ダイバーズ・ダイバース

瀬戸みねこ

第1話

スマホを見下ろす視界の隅で、前に立つ人が動き出したのが見えた。

乗り換えの電車がホームに到着したようだ。同じように電車を待っていた人の列に並んでいた奏汰は、スマホゲームの画面を見つめたままた乗り込む人混みの後に続く。前の人にぶつかりそうになり、ようやくゲームを中断して顔を上げた。

早朝の都内を走る電車の中は、いつものように混みあっていた。一番多いのが通勤客、その次が学生たち。車内には、奏汰と同じ学校の制服を着た生徒も何人かいる。扉の近くに居場所を見つけた奏汰は、またゲームを始めることにした。


登校時間が迫っていることもあって、大勢の生徒が校門から昇降口へと続く並木道を歩いている。

その人の波に添ってひとり歩いていた奏汰だったが、ふと前にいた2人組の男子生徒の会話が耳に届いてきた。気になったわけではなく、片方の生徒の声がやたらに大きかったからだ。イヤホンをしながら来ればよかったなと、奏汰は後悔した。

「なあ、お前の兄貴って有名人らしいじゃん。なんで教えてくれなかったんだよ」

そう言われた相手の男子生徒は、顔は笑いっているがどこか話題を避けたそうな雰囲気が出ていた。首筋に手を当てて、わずかに表情が強張っていく。それでも話をやめようとしない男子生徒に、自分には関係ないことだとは思いつつも、もやっとした感情が襲う。

「……余計なお世話だと思うけど」

無意識に、そうぼそっと呟いていた。その声は思ったより大きくてハッとする。前のふたりにも聞こえたかもしれない。奏汰は慌てて身を翻すと、他の生徒の影に紛れ込んだ。ちらっと目だけで先ほどの2人を確かめると、話に夢中になっていて周りなど気にしていない。どうやら、聞かれずには済んだようだとほっと胸を撫で下ろす。

それでも、さっきの男性生徒の強張った表情が思い起こされた。あれ、困っていたよな、そんなことを勝手に推し量る。

『――偽善者』

脳裏に蘇った声を振り払うように、奏汰は慌てて首を振った。

こういうことはしないって決めていたのに。変化のない日常、深く関わるのは片手で数えられる程度の人間、誰かを助けることもない代わりに誰かを傷つけることもない、そういう狭い世界でいいって決めていたはずだったのに。

ついさっきの行動を反省し息をついていると、後ろから近づいてくる足音が聞こえてきた。

「奏汰、おはよう」

声に振り返れば、同じクラスの和也がいた。馴染のある顔を見て、気持ちが少し解れる。視界が開けた気がした。

「……おはよ」

「もしかして、また寝不足? どうせ、また夜遅くまでゲームしてたんだろ?」

「まあ、そんなとこ」

「最近、なんのゲームしてるの?」

「実は今テストプレイ頼まれててさ」

並んで歩きながらそう答えると、和也が驚きを浮かべる。

「え、テストプレイって、リリース前のゲームってこと? そんなのどこから受けてんの?」

「SNSのDMでメッセージが届いたんだよ」

「DMでって、それ大丈夫なやつ?」

「なんか有名なゲームクリエイターの人からだし大丈夫じゃない? 公式マークついてたし。よくゲームしてる人を見つけて、声かけてるんじゃないかな」

実際に今、同じくテストプレイを頼まれたという3人のプレイヤーとゲーム上どの交流がある。テストの関係上、パーティーを組んでプレイする必要があるようで、運営からあてがわれたメンバーだ。ゲームをプレイしてチャットで会話をするうちにわかったことは、

どうやら他の3人も奏汰と同じように高校生らしいということだ。

「結構、面白いよ」

並んで話しながら、少しでも雰囲気を伝えたくてスマホを取り出すとゲームを起動する。

海の底のような深い青の背景に、タイトルが浮かび上がった。

「これなんだけど……」

「『Synthe Diver』?」

画面を見せるようにスマホを掲げると、和也が覗き込みながらタイトルを読み上げる。

「うん、なんか親父から借りてプレイした昔のゲームの雰囲気がどっか似てるんだよね。あれ、結構好きだったんだよなぁ。ちょっとSFっぽい感じで」

「どういうゲームなの?」

「ストーリーは、精神世界から戻って来られなくなった女の子を救いにいくっていう話。プレイヤーがその精神世界っていうのに潜って敵を倒していくんだけど、そこが東京にちょっと似た架空の都市で……」

話しながら、ふと誰かの視線を感じた気がして振り返る。

けれど、登校中の生徒はみんな誰かとの話に夢中だったり、時計を確認したりするのに忙しそうで、誰もこっちを見てなどいなかった。

「どうかした?」

不思議そうに和也も足を止めて、尋ねる。

「いや、なんでもない」

気のせいかと思い、奏汰は再び歩き始めた。


放課後、いつもならすぐ帰る奏汰だったが、この日は教室の自席でゲームをしていた。

ふと校庭から聞こえてきた運動部の声に顔を上げる。つい集中してプレイしてしまっていたようだ。時計を見れば、思ったより時間が経っている。他の生徒は部活や塾にそれぞれ向かったのだろう。教室には奏汰の他に誰もいなかった。

「さすがに、そろそろ帰るか」

伸びをひとつしてから鞄を手に取り、席を立つ。ちょうどそのとき、スマホから通知音が鳴った。見れば、起動したまあになっていたSynthe Diverからのお知らせだ。後にしようかとも思ったが、すぐにポップアップを開くとお知らせにはこう記されていた。

【メインストーリー第1章をクリアしよう!】

メインストーリーなんて、テストプレイの内容に入っていたっけ?

そんな疑問が湧き起こる。そもそも、テストプレイ中にこんなお知らせが届いたことは、今まで一度もない。

もしかしたら、運営の方針に変更があったのかもしれない。そう自分を納得冴えて今度こそゲームを終了しようとした。

しかしそのとき、ゲームを開始の合図である短い効果音が響いた。

ボタンに触れていないのにどうして。

不思議に思うのと同時にもうひとつの違和感に気づく。音はスマホの本体からではなく、もっと近いところから聞こえたようだった。

そのうちにゲーム画面は勝手に進み始め、電子的なBGMが流れ始める。そしてそれは、自分の頭の中で鳴っていた。

「え?」と短い驚きの声とともに、思わず片手で耳を塞ぐ。けれど、耳を塞いだところで頭の中の音楽は鳴り止まない。訳がわからないまま、とりあえずゲームを終了させようと、あらゆるボタンを押してみるけれど無駄だった。

「なんなんだよ、これ……」

呆気に取られていた奏汰も、だんだんと焦りと困惑を感じ始めた。無我夢中で画面を叩くようにボタンを押し続ける。そこで、ハッと息を詰めた。

ボタンを押していた右手が徐々に消えていっているのだ。白い光の線が指先から肘へとのぼり始め、光が通った部分は見えなくなってしまった。

「はっ、なっ……」

声にならない声を吐き出し、ふと足元を見ると、足の先も光の線に侵食されている。確かに立っている感覚はあるのに、それを支えているはずの実体がどこにも見当たらない。教室の床が透けて見えるだけだった。

心臓がばくばくと脈を打ち、呼吸が浅くなる。顔上げて、窓に映る自分の姿に目を向ける。自分の身体が光線にほとんど呑み込まれている姿が見えたところで、目の前が真っ白な光に包まれた。

「誰かっ――……」 

声まで吸い込まれるように消えていき、誰もいない教室の床にスマホがゴトンと転がる音だけが残った。

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