悟さんによって新しく入れられた高校はミッションスクールで、二時間目と三時間目の間に礼拝なる時間がある。

 まったく笑っちまうね。

 どういう神経をしてんだか分からない。毎日ヤられてガバガバになったお尻を抱えて、どんなツラをさげて神様の前に出ろってんだ。

 だからぼくはこの一ヶ月、そのお礼拝とやらには出ていない。

 一度担任に「なぜ出ないんだ」とかれたから、ぼくは仏教徒なんですってホラを吹いた。「強制的な宗教行事に参加しなくてもいいという信教の自由は、憲法でも保障されていますよね?」って切り返したら、それきりなにも言ってこない。

 三十分ばかりの礼拝の時間がありがたいのは、全校生徒がそこに集まり、またほとんどの教師も出席するため、校内がガラ空きになることだ。もちろん、そこで誰かの財布の中身でもくすねてやろうなんてことはさすがに考えていない。でももしそんな事件がおきたら、疑われるのは毎日その時間にふらふらしているぼくだろう。

 体育倉庫の裏手にある自転車置き場の一角に座り込んでタバコに火をつけた。

 極楽極楽。

 後ろの孔は座るたびに痛いけれど、いまくらいは気にすまいよ。タバコはぼくの数少ない楽しみの一つ。てか、実際これだけじゃね? こうもセックス三昧の日々では、他のことを愉しむ余力がないのだ。

「そこでなにをやっている!」

 ところがいきなりそうこられて、体ごとびくんと跳ねた。一昔前なら「センコーか?」ってところだ。けれどももう見られちまっていることだし、携帯トレーで揉み消す前に声の主を確かめることにした。だるっこく斜め上を見あげる。

(う…げ)

 そのとおり、しかめ面になった。

 こいつか。ま。とりあえず教師じゃなくてよかったスけど。

 彼は生真面目を絵に描いたような表情でぼくを見おろしていた。

 つりあがった二重の双眸は、このどうしようもない転校生をどうやって更正させようかという使命感に燃え、また、ぼくにはどうしても予測の掴めないぼくへのなにかしらの興味をあらわにしつつ、強い光を放っている。でも興味といっても、残念ながらセクシャルなことじゃないことくらいは、いくらなんでも伝わってくる。

 ジャニーズみたいなかっこいいはやりのスタイルの髪と、ぱりっと糊の効いた制服。なんだかいつもぼくはヨレヨレで申し訳ないです、って言うべきかしら。校風偏差値を下げちまってますよねー、って。

 さらに彼は、イケメン顔にスタイル抜群、スポーツ万能。それでいて成績はトップ。誰にでも優しくて、今年度の生徒会会長――――う?…あ?――――気持ち悪ぃ。吐きそう。お願いです、旦那様。アナタみたいなお偉いお殿様はアタシにゃご縁がなさすぎて、こうそばに寄られちゃ迷惑というものでありんす。アタシは、すぐにホレタハレタになっちまいますんで。

 ということはぼくもオネエ道まっしぐらということなのかしら。転校初日に声をかけられて以来、同級生のこいつにぞっこんなのだから。もっといってしまえば、ときおり悟さんがこいつだったらいいのに…なんて、あらぬ妄想まで膨らませているんだからさ。

「礼拝にも出ないで、こんなところでなにをやっているんだ!」

 すがすがしいまでの正義漢で言う。人のこと言えた義理か。

「あんたこそ、お礼拝に出なくていーのかよ」

 空に煙を吐きながら言い返してやった。

「きみはタバコを吸うのか?」

 ぼくの問いには答えず、戸惑い気味に訊ね返す。

「見てのとおり」

 ぼくは平然と答えた。ぷかぁ、と、煙突みたいに噴いてやる。

「この学校では、タバコは停学処分だよ」

 硬い声。そんなリアクションされると、からかいたくなっちまうだろが。

「へえ? そうなの? そりゃあ、いいね。堂々と学校を休めるってもんだ」

 へへーんだ。そんなオドシじゃオイラはびくともしないのさ。

「何度も繰り返すと退学だ」

「ふぅん。ちょーどいいや。この学校、そろそろ飽きてきたから」

 そして、プカァ。

 工藤が絶句しているのが空気から伝わってくる。痛快痛快。

 その途端、背後からハッハハハハッという高笑いが聞こえてきて、ぼくは驚いて振り返った。

「やめとけ。工藤。おまえの負け」

 爽やかな声が続く。

「高橋先輩」

 見ると、そのタカハシセンパイという人が、一歩一歩こちらに近付いてくる。なんだ、こやつは。お礼拝さぼり組はぼくだけじゃないのか。

 見知らぬ人物の登場に急いで立ちあがった。同時に、ずっきんと後ろの孔が痛む。この痛み、この人たちには分からぬことだな。でも見知らぬ人間が近付いてきてのんびり座り込んでいられるほど、ぼくのお育ちはよろしくない。

 タカハシは興味津々といった薄ら笑いを顔に浮かべながら、両手をズボンのポケットに入れてゆっくりと近づいてくる。

 ヨレた学ランの前は開け放しで、地毛なのか脱色しているのか、琥珀のような茶色の髪は無造作に伸びていて、なんとなくこの学校には似つかわしくないスレっからした感じがする。

「おもしろい奴だな」

 ニタニタと笑いながらぼくの数歩先で止まると、切れ長の目でぼくを見おろした。でけぇ、というのが第一印象だった。

「あんた、誰?」

 ぷかぁと煙を吐いた。そいつが怪訝そうな顔をする。

「俺を知らないのか。こいつ、転校生か、工藤?」

「はい。春からの転校生です。二年です。いま、僕と同じクラスで」

「ああ。なるほど」

 もう一度、ぼくの顔に視線を戻す。なんなの。このやりとり。

「あんた、この学校でそんなに有名人なわけ?」

 ふう、と、そいつに吹きかけてやる。番を張ってるやつかもしれないのに我ながら怖いもの知らずだよな、とか思いながら。いきなりキレてぶん殴ってくるようなやつだったら、どうしよう。ま、いっか。

