険者は怒り狂っていた。
今すぐあの馬ともども切り刻まなければならない。
彼の愛が、想いが、別の形へと変質した。
それを感じ取っていた。
昇格(レベルアップ)とは、怪物の存在の簒奪だ。
そのあり方を、生き方を、あるいは命そのものですらも奪い取り、己のものとする。
一般には知られていないが、この怪物退治による昇格には相性がある。
速度を身上とする冒険者が力自慢の怪物を倒したところで意味が薄い。
己よりも更に速く、さらに素早い怪物を打倒してこそ、存在としての格が上がる。
また、まったく共感できない怪物を殺したところで、それはただの殺傷にしかならない。
過去未来永劫に愛し続けることができるほどの、心から想える相手を手にかけてこそ、昇格は果たされる。
ファンタジーに捧げるべき供物は、己のもっとも大切なものに他ならない。
冒険者たちに伝わる伝承には、恋人や親友を手に掛けた逸話が枚挙にいとまがない。
そう、実のところ、冒険者が倒すべき相手とは二種類に限られる。
どうあっても勝てないほどの強者か。
どうあっても殺したくないほどの想い人かだ。
――そうした意味では、私は幸運だった。
目指すべき強者と、誰にも渡したくない想い人が同一人物だった。
これを殺せば、どれほどの強さが得られるだろう。
これを殺してしまえば、どれほどの悲嘆が心を塗りつぶすだろう。
あるいは、もうこれ以上の強さなど得られないのかもしれない。
最上を得てしまえば、残りはすべて無価値となる。
一度しか得られない喜びは、きっと心を永遠に塗り替える。
だというのに。
運命そのものだというのに。
変わった。
変質した。
あのオーガが消えたのではない、死んだわけでもない。
あのオーガが、損なわれた。
それが実感できた。
愛すべき敵なのだ。
どうあっても他へと渡すことのできない最愛であり永遠だ。
その程度の感知など、造作もなくわかる。
「死ね――ただただ私に殺されろ、お前たちの行った罪深さを骨身の奥まで染み込ませろ、私の童貞を、台無しにしてくれた報いを受けろォ!」
身体にはみなぎる力がある。
間違いなく、オーガから受け継いだ昇格(レベルアップ)だ。
それを使い、前を走る馬を追いかける。
水妖に属するものだろう、足跡ではなく水跡が残る。
それを蹴散らすように突き進む。
敵を引き裂き、その臓物を引きずり出してやらなければ気がすまない。きっとかのオーガであれば同じことをするはずだ。
彼にはわかる、確信できる。
解釈違いなど、ありえない。
距離が縮まる。
敵の背が見える。
惰弱に水妖の背にしがみつく子供の姿。
冒険者にとってもオーガにとっても唾棄すべき、弱々しい様子だった。
まずは噛みついてやろうと口蓋を開き――
目を見開き、立ち止まった。
そうせざるを得なかった。
岩を砕きながら静止する。
水妖と子供が遠ざかるが、そんなことはどうでもいい。
眼の前に、いた。
いつの間にか、出現していた。
『よお』
オーガだった。
前と変わらぬ姿だった。
存在が、色が、匂いが、耳が、なによりも欲情が教える。
ここにいるのは、あの求めて欲したオーガであると。
『戦うか?』
「はいっ!」
このために生まれてきたのだと思えた。
この一瞬のために、いままでの生はあったのだと。
ああ、毒などもはや必要ない。
そのような無粋など、本当はいらなかったのだ。
彼自身の弱さが、あのような不純に頼った。
本当は、ただ真正面から戦いたかった。
そうした想いが目を曇らせた。
あまりに幸せな幻覚だった。
実際のところ、そこにいたのは、一部だけが本物だった。
声はロスダンを経由して発せられたものであり、オーガ自身のそれだ。
匂いも同様だ。
血ですら、そこにある。
左腕だ。
切断されて保管されていたそれが、たしかにそこにはあった。
だが、その大半はロスダンが作り出した幻でしかなかった。
冒険者にとっての幸福は、満身の力を込めた拳がすり抜けるまで続いた。
しばしの間、あっけにとられたような、理解を拒むような時間が過ぎ去り――
この世でもっともおぞましい獣を思わせる声が、饕餮ダンジョン内に木霊した。
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