第3章 あなたのことがちょっとだけ、好きになったかも。
01 デートのお誘い
「私と、出かけませんか」
「……はい?」
出かける、誰と誰が……わたしと、サイラス様が――? 呆気に取られているわたしの手を掴み、彼はうっとりしたようなまなざしを此方に向けてきた。何がどうなっているのか、判断できないでいると「街歩きがしたい、と言っていたでしょう」とサイラス様は言った。
「そ、それってもしかして……外出許可、ということですか⁉」
あれほど頑なに駄目だ、と言われていただけににわかには信じがたかった。が、この機会を逃せばまたこの屋敷から一歩も出られない生活に逆戻りになるのは間違いない。ハッとしながらサイラス様の手を掴み、わたしは目を輝かせた。
「リーリエ、そんな……そんな愛らしい顔を俺に向けないでください。動悸でどうにかなりそうだ」
「えっ、なんですか?」
絞り出すような声音で訴えかけてくるサイラス様の反応が明らかにおかしかったので、さらに力を込めてぎゅっと握りしめた。激しくもだえ苦しむサイラス様を前に首を傾げていると、レベッカが「リーリエ様、どうかそのくらいにして差し上げてください」と冷ややかな一声を浴びせた。
ようやく自分がはしたない真似――婚約者相手ならこれぐらいしてもおかしくないとは思うが――をしていたと気づき、ぱっと手を放すと息を吹き返したように荒い呼吸をサイラス様は繰り返した。
なんなんだ、このひとは――。
わたしが呆れた眼差しを向けていると、サイラス様はこほんと咳払いをした。
「街に人気のパティスリーが開店したらしく……元は、美食家で名高いエルモルト卿の屋敷で腕を振るっていた職人が働いているようなのです」
エルモルト卿とやらが誰なのか、わたしは知らなかったが、頬を染めながら話すサイラス様の姿は可憐な乙女のようでさえあった。
「もしや、サイラス様――甘いものがお好きなのですか」
「ええ、まあ、人並みには……それよりリーリエが笑ってくれる方が嬉しいですが」
「行きたいです!」
もごもご何かを言っているようだったが、外出の提案を受けたときから答えは決まっていたようなものだった。待ちに待った機会を逃すわけにはいかない。このままあわよくば脱走しよう、などとはさすがに考えてはいないが屋敷の中から(庭はかろうじて可だったけれど)出られない生活がこうも続いていては息が詰まる。
「パティスリーですね、お任せください。男性一人では入りづらいお店もわたしが責任もってサイラス様をエスコートします!」
なにしろスイーツ男子というのは肩身が狭いものだと聞く。甘い菓子は女子供の好むもの、のような認識はこの国では未だに強い。天下無敵の近衛騎士団長様が甘いものに目がないとは――可愛らしいところもあるじゃないか。わたしはむふふ、と口元が緩むのを止められなかった。おっといけない、いけない。あわてて口元を押さえると、ぼうっとしたようすでサイラス様が此方を見ていた。
「あぁ、なんと愛らしい……」
「ふへ? 何かおっしゃいましたか、サイラス様」
「いえ――こほん、楽しみです、と思っていたまでのこと。リーリエが気にするような問題は何もありません」
すっと真顔になったサイラス様からは先ほどまでの咲き初めの花のような輝きは失せていた。それを少しばかり残念だな、とわたしは思ったのだった。
数日後――ちょうど、サイラスが休暇を取れた日に例の外出は決行することになった。わくわくしすぎて昨晩はなかなか寝付けなかった。
いつもより歩きやすいが、見栄えがする格子柄のオレンジ色のドレスを身に纏い玄関ホールまで階段を降りていくと、騎士服ではないラフなシャツ姿のサイラス様が立っていた。普段のかっちりした雰囲気とは異なるくだけた服装もよく似合う。近寄りがたさが抜けて、にこやかに微笑まれるとわたしはつい、彼の隣まですっと吸い寄せられた。自分でも意外に思うほどに、彼の隣に立つことに――差し出された腕を取ることに抵抗がなかった。
そして、使用人一同に見守られながら、わたしとサイラス様はいわゆる「デート」へと出発したのだった。
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