「昨年度の生徒会会長だよ」

 隣りで工藤がこともなげに答える。

(――げ)

 声になりそうだった。

 前職か。

 目の前に、現職と前職。まじか。

 ああ、お殿様方。

 女郎佳樹くんが叫ぶ。

 これはちとはしためには刺激が強うござんす、お捨て置きくだせえまし。

 ぼくは、短くなったタバコを地面に放って靴で揉み消した。もちろん、わざとだ。問題にしたくなきゃどっちかが拾いやがれってな感じで。

「おい工藤。こいつはちょっと、おまえ向きじゃないぞ」

 タカハシ前職が面白そうにぼくを眺めながら、しみじみと断言する。それでぼくは内心、むっとした。

 なんだよ。

 工藤向きじゃねえってのはどういう意味だよ。人の恋路の邪魔をする気か。

「こいつのことは俺に任せて、おまえは見回りの続きしろ」

 え。見回りなんかしてんの、工藤。センコーの犬か、てめえは。

「でも」

「大丈夫、任せておけ。次の授業には、行かせるよ」

「ふざけんな! 勝手に決めんなよ! 授業なんか出ねぇよ、オレ」

 ぼくはイキ巻いた。だって、もうちょっと工藤と一緒にいたいんだよ、分からねぇのか。いや、分かるわけねぇか。

 タカハシが片手でしっしっと工藤を追い払う。工藤が、それじゃあ、と頭を下げて背中を向ける。

 …ああ。工藤さん。せっかくお会いできたんだから、本当は、もちょっとお話していたかった。素直になれなくて、ごめんなさいね、アタシ。と、その背中を見送りながらハンカチの端を噛む気持ちになる。

「お前も座れ」

 タカハシが渡り廊下のコンクリに腰掛けた。この野郎、余計な真似しやがって。

 ぼくはタカハシを睨みつつ、ケツが痛まないようヒョコ…と静かに隣に座った。しゃがみながら、それにしてもなんだってこんな初対面の相手の言う通りにしちゃうんだろうと、我ながら不可解だった。

 それってもしかしたら、毎晩悟さんの言いなりになってばかりいるから、命令形にはなにも考えずに従う癖でもついちゃっているのかしらん。それってやばいな。一種の洗脳じゃないの。

 学ランの内ポケットからタカハシがタバコを取り出し、火をつけて旨そうに吸い始める。へえ、そういう奴なんだ、前職のくせに。

「お前も吸ったら?」

 しゃあしゃあと言う。ずいぶんと肝の座った男だ。

 ぼくはいまに至って、ようやくその顔をとくと眺める気になった。

 工藤が「端正」なら、こいつはそれに「精悍」という文字が足されるかもしれない。

全体的に筋肉ばった体をしているし、さっき殴られなくてよかったな。数メートルはふっ飛ばされていたかも。

「ねえ。あんたがタバコ吸ってること、誰かに言いつけちゃうかもよ、オレ。いいの? そんなに無用心で」

 意地悪く言ってみた。なんだかこいつからはでも、突然キレそうな危なっかしい感じはしてこない。むしろちょっと安心できるような長閑(のどか)な雰囲気さえあって、だから先輩相手にタメ口でこんなことも言えちゃったわけだ。

「別にいいさ。――それ、おまえが拾えよ」

 ぼくがさっき靴で揉み消した吸い殻を顎で指し示す。

「嫌だって言ったら?」

 ぼくは挑発的に言い返した。

 こんなやつを見ていると、わざと怒らせて本性を剥き出しにしてやりたくなる。こういうのって心理学的にはどう呼ぶのかな。マゾ? サド? 人格障害? …人格障害って言葉、ぼくにすごくよく似合っているな。お気に入り登録しとこう。

「お前、可愛い顔してハリネズミみたいだな」

 ちょっとした沈黙の後で、タカハシがしれっと言う。

(なんだと?)

 こめかみが疼いた。

 可愛いたぁなんだぁ、可愛いたぁ。ひとのことナメとんのんか。

「いや、やっぱウニだな、ウニ。ハリネズミは、そうしょっちゅう針立てないもんな。いつも刺々しいの、ウニだ、ウニ」

 ひとりで言葉遊びを愉しんでいる。

「ふざけんな。バカにしてんのか、あんた。何様のつもりだよ」

 ぼくは捲したてた。

「その言葉、そのまんまお前に返す。自分で拾えよ、それ」

 落ち着き払った態度で携帯トレーに吸いかけを入れ、低くそう言って、タカハシはさっさと立ちあがる。スマホで時間を確認しながら、

「おっと。そろそろ授業が始まるな。工藤にはああ言ったけど、出るか出ないかはお好きに。じゃあな」

 後ろ手にひらひらと振って、静かに去ってゆく。

(…変なやつ)

 悔しいけれど、ぼくはこっそり吸殻を拾った。

 だってそのために携帯トレーを持ち歩いてんだものな。こんなことで騒ぎになってタバコが吸いにくくなったりしたら、それこそ本末転倒じゃん。

 ――タカハシ。

 確かにちょいとかっこいい造作をした顔であった。しかしなんともオッサンくさい。ああいうのとは、あんましかかわりあいたくねぇな。人を小バカにしやがったし。

 それが前職タカハシとの出会いだった。花の香芳しい、五月の末のこと。



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