第2話


気がつくと、どこかの街の中にいた。

さっきまでいたはずの教室の面影はどこにもなく、両脇にビルが並ぶ道路の真ん中に突っ立っていた。

奏汰はしばらく呆然としたあとで、自分の身に起きたことを思い出す。ハッとして、両の手の平を見下ろした。ちゃんと身体はある。だけど、おかしい。着ているものが制服ではなくなっている。自分の格好を確認しようと、ビルのガラス窓を見て目を瞠る。

「うわっ!」

ガラスの向こうに誰か知らない人がいる。

そう思って声を上げたものの、ガラスの中の人影も自分とまったく同じように口を開けて驚いた顔になり、一歩後ろに下がった。

ガラス窓に映っているのは、別の誰かではなく、自分なのだとようやく理解する。けれど、それはいつもの自分の姿ではなかった。恐る恐る鏡のようなガラス窓に近づきながら、その中の自分と手を合わせる。

「これ、ゲームのキャラ……ゲームの中の俺だ……」

ガラスに映っている姿は、ここ最近、夢中になってプレイをしていたあのゲーム、Synthe Diverで使っているキャラクターだった。近未来的なデザインのジャケットに、シンプルな黒のパンツ、独特な形状のスニーカー、そして、腰には武器である銃までぶら下がっている。服装だけでなく、髪型や髪色、顔そのものまで、何もかもゲームの中で設定しているキャラと同じだった。

「もしかして、ここってあのゲームの中の世界なんじゃ……」

ふと浮かんだ考えを口にしてから、すぐにそんなことが起こるはずがないと思い直す。けれど、頬を撫でる風も、肺に入る空気も、ただの夢とは思えないほどリアルだった。

現実味がないのは、むしろ周りの風景だ。どこか東京を思わせる街並みだが、ガラスでほとんどが構成されたビルや他の建造物は現実では見ることはまずない外観をしている。

そして、頭上に広がる空は水色とピンク色が混ざったような色合いをしていた。そして、そんな光景のどれもが、やはりあのゲームの世界と共通するものがある。

ぐるりと辺りを見渡してから、ふともう一度ガラス窓に目を戻す。そして、そこに映り込んだものを見て、息を詰めた。

奏汰の背後には、巨大な魚のような生き物がいた。

敵だ――。

ゲームの中で見てきた経験から反射的にそう思った。振り返ってモンスターを直視すると、その横に≪クリムゾン≫という名称を表す文字が現れた。

宙を滑るようにしてクリムゾンが奏汰めがけて襲い掛かってくる。横に飛び跳ねるようにして避けると、クリムゾンはガラス窓に突進していく。ぶつかったガラス窓は音を立てながら割れ、破片が飛び散った。

慌てて距離を取りながら、腰に下げていた銃を取る。

クリムゾンはまるで奏汰が標的だと刷り込まれているかのように身を翻して、再びこちらを狙っている。色鮮やかな半透明の魚は見ている分には綺麗だけど、かぱっと開かれた口にはグロテスクな歯がびっしりと並んでいた。

倒さなければと、頭の中で警告音が響く。

奏汰が銃を向けると、照準を示すポインターがクリムゾンの身体に映し出された。

やるしかない――。

心を決めると、照準がずれる前に奏汰は引き金を引いた。銃口から光の弾丸が飛んでいき、モンスターの体に命中した。ちゃんと銃は効いたようで、クリムゾンは鈍い鳴き声を上げながら消えていく。

どうやら倒せたようだ。ほっと息をついたそのとき、再び背中に気配を感じた。

すぐ後ろに、もう1体別のクリムゾンが迫っていたのだ。

気づくのが遅かった。振り返ったときには、大きく開いたモンスターの口がすぐそこにあった。

声も上げられず、ひゅっと喉が鳴る。一瞬にして絶望感に襲われる。

けれど、そのとき、横から光の銃弾が飛んできた。弾丸は、まっすぐにクリムゾンの体を貫く。突然のことに唖然とする奏汰の目の前で、クリムゾンは消ええていった。

奏汰は、銃弾が飛んできた方向を振り向いた。そこには、奏汰と同じような服装の見覚えのある男が立っていた。奏汰とは別の、ゲーム内のキャラクターだ。その男が肩で息をしながら、ゆっくりと構えていた銃を下ろす。

「大丈夫……?」

そう尋ねた男の頭上に、画面のような四角い枠が現れる。どうやらこの男性キャラのプレイヤー情報を出しているようだ。一番上に『スバル』とプレイヤー名がある。その名前にすぐに思い当たるものがあった。一緒にテストプレイをしているプレイヤーの名前だ。そして、今目の前にいるのは、そのスバルがよく使っているキャラクターだった。

「え、リュウって……」

スバルにも奏汰と同じように、奏汰の情報が見えているらしい。奏汰のプレイヤー名である『リュウ』という名前に何か察したようだった。

もしかして、スバルも同じようにいきなりこの世界に連れて来られたのだろうか。

いろいろ聞きたいけれど、何から聞いたらいいのかわからない。それは相手も同じようで、お互いに踏み込めないでいると、どこからか別の声が聞こえてきた。

「わあああ、どうなってんの、これ!」

女性の叫び声だ。声はわりと近くから聞こえてくる。どうやら角を曲がった先の通りからのようだ。

「あの声……もしかして、ミヤじゃ……」

奏汰の呟きに、スバルがハッとして頷く。

「きっとそうだ」

ミヤというのは、一緒にテストプレイをしていた4人の中で、唯一女性キャラを使っていたプレイヤーだ。

奏汰はスバルと目配せをすると、一斉に声の方へと走り出した。

通りを駆け抜け、角を曲がる。予想通り、ミヤらしき女性キャラがいた。着ている服のデザインは奏汰やスバルのものと似ているけれど、スカートにタイツという格好だ。モンスターに追われ、高い位置に結ばれたツインテールの髪を揺らしながら、必死に逃げている。

「武器変えて、武器! どうやったら変えるんだろ、これ、ねえ!」

ミヤは誰に言うでもなく叫んでいる。よく見れば、ミヤの手にはフライパンが握られていた。そういえば昨日、ミヤがふざけて武器をフライパンに設定していた。

「ミヤ、こっち!」

奏汰が叫ぶと、ミヤもふたりに気づいたようだ。

「え、リュウとスバル……!?」

ミヤは攻撃してきたクリムゾンの尾をフライパンでなんとか受け流すと、奏汰たちに向かって走り始めた。その後ろに、何匹ものクリムゾンが続く。ミヤが引き連れて来たモンスターを、奏汰とスバルで応戦した。壁のようになって並んで立ち、ミヤを背中に隠しながらモンスターに銃を向ける。順番に数匹を倒し、残り2匹となる。けれど、その最後の2匹になかなか銃が当たらない。

その間にも、ふたりの背後でミヤは武器を変えようと奮闘していた。

「『武器チェンジ……!』 うーん、違う? 『武器変更……!』 あ、これでいけそう」

奏汰が目だけでちらっと振り返ると、ミヤの手からフライパンが消えている。

けれど、すぐに意識をモンスターに戻した。クリムゾンは攻撃のタイミングを窺うかのように横に揺れて、銃の照準がなかなか定まらない。

「『武器変更、双拳銃』」

後ろで、再びミヤがそう唱えた。

「なーんだ、これでいいんだ」

ミヤの機嫌のいい声が聞こえたかと思うと、奏汰の顔のすぐ横から拳銃を握ったぬっと手が差し出された。

「ちょっとごめんね。肩、借りる」

ミヤは奏汰とスバルの間から手を出し、2人の肩に腕を乗せたまま引き金を引いた。両手の拳銃から放たれた弾丸は、2匹のモンスターを見事に一発で打ち抜いた。

「お見事……」

あまりの手腕に、奏汰は苦笑しながら振り返る。そういえば、ミヤはかなりゲームをやり込んできたプレイヤーだったはずだ。

「はあ、危なかった。それで、2人に聞きたいんだけど、ここは何? 一体、何が起きてるの?」

ミヤが腰に手を当てて、そう尋ねる。

けれどその答えを持っていない、奏汰は肩を縮めた。

「俺も何がなんだか……」

奏汰が視線を送ると、スバルは首を横に振った。

「気がついたら、ここにいた。身体がいきなり消え始めて……」

どうやら、スバルも奏汰と同じような目にあったらしい。

「まあ、わたしも同じなんだけど……夢にしては妙にくっきりしてるし」

そう話すミヤの目は、奏汰の斜め上を見つめている。頭上に出ているはずのプレイヤー情報を眺めているのだろう。そこで奏汰は、ハッとする。

「この3人がいるなら、トラもいるかも」

奏汰は、テストプレイを一緒にしていた4人のうち、最後のメンバーを思い出す。

「ああ、たぶん彼なら……」

ミヤが言いかけたそのとき、また別の方角から大きな音が聞こえてきた。

「あっちだ」

駆け出した奏汰とスバルに、何か言いたそうにしていたミヤも続いた。

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